5話 公社
初めての連載作品です。
出血などの描写が今後出てきます。
自傷の描写も今後出てくるので、15歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。
数日後のある夜、時雨から連絡が来た。同時に、公社からも電話があった。
内容は共通して『公社で課長と面談することになった』である。
課長とはすなわち、瑞月の保護者であり、魔法公社魔法青少年保護管理課課長のことだ。
休日の土曜日指定とは、休みなく働かされている公社職員の苦労が偲ばれる。
それはそれとして、面倒な話なのは間違いなく、瑞月の心は重くなった。が、時雨からは業務連絡に一言だけ追加があった。
『俺も行く』
このメッセージだけで、瑞月はテンションが上がりっぱなしになり、部屋で一人小躍りしてしまう。
ひとしきり喜びの舞を舞った後、精神を統一し、土曜日の服選びを始めた。
土曜日の朝、戦いは昨晩から始まっており、夜だけでも、香りの強い調味料を抜いた食事を摂り、お風呂にしっかり浸かり、スクラブ洗顔、お高めヘアパック、ムダ毛処理、ボディクリームでの保湿、全身の浮腫み取りマッサージ、とっておきのフェイシャルパック、リップパックと工程を大幅追加した。朝も朝で、高校生らしさを失わない程度に薄く日焼け止め下地、ファンデを顔に塗り、時間をかけて薄く薄くルースパウダーをはたき、わざとらしくない程度にアイシャドウを入れ、まつ毛はビューラーでがっつり上げた後に透明マスカラで盛り、眉が整っていることを確認し、落ちにくいと評判の血色がよく見えるリップスティックを丁寧に塗った。くせ毛がナチュラルに見えるように、丁寧に梳かし、片側だけ編み込む。選んでおいた服は、あくまで公社に呼ばれたという前提が崩れないような真面目風のデザインでありながら、腰のラインを絞ってスタイルを際立たせるタイプのネイビーカラーのワンピース。その上に、春らしいライトグレーの薄手のトレンチコートを羽織り、ベルト付きのネイビーのパンプスを履いた。
――合格点は出していいんじゃないかな。
自分の仕上がりに、GOサインを出しながら、安かった淡いブルーグレーのスクエアバッグに貴重品を入れると、瑞月はウキウキ気分で出かけて行った。
が、公社に向かいながら、本日のメインは時雨との再会ではなく、課長との話し合いだったと思い出し、やはり気が重くなる。
最悪、今の生活を辞めて、軟禁されるかもしれない。良くて魔法少女として働けと命令されはするだろう。いずれにしても普通とは程遠い。
最初は命令、というか自分の生活基盤を保証するために、普通でいることを強いられ、強いてきた。けれど、最近は、それが永劫に続くことを望んで、普通でい続けることが幸福なのだと感じるようになっていた。
普通から逸れてきた今を、どう感じれば良いのか、瑞月には分からなかった。
鬱々としながら、普段は近づくことすらしないような地区へと瑞月は歩を進める。
オフィスビル群の一角に、MAGIのオブジェが建っている。確か、新宿やニューヨークにあるLOVEのオブジェもこんな風だったが、堂々と「MAGI」の文字があってもよいのだろうか。一応、公社は秘密裏の組織であり、表向きは、普通の広告代理店か何かだったはずだ。
そのMAGIのオブジェを過ぎると、公社のビルが屹立している。他のオフィスビルとの差異がまるで分からない、ありふれた、しかし高級そうなガラス張りのオフィスビルだ。
このビルに入ること自体、魔法的な障壁を超える魔力が必要、あるいは誰かの手引きが必要であり、障壁を超えた瞬間、外から見えていたのとは若干異なる世界が広がっていた。
精霊の技術、そして内部働く人々の余剰魔力によって動くオブジェや画面がエントランスのあちこちにあり、太陽の光と相まってきらきらとまぶしい。未来の宇宙ステーションを思わせるような、それでいて某英国の魔法学校を思わせるような独特な空間を抜け、エレベーターに乗り、指定された階のボタンを押す。
ビル全体が魔法公社であり、各フロアごとに各部門が配置されているというが、瑞月は今のところ、魔法青少年保護管理課以外に足を踏み入れたことはない。メインはこの課だそうだが、魔法青少年のサポート部門がいくつもある。
いつものように「魔法青少年保護管理課」とプレートの貼られた場所までたどり着き、水の流れるオシャレな自動ドアが開く。
