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2 下僕


 

「……ほら、立ってごらん」


 棺の中で横たわっていた男が、ディアナの命令で目を開けた。

 灰色の目だった。

 年は二十代の半ばぐらい。黒い髪に、やや日に焼けた肌。垂れ目ぎみでまつ毛が長い。粗野な印象だが、鼻が高くて精悍な顔立ちといえなくもない。


 けれどディアナは、ゆっくりと棺から出てきた男を見ながら、だんだんと眉間にしわを寄せていった。そしてとうとう男が背すじをまっすぐ伸ばして床に立つと、への字の口でぼそっと漏らした。


 おっきいわね、と。


 男は、かなり上背があった。十五歳で身長の伸びが止まったディアナは、相手の顔を見るために真上を見上げるようにしなくてはならない。

 その上、戦場で敵兵と同時に魔女とも戦うハンターだっただけあって、引き締まっていながら全体的に厚みがある。


「……な、何に使ったらいいの、これ」


 傀儡人形の術は、生きた人間の意思を封じて人形のように従わせる魔術だ。

 使える魔女が少ない難解な術だが、上位二番目の魔女テレサに目をつけられてしまうとは、なんとも運の無いハンター。ディアナはたいして同情もせず、男の身体を検分し始めた。


 灰色の目は虚空を見つめるばかりで、ディアナが身体のあちこちを触ってもなんの反応もしない。手首をおさえてみると脈拍が伝わってきて、肌にぬくもりもあり、確かに生きた人間の人形で間違いなかった。身体の至るところに傷あとがあるが、どれも四肢を動かすのに支障はないだろう。


 大きな怪我や目に見える病気がなさそうなのをひととおり確認すると、今度は腰に手を当てて男を睨みつけた。


 ――邪魔だわ。

 殺して捨てちゃおうかしら。でもそんなことしたら、送ってくれたテレサの面目丸つぶれよね。


 しばらく考えて、何もかも億劫になってきた頃。

 ふと思いついて「これ、片付けてきて」と床の上の棺を指さすと、男は無言で蓋を棺にかぶせて空の木棺を担ぎ上げ、そのまま寝室を出ていった。

 それを見送って、一言。

 

「……雑用に使いましょうか」


 当面のところ、それくらいしか使い道がなさそうだと結論付けた。




 


「……テレサ、ちょっと」

 

 数日後、ディアナは不機嫌な顔をして、また鏡の前に立っていた。呼び出されて、修道服の魔女が鏡の向こうに現れる。


『なに?』

「あんた傀儡術、ちゃんとかけた? なんかあの人形、動かなくなっちゃったんだけど」

『は? もう殺しちゃったの?』

「なんにもしてないわ」

『もの壊す人ってみんなそう言うのよ。食事は何を与えたの?』


 ディアナは鏡に向かって目を見開き、次いで眉を寄せた。


「食事がいるの?」

『まあ呆れた、ほんとうになんにもしてなくて壊したパターンだわ。あのね、あれは生きた人間なんだから、食事排泄休息、季節に合わせた適切な衣服、みんな必要だし、こまめに洗ってあげなきゃ匂いもするわよ』

「なにそれっ、面倒ね」

『メンテナンスしなくちゃ、道具だってすぐ壊れるもの。せっかくわたしが作ってあげたんだから、長く使ってちょうだいな』


 やれやれというように肩を竦めたテレサの姿が、鏡から消える。


「……ふん、作ってあげたって何よ、“第一位”に対する貢ぎ物でしょ。生意気ね、聖騎士に報復されても知らないから」


 それから、ディアナは少し考えて、寝室を出た。「あれはいったい、何を食べるの?」とぶつぶつ呟きながら。



 


