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気まぐれ六重奏〜さざれの食卓更生記〜  作者: 所 花紅
小鉢とカラカラ空っぽ宝箱
14/18

カラッポトロワ

 ヴィリスが手足を広げて寝そべっても、まだ余るほど大きい鉄板が、宙に浮いた水球の中でぐるぐる回る。

 晴れた空の下、庭でトロワは鉄版を洗っていた。

 明日、肉や野菜を焼く為に必要なものなのだという。さざれ達が物置から見つけてきたが、長く使っていなかった為かだいぶ汚れていた。これと、他の道具をピカピカにするのが今日のトロワの仕事だ。ちなみに前の住人――大家達が家具や道具を残しているので、物置には色々なものがあった。鉄板を乗せる台や鉄網などもあり、それらも一緒に水球の中で回転している。

 陽の光を弾きながら回転する、複数の水球。杖を掲げてそれらを操りながら、うーんと首をかしげる。


「やっぱり変だよなあ。なんでみんな、肉なんて食いたがるんだろ。あんなの食っても、栄養吸収悪いって言われてるのに」


 甘味などの嗜好品と違い、確かに穀物や肉、魚に野菜などは栄養が詰まっている。だが、それらは調理過程で半分以下になってしまう。――というのが、花の帝国の研究者達の見解だった。

 その点、彼らが開発した栄養粉末は一食に必要なものが、全て詰まっている。こちらの方が断然、効率が良いと研究者達は言う。

 花の帝国のすることは正しい。そしてその中でも研究者達は、トロワの親ともいえる存在だ。親の言うことは絶対。なんの間違いも無い。


 だからトロワは、他の人達が好んで肉や野菜、甘味を食べるわけが分からない。

 栄養吸収効率が悪い、と研究者が結論を出しているのに、なぜ食べるのか。

 帝国以外の人達はともかく、同僚達も、「これだけってのはなあ……」「頭でっかち連中はなに考えてんだか……」と難色を示し、食堂にばかり通っている。

 どうして研究者達の言うことを聞かないのか、トロワにはそこが分からない。聞いてみたが、「当たり前だろ」という答えしか返ってこなかった。


「さざれは、みんなが仲良くなるためって言ってたけど。別に食わなくても、いいんじゃねえのかなあ」


 わざわざ、ものを食べる必要はないのに。テーブルを囲んでお喋りをすればいいじゃないか。それでも仲良くなれるんじゃないのか。

 そう言ったら、さざれに「やつがれはな、それでは物足りんのだよ」とにっこり笑って告げられた。よく分からないので首をかしげたら、「いずれ分からせてやる」と言われた。仄暗いものを含んだ笑みが怖かったが、やっぱりよく分からなかった。


