2話 時雨
初めての連載作品です。
出血などの描写が今後出てきます。
自傷の描写も今後出てくるので、15歳未満の方は閲覧をご遠慮ください。
あっけにとられていると、青年はわずかに顔をしかめた。
驚きのあまり、声も出せないでいると、ゆっくりとその瞼が開かれる。
変わらない深紅の瞳が、虚ろに世界を捉えた。
瞬き数回で、意識がはっきりしたのか、青年はガバッと地面に手をついて起き上がる。
目線が、瑞月のそれとぶつかる。
「えっ」
瑞月を認識したのか、青年から驚きの声が上がる。
しばしの沈黙の後、青年が呟く。
「観羽根か?」
「う、うん。久しぶりだね、不知火くん」
共に過ごしてきた日々の中でも、無かった程に顔が近い。
精悍な顔つきは、知っている記憶よりやや大人びて見えたが、あの頃と変わらず、凛々しい。
そんな凛々しさの中で、儚い雰囲気を纏っていた彼は、幻想の世界の住人なんじゃないかと、いつも思っていた。異界とも、精霊界とも違う、どこでもない、幻の世界の、幻の人。
――相変わらず、顔が良い。
恥ずかしさとか、顔の近さが気にならないほどに、見惚れていると、どういう態勢なのか自覚したらしい彼は、勢いよく瑞月から離れた。
「すまない」
あまり見たことのない慌てぶりに、瑞月も上擦った声になる。
「だいじょうぶ」
そのままお互いに、かける言葉を見失ってしまう。
――不知火時雨くん。
かつて共に闘って、そして戦いの終結のあと、もう会わないと誓って、別れを告げた相手の一人。
そんな彼が、あの時と同じ――本来、精霊との契約解除で失ったはずの――魔法防御服を身に纏っている。
記憶が正しければ、いささかマイナーチェンジしている。
袴と袖の長い着物風の防御服は、ところどころに黒い生地が追加され、一部には赤い刺繍も施されている。以前、共に戦っていた頃は、ほとんど白一色で縁だけが黒い防御服という非常にシンプルな装いだった事を考えると、かなり洒落たデザインへの変更だ。
一瞬でその差異を把握できてしまう、自分の気持ち悪さなど気にせず、反射的に時雨の姿を記憶に焼き付けようとする。
さっきまで、忘れようとしていたことなど、どこへやら、だ。
――新コスチュームだ。かっこいい。
髪の毛一本たりとも余さず記憶してやるという気概で、じっと時雨をみつめていると、時雨は困ったように、しかし意を決したのか、口を開いた。
「観羽根は……こんな時間に、いったい何を……?」
「あ、えーっと、勉強の息抜きに、散歩してた」
「こんな時間に?女子の夜の一人歩きは感心しないな。
家族は何もいわな……いや、すまない」
母が幼いころに病死していることも、父が先の戦いで戦死していることも、時雨は知っている。
一人暮らしかどうかまでは知らないだろうが、家族の話は忌避すべき話題だと、瞬時に判断したのだろう。
――相変わらず、優しい人だ。
「ごめん。今一人暮らしだから、そういうことを注意してくれる人がいなくて。
気を付ける」
「あぁ。そうして」
そう言って、時雨が少し困ったように目を細めた。
突然の再会で、中々言葉が続かない。
だが、今の状況は一体何なのか、問い正さなければいけないだろう。
不意に時雨が目の前に現れたのは、時雨が展開したであろう、魔法青少年たちの戦いを周囲に知られないための結界に、魔力持ちの瑞月がうっかり侵入してしまったためだ。だとして、どうして結界を張る必要があったのか。
「不知火くんこそ、その恰好は?どうしてこんなところに?
