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「今月で忍組を辞めますが?」「はあん!?」

 大陸の覇権を求め争っていた七国が、「七結和議(しちけつわぎ)」を結び早半月。

 人と物資が損なわれ、疲弊するばかりであった戦の気配は鳴りを潜め、城下には平穏を祝う民の声が満ちていた。

 ――七国が一、牙の国。

 狩人で生計を立てる者が多いこの国は、山脈連なる緑の国だ。

 黒い煙を吐く蒸気機関車、夜道を照らすガス灯。――他大陸から文明の波が来ても、己らの飯の種を潰さぬよう、山を無暗に切り崩すなかれと命じた殿。そのおかげでいまだこの国には、石炭の燃える匂いが漂うことは無い。


「しかし、どこも即座に和議を破ろうなどという愚かな動きを見せないのは、良い事だ。おかげで滞りなく、錦祭(にしきまつ)りが行えた」


 肌に当たる初夏の風は、久方ぶりに血と火薬の匂いのしない爽やかなもの。胸いっぱいに吸い込めば夏草の味がした。

 今はまだ涼しさの方が勝っているが。いずれは草いきれを孕み、むわりと肌を蒸すのだろう。だが、それを味わう事すらも楽しみだ。


「それもこれも、お前の働きによるものだ。なあ、()()()よ」


 小高い山にそびえる城の屋根に片膝をつき、城下に視線を向けながら忍組頭はそう呟いた。

 城下町に連なる屋根上には、山に感謝する錦の旗が立てられ、赤に橙、黄に紫と鮮やかな色が青空にはためいている。


「いえ。全ては殿と組頭の采配のおかげ。やつがれは、それに従ったまでのことですので」


 己の背後に控える腹心が、穏やかな声でそう答える。

 背後の気配を感じつつ、組頭はその言葉を否定した。


「いや。全ては命じた任を完璧以上にこなせる、お前の力あってのこそだ。誇れ、さざれ」


 これは、世辞ではない。本心だった。

 背後に控えるさざれ――組頭の腹心であり友でもある男。彼は間違いなく、七結和議を結ぶに至った立役者の一人である。

 代々牙の国に仕える忍の家に生まれ、修行を終えた十五の時より国の為に身を粉にして働き。

 時には顔も年齢も性別も変え、あらゆる場所より情報を得て。

 時には敵国の殿を暗殺するべく、長期間の潜入を行い信頼を得た。

 時には戦場に罠や毒を仕掛け、敵軍に甚大な被害を与えた。

 恐ろしいのは、国を揺るがすほどの任を果たしてもなお、さざれが無名だということだ。

 潜み隠れるのが本分の忍にとって、名や異名が同業者に知れるのは二流の証拠。将のような華々しい逸話は不要。

 さざれ石――誰もが目にも留めない小石の如く。さざれは二流連中を横目に存在を闇に溶かしたまま、数十年働き続けた。

 それを組頭は誇りに思うと同時に、敵でなくて良かったと心底思うのだ。

 改めて、城下に広がる鮮やかな旗を手のひらで示す。


「見ろ。この穏やかな景色は、あそこに居並ぶ錦の旗の揺らめきは、お前が作り上げたのだ」

「……」


 背後に控えたさざれが、わずかに笑む気配がした。

 それに満足し、組頭はそうだと明るく声を上げる。


「殿が来月、ささやかながら宴を開くとのことだ。遅まきながら、七結和議を結べた祝いの席と言う奴でな。我ら影の者らも出席を許された。流石に忍としてではなく、表の顔としてだが。無論、お前も出席するだろう?」

「ああ……」


 なにかを思い出すように、さざれの声がぼんやりとしたものになる。

 そうして、


「やつがれは、今月で忍組を辞めますゆえ出席いたしませんよ」


 山を吹き抜ける涼風のようにはきはきとした声音で、そう言い放った。


「はあん!?」


 組頭は思わず、身体ごと背後に振り返った。……急に動けば足を滑らせやすい屋根瓦ではあるが、彼は忍組を束ねる組頭である。畳の上であるかのように、その動きは滑らかであった。

