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気まぐれ六重奏〜さざれの食卓更生記〜  作者: 所 花紅
いざ焼肉、もといバーベキュー!
17/18

「いただきます」

 さらりとした液体が、口内に満ちる。

 最初に感じたのは、火傷しそうなほどの熱。じん、と熱で舌が痺れる。


「~~~~っ!?」


 一拍置いて、衝撃。

 トロワは、ばっと口を両手で押さえた。手から落ちたマグカップが、床に滑り落ちて硬質な音を立てる。

 熱い。舌が痛い。以前、海に落ちた時に味わった塩辛さが脳天を貫く。熱い。歯茎にじんじんと沁みて、舌がびりびりと痺れる。塩辛い。口の中が痛い。


「……トロワ?」


 ギグの不審そうな声に答えを返す余裕も無く、トロワは椅子に座ったまま、じたばたと足を暴れさせた。

 喉の奥に口内のスープが流れ落ちて、反射的に飲み込んでしまう。それでもなお、唇がカラカラになるような塩辛さは口から消えてくれない。しかも、なんだか舌の先がビリビリチクチクと痛い。小さな針で絶えず刺されているようで、トロワは涙目になってさざれを見上げた。


「さざれ! なにこれ! 毒!? オレに毒盛ったの!?」

「やつがれが食事に毒を盛るわけなかろう。お主が今まで味の無いものばかり食べておったから、舌が味に対して過敏になっておるだけよ」

「味!? 味ってなに、これ!? 口ん中が海みたいになってる! 痛い!」

「ああ、今日のスープは塩であっさりと仕上げたからなあ」

「舌痛い! ビリビリする! なに、オレの舌刺されてるの!?」


 混乱と衝撃のあまり、言葉がまともに出てこない。対するさざれは、あくまで冷静な口調で返す。


「それは胡椒だなあ。辛いという味よ」

「辛い!? 辛いっていうのこれ!? 痛い! 舌痛い! どうすれば治るの!? 回復魔法!? あっオレ回復魔法使えない!!」

「ほらトロワ、水だ。落ち着いて飲め」


 目を白黒させながら騒ぐトロワ。そこに、ギグが横から水の入ったコップを差し出してきた。慌てて受け取ろうとして、指が滑った。水滴をまき散らしながら、コップが宙を舞う。ヴィリスに向かって。危ない。ガラスだから当たったら怪我をする。咄嗟に立ち上がる。手を伸ばす。前のめりになる。コップに指が届く。テーブルについた手が滑った。バランスが崩れる。横向きに身体がかたむく。受け身を取ろうとねじった身体が仰向けになる。


「へっ!?」


 空が見えた、と思った瞬間。蹴倒した椅子ごと、トロワは思いっきりずっこけた。がんっ、と後頭部を思い切りベランダの床にぶつけ、目に星が散る。一拍遅れて、けたたましく椅子の倒れる音が鳴る。


「いだっ!」


 キャッチしたコップが手から離れて宙を飛び、倒れたトロワの額にガツンと当たった。冷たい水が顔にばしゃりとかかる。


「冷たっ!?」


 不幸は続く。


「わんっ」

「むぎゅっ!?」


 屋根を走ってきた白い犬が柵をひらりと飛び越え、トロワの胸にぼすんと音を立てて着地する。それなりに身体が大きかったので、トロワは蛙が潰れたような悲鳴を上げた。重たい。痛い。

 呆気に取られた気配が周囲に漂う中、ヴィリスの嬉しそうな声だけが響く。


「あ、ワンちゃん! ヴィー知ってるよ、あの子ね、お隣の子だよ! 屋根に上がるのが好きでね、よくお散歩してるんだよ。ペンタローって名前なんだけどね、可愛くないからね、ヴィーがペペタロンって名前にしたのー」

「わん、わうっ」

「んぶっ、ぶふっ!」


 ばっふばっふと、箒のような尾が激しく振られる。その度に、トロワの顔に尻尾が叩きつけられた。犬はそのまま、トロワの胸にどっすんとお座りをする。うぐっ、と呻いて、トロワは弱々しい声を上げた。

