8話 眠り姫
初めての連載作品です。
出血などの描写が今後出てきます。
自傷の描写も今後出てくるので、15歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。
気が付けば、中間考査も終わり、期末考査も目前、梅雨明けしてしまうほどに時が過ぎていた。
「安請け合い、だったかな」
休みのない日々に対し、疲れが溜まりこみ、テーブルに突っ伏す瑞月に対し、時雨はキャラメルマキアートを一口飲んで、思案する。
何が、とは聞かないあたり、瑞月の気持ちくらい察しているようだ。
「今からでも、降りるか」
「どうしてそんな、意地悪言うの」
期末考査前の、とある放課後。少しばかり大きく、素早く、手強い魔獣を倒し、小腹が空いた二人は、カフェに立ち寄り、オープンテラスで休息していた。
時雨はアイスキャラメルマキアート、瑞月は季節限定の青りんごのフラペチーノを注文し、乾いた身体に糖分と水分を補給していた。長く続いた梅雨明けのジワリと暑い日差しの中で、戦った後にぴったりのひんやりとした味わいだ。
ドリンクは美味しいが、休みなく働き続け、高校生としての義務も果たし続ける日々は美味しくない。
ちょっと、ストレス食いに走り、ニキビができやすかったり、なんとなく、胸や尻に余計な脂肪がついているような気がして、瑞月は尚落ち込む。
唯一の救いは、法月が気を利かせているのか、たまたま家の距離が近いからか、任務招集が掛かったとき、高い確率で時雨が監視役として呼ばれることだ。お陰で今日も、こうしてちょっとしたデートみたいなことになっている。
役得なのだから、手放したくないし、そもそも、任務自体を放棄するつもりはサラサラない。
だから、そんな簡単に「降りたら良い」なんて言わないでほしい。
ムスリと不貞腐れた顔を見せる瑞月に、時雨はかすかに笑みをみせた。
「冗談だ。テストや任務に追われるのは、確かに俺もしんどい」
俺もちょっと大変だという時雨に、瑞月は顔を上げてニヤリと笑った。
「不知火くんもなんだ。そういえば、不知火くんは、部活もやってたりするの?」
「いや、この状況でそれは難しい。魔法絡みの件が無くても、帰宅部のつもりだったし」
時雨は元々、中学時代、ピアノを弾いていた。コンクールを皆で見に行って、時雨がいない中でコンクール会場に現れた魔人を倒したこともあった。その時の時雨はコンクールでかなり良い成績を出したはずだ。
今、身に纏っている制服も、有名な音大附属高校のものだ。音楽科なら、部活をやっていなくても不思議ではない。
――このまま、音楽の道を進むつもりなのかな。
「そういえば、不知火くんは、将来ってもう大体決めてるの?やっぱりピアニストとか?」
素朴な疑問だったが、すぐの返答がない。
想定した以上に返事がないまま時が過ぎ、夏の静寂が辺りに響く時間が続いた。
じっとりと、背中に嫌な汗が流れていく。
「……まだ、なんとも。ピアニストになれるのはごく一部。ピアノ教師という柄でもないし」
ようやく口を開いた時雨だったが、言葉にはどうにも棘があった。
中学生の頃は、静かに、けれど淡々と「ピアニストになる」と宣言していたはずだ。
素人耳にも、時雨の演奏は素晴らしいと思っていた。周囲の大人達の反応だって悪くなかった。瑞月が見ていても、大人達が時雨に期待しているのは明らかだった。それに応えようと必死に努力している時雨が、少しだけ心配だったことを、今でも覚えている。ただ、その心配を一度だけ伝えたら、時雨は優しい目をして言っていた。
『期待に応えたいというのは確かにそうだ。けど、それだけじゃなくて。ピアノを弾いていない生活ってのが、考えられない。誰かの演奏や、世界の喧騒を聴いていると、自分で表現したくて、溜まらなくなる。ピアニストになるって、そういう、俺の衝動の行き着く先なんじゃないかと思ってる』
一度だけ語ってくれた、彼の夢の話だ。
その言葉が、時雨の表情が、ずっと忘れられないでいた。
だからこそ、生きることは弾くことと言っていた彼からは想像もできないシビアな言葉に、瑞月は驚きと同時に、時の流れを感じざるを得なかった。
――会わないうちに、少し、変わったな。
