二人で一緒にお買い物
夜半まで降り続いていた雨は、朝には晴れていた。打って変わって雲一つ無い青空の下、迷宮都市が太陽に照らされる。
この都市は上から見ると、ビンゴゲームのマスのようになっている。大迷宮に繋がる大穴を中心に、三×三の正方形で各区を分けている。北西の区画を第一区とし、その横が第二区というように、区画は全部で九区画。
治安の良さは区画ごとに違うが、さざれ達の家がある西の第四区<西の迷い人>は、他区と比べれば治安は良い部類に入る。なにせ子ども達ばかりで外に遊びに行っても、無事に日暮れまでは帰ってくるのだから。
第四区<西の迷い人>の住人のほとんどは探索者、それもある程度の経験を積んだベテランが多い。
彼らは持ち回りで見回りを行い、目に余る行為をする者を見つけると、穏便に「お話し合い」をする。
その為、治安が最悪どころか世紀末な第七区<泥中の光>や第八区<南の迷い人>のように、一歩入ったおのぼりさんがたちまち、身ぐるみどころか肉まで剥がされる……なんてことにはならないのだ。それでも目の届かない所では、なにが起こるか分からない恐ろしさはあるが。
ちなみにベテランが多いのは、単純に第四区の家賃が高いからだ。迷宮都市に来たばかりの素人探索者では、到底払えるものではない。
さざれ達が借りている家も当然高いが、大家が「ルームシェア割引で、少し安くしているのよ」と言うように、他と比べればまだ安い方だ。
朝ごはんを終えたさざれとヴィリスは、そんな愛する家……になる予定の家を出て、四区中央にある<カープ街>に足を運んでいた。
「どれヴィリス。やつがれにおぶさるか?」
迷子にならないよう、さざれのズボンの裾を握っているヴィリスに、そう声をかける。
<カープ街>は四区最大の市場だ。全長五百メートルほどの鯉型アーチの中に、普通の店のみならず、露店や屋台が道の両側、時には真ん中まではみ出して並んでいる。
店の種類は様々で、八百屋、魚屋、肉屋、果物屋、菓子屋、ジュース売り、雑貨屋、服屋、手芸店などのありふれたものから、武具屋、砥ぎ屋、薬屋、触媒屋、地図屋、換金所などの探索者必須の店。中には虫屋、修羅屋、形見売り、異名屋など、見ても聞いてもよく分からない店もある。
そして<カープ街>の店は、どこも安い。それはそれは安い。他の市場では一本百コル前後のフォッグキャロットも、ここで買うと一本十コルだ。家計に大変大助かりだ。ゆえに、まだ十時にもなっていないというのに、道には買い物に来た人があふれていた。
「お主は小さいから、潰れてしまうぞ。その長い髪も、どこかに引っかかってしまうかもしれん」
人がつめかけて動けない、というほどでもないが、人同士の間をすり抜けるのはそれなりに難儀する。小さいヴィリスは気づかれず、蹴飛ばされてしまいそうだ。
ヴィリスは、ぶんぶんと首を横に振った。餅がぷうと膨らむ。
「やっ。そしたら、ブラウスが隠れちゃうの。今日はね、これも見せたいの。ヴィーの可愛さを引き立てて更に輝かせる、このブラウスが無いと今日は始まらないの!」
六歳児とは思えないほど流暢に単語を並べ立て、むんと胸を張る。
本日のヴィリスは本人が言うように、グラデーションがかった青髪と、大きな赤紫色の瞳が映える、若草色のブラウスを身に着けていた。大きく膨らんだバルーンスリーブが、よく似合っている。肩から下げているのは雫型のポシェット。
ちなみにさざれは、袖が肘丈までの上着を着てきた。ズボンも、膝丈までの短いものだ。なにせ、今日は暑い。