 色々な出来事がドミノのように重なって、言葉が全く出てこない。だが、これだけは言いたかった。


「お前、なんで、オレの上に座るんだよお…………」

「わうっ」


 一声吠えた犬が、立ち上がる。圧迫感が消える。言葉が通じた。良かった。どいてくれる。


「わん、わう」


 尻の位置を微調整したかっただけだったらしく、またトロワの上にどすんと座る。今度は腹の辺りに尻を下ろされて、またぐえっと声が漏れた。


「なんでだよおー……」


 トロワは泣きそうな声を上げる。

 一拍、二拍、間を置いて。

 ぶふっ、と誰かが噴き出す音がした。


「ふ、ぐふ……っ、ぶふ……っ!」


 ボニファースが、顔を横に背けている。声が出ないよう、二の腕で口を押さえているが、そこから殺しきれていない笑い声が漏れている。


「おい、トロワ。折角だから、写真を撮ってやろうか。今のお前、とんでもない間抜け面だぞ」


 愉悦に唇を緩ませたフェルが、ひょこりと覗き込んでくる。その両手には、カメラが握られていた。レンズがトロワに向けられ、バシャバシャとシャッターが切られる。


「やめろよ、やだってば!」


 じたばたと暴れるが、犬はどいてくれない。それどころか、のっしりと身体を伏せて完全に寝る態勢に入ってしまった。更に体重がかけられる。


「おーもーいー!」


 トロワは悲鳴を上げた。その間もバシャバシャとシャッターは切られ続け、殺しきれていない笑い声が響き続ける。


「ボニ、ボニ、だいじょーぶ? 笑うの我慢すると、身体に毒なんだよ。笑いたい時はちゃんと指さして、思いっきり笑ってやれって、ヴィーのにーにが言ってたよ」

「ちょっ、ヴィリス、今マジ待て……!」

「だいじょぶ! ボニは笑った方が可愛いよ、自信持って!! 可愛いヴィーが言うんだから、間違いないの!」

「っんぐふふふふふふ!」

「さざれー、ギグー、ボニがね、丸まっちゃったー」

「分かった、分かった。ほれボニファース、深呼吸だ、深呼吸」

「トロワ。犬はどかしたから、起き上がれるか。ゆっくりでいいぞ」


 胸の上から重みが消える。はあー、と大きく息を吐いて、ゆっくりと起き上がる。髪や顎から、水がぽたぽたと滴り落ちた。ベランダに座り込んだまま、トロワはローブの袖で顔を拭いた。

 椅子から滑り落ち、床にうずくまってボニファースが爆笑している。その背をさざれが撫で、ヴィリスはマイペースに鉄板から肉を取りにっている。ギグは犬に顔を舐め回され、困った様子だ。フェルはそれをカメラでバシャバシャ撮りまくっている。

 コップがぶつかった額はじんじんする。口の中は、まだ塩辛くて痛い。襟の辺りは水で濡れて気持ち悪い。胸も腹も、まだ少し苦しさが残っている気がする。

 それでも。


「……ふへへっ」


 決して胸に宿るのは不快さではなく。それがなんなのかよく分からないが。

 トロワは座り込んだまま、小さく笑声をこぼした。


◆◆◆


 乱入してきたペンタローだかペペタロンだかは、ひとしきり全員の顔を舐め、肉を四つ五つ失敬して、またベランダの柵を飛び越えた。そのまま猫のように、密集した屋根をぽんぽんと跳ねてすぐに姿が消える。大した犬だ。