「そう、なんだ。そんな簡単に決められないよね、色々と」
返す言葉がみつからなくて、濁してしまう。
溶けたフラペチーノが、容器の中で自然に崩れていく様を眺める。
「そういう観羽根はどうなんだ、将来のこと」
「私は、本当に分からない。勉強してみて、全教科どれも同じくらい大変だし、文系か理系かも決められないし。
ちゃんと稼ぐことのできる職業に就きたいってこと以外は、何も決められてないかな」
そもそも、半分人間ではない自分が、真っ当な職に就くことを許可されるのか。それすらも実際不透明なのだ。
瑞月にできるのは、選択肢を示された時に、少しでも自分の意志が介在できるように、良い成績を取ること、悪事をしないこと、ただそれだけだった。
人間社会でまともな生活を送ることを、今後も本当に許されるのかも分からない。普通の暮らしを送ることを許してもらえる人生になるのか、それすらも分からない。
お互い、将来に対する漠然とした不安だけがある。
フラペチーノとその上に載っていた溶けにくいホイップクリームをストローでぐちゃぐちゃと混ぜてみる。
水と油なので、うまく馴染んでくれないが、飲みやすくなった。
ずずずと吸ってみると、砕かれたりんごのコンポートだけがうまく吸えない。
「高校一年生で、将来のことなんて、そんな、決められないよ。誰しもがさ」
コンポートを吸うのを一旦止めて、独り言にも似た言葉を瑞月は呟く。
「そして、『悩み苦しむ』ことは俺たち青少年の特権でもある」
コンポートに悪戦苦闘する瑞月を見て、時雨は唇の端を少し上げる。
――その笑顔、反則。
あまり笑わない、無愛想な表情が好きなのだが、時たま魅せる、なんてこと無い笑顔が、瑞月には堪らなく愛おしい。
――夏の魔物。
決して口には出さないけれど、会う度に、一段、一段好きになっていく。
ちょっと寡黙で、無愛想で、それでいて優しい。この男に、毎回毎回惚れてしまう。
瑞月が、今も魔法少女として戦っているのも、性懲りもなくこの世界へ馴染もうと努力しているのも、色々理由をつけてみても、結局全部この男のせいなのかもしれない。普通になりたいのも、魔法少女として戦うのも、真逆なようでいて本質は同じだったのかもしれない。会えなかった1年、忘れようとした1年。だけど、再会してみれば、普通になって普通の女の子として見て欲しかったのだと自覚してしまったし、だからこそそばにいたくて魔法少女に復帰した。
将来だけじゃない。今の瑞月の時雨への想いも、思い悩むことは若者の特権なのだろう。
「私たちの特権かあ」
日陰から覗いて見上げる空は青く眩しい。
猫のように身体を伸ばしてから、フラペチーノを最後まで飲み干す。
コンポートは諦めた。
休憩を終えて、少し日も落ちてきた頃、帰宅のため二人並んで駅まで歩いていると、ふと、駅前の広場にポツンと置かれたピアノが目に入った。
ペンキでカラフルに彩られ、元の黒色が分からなくなっているアップライトピアノだ。
『どなたもどうかお弾きください。決してご遠慮はいりません』
小さな看板に、猫のイラストと共に、そんなメッセージが書かれている。
「気づかなかった。ストリートピアノ、この街にもあったんだね」
最近流行っているというストリートピアノ。ふらふらと人が吸い込まれていって、思い思いに弾いていく。拙い演奏も、技巧的なセミプロの演奏もある。皆が自由に、思うままに、思いの丈を響かせる場所だ。
チラリと時雨を見る。
瑞月の言葉より先に、時雨もピアノは目に入っていたようだが、じっとピアノを見据え、こちらを見ようとしない。
夕暮れに、時雨の顔が陰ってよく見えない。
ただただ、ピアノを見つめ、口を閉ざしていた。
ドビュッシーが好きだと、時雨は言っていた。
技巧的な曲を弾く時の、緊張感のある真剣な眼差しも、哀愁ある曲を奏でる時の艶やかで気持ちが溢れ出てくるような音の粒、そして僅かに悩ましげな表情も、全部好きだ。
何度か、時雨の家を訪ねた時に見せてくれた演奏は、全部覚えている。コンクールの演奏に、顔が熱くなって、耳がジンとして、呼吸を忘れたことを覚えている。
本当は、また彼の演奏が聴きたい。
無愛想な時雨の、本当の気持ちが聴きたい。