 ――分からないことはね、考えなくていいんですよー。分からないってことは、お前に必要の無いものですからねー。


 かつて研究所で教わった通り、さざれとのやり取りをそれ以上考えることなく、そこで思考を打ち切る。


「あ、キレイになったな!」


 トロワは、浮かぶ水球の方に意識を移した。

 透明だった水球が、茶色く濁っている。杖をくるりと回して、水球を消す。宙に浮いていた鉄板や網が落ちてくるが、そこに風を飛ばして受け止め、ふわりと着地させた。

 黒光りする表面を伝う水滴も、風で吹き飛ばす。

 自分の顔が映るほど、ピカピカになった鉄板を覗き込み、トロワはそばかすの散った頬を綻ばせた。


「えーっと、さざれは確か外に干しといてほしいって言ってたっけ」


 言われたからには、完璧にこなさなければ。

 トロワは、杖をくるりと回した。円環の中に浮く宝珠が回転を激しくし、魔法陣が杖の先に展開。洗ったばかりのそれらを風で浮かせ、壁に立てかけるようにする。

 これでいい。これで、トロワの仕事は終わりだ。


「よしっ、おーわり!」


 杖を持ったまま、ぐっと両手を上に伸ばす。仕事を完璧に達成したという満足感が胸中に広がり、トロワは歯を見せて笑った。

 時間も大してかかっていない。仕事も完璧。洗浄に使った魔法は初歩中の初歩のもので、魔力も大して使っていない。これなら、さざれも満足するだろう。

 手早く、正確に、効率良く。

 道具(トロワ)に望まれているのは、それだけなのだから。



「ほうほう、これはナッツと茸の炒めた奴か。こっちはなんだ、白身魚のマリネか? こっちの赤いのはなんだ? なんか辛酸っぱい匂いがするな。よしよし、どれも美味そうだな。よくやったぞ、さざれ」

「あ、フェル」


 リビングに戻ってくると、ちょうど台所からフェルが出てくるところと行き遭った。

 結っていない髪は頬にかかり、バスローブを一枚だけ羽織っている。窓から入った日光に照らされて、緩い合わせ目から見える薄い胸板が、うっすらと白く光っていた。

 この瞬間を絵に閉じ込めておきたいと思うような美麗な姿だが、トロワにとってはただのフェルだ。だから、笑顔で手を振る。


「おはよっ! 今起きたのかー?」

「ん……ああ、トロワか」


 顔に当たる光を鬱陶しがるように細められた瞳が、こちらに向く。


「あれ、それってさざれが作ってた奴じゃないか?」


 フェルの手の上には、お盆があった。その上には小鉢が三つ乗っている。その中に入っているものに、トロワは見覚えがあった。さざれが朝に作っていた奴だ。さざれの横で食器を洗っていたので、知っている。

