可愛いスープとヴィリス
雨の中出かけたギグを見送って、さざれは食器を片付けた。使ったものを流しでてきぱきと洗い、鍋を温める。保温性の高い鍋だが、少し冷めてしまっていた。
二人で何杯かおかわりしたが、多めに作ったので二、三杯分ほど残っている。具もまだ残っているから、追加しなくても……いや待て。
「ソーセージをスープに入れるか。昨日は、焼き色が茶色くて可愛くないなどと、駄々をこねておったしなあ……」
ソーセージをいくつか取り出して、さくさくと包丁で一口大に切る。その後、断面の中心に小さな丸を刃先で入れ、それを囲むように放射線状の切れ込みを入れた。これで断面が花のように見える。
全てのソーセージを同じように加工し、ぽいぽいとスープに放り込む。
手間というほどでもない。ぬるりと滑る里芋に繊細な飾り切りを施した時に比べれば、児戯の部類だ。
「このくらいで食べてくれるなら安いものよ。さて、後は器よな。昨日と同じでは可愛くないと、これまた怒るのよなあ」
食器棚に並ぶ食器の前で少し迷った後。さざれは、ピンク色の花形深皿を取り出した。パンを置く皿はそれとセットの、緑の葉形のものにする。これなら文句は無いだろう。
台所の壁にかかる時計を確認する。針は八時半を指していた。そろそろ起こすか。
火を止めてから、さざれは階段を上がって二階へ向かう。
階段を上がった先は直線の廊下だ。廊下の突き当たりにはベランダへ出る扉。絨毯の敷かれた廊下の左右に、四つずつ扉がある。さざれはその内、右側二番目をノックした。
部屋の前には、誰の部屋か分かるようにネームプレートをかけている。この部屋は、雲のような形のプレートに、粘土で作ったリボンや星、花が飾られたものだ。
飾りつけ過ぎて、部屋主の名前が半分ほど隠れている。その名前を、さざれはのんびりと呼んだ。
「ヴィリス。ヴィーリス。もう朝だぞ、起きぬか。ヴィリス」
緩く握った手の甲で扉をノックしながら、呼びかける。部屋の中の気配を探ると、ごそごそと動いているのが分かる。どうやら起きてはいるらしい。
「スープが冷めてしまうぞ、ヴィリス」
かすかな物音の後、ドアが音を立てて内側に開いた。小さな頭がふらふらとしながら、ひょこりと覗く。
「んー……おあよう……」
うにうに、むにむにと唇が動く。まだ眠いのか、舌が回っていない。さざれは微笑してしゃがみ込み、ヴィリスに目を合わせた。
「うむ、おはよう。ほれ、顔を洗いに行くぞ」
「むー」
ヴィリスは鮮やかな青の長髪を揺らして、頭を何度も頷かせた。
この家に住む男六人。その中で一番幼いのが、このヴィリスだ。年は六歳。まだ一人で食事を作れないので、料理人だと公言したさざれが自然、彼の食事を作ることになっている。子どもの面倒を見ることは嫌いではないので、負担でもなんでもない。
まだ足元がふらついて危ないので、手を引いて階段を下りる。
「ほれ、顔を洗え」
「んむー……ヴィー溶ける……」
「溶けん溶けん。お湯で溶けるのは片栗粉くらいよ」
小柄な身体を脇に抱えた状態で顔を洗い、柔らかい布で拭いてやる。
まだまだ親元にいるべき年齢のこの子が、探索者としてなぜこの迷宮都市で暮らしているのか。詳しい理由を、さざれは知らない。多分、他の者も聞いていないだろう。本人は「ヴィーはね、可愛いの! だからね、更に可愛いを極めに来たの!」と堂々宣言していたが。
そして公言する通り、ヴィリスは可愛い。
癖の無い長髪は膝下まで。頭頂部は濃い青色だが、そこから毛先に行くにつれ色が薄くなっている。時々眠そうに瞬きする瞳は赤紫。大きな瞳の周囲を、細く長いまつ毛が縁取っている。
少年とも少女ともつかない可憐な顔立ちも、レモン色のパジャマから伸びた細い手足も、人形のように愛らしい。
洗面台からリビングに連れて行ったころには、ヴィリスの目も覚めたようだった。宝石のような赤紫の瞳が、ぱっちりと開く。
「さざれー、ご飯なあに? ヴィーねえ、可愛いのがいいのー。あのあの、あれなの。可愛いお皿にね、ハートの形のサンドイッチとかね、可愛く切ったサラダとかね、たくさん乗せられてるやつ」
笑顔、期待。くるくると表情を変えながら、さざれのズボンを引っ張る。
「あっ、プレート! ヴィーね、ワンプレートがいいの!」
きらきら輝く赤紫色の瞳を見据えて、さざれはにっこりと微笑んだ。
「今日はな。野菜とソーセージたっぷりのスープと、食パンだ」
輝いていた瞳が、一瞬で光を無くした。柔らかい頬が、ぷううう……っと大きく膨らむ。
