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1 森のお屋敷

全4話、だいたい25000字くらいです。


 道に迷っているうちに、日が暮れてしまった。


 真っ暗な森に佇む大きな屋敷で、扉を叩いた理由をそう話した旅人に、亜麻色の髪の女主人は同情するように眉を下げた。


「それは、なんともお気の毒な。ええもちろん、どうぞ泊まっていってくださいまし。もう夜はすっかり冷えますもの」


 親切な言葉に甘えて、旅人は屋敷の中へと入る。大きな暖炉の部屋に案内したあと、女主人は「時計がある食堂でお夕食です」と告げて、どこかへ消えていった。


 旅人は、邸内を見て回った。

 広々とした屋敷だった。すみずみまでよく掃除が行き届き、床にはちり一つ落ちていない。意匠の凝った調度品も、彫りの奥まで磨き込まれて艶々だ。

 のぞいて回った部屋も同様で、応接間に戻ってくると、暖炉には赤々と燃える火が入れられている。外の寒さはすでに忘れかけていた。

 完璧な屋敷だった。しいて至らない点を挙げるなら、燭台の上を歩く小さな蜘蛛くらいかというほどに。


 だが、人の姿がまるで見えない。妙に古ぼけた柱時計が置かれた空間で晩餐のテーブルについたのも、旅人と女主人の二人だけだった。


「主人はもう、亡くなってしまいましたの」


 食事が始まって間もなく、女主人は自分を未亡人だと明かした。その視線が、左手の薬指にはまった金色の指輪に向かう。

 旅人が無神経さを謝ると、未亡人は気にしないでと言うように笑った。


 髪を結い、赤いドレスに身を包んだ未亡人は、十代後半か、二十にさしかかったあたりに見えた。緑の瞳はろうそくの光をうけてきらきらと輝き、白い肌は頬の紅で品よく際立ち、小さな唇は桃色の弧を描く。小ぶりの鼻を中心に、それぞれが行儀よく並んだその顔が、労働などとてもできそうもない華奢な、それでいてひどくやわらかそうな体の上に丁寧にのせられている。


 女はたいそう美しかった。緻密な装飾がなされたオルゴールの上の、陶器の人形のように、完璧な屋敷の中で、完璧な姿形をしていた。

 旅人は彼女の美貌を褒め称えた。女主人はうぶな娘のように頬をおさえた。


「まあ嬉しい。そんな言葉は、もうずっと聞いていなかった気がします」


 もったいない。ここには共に住む人はいないのか。


「一人住まいが気楽ですから」


 こんな森の中では寂しいだろうに。


「ご心配には及びません。お友達が気にかけて、なにかと贈り物をくれますの。ところで、お料理はお口に合いませんでしたかしら」


 食堂に、沈黙が落ちた。


 旅人の前に並べられた皿は、運ばれてきたときと何も変わっていなかった。葉野菜のひとひらも、肉にかかるソースの一滴だって、減っていなかった。


 時計の針が進む音が、不自然に大きく響く。

 未亡人は目を閉じ、真っ赤なワインを一口飲み下してから「それとも」ともう一度口を開いた。


「安酒に慣れたハンターの舌には、上等過ぎる?」


 旅人、と名乗った男が右手をすばやく前方に突き出した。


 発砲音が轟く。


 一度、大きくのけぞった女主人の上体が、反動でテーブルに倒れ伏す。ほどけた髪が、肩と背中を覆い隠した。


「……やったか?」


 隠し持っていた銃を構えたまま、男が口にした問いに、答える声はない。

 しんと静まり返った空間に、やはり時計の進む音だけが響く。


 だが、ハンターと呼ばれた男の、女へと向かう足取りは慎重だった。その手から銃が下ろされることはなく、照準は女の頭へと向けられている。

 男は女のそばへ来ると、片手で亜麻色の髪を掴み、顔を上げさせた。銃弾は確かに額から後頭部まで貫いているが、銃創から血は出ていない。『血が凍っている』という噂は本当だったのだ。そう思いながら頭から手を放し、今度はその手を女の左胸に置いた。