雨が上がったからか、全体的にむわむわと蒸している。黙って立っているだけで、熱気が肌にまとわりつき汗が出てくる。
「やれ、牙の国も夏は暑いが、ここまでではないぞ」
集った人の熱気も相まって、<カープ街>はひどく暑かった。額に浮き出た汗を拭って、さざれは愚痴る。
迷宮都市が暑いのは、地盤のせいもあるだろう。なにせ都市全体の地盤は石。そのせいで石畳に日光が反射して、熱が更に上がっている。
早く買い物を終わらせて、帰ろう。寒いのも嫌いだが、あまり暑いのも嫌いだ。
周囲の人々から微笑ましい目を向けられ、ご満悦なヴィリスがズボンを引っ張る。
「さざれ、さざれ。なに買うの? ヴィーはね、可愛いペンダントが欲しいの! あのね、こないだね、お魚の形した可愛いペンダント見っけたのー。あれ買うの!」
「今日は明日の焼き肉の為の材料を買いに来たろう? それ分の金しか持ってきてないゆえ、ペンダントは後でにしようなあ」
ちんまりした両手を重ねて頬に当て、小首をかしげた可愛らしいおねだり。それを、さざれは笑顔でばっさりと切り捨てた。
「ボルトフィッシュが入ってるよー! しかもまだ生きてる、ピッチピチさあ! 魔素抜きしてるから、すぐ食べれるよおー!」「谷の国から買い付けてきた、ラジオがあるよ! あそこのラジオは胴体大陸一、音が良いって評判! 今なら時計も付けて十万コルだよ! 他で買うなら五倍はするよー!!」「あら、お久しぶりだねえ。最近見ないから、大迷宮でおっ死んだと思ってたよ」「うーるせっ。そっちこそ、尻尾巻いてこっから逃げたと……おっとオヤジ、そのオレンジひとっつくれねえか。喉が渇いちまってよ」「あまーいジュースがあるよおー。フルーツ絞りたて。今日は暑いから美味しいよー。一杯百コル、氷を付けたら二百コルだよー」
賑やかな声が、四方から響いてくる。
それを右から左へ聞き流し、重要なものは記憶しながら、さざれは<カープ街>をゆっくり進んでいた。
ヴィリスは最初こそ拗ねていたが、通りがかる人に「あらっ、可愛い子。お洋服も可愛いね」「お兄ちゃんとお使いかい、小さいのに偉いねえ」「可愛い可愛い。飴ちゃんあげるからこっちおいで。すぐ終わるからね、ちょっと触るだけだからね」と可愛がられ、あっさりと機嫌を直していた。今は笑顔で、並ぶ店をきょろきょろと見ている。……ちなみに、最後に声をかけてきた奴はさざれがシメた。物理で。
「肉や魚はギグ殿とボニファースが狩ってくるし、必要なものは野菜と調味料と……」
「可愛いのね! ヴィー、可愛いお野菜がいいの! 見た目も味も可愛いお野菜食べたーい」
「はて、見た目も味も可愛い野菜とは」
ヴィリスを連れて人込みをすり抜けながら、八百屋へ向かう。
八百屋の軒先には、様々な野菜が並べられていた。緑に橙、赤に黄色。青や黒、白色と、目に鮮やかだ。形も丸いもの、細長いもの、四角いもの、棘があるもの、瓶に入った液体状のものなど、色々あって面白い。
ふむ、とさざれは顎に手を当て、野菜を見下ろした。どれも新鮮で艶があり、美味そうだ。値段もちょうど良い。
他の客の対応が終わったのを見計らい、恰幅の良い女店主に声をかける。
「ご婦人、こちらの歩きタマネギを二袋、洞穴キュウリを一束。あとはそうさなあ、天界キャベツを三玉もらえんでしょうか」
「あいよっ、ちょっと待っててねっ!」
威勢良く返事をした店主が、さざれから買い物バッグを受け取り手際良く野菜を詰めていく。
「肉に合う野菜は、他にありますかなあ。いや実は、明日家の者と焼肉をする予定なのですが、やつがれはこちらに来たばかりで。あまり、迷宮産の野菜が分からんのですよ」