 トロワが落ち着くのを待ってから再開した焼肉は、先ほどよりもずっと和やかな空気に満ちていた。


「よいか、トロワ。お主はまだ味というものに慣れておらん。だから、ちょっとの味でも敏感に感じてしまうのだ」

「そうなのかー。じゃあオレの舌、おかしくないのか?」

「おかしくないぞ、正常よ。先はやつがれも悪かったな。よもや、お主の舌がそこまで敏感とは思わなかったわ」


 ほれ、とさざれはショットグラスを差し出した。先ほどのことがあるからか、トロワがそれを警戒した目で見つめる。


「さざれ、これなんだ? ……水?」

「いや、これは水と海藻を一緒に煮込んだものでな、出汁という。様々な料理に使えて便利なのよ」

「ふうん……?」


 そろりそろりと、ショットグラスに手が伸ばされる。透明なグラスに半分ほど、うっすらと色づいた出汁が入っている。それに鼻を近づけて、トロワはすんすんと匂いを嗅いだ。


「……なんか、海っぽい匂いがする?」

「うむ、海藻を使っておるからなあ」

「しょっぱい?」

「塩辛くは無いぞ。ま、飲まずともよいから舐めてみい」

「うー……おう」


 恐々とした調子で、出汁をぺろりと一舐め。そうしてトロワは、丸いこげ茶の目をぱちぱちとさせた。


「さっきよりしょっぱくない! よく分かんねえけど味もする! なにこれ、なんて味?」

「それが出汁の味よ。ほれ、次はこっちだ。これはな、先ほどお主にとヴィリスがくれた芋を潰したものよ」


 ちびちびと出汁を舐めているトロワに、潰した芋を乗せた味見皿を差し出す。ポテドッグは実が赤かったので、普通のマッシュポテトより色が赤い。ちなみに味は付けてない。焼けたポテドッグを潰し、お湯で伸ばしただけだ。

 トロワは要するに、まだ味覚の発達しきっていない赤ん坊と同じ。ならば、乳の時期を過ぎた赤子と同じものを食べさせた方がいいだろう、とさざれは判断した。

 スプーンで一口食べたトロワが、また激しく目をぱちぱちとさせた。


「なんか、土っぽい匂いがする! あとなんだろ、これ、えーっと、なんか、舌にじわーってなって、歯がきゅーってなる」

「それは甘味だなあ。芋はな、茹でたり蒸かしたりすると、甘くなるものが多いのだ。これもそうよ」


 真剣な顔でさざれの言葉を聞いたトロワは、ポケットからメモとペンを取り出した。


「芋は、茹で、たり、蒸かし、たり、すると、あ、まい……」


 早速、さざれの言葉をそこに書き付けていく。


「なあ。この芋って、なんて言ったっけ」

「ポテドッグ。確か、この頭の部分を地上に出して、獲物を待ち構える食人植物だと店主は言っておったなあ」

「ポ、テ、ドッグ……あ、たまを……」


 その様子を見守りながら、さざれはよしよしと心の中でうなずいた。

 任務、という建前はあるものの、ひとまずものを食べることに前向きになってくれたようで、良かった。

 別の離乳食を入れた小皿を二つ、トロワの前に置く。


「こっちは肉をペースト状にしたもので、味はほんのすこーしだけ塩味が付いておる。これはスクリームトマトをすったもので、これも甘いぞ。少しずつお食べ。休憩しながらで良いからな」

「分かった!」


 元気よくうなずいて、トロワは片手を挙げる。その頭を一撫でし――また、不思議そうな顔をしていたが――、さざれはその場を離れる。

 トロワだけにかまっていては、自分の分が無くなってしまう。意外にも、フェルがばくばくと肉を食べているのだ。

 今も、自分の皿に取った肉のみならず、隣のヴィリスの皿から肉をかっさらい、口に運んでいる。

 空になった皿を前に、ヴィリスが絶叫した。


「あ――っ! ヴィーのお肉! ヴィーのお肉食べたあっ! それヴィーのなのに! フェルの馬鹿! 顔だけ人間! 怠惰白豚! 眉目秀麗食欲旺盛センス皆無の可愛い弱者!!」

「お前罵倒のレパートリー豊富過ぎないか?」


 フェルは肉をもごもご咀嚼しながら、首をかしげた。まだ語彙もロクに蓄えてないだろう六歳児から、次々とユニークな罵倒が飛び出す。罵詈雑言のビックリ箱だ。

 グラデーションがかった青髪を揺らし、きっ、とヴィリスがフェルを睨み上げる。白い頬が発酵したパン生地のように、ぷくーっと膨らむ。フェルは笑い、その頬をつっついた。いくら酷く罵られようが、顔がこれでは可愛いだけである。