 無音。

 正真正銘、死んでいる。


 ハンターは、ようやく銃を上着の内側のホルダーに戻した。そして、女の骸を両腕で横抱きにする。

 床に置いて首を切り落とし、退治した証として教会に持っていくためだ。


 女の、支えのない首が頭の重みに負けて顔が仰向く。濁りのない緑の目が、また現れた。


 穴が開いた以外、数分前となんら変わりないように見える顔を、身体を、ハンターは改めて見下ろす。

 殺すのは惜しかった。ふと、そんな言葉が頭によぎる。


 女に向けた賞賛の言葉は本音だった。たとえ、そのあとに訊いたことが、女の仲間がいるかどうかの探りだったとしても。

 死んだばかりだからか、もとの白さゆえか、まだ顔色も悪くない。頬も張りがあって、額を隠せば眠っているようにしか見えない。男は眉をひそめた。実年齢は知らないが、見た目は若いし肉付きのいい身体は手に馴染む。つくづく、殺すに惜しい女だった。


 魔女でさえなければ――。



 


 

「なんてね、嘘!」

 

 見つめる先で、つややかな唇が動いた。

 きょろっと動いた目玉と視線が合って、男は動転し、恐怖に駆られて女を床に放り投げようとした。


 その動きが、止まる。

 気づけば、手首と足首に、蜘蛛の巣が幾重にも絡みついていた。光をチラチラと反射する細い糸は、男の四肢とテーブルの脚、部屋の柱、シャンデリアや窓枠を繋いでいる。

 その儚げな繋がりが、まるで鎖のように男の身体の自由を封じていた。


「しまっ……」


 動揺して叫びかけた口が、女の手で塞がれる。軽やかな動きでそれはすぐに離れたが、目を見開いた男の口からはヒューヒューと息の音しか出てこない。


「聞いて。あたしが話してるんだから」


 そう言って、額に穴を開けた女は口元に人差し指を立てて満足げに笑った。声を奪われ、動くこともできなくなった男の首へ両腕を回すと、ゆっくりと脚を床へおろす。


「で、さっきの一緒に住んでる人間はいるのかって話ね! 一人住まいは確かに気楽なんだけど、本当はね、あたし男と一緒に住んでるの! ()とは夏からだから、ええっと、かれこれもう四ヶ月ね。さっき言った友達がね、いえ厳密には友達じゃないんだけど」


 床に降り立ち、乱れた髪を手ぐしで梳いて、額の穴をひと撫でする。指先が通り過ぎると、そこにあった銃痕は跡形もなく消えた。

 魔術だ。ハンターの顔が青ざめて、逃げられない身体が震え始める。

 けれど、かろうじて残されていたその自由も、背後の床を踏みしめる足音に気づいたと同時に、ふ、と止まった。

 いつの間にか、床とテーブルに、血痕が飛び散っている。


「とにかく、()はその友達もどきからの贈り物だったのよ。女の一人住まいは危ないからってね。それがとっても素敵な下僕なの!」


 元通りになった美しい顔に満面の笑みを浮かべて、女は棒立ちのハンターの元へと舞い戻った。

 正確には、その背後に立っていた()()()()の男の元へ。


「ほら、見てみて」


 女のほっそりとした手が、客人の背後に立っていた男の、太い腕を撫でさする。

 

「ゲオルクのこの身体。大きいでしょ? 背が高いでしょ? 手足も長くてしっかりしてて、力も強くてとっても丈夫。力仕事も雑用も、お客様への対応も、なんでも任せられるからもうほんと大助かりで」


 うっとりと自慢げに語りながら、女は自らの肢体をかたわらの男に押しつけた。白い手は男の腕をつたって腹を撫で、腰から腿へと動いては円を描く。

 ゲオルク、と呼ばれた男はされるがままだった。己の身体の上を無遠慮に這いまわる手に何も言わず、眉一つ動かさない。短い黒髪の下の灰色の目にも、何の感情も宿ってはいないように見えた。