 首をかしげる間にも、フェルは大股でソファに近づく。丸テーブルにお盆を乗せると、ごろりとソファに横になった。


「そうだ、さざれが作ったり買ったりした奴だ。あいつが買い物に行ってる今の内に、ちょっとつまもうと思ってな。起きたばっかで小腹が減ってるんだ」


 ま、安心しろ。明日分はちゃんと残してやった。

 そう(うそぶ)いて、フェルは小鉢に手を伸ばした。指でつまんだ魚の切り身を舌に乗せ、喉の奥に滑り落とす。ごくり、と白い喉が上下した。


「ん、オレンジ系の味付けだなこれ。美味い」


 初春の雪がとけるかのように、氷のような美貌がふわと緩む。


「お前も食うか?」

「ううん、オレはいらねえ!」


 指に付いたタレを舐めながら、フェルがちろりと珊瑚色の視線を向けてくる。


「ふうん、どうしてだ。つまみ食いをすると怒られるからか?」


 首を横に振る。いつものように笑顔のまま、口を開く。


「オレ、そういう無駄なもの食わねえんだ! 栄養が無いから」

「……ふうん?」


 ナッツを口に放り込み、ぽりぽりと齧るフェル。トロワはソファの傍に立ったまま、そんなフェルを見下ろした。


「大したことを言うじゃないか。それ、お前が考えてそう決めたのか?」


 口にものが入ったまま喋るので、フェルの言葉はもふもふと聞き辛い。それでも意味を汲み取って、トロワは首を横に振った。

 自分で決めたわけじゃない。全ては我らが偉大な花の帝国、その研究所の意向だ。


「ああー……成程、成程な」


 そう伝えると宝石のように透き通った美しい瞳が、熱を失った。


「お前、()()なのか」


 大きな欠伸を一つし。


「道理でつまらんわけだ」


 そう、フェルは吐き捨てた。


「……空箱?」


 空箱。つまらない。

 トロワは、首をかしげる。

 唐突に言われた言葉は、抽象的で意味が分からない。ただ、こちらを見下している、馬鹿にしているということだけは、はっきりと分かった。

 むっ、とトロワは唇を尖らせる。

 よく分からないなりに、腹が立った。唐突に馬鹿にされるいわれは無い。


「なんだよ、空箱って。オレは空箱なんかじゃないぞ!」

「いーや、空箱だ、空箱。空っぽの宝箱だ」


 フェルはひどくつまらなそうに、手をはたはたと振る。


「お前は中になーんにも入ってない、中身の無いカラカラ空っぽの宝箱だ」


 ナッツと茸の欠片がついた指先が、トロワを真っすぐに指さす。

 鼻先に指を突き付けられ、トロワはこげ茶の目をぱちくりと瞬かせた。少しだけ波立った心が、すぐに落ち着くのが分かる。

 なんだ、そんなことか。

 トロワの中に、なにも無いと勘違いしただけか。そういえば、フェルとは生活時間が違うから、あまり自分と関わることが無かった。だから、知らないのか。そういうことなら、仕方ない。誰にだって間違いはあるのだから、そこに怒るのは筋違いだ。

 間違いは正してやるべきだと、研究所の人達も言っていた。

 だからトロワは、フェルを真っすぐ見つめた。どん、と胸を叩く。


「なんだよ、そういうことかあ。安心しろよ、オレは中身ならちゃんとあるぞ!」

「ほーう」


 フェルは目を眇めた。ごろりとソファの上でうつ伏せになり、トロワを上目遣いで見上げる。


「そこまで言うなら、聞かせてみろ。お前の中身とやらを」


 挑発的な言葉に、ふふん、とトロワは自慢気に笑った。


「オレはな、花の帝国魔術部隊第四軍所属の軍人なんだぞ! 今は軍を離れて、この迷宮都市の調査に来てる!」


 マリネを指でつまみ、口に放り込みながらフェルが鼻を鳴らした。


「それはただの肩書だ。お前の中身じゃない」

「あ、そっか」


 成程、とトロワはうなずく。言われればそうかもしれない。なら他になにがあるだろう。深く考えなくてもすぐ出てきた。


「えっとなあ、オレさ、研究所で生まれたんだ! 基本的に魔法って、後天的でしか身に着かないだろ? でもオレは生まれた時から魔法が使えるように、色々調整して生まれたんだ! オレの前に生まれたアンとドゥは、性能がいまいちだったらしいけど、オレは――」

「それもお前の経歴だ。お前の中身じゃない」


 言葉を遮り、すげなく切り捨てられる。


「ええ、これも違うのか? えーっとじゃあ……」


 トロワは、むむっと眉を寄せた。中身、自分の中にあるもの。他になにがあるだろう。腕を組む。自然、眉間に眉が寄った。


「あっ、魔法! オレ、土の魔法が得意だけど他にも――」

「それはお前が使える特技ってだけだろ。お前の中身じゃない」

「それって、中身じゃないのか……?」

「違うな。魔法なんて、誰だって使えるだろ。お前だけのものじゃない」


 白く細いフェルの指先に、赤い食べ物がつままれる。指に吊り下げられたそれが、上から口内に落とされて。ぱくり。


「む、やっぱり辛酸っぱいなこれ。なんだこれ。でもシャキシャキしていて美味いな、うん」


 気に入ったのか、そのままフェルは赤い食べ物をひょいひょいと口に運ぶ。

 その様を見ながら、トロワはええと、と考え込んだ。

 肩書、経歴、特技。

 このどれもが中身じゃないのか。これは、トロワという存在を構成するものなのに。だから、自分の中身だと思っていたのに。

 いつの間にか、トロワはその場に座り込んでいた。

 腕を組んで、うんうんと、考える。

 中身、中身。オレの中身。肩書でも、経歴でも、特技でもないもの。それだけしかない。分からない。分からないことは、考えるな。それは自分にいらないものだ。

 ふつり、とそこで思考が停止する。

 帝国に尽くし、利になることだけを行えばいい。自分の存在意義はそれだけでいいのだ。


「フェルの言ってることはよく分かんねえけど、オレには関係無いな!」


 だからいつも通り、ぱっ、とトロワは笑顔を浮かべる。その顔をどうしてか、フェルはじっくりと見つめた。

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