「なんだ、そのブサイクな顔は。まだいっぱいあるんだから、取ってくればいいだろう。そんなに怒るな」

「これヴィーの! フェルのじゃないっ! ヴィーがもらうのっ!!」

「あ、こらっ! それは私が取ってきた奴だぞ! 取るな!」


 小さな手が素早く動いて、フェルの皿を掠めとった。慌てて取り返そうと手を伸ばす。が、それより早く皿に乗せたカクトゥギとマリネを、ヴィリスが一気にかきこんだ。膨らんだ頬をたぷたぷ動かして咀嚼し、ごっくんと音を立てて飲み込む。

 突き返された皿には、魚の欠片一つ残っていない。フェルは大きく目を見開いて呟いた。呆然と。


「お前……なんて奴だ。人のものをつまみ食いしてはいけません、って親に教わらなかったのか。いいか? 人の皿のものを勝手に取るのは行儀が悪くて、いけないことなんだぞ」

「てめえに言われたかねえわ、クソボケ野郎」


 机に頬杖をついたヴィリスが、眉間に皺を寄せて舌を鳴らした。


「……なんかキャラ変わってないか、ヴィリス」

「変わってないもん。フェルが悪いんだもん。ヴィー悪くないもん。フェルがつまみ食いするのが悪いんだもん」


 ぷいっ、とそっぽを向いたヴィリスの口調は、いつものものだ。気のせいだろうか。まあいいか。フェルはそれ以上気にすることなく、胸を張った。太陽の下、美貌を輝かせて自慢気な表情を浮かべる。


「私はいいんだ、私は。つまみ食い免許一級を持っているからな」

「がぶー!」

「うぎゃあああ頭を齧るなこの小鬼がああああ!!」


 そのまま、どったんばったんと賑やかに騒ぎだす。

 とはいえ、二人共そこまで派手に暴れてはいない。じゃれ合いの範疇だ。なら、強く咎めることもないだろう。無礼講だ、無礼講。

 騒ぎを聞き流しながら、さざれは充分に焼けた肉や野菜を、皿にひょいひょいと取る。ついでに、水を張ったバケツに浮かぶトマトを二つ。薄く切ったパンを皿の端に三枚ほど乗せ、席に戻る。


「おや」


 戻れば、トロワの脇にボニファースが立っていた。スプーン片手に自分を見上げるトロワを、無言で見下ろしている。わずかに俯いたその顔は、色々な感情に彩られて複雑そうにしかめられていた。


「ギグ殿、ボニファースの奴になんぞ言ったのか? なにやら悔恨と決意と葛藤を煮詰めたような顔をしておるが」


 視線を動かせばテーブルから少し離れたところでギグが一人座り、トマトを齧っている。さざれはそちらに皿と椅子を持って近寄った。椅子を隣に置いて座り、尋ねる。ギグはごくりと喉を鳴らして飲み込んでから、うなずいた。


「トロワの、あの薬はなんなんだと言われたからな。ありのままに答えた」

「ああ、成程。あやつ、だいぶ激しく食ってかかっておったからなあ」


 てっきり自分とボニファース達では立場が違う、というエリート意識によるものかと思って反発したら、栄養粉末と水のみで日々生きているという事実が出てきた。それで、自分が誤解していたことを知り謝りに行ったが、相手への敵愾心が邪魔をして中々口から言葉が出ない。そんな感じだろうか。

 ボニファースの内心を分析しながら、さざれは皿に乗せた肉を食べる。

 六足シカの味付けはシンプルに塩胡椒にしたが、それが肉本来の味を引き出していて、美味い。味は普通の鹿と同じだが、肉質はより柔らかく、噛めばぷつんと切れた。


「うむ、美味い美味い。鹿肉など久方ぶりよなあ」


 さざれは鹿肉に舌鼓を打つ。

 祖国、牙の国は狩人が多かった。なので豚や牛よりも鹿や熊、(いたち)肉の方が馴染みある。自然と頬が緩んだ。


「もし肉が残ったなら、から揚げにしてみるのも良いかもしれんなあ。焼いてこれほど柔らかいなら、揚げても硬くはなるまい」

「美味そうだな。それは」


 ギグが口の端をわずかに笑ませた。肉をパンに挟んで頬張りながら、さざれは大きくうなずく。仄かな甘みのパンと、塩胡椒のきいた肉の旨味が口の中で混ざり合うのが、良い。


「うむ、美味いぞ。やつがれの予想だが、取り合いになるだろうなあ」


 特にあの辺が、といまだ騒いでいるフェルとヴィリスを顎で指す。取っ組み合いは終わり、今は持ってきた肉や魚を、互いの皿から取り合っている。あれはつまみ食いというより、ただのシェアという奴ではないのだろうか。