中では、ずらりと並んだオフィステーブルに書類が山と積まれ、床には魔剤がところどころに落ちており、何人かがそこで転がっている有様だ。残念ながら、これはいつもと変わらない。
これまでの道のりはおしゃれな魔法の建物感があったが、ここは全く別の意味で非現実的な部屋だった。それは高校生にとっては、という注釈がつき、社会人からしてみると馴染み深い光景なのだろう。推測だが。
数度しか訪れたことがない、この異様な光景に、微妙な感情を抱きながら、課長の席までたどり着く。
「しばらくぶりです、法月さん」
そこで死んだように突っ伏して眠っている法月葉子課長に声をかけた。
声をかけられて、びくっと震えた後、法月はむくりと起き上がり、そばにあった眼鏡をかけ、寝起きの険しい顔で瑞月を見つめた。深紅よりも更に深く赤いロングヘアと同色の瞳。寝起きでだらしなさこそあるが、とつてもない美人だ。
「瑞月か。おはよう。ちょっと待って」
法月は白いブラウスからあふれ出そうなほどの豊満な胸を揺らし、椅子にもたれかかり、テーブルに無造作に置かれていたマグカップを手に取る。別の手でカップを一撫ですると、瞬間的に中のコーヒーに湯気が立つ。魔力で温め直したようだ。彼女も元魔法少女であり、今は精霊と契約し、ちょっとした魔力操作ができる程度には魔法が使えると聞いている。
机の上の時計を確認しながら、適温に温められたコーヒーを一息に飲み、満足そうに法月は笑う。
「応接室で話そう。時雨もすぐ来る」
課長のデスクの後ろにある扉を示され、瑞月は素直に中に入って待った。
ソファで座って待っていると、メイド姿の女性が入ってきて、アフタヌーンティーの準備を始める。
――いや、まだ午前中なんだけど。
女性型の精霊にメイドの恰好――しかも、正統派の英國風のお仕着せである――をさせて、給仕させるあたりが、優秀だが横暴な彼女の趣味なのは、瑞月もよく知るところである。
サンドイッチやスコーン、アップルパイ、良い香りのする紅茶が応接室のテーブルに準備されたところで、先ほどよりもしゃっきりして仕事モードになった法月が入ってきた。後ろには時雨もいる。
「お待たせ瑞月。お昼ご飯はまだだろう?少し早いがランチにしようじゃないか」
――いやこれ、アフタヌーンティーですけど。
という心の突込みは胸に閉まっておく。
甘いスコーンやサンドイッチはブランチとしては手ごろなのだろう。
若干小腹が空いていた瑞月は、頷いて、精霊に料理をよそってもらう。
「時雨くんも、おはよう」
「ああ。少し遅れたか」
「ううん。全然。私もさっき来たところ」
時雨に挨拶すると、時雨は瑞月の隣に、法月は二人と向かい合う場所に座った。
精霊は、二人にも食事を取り分け、紅茶を用意すると部屋から下がっていった。
法月が「いただきます」と食べ始めたことで、しばらく、食事の時間となった。
スコーンにクロテッドクリームとジャムをたっぷり塗って、かぶりつきながら、法月は二人に問いかける。
「時雨。先の戦闘はご苦労様。他の戦闘員が間に合わなかった中で、よく持ちこたえてくれた。
瑞月、時雨を助けてくれてありがとう。偶然とはいえ、君がいなければ、時雨は重傷を負っていただろう。
だが、君。魔法少女になるために、魔人の力を使ったな。これが非常に繊細な問題だということは、理解しているか?」
予想通りの質問だ。
「はい。とても難しい問題を起こしてしまったと自覚はしています。でも、あれ以外に方法はなかったと思います。
実際、戦闘終了後も、公社の人たちがやってくる気配はありませんでした。間に合っていないというレベルではなかったです。あの場で私が戦う選択をしなければ、不知火くんは大怪我を負っていたかもしれません」
精霊の強力な加護があった、中学時代の魔法青少年の頃とは違い、数日前の戦闘では時雨からはそういった加護が感じられなかった。
あの時は無我夢中で、そういえばそうだったと感じる程度ではあったが、あの加護の有無は生存率に大きく影響する。
その加護が無い、そんな危険な任務に、単独で向かわせるなど、未成年に強いていいことではない。
「加護も、他の戦闘員の準備も間に合わない中で、時雨を戦闘に向かわせたことは、確かにこちらの失態だ。
だが、再契約のために、色々と融通してくれる強力な精霊は一握りだし、精霊が傍にいなくては加護は発動しない」
「それは承知しています。ならばこそ、他の戦闘員を早急に派遣すべきだったのではないですか?
