表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
気まぐれ六重奏〜さざれの食卓更生記〜  作者: 所 花紅
いざ焼肉、もといバーベキュー!
16/18

はじめての一口

 空は快晴。風は爽やか。気温も程良い。肉や野菜の焼ける匂いは香ばしく、炭の跳ねるパチパチという音も耳に心地良い。

 今日はいよいよ、待ちに待った焼肉の日である。

 夜だとヴィリスが眠くなるので、昼に行うことにした。場所は家のベランダ。二階の廊下から出られるベランダは大きく張り出しており、かなり広い。鉄板を三つ並べて置き、中央にテーブルと椅子を置いても歩き回れる余裕があるのだ。ちなみに隣家の屋根には手が届く。

 昨日トロワが洗ってくれた三枚の鉄板では肉、魚、野菜がそれぞれ、良い音を立てながら焼かれていた。


「焼肉というより、バーベキューだな」


 肉の焼き具合を見ていたギグが、口の端を苦笑の形に緩めた。

 さざれは肩をすくめ、それに返す。


「ま、肉を焼くという点では似たようなものよ」


 元々、全員で食事をしようというのが本来の目的だ。なので焼肉だろうが、バーベキューだろうが、正直どちらでも良い。


「ほれお主ら。肉も魚もまだ焼けんから、これでもつまんでおれ」


 台所から持ってきた大鉢を三つ、テーブルにどんどんどんと置く。昨日、味見を作ったが好評だったので同じものを作った。

 マッドフィッシュのマリネは、柑橘類を使ってさっぱりと。ナッツと茸の炒め物は、ポリポリコリコリと食感重視にしている。


「よし寄越せ」


 テーブルに置くが早いか、つまみ食い大王(フェル)が早速近寄って来た。

 幽玄的な美貌は、陽光の下でも絶好調に輝いている。口の端から涎が垂れているが、それが口元を彩る真珠粒のように見えてくるのはもう、視覚の誤作動としか思えない。


「なあ、さざれ。昨日から思ってたんだが、この赤いのはなんだ。辛くて酸っぱくて、なんかとっても面白い匂いがするぞ」

「ああ。これはカクトゥギと言うのだ。大根モドキを秘伝のタレに漬けた、まあ漬物の一種よな」

「お前が作ったのか?」

「いや、これは買ったのよ。肉を焼くなら絶対にこれを一緒に食べてくれと、熱心に勧められてなあ」


 その場で味見させてもらったが、独特の匂いさえ気にならなければ、確かに肉に合いそうな味だった。


「ふーん。私これ好きだぞ、あんまり食べたこと無い味で美味い」

「そうか、そうか。カープ街で売っておったから、美味いなら今度は自分で買ってくれば良かろう。……ところで、フェルよ」


 さらさらと、絹糸のような髪が頬をくすぐる。手でそれを払い、さざれは息がかかるほど間近にあるフェルの美貌を横目で見た。呆れながら。


「近いのだが」

「そうか? これくらい普通じゃないか?」


 背後から、のし、とさざれの肩に顎を乗せたまま、フェルは真っ赤なカクトゥギに指を伸ばす。素手でつまもうとしたので、その手を叩き落として取り皿によそってやった。ついでにマリネと炒め物も取り分けてやる。