「やっ! じゃあ食べないの! ヴィー、今日は可愛いワンプレートの気分なの!」
小さな足が絨毯を踏みしめ、だむだむとくぐもった音を立てる。ぷいっとそっぽを向いた頬は、大きく膨らんだまま。白いヴィリスの頬は、興奮するとすぐ赤くなる。よく膨らむのと相まって、それがまるで餅のようだ。
なのでさざれは密かに、ヴィリスの頬を餅と呼んでいる。
「さざれの馬鹿! ヴィー、可愛いのじゃないと食べないっていつも言ってるのにー! なんで可愛くないの! ヴィー、もうご飯食べない、可愛いの食べに行ってくる! お外でモーニング食べてくるんだから!」
ぷくぷくと膨らむ餅をつつきたい衝動をこらえながら、さざれは頬に手を当ててわざとらしくため息を吐いた。
「そうか、それは残念なことよ。今日はお主が可愛いと一昨日買ってきた、花と葉の皿を使ってみたのだがなあ」
「……」
「スープに入れたソーセージも、花の形に切ったから可愛らしいと思うのだがなあ」
「…………」
「っと、そうそう、忘れておったわ。今日はデザートがあってなあ」
「………………」
「それも透明なゼリーをワイングラスに入れ、色々なフルーツを中に入れて見た目を華やかにしたものなのだ。昨日のうちにつく……」
「食べるー! ヴィーね、朝ごはん食べるー!」
ぱああっ、とヴィリスの顔が輝いた。
「よしよし。では持ってくるから、ちょっと待っておれよ」
「うん! 早くね、早くねー!
先ほどまでの不機嫌は、どこへ行ってしまったやら。
椅子によじよじとよじ登り、テーブルを両手で何度も叩いて催促を始める。早く、早くと訴えるヴィリスの頭を一つ撫でて、さざれは台所に向かった。
「やれ、素直で助かる」
花と葉の皿にスープとパンを盛り付けて出すと、ヴィリスは華やぐような満面の笑みを浮かべた。――が、その笑みがスープの中を見てくちゃりと萎む。
「……だいこん」
「苦くも辛くもないゆえ、文句を言うならまず食べてからにせい」
「……やだあ、形が可愛くない」
これやだ、とヴィリスはスプーンの先で大根モドキをちょいちょいつつく。その手からスプーンを取り、さざれは他より少し小さな大根モドキをすくった。
「ほれ、あーん」
「むぐっ」
そのまま、口に押し込む。
人形のように可憐な顔を、ぎゅっとしかめたまま。それでもヴィリスは素直に、口の中のものをむっくむくと咀嚼した。しかめ面が段々とほぐれていく。
「おいしい!」
ごくんと飲み込んだ後、ヴィリスは両手を上げて叫んだ。ぶんぶん、と両手が興奮を抑えきれないかのように振られる。
「あの、あのね、おいしいの! これね、やわっかくてね、じゅわーってね、そんでね、おいしい!」
「よしよし、美味くて良かったなあ。だからいつも『一口食べてから、食べるか食べないか決めよ』と言っておるだろう」
「だって、大根は可愛くないもん。あのね、ヴィーは可愛いんだよ? だからね、可愛いのだけ食べたいの。だってね、可愛くないのを食べたらね、ヴィーも可愛くなくなっちゃうでしょ」
「大根モドキはお主の中で可愛い部類に入ったのか?」
その理屈で言うなら、先ほどまでは大根モドキは「可愛くない」部類に入っていたはずだ。
「可愛くないけど、おいしいからいいのっ」
ふんすー、と満足気に息を吐く。
さざれは苦笑して、スープを元気よく食べるヴィリスを見守った。
ヴィリスには、自分の中で独自のルールがある。「可愛い」ものは食べるが「可愛くない」ものは食べない、という簡単なものだが、これが結構面倒臭い。
なにせヴィリスの「可愛い」基準は、ころころ変わる。「形が可愛い!」と食べていたロールパンを、急に「なんか、カタツムリの殻みたいで可愛くないの」と言い、食べなくなったこともある。
そして見た目や盛り付ける食器にもこだわる為、「このお皿可愛くない! やだ、食べない!」と言うこともしばしばだ。
「ま、可愛い我儘よな」
食パンにジャムをたっぷりと……こぼれんばかりにたっぷり塗るヴィリスを見ながら、さざれは口の中だけで呟いた。
「可愛い」に固執してはいるものの、ヴィリスの中ではまだまだ食欲が勝るらしい。なんだかんだと文句は言うものの、一口食べて美味しかったらぺろりと完食してしまう。そこは大変素直もとい、単純で愛らしいと思うさざれだ。
昔、潜入していた先の若君は嫌いなものが出ると癇癪を起し、料理ごと皿を庭に放り投げ、料理人――さざれだ――に当たり散らしていた。味噌汁を鍋ごと投げつけられたこともある。