 女は最愛の恋人に甘えるような顔で、無感動な男の胸元に頬ずりした。男についた返り血で自分が汚れるのも厭わずに。 


「あたしの下僕になる前はねぇ、とっても強い魔女ハンターだったんですって。もしかして、あなたゲオルクのお友達?」


 小首をかしげ、弾んだ声で問いかけると。


「あら、もうお休みになったのね」


 下僕(ゲオルク)に剣で胸を貫かれた旅人を見て、魔女は愉しげに笑った。

 


 ***



 時は月のない、蒸し暑い夜のことまでさかのぼる。

 教会の聖騎士や魔女ハンターたちから“未亡人”と呼ばれ、恐れられる魔女ディアナの元に、木の棺がひとつ、届けられた夜のことだ。




「……傀儡人形?」

『ええ。持っていないでしょう、ディアナ』

 

 寝室の壁にかけられた鏡に向けたつぶやきに、鏡そのものから返事がかえる。大きな楕円のそれには、寝室の内装でもディアナ自身でもなく、灰色の頭巾の修道女が映っていた。


「持ってはいないけど、別にいらないわ」

『あら、どうして?』

「どうしてって、邪魔だもの」


 魔法の鏡に映る修道女にそう言って、ディアナは足元の木棺を見遣った。さきほど仮面をつけた配達人が運び込んできたものだ。

 ディアナ自身よりずいぶんと大きいそれが、今話している修道女が手配したものだと聞かされて顔を歪ませる。


「屋敷の管理はあたしひとりで充分だし、護衛なんてもってのほか。今さら下僕なんていらないわよ。テレサ、あんたその若さで“第二位の魔女”まで上り詰めたくせに、上位への貢ぎ物のセンスは良くないわね」


 ディアナに面と向かってけなされ、鏡の中のテレサは悲し気に眉を寄せた。


『そんなこと言わないで、ディアナ。これはわたしから“第一位”であるあなたへの贈り物であると同時に、友人の身を案じて用意した“番犬”なのよ』


 そしてさらに、テレサは身を乗り出すようにして、畳み掛ける。

 

『ね、棺の蓋を開けてみて。その男、ハンターだけあって丈夫で強いのよ。きっとあなたも気にいるわ』

「ハンター? あんた、魔女ハンターを傀儡人形にしたの?」


 ハンターという言葉にディアナは目を丸くして、もう一度足元の棺を見た。


 魔女ハンターとは、教会が秘密裏に提示する褒賞を目当てに魔女を襲う、その名の通り魔女専門の狩人のことだ。

 魔女退治は本来、崇高な使命を帯びた聖騎士の役目だった。だが、教会や聖地の守護も務める彼らだけでは手が回らなくなり、今は専門の賞金稼ぎが魔女討伐の主戦力だ。教会が広く流した“討伐優先度”の順位に従って賞金は決められる。必然、彼らが狙うのは高賞金、すなわち高順位の魔女。


 つまりこの棺には、“討伐優先度・第一位の魔女”であるディアナにとっての、天敵が眠っていることになる。

 だがディアナは驚きこそすれ、テレサに向けたその顔には恐怖も警戒も微塵もなかった。


「なんて趣味の悪い。あたし、わざわざ敵をいたぶる趣味はないのよ」


 ディアナの言葉にテレサも肩を竦める。  


『わたしだってそうよ。でもね、このまえ国境近くの戦場に行ったら、聖騎士やハンターがたくさんいたの。教皇の権威が落ちているからかしらね、この頃の教会はいつにもまして魔女狩りに躍起になってるみたい』


 戦場という言葉で、ディアナは鼻に皺を寄せた。


「人間集まるところに魔女ありとはいえ、戦場なんて新人の行くところよ。それを、くさっても“第二位”のあんたが行くなんて、ずいぶん必死じゃない。今の教区の人間はもうみんな狂っちゃった? 正気じゃない人間は魔女を怖がってくれないものね」