「ほれ」


 皿を渡すと、フェルの顔がにんまりと緩んだ。


「よしよし、偉いぞさざれ」

「どの目線でものを言っておるのだ、お主は。ほれフォーク」


 さざれの差し出したフォークをいそいそと受け取り、フェルはそのまま肉の鉄板の方へ向かう。


「おいギグ、まだ焼けないのか。私は今日な、肉を腹いっぱい食う予定なんだぞ。その為に早起きしたんだからな」

「もう少し待て。肉はともかく、心臓はしっかり焼かないと駄目だ」

「もっと火を足せばいいだろ。ほら焼け、早く焼け、もっと焼け。お、これとかもういいんじゃないか」

「こら、それは生だ。また腹を壊すぞ」


 そして今度はギグに背後霊のようにぺったりと張り付き、肉をせがんでいる。


「……案外、距離が近いなあ。あやつ」


 元々距離の近いタイプなのか、この空気に浮かれているのか。どちらにせよ、新たな発見だ。

 まあ、害は無いからいいか。はりつきお化け(フェル)はギグに任せよう。


「しかし、なあ……敵陣で食事を取っているわけではないのだぞ」


 ぼそり、とひとりごち。さざれは、筆で払ったように細い眉をついと寄せた。

 シチュエーションは最高。肉も魚もそろそろ焼ける。だというのに、ベランダに流れる空気はピリついている。

 どう好意的に解釈しても、「仲良くほのぼのとみんなでお食事」という空気ではない。むしろ張り詰めている。

 野菜の鉄板の前に座っているヴィリスと、ボニファースに視線を向ける。ピリついた空気のほとんどは、そこから漏れていた。


 鉄板の上で焼かれているのは、昨日買った歩きタマネギ、洞穴キュウリ、スケイルリーフ。そして鉄板の中心にどどんと置かれた犬の生首、もといポテドッグ。

 周囲の野菜が、まるでポテドッグを囲むように置かれているせいで、蛮族感が強い。しかも鉄板の周囲は花でこんもり飾られている。どう考えても邪神に捧げる生贄の祭壇だ。

「この形だから可愛いの! 切ったら可愛くないから、このまんま焼くのー!」とねだったヴィリスは、大層ご満悦で芋が焼けるのを待っている。


「あのね、あれはね、ヴィーが買ってってお願いしたやつなのね。可愛いでしょ? ね、ここの垂れた耳みたいなとこが特に可愛いでしょ!」

「おう……そう、だな……?」

「んでね、ヴィーはすっごく可愛いでしょ? 可愛い強者でしょ? だからね、可愛いものを食べるの! ポテドッグね、ヴィーずっと食べてみたかったの。でもね、ヴィーちっちゃいから、一人で全部食べれないでしょ? だから、今日はボニと半分こね!」

「あ、あー、ありがとうな……」


 ヴィリスの隣に座るボニファースは、心ここにあらずと言った様子だ。先ほどから、ヴィリスの言葉をまともに聞いているかどうか。苦虫を噛んだような顔で、鋭い三白眼をトロワの方にちらちらと向けている。


「ほれヴィリス、ボニファース、お主らの分よ。……野菜の方はそろそろ焼けそうだなあ」


 大鉢から料理をよそい、ヴィリス達に手渡す。

 ハートの形をした皿を受け取って、ヴィリスはわくわくを隠しきれない顔をした。餅のような頬が、ふにふにと緩む。


「うん! でもねえ、これはまだっぽいの。早く焼けないかなー。ね、ボニ! そしたらヴィーと半分こだもんね!」

「おう、そうだな……」


 さざれから皿を受け取りはしたが、ボニファースの様子は変わらない。頭をかいたり視線をトロワに向けたり、貧乏ゆすりをしたりと忙しない。フォークに手を伸ばす様子も無い。


「ギグ殿が説得した、とは言っておったがなあ……」


 それでもやはり、理性と感情は別物のようだ。だが逃げずにこの場に来ただけでも、偉い。

 そう考えながら、自分の皿によそったマリネを一口。

 キュッキュと歯ごたえのある白身を噛めば、爽やかな柑橘の香りが鼻を抜ける。泥抜きを徹底的にしたので、泥臭さは微塵も無い。塩と酢だけの味付けにしたがその分、マッドフィッシュの旨味が引き立てられている。うん、美味い。

 ちなみにさざれは調理係だったので、鉄板係からは外されている。ヴィリスは鉄板の飾りつけ係……必要かどうかはともかく。フェルは準備係……意外と頑張っていた。野菜の鉄板をボニファース、肉の鉄板をギグがそれぞれ担当。