けれど、弾いてほしいとは、どうしても言えなかった。
瑞月と、時雨と、ピアノの影がジワリと伸びて、橙色の光が当たりを照らしていた。
言葉少なに、時雨と別れ、家で漠然とした自己嫌悪に陥っていた夜。
ベッドの上でモダモダしていた瑞月の携帯電話に、一通、連絡が来た。
『瑞月。起きてる?夜で申し訳ないけど、直ぐに来てほしい』
そんなメッセージとともに、来るべき場所の住所が書かれている。
法月からだった。
要件が書かれていないのは、慌てているからか、あるいは書くことができない内容だからか。
電話でもなく、メッセージというところから、恐らく複数人と連絡を取っているのだろう。
仄かに焦りを感じ、瑞月は手早くショートパンツとパーカーに着替え、家を飛び出した。
指定された場所は、魔法公社のビルではなく、何度か来たことのある病院だった。
魔法公社の息のかかった病院で、負傷した特務隊や魔法少女達、そして時には精霊の治療も秘密裏に行われている。
魔人の血を引き、特殊な生命体認定されている瑞月も当然、ここで検査や治療を受けた。
夜の病院で、正面玄関は閉まり、時間外入り口からそっと入る。魔法公社の人間であることを証明するパスカードを警備員に見せると、誰と伝えることもなく、行くべき病室まで教えてもらった。
静かな廊下に、コツコツと自分の靴音だけが響く。
指定された病棟までたどり着く。
真夜中なのに薄っすらと灯りが灯っている。
自動扉には、大きく『ICU(集中治療室)』と太字で書かれている。
僅かに歩き回る人の音と、気配が中から感じられる。
真夜中なのに、ザワザワと人が動いている感覚に、そして、照らされた『ICU』の文字に、瑞月は背中が冷たくなるのを感じた。
僅かに震える手を、一度ギュッと握って、それから意を決して脇にあるインターホンを押す。
「はい、どちら様でしょうか?」
女性の声がする。
「観羽根と言います」
「……あ、わかりました。少しお待ち下さい」
プツンとインターホンからの音が切れる。
それほど間を置かず、自動扉の内側から法月が出てきた。
「瑞月、ありがとう」
暗い廊下に立つと、ICUの光が逆行になって表情が見えにくい。けれど、法月は少しだけ疲れているように見えた。ありがとうの言葉にも、安堵と疲労が感じられる。
「法月さん、何が……」
「……中に入って話をしよう」
そしてそっと背中を押されて、中に入るように促される。
中に入ると、ズラリと大きな空間がいくつか並んでいる。
区分けされたような空間の前は廊下のような広い空間で繋がっており、パソコンや器具を持った看護師と思われる人々が、区分けされた空間と廊下のような空間を出たり入ったりしていた。
心拍を示す機械音があちこちから聞こえる。
プシューッと空気が入ったり出たりする音が混ざる。
夜中だけれど、人の囁く声が静かなざわめきを作り出していた。
見慣れない光景に、ソワソワしてしまう。
そんな瑞月の気持ちをよそに、法月は、瑞月を区分けされた空間の一画に連れて行った。
カーテンで中が見えないようになっており、少しだけ開けて中へ通される。
そこにはヘリー、碧斗、依子、時雨が集まっていた。他には、医者と思われる白衣を着た女性が一人、機器を触ったりしている看護師と思われる女性が二人。
病院から最も遠い距離に住まう瑞月が最後だったようだ。
全員の顔が暗い。
集まった面々は、瑞月を一瞥した後、視線を元に戻し、ベッドに横たわる人物を不安そうに見つめた。
逸る気持ちを抑えながら、そっとベッドに近づく。
点滴やモニターに繋がれた少女が、眠っている。
口には管が入り、頭には大きくガーゼが充てがわれている。
僅かな胸郭の動き以外に、四肢一つ、眉一つ、動かない。
「萌音?」
瑞月はゆっくりとベッドに近づき、膝をついて萌音の手をぎゅっと握ってみるが、反応はない。ふと見ると、足元に薄く輝く魔法陣が大きく描かれていた。
誰も口を開かず、モニターから発せられる規則正しい音と、人工呼吸器の動く音だけが、あたりに響いている。
瑞月の様子をみていた依子から、嗚咽にも似た、苦しそうなため息が聞こえる。
「萌音は、一体どうなってるの」
説明が必要だった。
瑞月は法月を見て尋ねた。