 その皮肉に、テレサの細い眉がぴくりと動く。


『誤解しないで、別に兵士を脅かしに行ったんじゃないわ。わたしは使い魔に屍肉をたくさんあげるために戦場を巡ってるの。今いる教会の墓を暴くのも限界があるからね』

「別にいいのよ」

『違うったら』


 魔女の力の源は“恐れられること”だ。だから魔女たちは、狩られるリスクが高まってでも、多くの人間に恐れられるためにその姿を現す。

 戦場は人が多く、冷静さを欠きやすい。大勢の人間からの恐怖を求めて、魔女が集まりやすいのだ。


 だがディアナは、淑女のふりをして宴会に出入りするほうが楽に恐怖を煽れるとわかると、狩り場をそちらに移した。睨んだ通り、“今宵の宴に魔女がくる”という噂が回れば、貴族たちはおおいに震えあがって、ディアナの力の肥やしとなった。


 ――夫を亡くしたという嘘をついたのは、一人で宴会場に潜り込むにあたって、もっともらしい言い訳をしたに過ぎないのだが、年より若く見えるぶんその嘘すらも印象的だったらしい。宴会場に雇われたハンターを返り討ちにする頃には、“未亡人ディアナ”と呼ばれるようになっていた。


 未婚の身で定着した二つ名に思うところはなくもないが、名前が売れたというのは魔女として喜ばしいことである。これで、わざわざ人前に赴かなくても、噂に尾ひれがついて恐怖が絶え間なくはびこるからだ。

 だから、ディアナは森の奥に用意した屋敷に引きこもった。ときおり、命知らずのハンターを返り討ちにして噂を補強してやりながら。


 そしてディアナは、今や護身としては最強の、そして討伐者にとってはこれまた恐怖を煽る魔術を会得している。もはや並大抵のハンターや聖騎士では、ディアナを討ち取ることなど到底できないだろうところまできた。


 ――その自分に、番犬?


『用心するに越したことはないわ、ディアナ。いくら()()の魔女と言われていても、ハンターたちは血眼で高額賞金の獲物を狙ってくるのだから』


 【不死】。

 誰にも殺せない。それが、“未亡人ディアナ”なのである。


 そんなわけで、心配そうに眉をひそめる修道女に、貴婦人は左手の指輪を磨くようにこすりながら片眉を上げた。


「あんた、戦場でよほど怖い思いをしたようね。不死の一人だった“背教者テレサ”の()()は、もう破られたのかしら?」

『真面目に聞いてディアナ。これは忠告よ。いまにハンターたちがぞくぞくあなたの屋敷へやって来る。そのときに、番犬一匹いるかいないかじゃ全然違う。それが“元最強ハンター”なら、なおさらね』

「最強? ずいぶん大きく出たわね」

『彼、有名なハンターなのよ。ほかの賞金が高い魔女もかなりやられたの。わたしだって捕まえるのに、なかなか手こずったわ』


 素直に苦戦を認める後輩の言葉を、ディアナはすこし意外に思った。テレサが言うなら、本当に手強いハンターだったに違いない。

 ――確かに、屋敷に来た襲撃者たちからしたら、頼もしいはずの身内がすでに敵の手に落ちているというのはそれだけでも恐ろしいだろう、が。


「じゃあテレサが使いなさいよ」

『わたしはしばらく平気だもの。戦場で若い聖騎士を一人、生かして逃がしたの。とっても怖がっていたから、きっと仲間内でわたしのことを悪魔そのもののように吹聴してくれるわ』


 険しい顔から一転してうふふ、と忍び笑いを漏らす様子は、清らかな修道女そのもの。テレサは微笑んだまま、諭すように語りかける。

 

『ねぇ、傀儡人形の話に戻すけど。せっかくの機会だと思って、少し使ってみてくれないかしら。あなたのために作ったのだし。――それに、一緒に暮らすって言ってもどうせ一瞬よ。わたしたち、この先ほとんどの時間をたったひとりで生きていくしかないんだから』


 その言葉を最後に、鏡面が波立つように揺れて、修道女の姿が消える。

 静かになった寝室で、ディアナは足先で棺の蓋をこつんと蹴ってみた。

 蓋には、“ゲオルク・シャウアー”と名前が刻まれている。


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