 そして――と、さざれはベランダの端に顔を向けた。

 魚の鉄板担当であるトロワは、椅子に腰かけてぼんやりと魚が焼ける様を見ていた。時々杖が振られ、その度に火が呼吸するように動いている。

 トロワはトロワで、昨日フェルに言われたことが心に引っかかっているようだった。笑顔を浮かべてはいるものの、そばかすの散った頬は固く強張っている。

 今はだいぶ落ち着いているが、準備の際は仕事を終わらせる度に「大丈夫っ? オレ、完璧? ちゃんとできてる?」と、縋るような声音でさざれやギグに迫っていた。


「トロワよ、魚の方はどうだ? きちんと焼けておるか?」


 柔らかな声音を作って声をかける。トロワは弾かれたように顔を上げ、何度も何度もうなずいた。


「お、おう! あのさっ、大丈夫! ちゃんと焼けてるから! オレ、ちゃんと役に立ってるから!」


 だから、オレは便利だよね、捨てないよね。――そんな焦燥に捕らわれた、こげ茶色の目をしっかりと覗き込む。目と目を合わせ、さざれは唇に笑みを刻んだ。


「そうさな、見事な焼き加減よ。お主のおかげで、美味い魚が食えそうだぞ、トロワ。ありがとうな」

「え、へへ……、そう? オレのおかげ? そっか、そっか、えへへ……」


 杖を両手で握りしめ、幼い顔が照れたように笑う。

 頬から緊張がほどけていくのを見て、さざれは内心胸を撫で下ろした。良かった、どうやら少しは気分が浮上したようだ。

 視界の端で、ギグがほっとしたように息を吐いたのが見えた。相変わらずフェルを背後に引っ付かせたまま、目だけをトロワに向けている。視線が絡んだ。礼を言うようにギグの顎が軽く引かれたので、さざれはうなずいてみせる。


「ほれお主ら、肉と魚が焼けたぞ! 焦げんうちに食え!」


 パンパンッ、と手を叩いて注目を集め、宣言。振り向いたボニファースとヴィリスが、肉という言葉にぱあっと顔を輝かせた。



「はいっ、ボニ! ポテドッグ、ヴィーと半分こね、半分こ! ボニには上半分あげるねー! 中もまっかっかで可愛いね!」「ひぇっ……なんだよこの無駄にリアルな断面……おいさざれ、さざれ! マジでこれ芋なんだろうな!」「多分。というか、やつがれもよう知らん。どうなのだギグ殿」「見た目で敬遠されがちだが、食べるとほくほくだぞ。匂いはちゃんと芋だろう」「そう、なんだけどよ……ええー……?」


 わいわい、がやがや。広いベランダに、声が響く。低い声、高い声、柔らかな声。どれもが楽しそうだ。


「なあヴィリス、これ本当にお前、可愛いと思ってんのか?」「おいボニファース、ハッキリ言ってやれ。それ食ってるお前はどう見ても、犬を貪り食う野蛮人だって」「フェルうっさい!」「これ、喧嘩をするな! ヴィリス、そのフォークを投げたら怒るぞやつがれは!」「フェル、それは俺の皿の肉だ。勝手に取るな」「うるさいぞギグ。ケチケチするな。いいだろう、いっぱいあるんだから」


 大きな丸テーブルを六人で囲み、わいわいと話す。

 テーブルの周囲に置いた三つの鉄板は、今は火を落としている。乗せられた食材は余熱でじゅわじゅわと音を立てていた。皿が空になれば立ち上がり、鉄板から新しいものを取りに行っている。つい先ほど用意された鉄網の上にはスープ鍋が置かれ、くつくつと中が煮えていた。

 時々、テーブル中央にある大鉢から料理がつままれ、それもみんなの口内に消えていく。その度に、「美味しい」「さざれ凄い」「これどうやって作ったんだ」などという声が上がる。


 そんな会話を聞きながら、トロワはグラスに入った水を飲んだ。みんなの話を聞くのは楽しいが、上手く話に入れない。トロワ以外の五人が話しているのは、主に今食べている料理に関してだからだ。肉も魚も野菜も、さざれの作った料理も一切口にしていないから、話に付いていけない。

 それでも、さざれやギグが料理以外の話をしてくれるので、そういう時はトロワも積極的に話に混ざっていた。


「はー、冷たいの気持ちいなー」


 水をまた飲んで、ほふうと息を吐く。

 ずっと火のそばにいたから、喉が渇いた。キンキンに冷えた水が、すーっと喉を通っていくのが気持ちいい。昨日から午前中にかけて、ぐちゃぐちゃに乱れていた気持ちも一緒に流れていくようだ。