「そうだねっ! 肉の種類にもよるけど、どんな肉にも合うのはこのスケイルリーフだねっ! 歯ごたえはちょっと固いキャベツ、味はレタスって感じだよ! これに肉を巻いて食べるとサッパリするし、焼くと甘味が出てジューシーになるから箸休めにもいいよ! 後はこれ、スクリームトマト! 見た目は悪いけど普通のトマトより甘いからねっ! 皮は固いから剥いて食べるんだよ!」
蛇の鱗に似た葉がわさわさついた枝と、人の叫び顔に似た皺が刻まれたトマトを指さされる。では、とさざれは笑顔を浮かべた。
「そのスケイルリーフを五本と、スクリームトマトを二十個ほど――」
「やっ! さざれ、やあっ!」
抗議の声と共に、足がぺちんとはたかれた。見下ろすと、ヴィリスが愛らしい顔をぎゅっとしかめている。
「トマト可愛くない! ヴィーそれやだっ! 食べない! こっちがいい! こっちが可愛いの!」
こっち、と小さな指がさした野菜を見る。目が合った。思わずさざれは、小さく肩を跳ねさせる。
「ええと、ご婦人。……これは、犬の頭でしょうか……?」
木箱にぎっちり入っていたのは、ジャガイモのようなものだった。「ようなもの」と言うのは、色はジャガイモなのだが、見た目がどう見ても犬なのだ。垂れ耳でつぶらな目をした、愛らしい犬の顔なのだ。大きさも小型犬くらいのものだ。それが木箱に数十個、ぎっちり入っているのはちょっとしたホラーである。
首にかけたタオルで汗を拭い、店主は豪快に笑った。
「初めての人はみんな驚くねっ! 大丈夫さ、これはポテドッグ! この部分を地上に出して探索者をおびき寄せて食べる、食人植物だよっ! 他は食べられないけど、この部分は美味しいのさっ!」
「はあ……ちなみに、どうするのが一番美味いので……?」
「煮ても潰しても美味しいけど、焼肉にするなら丸っと焼くのが一番だねっ! 皮は手で剥けるし、塩胡椒だけでも十分に美味しいよっ!」
「これを、丸っと……」
さざれは、ポテドッグの群れを見つめた。
数十のつぶらな瞳が、「ぼく、食べられちゃうの……?」と言いたげな目で見上げてくる。肉を焼いている横で、これを丸ごと焼く光景を想像した。あらぬ誤解を受けそうな光景だった。あそこの家の連中は、肉を買う金が無くて犬を捕まえて食ったらしいぞと、噂されそうである。
「さざれー。ヴィーねえ、これ食べたいの。これ可愛いから、食べたいのー。ねえねえ、いいでしょ? ヴィーこのお芋食べたいの、可愛いからね、絶対これ美味しいの! ヴィー自信ある!!」
お願いお願い、とヴィリスは目をきらきらさせてねだってくる。
少し考えた後で、さざれは息を一つ吐く。そして、笑顔の店主にポテドッグを指さしてみせた。
「では、このポテドッグも二つ追加で」
「あいよっ!」
ひょいひょいっ、とポテドッグを二つ両脇に抱える店主。やはりどう見ても、犬の頭である。断面が赤っぽいのが、またリアルだ。なんだか切ない顔でこちらを見つめる芋が、買い物バッグに入れられていく。
薄気味悪いと思わなくもないが、初めて全員で食卓を囲むのだ。なるべく、本人が食べたいと思うものを食べさせてやりたいさざれである。
「わーい! さざれありがとー! あれね、可愛いからヴィー絶対食べたかったの! ありがとー!」
感極まり、足に抱き着いてくるヴィリスの頭を撫でながら、さざれは思った。
見た目だけは確かに可愛いかもしれん。だがそれを貪っているお主は、はたから見ればただの蛮族にしか見えんぞ。
思うだけで口には出さなかった。