 背後に控えるさざれは、傾斜のきつい屋根に姿勢良く正座したまま、にこにこと笑っている。


「いや、辞める!?」

「はい、辞めまする」


 悪戯を成功させた子どものように、楽しそうに口元を緩ませているさざれ。それに対して組頭は、悲鳴のような声で叫んだ。己の叫びが木霊となって、わんわん響き渡る。

 常に存在を闇に溶かさねばならない影の身であるが、知ったこっちゃない。


「私は何も聞いていないが!?」

「今言いましたので」

「いやいやいや……和議を結んだとはいえ、藍の国は過激な連中がまだ多いし、(つづみ)の国とて完全に納得して和議に応じたわけでは……!」


 組頭の言葉を遮って、さざれはころころと笑った。


「なに、後は殿の外交的手腕でなんとかなりましょう。大殿と違い戦下手でありますが、殿は交渉事には長けております。我が国が七国内で優勢となるよう、上手く立ち回れましょう。それに藍の国は先の大戦で甚大な被害を被っておりますゆえ、立て直しに時間がかかります。鼓の国の方は、有力な跡継ぎが相次いでころりと逝ってしまっておりますからなあ。どちらもしばらく、他国に目を向けることはないでしょう。それは組頭も、よくご存じでしょうに」

「むぐ」


 渋い顔で組頭は黙り込んだ。

 和議に強く反対していた藍と鼓の二国。そこを黙らせる為に策を練ったのは我らが牙の国の殿。それを実行したのは誰あろう組頭やさざれ、忍の者だ。


「そう、そうだ殿は、大殿は!? あの方々がそれを許すとでも……!」

「あ、こちら殿と大殿より頂いた書状でございます。組頭にと。いやあ、出すのを忘れておりました、うっかりうっかり。やつがれも、もう年ですなあ」


 あっはっはっは。軽やかな笑声が屋根を流れる。続けて懐から書状を二通取り出し、どうぞと差し出された。

 それを受け取り、組頭は半目でさざれをねめつける。

 こいつ、絶対に忘れてなかったな。

 どうせ自分が一番驚く、あるいは拒否できないタイミングで出してやろう、と思っていたに違いない。


「相変わらずの良い性格だな、お前は」


 二枚の書状はどちらも、殿と大殿直筆。文末に押された印も本物だ。

 二枚とも、長々と文章が連ねられているが要約すれば、「さざれも今まで一杯頑張ったし、もう忍の仕事を離れて余生を送ってもいいよ」ということだった。


「むう……」


 組頭は、眉を寄せて唸った。

 殿と大殿がさざれの離職を許したのであれば、自分が否を唱えられる筈もない。


「……普通は、私にまずそれを言うべきだと思うんだが」

「やつがれもそうしたかったのですが……」


 片手を頬に当てたさざれが、ふうと息を吐く。顔を横に向けてこちらに流し目を一つ。色素の薄い瞳に、苦虫を噛んだ顔の自分が映る。


「組頭の事ですから、どうせ策を弄してやつがれを辞めさせまいとするでしょう。故に先手を打たせていただきました」

「ぐぬ」


 図星だ。

 思わず黙り込む。まるで慰めるかのように、薫風が組頭の肩を撫でた。



「まあ、殿と大殿が許したのだから、私ももうなにも言うまいが……お前が抜けた後の穴は、どうするつもりだ」


 いつまでも屋根の上であれこれ言いあっているわけにもいかず、二人は組頭の部屋へと場所を移した。ちなみに組頭の表の顔は、殿の文武指南役。その為、城内にはそれなりに立派な部屋が用意されている。