「頭に強い衝撃を受けて、倒れたのよ」
法月が瑞月から萌音に視線を逸らした。
「何それ。萌音が、魔法少女が、そんな事で、簡単にこんな状態になるの?」
「我々もこの事態はあまり経験がありません」
震える瑞月の声に応えたのは、白衣を着た若い女性だった。
以前にも見たことがあり、瑞月も診察を受けたことがある。元魔法少女の女医で、精霊たちと共に負傷した魔法青少年の治療を行なっている魔法医の一人だ。
「分かっている事は、その衝撃が、とても強力な魔力によって引き起こされたものだと言うこと。頭部に大きな損傷が加わっていて、皮膚も何針か縫いました。
頭蓋内の損傷に目立つものはないですが、病院に運び込まれてから呼吸状態が不安定になって、一時間ほど前に挿管し、鎮静しています。
萌音さんほど強力な魔法少女であれば、半自動的に魔法障壁が展開されますから、単なる事故や傷害でこんな事にはなりません。
精霊医と私の方で検査をして、頭部の外傷が魔力で引き起こされたものだと言うところまでわかったのがほんの少し前のことです。
それから、今、全身をめぐる魔力が急激に減少していて、どうやら頭蓋内、つまり脳の保護に全て使っているようです。魔法青少年たちに備わる自動保護プログラムみたいなものです。存在自体は認知されていましたが、ここまで局所的に働いている保護機能は例がありません。
恐らく、頭部への外部からの魔力衝撃に対して反射的に発動したのだと思われます。
そして保護機能が急激に発動、ポジティブフィードバックを起こし、脳が過鎮静を起こし、呼吸機能まで停止してしまった。という見解です」
スラスラと出てくる言葉に、瑞月は言葉を失った。萌音が危機的状況にあることも信じられないし、自分たちに自動保護機能があったことも知らなかった。
他の皆は先に聞かされているのか、悔しそうに顔を歪めている。
「過去にこういった事例は……?治す方法はわかってるの?」
聞きたいことが山ほどあったが、まず何より萌音の状態と改善する見込みがあるのか気になった。
「前例も類例もありません。治す方法も当然わからない。精霊側でも調査中ですが、今の所、色よい報告は届いていません」
押し黙ったままの仲間と対照的に、努めて淡々と、冷静に、女医は瑞月の質問に答えた。
女医は続けた。
「魔法青少年の自動保護機能は本来、敵からの強力な一撃に対し、身体強化を自動的に行うものです。それがこんなに長期間に渡って作用した例はありません。普通はほとんど一瞬だけです。敵の魔力が傷口から侵入したり、衝撃波として受けたりしても、魔力で脳が過剰に保護されて、呼吸停止に至った例はこれまで確認されたことがありませんでした」
「そしてその原因は分からないし、治療法も不明と……」
状況を飲み込むために発した瑞月の言葉に、女医は小さく頷いた。
現状は、死んでいない事以外最悪だ。
それを理解しているのか、全員の表情は固い。
そんな彼らを見ながら、瑞月はふと思う。
疑問、困惑、不安、悲しみ。辛いは辛い。
けれど、そういった気持ちを、俯瞰でみている自分がいる。
感情に飲まれる事なく冷静に状況を把握し、なんとかしなくてはいけないという思いが前に出ている。
その気持ちの冷たさが、同時に嫌になった。
――みんなと同じ気持ちになれないのは、私が魔人だからかもしれない。
「私達にできることは?」
けれど、冷静だからこそ、絶望するだけで、立ち尽くすだけで、何もしないという選択肢は瑞月になかった。
この問いに法月が口を開いた。
「原因が不明である以上、すべての可能性を探りたい。恐らく魔力による攻撃が今の状況の原因と考えられる。そうなると異界側の策略も検討しなくてはならない。君たちには、異界側の動きを注視してほしい。萌音を救う手がかりも見つかるかもしれない。そうでなくとも、君達の中で最も強い萌音がこの状態なんだ。一般人に被害が及べば大変なことになる。それを肝に銘じてくれ。魔人を探して行動する時は、必ず二人以上で頼む」
法月が組んでいた腕を力強く握り締めた。
できるだけ毎日連載の予定です。
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