住んでる場所からだいぶ離れてるような気がするけど」
矢継ぎ早の質問に、少々面食らったようだが、時雨は丁寧に回答した。
「いや。家からは魔法で身体強化すればそんなに遠くない。
この格好は見ての通り、魔法青少年としての任務中。
この神社に魔獣の気配が感知されたと連絡を受けて、きた」
――魔獣。
魔人との戦いは1年前に終わっている。
そして、その際、強大な力は混乱を招くからと、魔法青少年に変身する力は精霊に返還したはずだ。
魔人の手下であるはずの魔獣が何故、いるのだろう。
返還したはずの力を、何故時雨は使っているのだろう。
「それって、私たちは敵を倒しきれていなかった、ということ……?」
「違う。全く新しい敵だ。1年前、俺たちが倒したのは一勢力に過ぎない」
「それは……そうだけど」
この世界は、地球と、異界と、精霊界という三つの領域が、通常の人間が感知できない次元でせめぎ合っている。
異界に住む魔人は、人間がもつ負の感情エネルギーを魔力として捕食するため、様々な勢力が日々地球への侵略を目論んでおり、魔獣や魔人自身が人を襲っている。
公にならないのは、公表されることによって、世間の恐怖心が募り、より魔人が過ごしやすくなる環境を作らせないため。
そして、感知できる人間たちは、精霊たちに助けを求め、今日に至るまで、精霊との協力関係を続けている。
精霊たちは、地球で生存するために、素質のある人間と契約する。契約した人間は、魔法青少年として変身し、魔法を行使できるようになる。
そうして、魔人が侵攻してくるのを感知する度に、その時最も素質のあると思われた人間と精霊は契約し、勢力の殲滅を行ってきた。
契約する人間は感情エネルギーの最も高まるとされる10代はじめのティーンエイジャーを中心としており、成人した人間が魔法を使えた場合、後々悪用されかねないという懸念から、一勢力を倒す毎に力を返還するのがお約束となっていた。
こういった裏事情は、魔法公社と呼ばれる秘匿された国の組織と、かつて契約していた精霊からもたらされたものだ。
1年半ほど前、瑞月も紆余曲折を経て魔法少女となり、時雨たち仲間とともに魔人と戦った。
そして、大事なものを手に入れて、大事な人を失って、最終的に敵の魔人を倒し、力を返還して、いわゆる「普通の生活」をしていくことになった。
だからこそ、瑞月と同じように力を返還していたはずの時雨が、またこうやって高校生にもなって、魔法青少年をやっている事が不思議でならなかった。
「どうして、一度返還したはずの力で、魔法青少年としてまた戦っているの?」
「再契約した」
「どうして。そんなに人が足りないの?」
「それは……」
その会話を遮るように、神社に植えられた茂みの狭間から、ザクザクと枝をかき分けて何かが進んでくる音がした。
同時に、嫌な魔力があたりに広がっていく感覚に寒気がした。
「観羽根、受け止めてくれて、ありがとう。でも、まだ戦闘は続いている。観羽根にも魔力があるから、結界の中に入ってきてしまったんだろうが、今の観羽根は魔獣とは戦えない。下がって、隠れて待て」
茂みの方を油断なく見据え、時雨は立ち上がった。
まだ、聞きたいことがあるが、この状況でわがままは言えない。
瑞月は頷いて、賽銭箱の背後に下がる。
隠れろとは言われたものの、状況が把握できないのは困る。
邪魔にならない程度に時雨と魔獣の様子を伺う。
時雨は、手元に魔力を込めているのか、構えた両の手から光が溢れ出してきた。一方で、茂みの奥の、魔力が流れ出る根源から視線を外さない。
そして、のそり、のそりと、大型の犬、というより狼が茂みから現れた。
時雨の攻撃を受けていたのだろうか、ところどころに深い傷を負っており、地面に青い血液がポタポタと垂れている。
一瞬とはいえ時雨の意識を飛ばすほどの衝撃で、時雨に攻撃してきたということ。
魔獣がまだ消滅していないということ。