 自分はちゃんと役に立てた。自分のおかげだと言ってくれた。助かったと言ってくれた。もう大丈夫。いつも通り。いつも通り、人の役に立てる。便利だと言ってくれる。

 そんな安堵が胸に満ち、トロワは嬉しくなってニコニコと笑った。


「どうした、トロワ。嬉しそうだな」


 隣のギグが、そう話しかけてくる。アイスブルーの目を見返して、大きくうなずいた。


「おうっ! みんなでさ、こうやって集まって、お喋りするのいいなあって! オレ、あんまりこうやって、賑やかなのしたことないから、なんか楽しい!」

「そうか。それは良かった」


 そう言ってうなずいたギグが、左手を伸ばしてきた。ぱちくりと目を瞬かせると、そのまま左手が頭の上に乗せられる。そのまま一回、二回と手がトロワの頭上を往復し、元に戻った。

 トロワは、きょとりと首をかしげる。


「ギグ、ギグ、今のなんだ? あっ、オレの頭にゴミついてた? 取ってくれてありがとうな!」

「む」


 礼を言うと、どうしてかギグが眉を寄せた。むう、と口の中で小さく唸る声が耳に届く。不機嫌にさせてしまったのかと思ったが、ギグは自分の前の皿を睨むようにして、なにかを考えているようだった。

 なら、邪魔しない方がいいだろう。そう思ったトロワの目の前に、皿がすっと差し出された。


「おっ?」

「はい、これトロワの分ね!」


 花のような笑顔のヴィリスが、皿をぐいぐいと押してくる。


「ヴィーからのおすそ分けなの。これね、トロワにはここの可愛いお鼻の部分と、こっちのお肉あげるね。お肉はね、さざれが可愛くね、まーるく切ってくれたから、可愛いよ!」


 皿にはポテドッグの鼻部分と、丸く切られた肉が数枚乗せられていた。それを見て、トロワはふるふると首を横に振る。


「大丈夫っ。オレ、食わなくてもいいんだ!」

「どうして? これはね、ヴィーがトロワにあげるの。だからね、これはトロワが全部食べていいんだよ?」

「いいって、いいって! だってそれ、ヴィリスのだろ?」

「こんなに可愛いヴィーが、食べていいって言ってるのに? トロワ変なの! いいの、ヴィーからのおすそ分けなの。可愛いヴィーが、可愛いお皿をおすそ分けしてるんだから、ちゃんと食べなきゃダメなんだよ!」


 だから大丈夫、と皿を押し返そうとしたが、ヴィリスは頬をぷくっと膨らませ、両手でぐいぐいと押してくる。

 是が非でも食べろ、と言いたげだ。一歩も引く様子が無い。どうしようかなあ、と思っていると、「おい」とひどく不機嫌そうな声が耳に届いた。

 トロワは、そちらに顔を向ける。


「どうしたんだ、ボニファース?」


 声の主はボニファースだった。ヴィリスの隣に座るボニファースは、テーブルに頬杖をついている。そうして怒ったように眉をきつく寄せ、トロワを睨みつけていた。


「てめえ、さっきからなんも食ってねえだろうが」

「ん? うん」

「なんでだよ」

「なんでって……」


 ぱちくり、とトロワは瞬きをした。なんで食べないのかと言われても。


「だってこういうの、オレ食べたことないし。食べる必要も無いからさ!」


 ハ、とボニファースが鼻で笑った。


「あーあー、そうかよ。所詮、俺達みてえな野良犬とは一緒に食えねえってか?」


 鼻筋を真横に通る傷跡が、ぐにゃりと歪む。トロワはなにを言われているのか分からなくて、目をパチパチとさせる。


「そりゃ、随分と優雅なこって。――おいヴィリス、やめとけって。こいつは俺達が食うような奴じゃなくて、もっと上等な肉しか食わねえってよ」

「あっ、違うぞボニファース! オレな、肉とかそういう食べ物じゃなくって、この――」


 と、ポケットに入れている栄養粉末を取り出した。

 と、思った瞬間に薬包が横からかっさらわれた。


「へっ?」


 思わず声を上げて、横を見る。さざれだ。いつの間にかトロワの横に立っていたさざれが、薬包を取り上げている。見上げると、銀の瞳と目が合った。にっこりと、刃のようなそれが細められる。