「食べなさい」


 ディアナがそう言うと、男はいつも通り、テーブルに置かれたパンとスープ、焼いた肉に手を伸ばす。


 テレサに相談した日から数日たち、男はすっかりもとの顔色の良さを取り戻している。皿の上の食べ物がみるみる減っていくのを横目に、ディアナは水も注いでやった。

 食事が必要と聞いた時は心底捨てようかとも思ったが、命じれば動ける相手に、主人たるディアナが手をわずらわせることなどそうなかった。

 しかし、命じないとやらないのは困る。

 ディアナは、男の伸び始めたヒゲを睨みつけた。


「……ひげをそるわよ、来なさい」


 男を浴室へ引っ張ってきたディアナは、父親が遺した髭剃りを指さした。血の跡はきれいに洗ってある。

 しばらくして、男の顔がさっぱりしたのを見て頷く。


「次は服脱いで、洗って」

「お風呂にお湯も溜まったから、さっさと入って。……あたしの石鹸使い切ったら殺すわよ」


 男が人形になる前はできていたであろうことを次々命じていく。そのうち、あることに思いいたって舌打ちした。

 着替えがない。着ていた服は洗剤とぬるま湯を入れた桶の中でびしょびしょだ。

 こんなことなら、返り討ちにしたハンターの服を剥ぎ取っておけばよかった。服が乾くまで全裸で立たせるはめになった男の下半身にタオルをまいてやりながら、ディアナはうんざりした。


 やっぱり処分しようかな。もしくは傀儡人形の術と似た術で、屍を使役する術もあるのだから、そっちに切り替えてしまおうかな。面倒ごとを遠ざけたい一心で、そんな考えも頭に浮かぶ。


 もう一つ、何か一つでも面倒だと感じることがあったら、殺してしまおう。

 魔女は、そう心に決めた。


 ――だが結局、ディアナは男を生かしたまま、屋敷に置き続けた。


「ちょっと、草むしりしてきて」

「掃除して」

「荷物運んで」

「料理して」

「髪結って」

「化粧して」

「脱がして」

「髪洗って」

「着せて」

「寝かせて」

「起こして」


 ディアナは気が付いた。

 この人形、やらせればなんでもできるのだと。

 なら、こいつ自身のことはおろか、今までディアナがやっていた家事でもなんでも、こいつに命じればよかったのだと。


 そうしてひと月もたつ頃には、ディアナはすっかり人形に雑事をやらせる怠惰な生活に慣れ切っていた。

  

「なるほど、下僕がいるって楽だわ。……うん、そう、そこそこ」


 夜、大きな手に肩を揉ませながら、寝間着姿のディアナはしみじみつぶやいた。かたわらには、男に用意させたミント水が入ったガラスの水差し。


 肩が楽になったのに満足して、ディアナはグラスを手に悠々と窓辺に寄った。何気なく、屋敷の外の森に目を向ける。

 視線の先の闇の中で、明かりが動いていた。見られていることに気づいたかのように、パッと消える。

 ハンターだ。


「追い払ってきて」


 すっかり寝支度を整えていたディアナは、下僕にそう命じて、寝室の明かりを消した。


 だが、夜明け前、人の気配に目を覚ましたディアナは、枕元に控える下僕が二の腕からべったり血を滴らせているのを見て飛び起きた。

 返り血ではない。


「た、大変! また動かなくなっちゃう!」


 こんなに便利なのに!


 焦るディアナは男に包帯を持って来させようとして、歩かせない方がいいことに気が付いた。

 数年ぶりに薬箱を引っ張り出し、太い腕を深く抉った傷を止血し、消毒して、昔を思い出しながらどうにか包帯を巻いていく。思ったより大きな傷だった。

 ほどなくして出血は止まったが、しばらく何の雑事もさせられないことは明らかだった。傀儡人形になっても利き腕というのは存在して、あいにく怪我を負った方がそうだった。ディアナは渋い顔で、表情のない男の顔を見つめる。


「……」


 長持ちさせるためには、メンテナンスしないといけない。

 ディアナは、世話をしてくれる人形を、しばらく世話することにした。


「ほら食事よ、口開けて」

「こっち横になって。動くと剃刀で頬まで切れるわよ」

「服脱いで。ほら腕動かさないで、傷開いちゃうじゃない。そう、こっち入って」


 己の服の袖をまくり、裾をたくし上げてピンで留め、浴槽の中の男の身体をごしごしと乱雑に洗ってやりながら、ふと思いいたったことを口にする。


「排泄は?」


 男は無言だったが、何かかたくなな拒絶を感じたので「無理なら言……えなくても、どうにかしなさいよ。汚したら殺す」とだけ言って、泡を流した。







 ――そうして、魔女が下僕の世話をし始めて、一週間がたち。

 屋敷に、弾んだ女の声がこだまするようになっていた。


「ご飯の時間よゲオルク! 今日はね、罠に鹿がかかってたからバターたっぷりでローストしたのよ。お腹すいた? よしよしいっぱいお食べ!」

「そろそろ髪切るわよゲオルク! 今度は前髪あげて額を出して、後ろは刈り上げて、すっきりセクシーでワイルドな男になりましょうね! やだ〜こめかみの傷がおっとこまえだわ〜!」