雑魚という言葉では済ますことはできない強さを感じ、瑞月はごくりと喉を鳴らした。
唸り声を上げた魔獣は、時雨を捕捉すると、勢いよく駆け出してきた。
魔獣の口元は淡く輝き、魔力が溜められていくのが分かる。
魔力の籠る咆哮が放たれようとする直前。時雨も魔獣に向かって走り出し、魔獣が開けた口の中に向かって両手から生み出された光の柱を突き刺した。
全体の光が消えた柱は、それでも電燈の青白い照明のようにヂリヂリと帯電している。その先端は魔獣の喉元に差し込まれ見えないが、時雨の武器の槍だろう。
魔獣の放とうとした咆哮は打ち消され、そのままの勢いで急所への一撃を受けた。
喉を潰され、ゴボゴボと青い血液の泡を吹くばかりの魔獣は、槍を引き抜かれると、ドサリと地面に伏した。
槍についた体液を一振りで払うと、時雨はまだ息のある魔獣に、その切っ先を向けた。
気がつかなかったが、これまでの戦闘でだいぶ疲弊していたらしい時雨は、大きく肩で息をしていた。先ほどの槍の攻撃魔法を使ったことも疲労を増強しているようだ。だが、留めを刺さなければ安心はできない。
一度深呼吸した時雨は、魔獣の腹に向かって、槍を差し込もうとする。
しかし、次の瞬間、魔獣の体内から不気味な光が発光した。
そして、急激に魔獣の体が歪に膨れ上がり、泡のように弾け、中から更に禍々しい蛸のような触手が生えてきた。
――二段階変化!?
命の危機に瀕した魔獣は、稀に二段階変化、あるいは進化を行うと耳にしたことはあったが、こんな時にそれに巡り合うとは、不運が過ぎる。
先程とは比べ物にならないスピードで、触手が周囲へとうねり伸びて、息をつく間もなく、時雨を襲った。
バックステップで紙一重で躱すが、槍で振り払っても、触手の本数が多く、間に合っていない。
「っ、くっそ」
悪態をついた僅かな気のゆるみを見逃さないように、触手が瞬時に時雨の全身に絡みついた。
瞬時に槍をはじかれ、賽銭箱の前まで槍が転がる。
触手から魔獣の体液が溢れ出し、徐々に魔法防御服が溶かされていく。
じわじわと素肌があらわになっていくと同時に、首を締め上げられていく時雨は苦悶の表情で、声も出せずにいる。
そのうち、がくりと力が抜け、意識を失った。
その姿を見て、瑞月は言葉を失い、同時に、はらわたが煮えくり返る程に、怒りを感じた。
――なんで、あんな魔獣なんかに、不知火くんが汚されなきゃいけないの!
怒りという感情エネルギーが行き場を失って、一度空になったはずの魔力として、体から漏れ出てくる。
腹の怒りとは反対に、頭が隅々まで冴えわたり、思考がクリアになる。
――黙って観てなんて、いられない。
自然と体が前のめりになった。
賽銭箱の陰から一気に走り出すと、瑞月は目の前に転がる時雨の槍を抱きしめた。
――今の私なら、そして、魔人とのハーフである私なら、不知火くんの槍があれば、きっと、できる!
槍を強く強く抱きしめると、べったりと槍についた魔獣の血液が、瑞月から溢れ出る感情エネルギーに触れて蒸発していく。
そして、溢れ出る感情エネルギーを一気に槍に注ぎ込む。
精霊の霊的干渉によって生み出された武器を取り込むことができれば、この武器に込められた魔力、魔法の根源を瑞月も使うことができる。
1年半前に、実際に瑞月がやったことだ。
あの時と違うのは、精霊の補助がないこと。
それでも、体の熱い拍動が、煮えたぎる想いが、進め、止まるな、と叫んでいる。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
流し込んだ感情エネルギーは、魔力として武器の中でうねり、霊力と蕩け、そしてまた瑞月に還ってきた。
魔法少女として戦っていた時の感覚が、戻ってくる。
「セットアップ!」
できるだけ毎日連載の予定です。
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