 仲が良いのか、悪いのか。


「トロワの分はどうするんだ。あの様子だと、まだから揚げは早いんじゃないか」


 指に付いたトマトの汁をおしぼりで拭ったギグが、離乳食をちまちま食べるトロワに視線を向けた。それを見下ろすボニファースは褐色の肌を紅潮させ、あーうーと唸っている。身体の脇に垂れた手が、何度も握ったり開いたりしている。

 トロワも気になっているようだが、どちらかといえば、“味”という新しい感覚に夢中になっているらしい。スプーンを動かす手が止まっていない。


「ま、その時はトロワ用に小さなハンバーグでも作ってやろうよ。そも、肉を噛み切れるか分からんしなあ」

「む?」


 ギグが首をかしげる。


「考えてみよ、ギグ殿。トロワは今まで、粉と水で生きてきたのだぞ。ものを噛める顎の力があるかどうか。下手をすれば硬いパンを二口食べただけで、筋肉痛になるやもしれんぞ」

「ああ……」


 納得したのか、一つうなずいて。ふとギグは、精悍な顔を不快そうにしかめた。


「……頭を撫でられる、という行為もよく分かっていなかったな。そういえば」

「やれ、どんな育て方をされたのやら。……ま、折に触れて撫でてやろうよ」


 口に肉を放り込んで、ふ、と息を吐く。

 同時に、頭上に気配。反射的に手が動いた。頭に迫っていたものを掴む。


「む」

「……あー、ギグ殿。一つ聞いてよいか」


 頭上に伸びてきたギグの左手を掴んだまま、さざれは隣のでかい図体をじと目で見上げた。


「なんだ、さざれ」

「何故に、やつがれの頭を撫でようと?」


 撫でるならそれこそトロワや、小さくて可愛いヴィリスであろうが。

 そんな思いを込め、ねめ上げる。

 さざれでも、なにを考えているのか中々読めない表情の乏しい顔で、ギグは淡々と答えた。


「トロワだけじゃなく、全員の頭を撫でないと不公平かと」


 だからまず、さざれから撫でようと思って。


「ああー……うん……成程、なあ……」


 さざれは、額を押さえた。

 本当に、この男はどうしてこう、突拍子の無いことを思いつくのか。


「そういうことは、やつがれに任せておけい。年下に頭を撫でられたところで、嬉しくもなんともないわ」


 ぱちっ、とギグの瞳が瞬いた。高身長の身体をぐいと折り曲げて、さざれの顔を覗き込むようにする。


「……年下?」

「うむ。お主ら全員、やつがれより年下よ」

「……そういえば、ちゃんと聞いたことが無かったがお前、いくつなんだ」


 氷を閉じ込めたような薄水色の瞳には、疑念。


「ん?」


 さざれは即席サンドイッチの残りを口に放り込み、悪戯っぽくにんまりと笑んだ。


「最近は数えておらんが、確か今年で七十になるかなあ」

「ななじゅう」

「故郷には孫もおる。十三人ほど」


 ギグが、大きく目を見開いた。


「……それは。その、知らなかったとはいえ、若輩者が失礼な口を……」

「いやいや。冗談よ、冗談」


 絞り出すような声で謝罪を始めるギグに、ぱたぱたと手を振る。


「そう本気にするな、ギグ殿。流石に七十なわけなかろう」

「そうか、冗談か……」


 口元に手を当て、ころころとさざれは笑った。


「今年で八十四歳よ」


 硬直したギグの手から皿が滑り落ち、ベランダに音を立てて転がった。

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