「ゲオルクの服、新しいのを作ってみたの! なかなか上手でしょ! ママがパパのシャツを作ってたのを思い出したの、ほらカッコいい、似合う、優勝! 新しい靴と、冬に向けて外套も注文したし、届くのが楽しみねゲオルク〜〜〜!」


 ディアナはすっかり、大男の世話を焼く楽しみに目覚めていたのだ。

 それはまるで、かわいい子犬を飼い始めた女児のようなありさまで。


「さ~~~て! 洗うわよゲオルク!!」


 すっかり口に馴染んだ名前を呼んで、浴槽に浸かった大きな身体をごしごし洗ってやるのも慣れたものだ。上機嫌な鼻歌が、浴室に響く。

 

「……ん?」


 途中、泡の浮かぶ湯に腕を突っ込んで丁寧に脚を洗ってやりながら、違和感に気づいて眉を寄せたが。


「……あっ、これが噂の! はーなるほど、生きてるってこういうことよね!」


 一人納得して、泡まみれの手でタオルを滑らせ続ける。


「新しい石鹸、いい匂いでしょ? お風呂、気持ちいい?」


 男は無言だったが、なんとなく肯定されたのを感じたので、ディアナは「いい子ねーーーーー!」と満ち足りた気持ちで背中の泡を流してやった。



 ***



 そのまま、月日はめぐり、夏が過ぎて秋が深まり。

 柱時計の食堂で、ハンターの血にまみれたテーブルクロスを剥ぐ魔女は上機嫌だった。


「部屋を綺麗にしたら、あらためて一緒にお夕飯にしましょうね、ゲオルク」

 

 最初こそ持て余した人形を、今のディアナはすっかり溺愛していた。デレデレである。


 男の腕の怪我はとっくに治っているが、髪や髭の手入れ、入浴などを手ずから行うのはディアナの日課として定着した。母が昔、お気に入りの庭の花を使用人任せにせずに自分で水をやっていた気持ちが、今なら理解できる。

 手をかければかけるほど、ゲオルクは健康になり、身綺麗になり、頑丈になっていく。そして変わらず従順。力仕事のために筋肉を維持してと言ったら、敷地内で何やら身体を鍛えているところを見ることができた。なんて賢い下僕だろうと、ディアナはレモンの蜂蜜漬けを作って食べさせてあげた。


 何をやっても、ゲオルクは口答えも反抗もしない。まさしくお人形だ。ディアナはこの年になって人形遊びに目覚めた自分に呆れつつ、咎める人間は誰もいないので、全力で満喫していた。


「あたしが撃たれてびっくりした? 大丈夫よ、不死の魔女は決まった殺し方をしないと死なないってこと、ハンターも聖騎士も、だーれも知らないんだから!」


 ハンターを外に放り出してきたあと、無言で床をモップ掛けするゲオルクの背中に、ディアナは芝居がかった猫なで声ですり寄る。


 掃除して、と言ってから、ゲオルクは一心不乱に血まみれの部屋を片付けていた。なんて真面目でいい子なんだろう。ディアナの口から熱いため息が漏れる。


「あーあ、こんなにかわいくて役に立つなら、最初から誰かしら人形にして、連れて歩けばよかったわ。そうしたら、ここに引っ越すときも楽だったでしょうし。柱時計なんてあちこちぶつけて気が気じゃなかったんだから」


 屈強な男の背中から腕を回して、魔女は力いっぱい抱きしめた。しがみつく、といったほうがしっくりくる。

 夏は不快だったぬくもりも、晩秋の肌寒さにはちょうどよかった。


「でもやっぱり、ゲオルクで良かった」


 でかいし、丈夫だし。

 ハンター撃退を手伝わせても、ほとんど怪我をしないのだ。

 とはいえ一応、怪我をさせた夏の夜の反省を生かして傷薬も用意してある。どんな致命傷もたちどころに癒やす、魔女の秘薬を。

 けれど、それは作ったきりほとんど使っていない。本当に、かつては強いハンターだったのだろう。テレサに負けて、そのテレサより強い自分のもとに、貢ぎ物としてやってくる前は。