 胴体大陸から渡ってきた、洒落た硝子のランプの置かれた文机。そこに肘をつき、胡坐をかいてさざれを睥睨(へいげい)する。

 睨まれてもさざれは涼しい顔だ。


「もうなにも言うまい、と言っておきながら言っているではないですか」


 お前な、と口を開く前に、さざれは軽く肩をすくめた。


「ご心配なく。我が弟子達に極意を叩き込んでおきましたゆえ。あれら三人ならば、やつがれ一人分の働きはできるでしょう」

「それでも、三人で一人分か……改めて、お前の非凡さを感じるな」

「褒めても大豆しか出ませんが」


 ほら、と懐から大豆の入った小袋を取り出すさざれ。


「大豆は出るのか……」

「ええ。おやつにしようと思いまして」

「そうか……」


 ぽりぽり大豆を(かじ)るさざれにツッコミを入れる気力も起きず、組頭は皺の寄った眉間を揉んだ。

 まあ、自分が抜けた分の穴を埋める人材を用意しているのなら、いい。さざれが育てた弟子達が、どれも粒揃いなのは知っている。……そしてこれ以上、粗を探すのも無駄だろう。如才無いこいつは、どうせなにを言っても完璧な反論材料を取り揃えているのだ。

 なので組頭は、手を軽く振って話題を変えた。


「しかし、なんで今この時期なんだ。和議を結んだばかりで、情勢が安定したわけではないんだぞ」

「そろそろ、やつがれも年。後進に道を譲るべきでしょう。和議が結ばれた以上、先の戦のようなものはしばらく起きますまい。ならば今が一番、良い時期かと思いまして。でなければ、機を逃してしまいそうですからなあ」

「成程な。……で、ここを辞めてどこへ行くつもりだ? 山奥で(いおり)でも結んで、のんびり暮らすか?」

「はあぁ?」


 思い切り顔が歪められた。軽蔑の視線がぐっさり突き刺さる。なぜだ。


「やつがれが山奥で庵を結び? 日々自然の恵みに感謝しながらものを食し? 日の出と共に起きて日暮れと共に眠り? 時には雨音に耳をかたむけながら読書や歌詠みにふけるような日々を送ると? はあぁー……それはまた、絵に描いたような隠遁生活ですなあ。断固お断りです」

「そ、そうか……」

「そも、人と会わず代わり映えの無い生活を続ければ、いかなやつがれとてすぐボケます。二年も経てば便所の場所を忘れあちこちに垂れ流し、三年も経てば己の名すら思い出せず呆け、石を胡桃(くるみ)と勘違いし割ろうと四苦八苦する日々……組頭はやつがれに、そんな末路をお望みだというのですか! ああ、恐ろしや恐ろしや……」


 共に修行の地で汗を流し、影に日向に腹心として仕えた男にこの仕打ち、恨みますぞ組頭。

 よよよ、と大仰な泣き真似をするさざれ。横座りになってしなを作り、右手で口元を覆う姿はどこぞの女形(おやま)かと思うほどである。

 組頭は、苦虫を噛み潰してじっくりと味わったような顔をした。


「ちょっと言ってみただけだろうが……」


 なにせさざれは、まさに「森の奥で庵を結んで過ごす世捨て人」のような外見をしているのだから。

 肩にかかる程度にさらりと伸ばした灰白色の髪を襟足で一つにまとめ、よく磨いた鏡のような銀の瞳に切れ長の目尻。穏やかな笑みを浮かべた柔和な顔立ちに騙され、情報を吐いた奴がはたしてどれほどいたやら。

 身に着けた海老茶色の小袖と黒い袴に隠れた身体は鍛えられてはいるものの、どちらかといえば細身。優男風だ。

 これで川のせせらぎが聞こえる庵の中、一人静かに句をひねっていればさぞ絵になることだろう。本人が今その可能性を、思いっきり叩き壊したが。

 やや白い肌に皺は無く、どう見ても二十代、下手をすれば十代に見える外見。

 しかしこの男、今年で四十八歳である。

 三つ下の自分は、もう髪に白いものが混じり、顔にも皺が刻まれているというのに。化け物である。あと羨ましい。


「ああ、やつがれがかつて共に修行に明け暮れた友はどこへ行ってしまったのか……あの日、木の上から逆立ちで着地できると豪語し両手を見事骨折し、死ぬ死ぬと泣き叫んでいた我が友はどこへ……今この場にいるのは、やつがれを庵に押し込め呆けさせようとする鬼畜外道が一人……ううっ」