ちなみに若君は当時三十歳。まっっっったく、ちっっっっとも、可愛くなかった。
「ソーセージお花! 可愛い! さざれ上手!」
「そうか、可愛いか。それは何よりよ」
「これなあに? オレンジの」
「フォッグキャロット。霧を吐く人参らしいぞ。人参そのものに味はあまり無いが、出汁を良く吸うのだ」
「おいしい! ニンジンは可愛いから好き」
「可愛いのか」
ヴィリスは頷く。
「形が可愛いの。あと色」
「ほう」
可愛いも奥が深い。
他愛の無い会話を積み重ねながら、さざれはギグとの会話を思い出していた。
元々、料理を作るのは好きだ。潜入先に応じて趣味や特技をその時々で変えていたが、心底好きだと言える趣味は料理くらいだ。そしてその料理を食べながら、他愛の無い話をするのはもっと好きだ。
ゆえに今の状況は、実に味気無い。不満だ。
そもそも人同士の距離を縮めるのはやはり、共に食卓を囲むことだとさざれは思う。「同じ釜の飯を食う」という言葉もある。同じ食卓で同じ飯を食えば、おのずと距離も縮まろう。……現に一緒に食事をしているギグやヴィリスとは、他の面々と比べて距離は近い方だと思う。
どうにか他の連中も一緒に、食卓を囲む方法は無いだろうか。
袖振り合うもなんとやら。縁あって一つ屋根の下で暮らしているのだから、無関心でいるより仲良くしたいではないか。
「さざれー」
「ん?」
甘えた声音で呼ばれ、思考を打ち切って視線を向ける。ヴィリスが重ねた両手を頬に当て、こてんと首をかしげていた。
「ヴィーねえ、ゼリー食べたい。全部ちゃんと食べたよ、ほら!」
見ればパンもスープも完食している。どうだ、ちゃんと食べたぞと言わんばかりに自信に満ちた顔をしているヴィリスに、さざれは眦を下げて笑んだ。
「よしよし、ほんに偉いぞヴィリス。今持ってくるから、少し待っておれよ」
「はーい」
素直な返事を聞いて、台所に向かう。
ゼリーは冷蔵箱の中にある。昨日、ふと思い立って作ってみたのだ。
ギグに出すのを忘れていたが、まあ夕方に出せばいいか。朝に出さなかったからと、怒る男ではない。ボニファースはまあ……仕方ない。出してやるか。熱く煮立たせたスープと共に。
「今日は少々肌寒いからなあ。さぞかし身体が温まるだろうよ」
あくどい笑顔で呟きながら、冷蔵箱を開ける。並んだ野菜の奥に置いたゼリーを取り出そうとして――
「あぁ?」
さざれの口から、低い低い声が漏れた。
全員分作っておいたゼリー。背の低いワイングラスの中、ぷるりと震える透明なゼリー。その中に閉じ込められた、色とりどりの果物。
見た目にも美しくお洒落だったそれが、綺麗さっぱり無くなっていた。
あるのは空っぽのワイングラスが六つと、「一人一つ」と書いておいたさざれのメモ。底の方に僅かに残ったゼリーの欠片だけが、ここに確かにゼリーがあったという事を証明していた。
「……」
無言でさざれは冷蔵箱の扉を閉め、身を翻した。
「さざれ、ゼリーは?」
きょとんとするヴィリスの横をすり抜け、階段を三段飛ばしで駆け上がる。ゼリーを全て食った挙句、空のグラスを片付けもしない阿呆は一人しかいない。
疾風のように二階の廊下を駆け抜け一番奥、その右側の扉をノック無しに開ける。開けながら叫んだ。
「フェル=マタアアアアァァァァ!! お主ゼリーを全て食ったな!?」
「んー、美味かったぞ。特に下の方にあった赤いフルーツ。コリコリしてて歯ごたえがあった」
床に直接置いた巨大なクッションに寝転がったまま、フェル=マタ――通称フェルは、カーテンを閉めた薄暗い部屋の中、気だるげにうなずいた。
うなずきながら、手にしたものをぼりんっ、と齧る。ぼりっ、ばりっ、と硬いものを咀嚼する音が響く。一体なにを食べているのだと、さざれはそれに目を凝らし……正体を見て脱力しそうになった。
「……なにをしておるのだ、お主」
「口が甘くなったから食べている」
「…………さようか」
ばりっ、ごりっと良い音を立てながらフェルが貪っているのは、岩のような外観をした洞穴キュウリだった。普通のキュウリと比べてえぐみが強いので、加工しないととても食べられたものではない。
それを生でばりごり齧っている。
「あ、あのゼリーは美味かったぞ。また作れ、さざれ。私は今度、あれをエールジョッキで食べてみたい」
だらだらと寝転がったまま、そうのたまうフェル。それに、さざれはただ苦虫を噛み潰した顔を向けた。