「この先も大事にするから、ずーっと一緒にいましょうね」


 そう言ってゲオルクの腹にまわした腕に力を込める。広い背中に頬を擦りつけていると、ゲオルクの指先がディアナの左手の甲に触れた。


「あら、気になる?」


 ディアナの、薬指の指輪についていた血を、ゲオルクが自分の指で拭ったようだった。


「平気よ。この指輪、ママのだから古いの。この汚れももう落ちないわ。もうずっと昔、あたしが魔女になる前についた血だもの」


 未亡人ぶるのにちょうどいいと、常に身につけている指輪は親の遺品だ。見やすいように、五指を広げて男に向けて掲げてやる。感情のない人形は何も言わなかったが、灰色の目に金の指輪が一瞬映りこんだ。


「せっかくママに贈ったのに、パパったら破産でやけになって自分で汚しちゃうんだから」


 そのとき、ちょうど柱時計が夜中の十二時を告げた。重い音の出どころを一瞥したディアナは、ゲオルクの大きな手からモップを取り上げて踊るように離れた。


「ゲオルク。ここはもういいから、汚れた服を着替えてらっしゃい。今夜は新月だからね、きっとこの後もハンターがやって来る。いい機会だから、新しい上着を着てくるのよ」


 柱時計にまで跳ねた血をテーブルクロスで拭きながら命じれば、下僕はいつもどおり無言無表情で従った。

 足音が遠ざかったのを確認し、椅子を持って来て、その上に立って時計の文字盤と針を丹念に磨く。


 今夜は新月。魔女の力が弱まりやすい。

 それに望みをかけて、もう一人か二人くらいは無謀なハンターが来るだろう。かわいい下僕の数少ないお披露目の機会と思うと、ディアナは彼らの襲撃が魔力の補充以上に楽しみだった。

 前回の新月の日に来たハンターも、ゲオルクの昔の知り合いらしかった。意思がなくとも鈍らない戦闘力に追い詰められながら、目を覚ませと必死に説得を試みる男が昏倒させられるのを、ディアナは揚げ物と麦酒をかたわらに、手を叩いて楽しく見届けた。


 でも今日はまだゲオルクに夕食をあげていないから、間食は抜きにして、自分も一緒に遅い食事を取るつもりだった。


「あ、卵を取ってこなきゃ」


 ディアナは拭き掃除がひと段落したところで、食堂を出た。食料保管庫は屋敷の裏にある。


 夜の庭は真っ暗で、冷たい風が吹き荒れていた。遠くでゴロゴロと雷の鳴る音が聞こえる。

 ディアナはショールを肩に巻き付け、さくさく枯れ葉を踏みしめながら、目的の場所へ向かった。明かりは持たないが、勝手知ったる庭である。


「……か?」


 途中。

 か細い声を聞いた気がして、足を止めた。


「誰よ」


 返事はない。

 真っ暗な庭の中、すぐそばに誰かいると、ディアナはその時になって気が付いた。風で気が付かなかったが、血の匂いもする。

 ディアナはためらうことなく、こっちと思う方へ足を踏み出した。すると、何かがディアナから遠ざかろうとするように、ずり動く気配がする。


 侵入者。二人目が、もう来ていたのか。まだゲオルクが、着替えていないのに。

 ディアナは殺意を灯した目で、闇の一点を凝視した。この間の悪いハンターは、いったいどんな奴なのか。恐怖に竦んだその顔を拝んでやろうと、掲げた右手の先に炎を生じさせる。


 すーっと移動した容赦のない光が、森に囲まれた庭の一角を照らす。

 そこにいたのは、まちがいなくハンターだった。


 血まみれの身体で地面を這い、こちらに恐怖に染まった顔を向けている。

 ディアナは固まった。


 それは、さきほど広間で殺したはずのハンターだった。

 殺して、捨ててくるようにと、ディアナがゲオルクに命じたはずの。


「どうして……」

「く、来るな、」


 呆然としたディアナの声に、ハンターの怯えた声が重なる。


「来るなゲオルク! 魔女は不死身だ!」


 直後、ディアナの首が胴から飛んだ。








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