 そして。


「あ、ああ――――ッ!? なにすんだよ、さざれ!!」


 突如上がった大声に、ベランダの柵に止まっていた鳥が驚いて逃げた。

 さざれが、スープカップに栄養粉末をぶちまけたのだ。トロワの眼前で。満面の笑顔で。

 湯気の立つスープの中に、白い粉がさらさらと落ちていく。慌ててカップをひったくったが、透明な液体の中ですぐに溶けた粉は、どこにも姿を見出すことはできなかった。


「なんで、スープの中に入れるんだよ! もう飲めなくなったろ!!」


 トロワは、マグカップを抱えたまま、きっ、とさざれを睨み上げる。だが、睨まれた方は涼しい顔だ。


「なにを言う。それを飲めばよかろうが。水で飲むのも、スープで飲むのも同じことよ。それとも、その粉は水でしか飲めんというのか?」


 腕を組んださざれから、見えない圧を感じる。それに気圧され、トロワはしどろもどろで答えた。


「そ、いうわけじゃねえ、けど……」

「そも、トロワよ。お主は一つ考え違いをしておるぞ」

「え?」


 さざれは腰を折ると、トロワの耳元に口を寄せた。ひそひそと、重大な秘密でも告げるかのように、囁く。


「ほれ、お主はこの迷宮都市内を調査しておるだろう。それは大層立派だが、一つ重要なことを忘れておるぞ」

「重要なこと?」


 重々しく、さざれはうなずく。


「うむ。お主の情報には、食が抜けておるのよ。よいか、食というのは大事なものだ。いや、お主の言いたいことは分かる。その粉さえあれば良い、そう言いたいのだろう? しかしな、その粉とて無限にあるわけではなかろう。首尾よくこの都市を掌握したとしてよ、花の帝国とこの迷宮都市、全ての人間が毎日、気兼ねなく飲めるほどの量を作れるか、否、作れんだろう?」


 水のように流れるさざれの言葉。その奔流に飲み込まれながらも、トロワはこくこくとうなずいた。

 昨日もフェルに怒涛のように言葉を浴びせられたが、さざれのそれはフェルと違い聞きやすく、理解できる。


「さて、そうなれば粉を飲めん者はどうするか。そう、大迷宮の恩恵を受けるしかあるまいな。そこで役に立つのが、お主の知識よ」


 唐突にびしりと鼻先に指を突き付けられ、少し肩が跳ねる。指の向こうにいるさざれは、真剣な顔で言葉を紡いだ。


「迷宮生物の捕獲方法、植物の採取方法、可食部の有無。それだけでなく調理方法を知っておれば、ここに来た帝国の料理人達の役に立てるなあ。どのような味付けが一番美味しいか、どんな味がするのか、それも知っておれば初めて迷宮生物を食べる者にも、分かりやすく説明できて大助かりだ。良いか、栄養粉末以外のものを食うことは、現在お主が受けておる任務に関わりがあるのだ。……やつがれの言っておることが分かるか?」


 こくこく、とまたうなずく。

 そうして、自分の手の中にあるスープカップを見つめた。透明なスープの中にはなにか、黒っぽいひらひらとした……布の切れ端のようなものがいくつも浮いている。これがなんなのか、トロワは分からない。説明できない。食べたことが無いからだ。

 だが、さざれの言う通り。これがなんなのか知っていれば。これの味を知っていれば。それは帝国がこの地を掌握した時に、役に立てる。また、便利だと喜ばれる。

 カップの熱が指先を通って心臓に到達し、とことこと鼓動が早くなる。


「……分かった。オレ、これ、飲んでみる。それで、どんな味がするか、どうやって調理するのか、報告書に書いて、出したら、みんな喜ぶよな?」

「そうさな。やつがれはそう思っておるよ」


 トロワは、ぐいと生唾を飲み込んだ。人の作った料理を食べるのは、生まれて初めてだ。栄養粉末以前に食べていたのは、味の薄い固形ブロックだった。こうして誰かが作ったものを食べたことは、無い。

 だから、緊張している。心臓の鼓動は、今やどこどこと駆け足になっていた。しかしこれも、帝国の為。帝国の役に立つ為だ。


「……よし……!」


 己をそう鼓舞し。トロワは五対の目が見つめる前で、ぐいっとスープカップをあおった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