魔法青少年だって、有限ですよ。
怪我での離脱は痛手になります」
瑞月の非難する強い言葉に、法月は渋い顔になる。
「同時多発的に魔獣が出現したのもあるし、そもそもすぐに動ける魔法青少年は少ないんだ。
知ってるだろう?」
引退した魔法青少年たちは、元々持っていた魔力感知、操作の能力を残して、変身能力を含めた魔力や魔法能力を精霊に力を返還する。魔法による犯罪防止のためだ。
そして現在、一大勢力として侵攻している異界の魔人たちとは、現役世代の中学生魔法青少年が日夜戦っており、それとは別口の話として起こっている魔獣襲撃案件だからこそ、こんな異例の再契約なのだろう。
再契約がこれまでなかった訳ではないが、長期間に渡っての再任用はあまり例がない。
それ程までに現状は特殊という訳だ。
「この状況は今後常態化してくる可能性もあるし、花粉の飛散量が多い年、積雪が異常に多い年、台風がやたらとやってくる年のように、偶々今回そうなっただけの可能性もある。だからこそ、原因究明のために、そして何より人的被害を出さないために、こちらも少ない人数をなんとか回している状態なんだ。理解してほしい」
「今までだって、ハグレ魔獣は偶に出現していたじゃないですか」
「そういうのは特務課に詰めてる精霊が、特務の連中と一時的に組んで討伐していた」
「今回は?今回だってそうすれば……」
「魔獣の質が段違いだ。やはり成人の感情エネルギーから精製される魔力と思春期の青少年から精製される魔力では、差がありすぎる。今、我々が手を焼いている魔獣どもは、魔人によって調教されたのと遜色ない強さの魔獣だ。一時契約した成人魔法使いが太刀打ちできるような代物ではない。
特務課も、必死に戦闘データの解析や、原因究明に当たっているが、相手に殺されるようでは話が進まん。高校生達にお鉢が回ってきたのは必然だ」
「殺される……?」
「特務課では死者も出ている」
淡々と告げられた言葉に、冷や水を浴びせられた気分になった。
異界との戦いは際限がないが、魔法青少年達にこれまで死者が出たことはなかった。だから、どこかそういうのは遠い話だと思っていた。勿論、戦いの中で魔人たちは消滅しているし、実際、父は死んだ。けれど、今回の件で初めて人間側に死者が出た。それはつまり、今後もその可能性があるということだ。
瑞月は隣に座る時雨を見た。
現実を受け入れた淡々とした表情の時雨は、瑞月と視線を合わせず、法月の方を見ていた。
「不知火くんは死者が出ていると知って尚、戦うことを選んだの……?」
「俺の力が必要だと言われたからな」
当然のように時雨は答えた。
確かに、自分だって同じ選択をしたと思う。時雨が前と変わらず誰かを守るための選択をし続けているのなら、当然、戦うことを選んだはずだ。
それでもただ一点、瑞月にとって大切な、失いたくない人が、死んでしまうかもしれない戦場に赴くことが、何より耐え難い。既に戦いを始めている今でも、できることならやめてほしいと叫びたくなる。
けれどそれは自分の大いなる我儘で、誰も望む答えではないのだ。
悲痛な気持ちを胸に秘めて、瑞月は前を向いた。
「ならせめて、私にも声をかけてほしかったです。
それが、微妙な問題を孕むことになったとしても。
隠されて、こんな風に偶然戦うことになるくらいなら、ちゃんと説明が欲しかった」