「お前の友はここにいるわ、ここに! あとそれをこするのはいい加減に止めろ!」


 泣き真似をしながら朗々と紡がれる言葉を、組頭は大声を上げて遮った。誰が聞いているかも分からないのに、若気の至りをこれ以上暴露されてなるものか。


「……じゃあ、なんだ。庵じゃねえなら、市井で民に紛れて暮らすってえのか、お前」


 素の口調で問う。無二の親友とはいえ立場上は上司部下なので、今までは取り繕っていたが、もう面倒だ。


「料理好きだし、料亭でも開くか? お前の表の顔、厨番(くりやばん)だから辻褄も合うだろ」


 さざれも姿勢を戻す。薄い唇に、にまりと人の悪い笑みが浮かんだ。


「いや、やつがれもそうしようと最初は考えたのだがな。この国始め、他国で動乱の一つでも起きてしまうと、どうにも仕事の虫が騒ぎそうゆえなあ。それでは忍組を辞める意味があるまい」


 さざれも口調を乱し、ざっくばらんに話す。


「あー、お前仕事に対してはクソ真面目だもんなあ」

「クソを付けるな。お主もよっぽどであろうが。……ま、そういうわけでな。やつがれはこの大陸を出ることにした。考えてみれば生まれてこの方、右腕以外の大陸に渡ったことも無し。余生を過ごすのならば知った土地より、知らぬ土地の方が面白そうと思ってなあ」

「俺は知った土地で骨を埋める方がいいと思うがなあ」


 大陸を渡るだけで言語も、文化も全く違う。そんな異国の土に己の骨を埋める覚悟は、どうしてもできない。


「なに、知らぬ土地だろうとも三年もすれば見知った故郷よ。どうせどこに行こうとも、この世は我らが古き父の身の上なれば。怖がることもあるまい」


 ふんふん、と機嫌良い鼻歌を響かせ。さざれは勝手知ったると言った様子で組頭のかたわらにある箪笥を開け、紙を引っ張り出してきた。

 二人の間に、四つ折りにされた紙が広げられる。端々がいくらか欠けたそれは、世界地図だ。赤く塗られた海の中心に、大の字になった人間のような形の大陸。

 頭、両腕、胴体、両足――それらは繋がっておらず切り離されており、赤色の海と相まってまるで、バラバラ死体の様相である。


「で、一体どこ行くんだよ。大陸を出るってなると……」


 と、組頭は大陸の右腕部分を指さす。牙の国があるのは右腕大陸の、ちょうど肘辺りだ。そこから肩の辺りまで、指を移動させる。


「ここからしか、他大陸に行く船は出ねえだろ。それともあれか、世界一周船でも乗る気か? 確か今、寄港してるって話だしな」

「それも悪くないのだがな。行くのはこちらよ」


 自分のものよりだいぶ細い指が、胴体の中心……ちょうどヘソがあるだろう部分を指した。地図を彩る深い緑の中、墨を一滴落としたかのように、ぽっかりと黒い丸が描かれている。


「お前、そこは……」


 ふつ、と組頭は息を呑んだ。

 ここからその場所は遠く離れているが、それでも悪名はこれでもかというほどに聞こえてくる。

 あらゆる犯罪者の辿り着く場所。

 世界のゴミ箱。

 魔術師達の最前線。

 世界で一番金が動く場所。

 あらゆる流行の発信地にして、文明発展の基盤。

 襲い襲われ、奪い奪われ、殺し殺されるのが日常の、迷宮上の無法都市。

 さざれは読めない笑みを浮かべたまま、歌うように呟いた。


「我らが古き父のヘソの奥底に広がる六道の大迷宮、その上に広がるは治める者のおらぬ無法都市。――なになに、退屈はしそうになくて何よりではないか」

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