瑞月の恨むような声音に、法月はじっと彼女をみつめた。
物足りないのか、アップルパイをティースタンドから素手で掴み、囓って咀嚼しながら、法月は瑞月に理由を説明する。
「君は残念ながら、今も微妙な立場にある。
私や時雨を含めた君の仲間は、君のことを信頼しているが、魔人のハーフという事実は君に一生ついて回る原罪だ。君の親父殿を悪く言うつもりはないが、それでも魔人はほとんどの例外無く悪だ。そして君は敵として戦っていた過去まである。監視がつくことこそあれ、魔法少女として強大な力を与えるなんてことは上層部も容認できなかろう。
私としては、瑞月にも戦ってほしいと思ってはいたんだ。君は冷静な上に優秀だからね。萌音は強いが突っ走りやすいし、他の二人も暴走しがちだからな。今も、こういう状況なので、仕方なく単独行動を依頼すると、問題を起こして帰ってくることが多いんだ。萌音が絡んでいなくても、勝手に結びつけて大暴走するというか……」
二人の熱狂ぶりを思い返しているのか、法月は遠い目をしている。
他の仲間3人のうち、リーダー的存在だった萌音以外の二人は、萌音にかなり強い感情を抱いていて、萌音の事となると派手に暴走し、精霊も手を焼きがちなところがあった。
使い勝手でいえば、時雨、そして瑞月あたりが再契約の候補となったであろう。
それでも、問題児たちと優先的に再契約を行ったことは、瑞月への信頼のなさ、というより半魔人としての潜在的な脅威への恐怖が上層部にあったということを示している。
「私みたいな化け物もどきは使いたくないということですか」
「得体の知れないものを人は恐怖する。謎の多い魔人の血をもつ君を、主戦力とするのは、魔人と戦うために精霊界からわざわざやってくるような精霊クラスの豪胆さがないと無理だよ。公社の精霊は君との契約自体に抵抗感はないが、上層部の人間が畏れている以上、公社の方針に従うだろう」
だが、と法月は言葉を区切った。
「君はすでに巻き込まれただけでなく、戦ってその有用性を示して見せた。猫の手も借りたい現状、君も仲間に加わってほしい。上層部からも許可は取り付けてある」
ニヤリと笑う法月に、瑞月は緊張を解いた。
「そういうことは、結論から言ってもらえると助かります」
「君の緊張した顔なんて、中々見る機会もないからね。ついね。
実際、君の存在自体はイレギュラーで、慎重対応なことは、今後も変わらない。
任務依頼の際、単独行動はご法度。必ず誰かが傍につく。それは理解してもらいたい」
「それくらいは理解しています」
表情を引き締める瑞月に、法月は満足そうに笑った。
「ならばよし。じゃあ早速、精霊と契約にいこうじゃないか」
「え、でも。私、変身できましたけど」
「あれは偶然と君の力の産物だ。時雨の持っていた精霊の魔力が籠もっていた槍から、魔力を無理やり吸収して、不足分を自分の魔力で補うことで変身したにすぎん。何の媒介もなしにまた変身できると思うのか?」
言われれば、その通りだ。
「それも、そうですね」
ではいこう。と食べかけのアップルパイを一飲みし、法月は席を立つ。
慌てて、瑞月も続く。二人の後ろから時雨も随伴し、三人は管理課を後にした。
できるだけ毎日連載の予定です。
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