第五十ニ.五節 焦り
社畜してたゴリラ、バナナが恋しい
「っ待ちなさい!レン!!」
叫んでも颯爽と艶やかな黒色は森の中に消えてしまった。……絶対フロウは聞こえてたわね、あの子の聴覚なら走ってても聞こえてるでしょうに……レンの気持ちを優先させたのかしら?…有り得るわね。あの子、レンにだけは揶揄ったりするけど従順だし。
額を抑えて深く、ふかぁく、溜め息を溢す。従魔術で互いの意識を繋げて…ベトを此方に呼び戻す。折角自由時間にしてたのにごめんなさいね。ちゃんと今度蜂蜜上げるわ。
「……アヴィリオ、貴方自分が言った事分かってますね?」
「…分かってる。…アイツなら死なないし、フロウが死ぬ前に連れ戻す。…売り言葉に買い言葉だった。」
張り詰めた糸のような緊張感。アルトゥールが本気で怒ってるのは珍しい。威圧感に此方まで萎縮してしまうけど…とりあえず、二人の頭を引っ叩いといた。じゃないとアタシの気がすまない。
「ちょっと!アヴィリオにマジギレしてる場合じゃないわ!あの子ったら説明も聞かずに飛び出して…!連れ戻すのが先よ!」
アタシの言葉にアルトゥールも正気…というか、一旦怒気を収めてくれた。説教なら幾らでも出来るんだから後になさい。あの子の方が優先!
アタシはベトに乗って湖まで行ける、でもレンを守りながら…リュエールと戦うのは厳しい。
リュエールは高い戦闘能力と透ける鰭が人気の魔物だ。…リュエールは美しい湖に住み、何十匹かで群れを作る。…その長固体は湖どころか空を飛ぶ。ほんとに。水の魔術だけじゃなくて、風の魔術…一般的に浮遊術と呼ばれるものさえ使えるらしく、アースフォクスに並ぶ上位種だ。
リュエールに主人と認めてもらうには実力を示す必要がある。
その際戦闘初心者なら必ず大怪我を負う。リュエールの見た目に騙されて返り討ちに合う者は後を絶たず……良くて骨一本、酷ければ片腕を持っていかれたこともあるらしい。
「あぁもう…!!神父様になんて言い訳したらいいのよ…!!」
「ほう?私がどうかしたかね?」
傍から聞こえた声にドッ!っと心臓が大きく鳴った。今一番聞きたくない声。…私よりもアヴィリオが一番聞きたくないだろうけど、気配もなく忍び寄ってきた彼のせいで私の心臓もダメージを負った。気配を消して近寄るんじゃないわよ。
とりあえずと、溜め息混じりに現状を報告する。……親しいとはいえ、彼は私達の雇用主で、依頼はレンを鍛えることなのだ…死んでしまったら契約上物凄くまずい。…私情を挟まなくてもまずいのだから、そこに私情をいれたら大変なことになる…誰もあの子を死なせたくはないのだから
「……アヴィリオがレンを焚き付けて、ペイルウィングだけじゃなくてリュエールまで従魔にしようと湖まで行ったわ。ペイルウィングは元々だったけど、リュエールは完全にアヴィリオが吹っ掛けたの。しかもあの子、リュエールの知識0のままね。」
「リュエールか、成る程な…」
落ち着いて考えるそぶりを見せる神父に冷や汗が出る。…絶対この人私達の話聞いてたでしょ、普通ならもう少し取り乱すわよ。
流石にバツが悪そうにアヴィリオは彼から視線を外し…アルトゥールも諫めきれなかった事に罪悪感でもあるのか、これまた視線を外している。
確実に怒られるわね。むしろ怒られなさいと思っていたら、
「まぁ、レンなら大丈夫だろう。手が空いてるなら教会の掃除を手伝って貰おうか。」
「え…」
「お前達はあの子を見くびり過ぎだ。…リムネル、お前さんもだぞ、あの子なら実力差の見極めぐらい出来るし、負けると分かってる勝負を仕掛けるほど愚かではないのは知ってるだろう?」
「け、けど!あの子実戦はしたことないじゃない!私達だって大した怪我にならないよう注意した上で訓練してるから……本気の敵意を向けられたらあの子だって…!」
「それが過保護と言っておる。」
過保護兄弟の事かと思ったら、私も含まれてた事に驚きを隠せない。…しかも諭すように言われるから、余計に混乱する。
彼は本当にレンの事を大事にしている。ここ数年で嫌ってぐらい見てきたから分かってる。…どちらかといえば、あの子が怪我をしないように、傷付かないようにと根回ししてきたのは彼だし、きっとレンは気付いてない。
父親代わりなのだからこれくらい、とよく言ってた。
硬直してしまった私達を見て、溜め息を溢す彼は…呆れ、という感情が前面に出てた。…あと後ろでベトが困ってうろうろしてた。ごめんなさいね、座ってて待ってて頂戴な。
「お前さんらはあの子の精神がとっくに成人を越したのを知ってるだろう。あまり、あれも駄目これも駄目と過保護になるでない。」
「ですがヴォルカーノ神父、リュエールは本当に危険な魔物なのですよ?初心者ならば当然怪我をします…酷ければ大怪我を……」
「子供は怪我をするものだ。…それにあの子は聡い。己の判断で逃げることも選べよう。…それにあの子にとっていい機会なんだ。」
「…いい機会、というのは?」
アルトゥールが少し瞳を細めて探るように問えば…神父は楽しげに笑って見せた。
「あの子は賢く、そして強い子だ。お前達の教育の賜物でもあるが……何より愛する者の為だけに楽な道を捨て、懸命に道を拓いてる子だ。
己が実力と弱点を見極めるいい機会だろう。フロウも着いてるならば死の可能性も大怪我の可能性も低い。…フロウは他のアースフォクスよりも賢い、向けられた愛情と環境の違いだろうがな。それでも、フロウの絶対の主はレンだ。身代わりになることもいとわぬ…従魔と共にお前なら分かるな?」
「……えぇ。しっかりと契約されてる従魔は術者本人の為なら盾にさえなるわ。その“しっかり”っていうのは従魔と主人に強固な絆…本能でさえ、負けると分かっていても守りたいと思ってる絆がある場合と、意識さえ奪ってる契約をしてる場合ね。勿論、私やレンは前者。…ベトだって、何回も私を守ってくれたわ。」
近寄ってきたベトに触れ、優しく抱き締める。
ベトは私の従魔のうちの一人。とても温厚な子ではあるし、本来手を出さなければ攻撃してこないような種族なのだ。
それでも、この子は私の敵を認識するとその爪を躊躇いなく振るう。…それくらい、私達を結ぶ従魔術は強固なもの。
アルトゥールもアヴィリオも、私とベトの関係を分かってるからか漸く肩の力を抜いた。……フロウが居なくなるのも嫌だし、あの子なら本当に危なくなったらレンを引き摺ってでも帰ってきそうだ。最悪の事態は免れそうなことについ、私も溜め息が出てしまう。
「それにな、アヴィリオ。」
「…なんだ。」
「人間は脆い。獣人も、お前さんらのように長くは生きられん。不死の研究が間に合わなければ……私もレンも、お前達を置いて逝くだろう。
それが自然の摂理。置いていく者と置いてかれる者はどうしても出てきてしまう。…まだ体験したことはないのだろう?だから一層レンに対して過保護になる。初めての弟子なのも含めてな。
アルトゥールならば経験したことあるだろう。良き弟子が衰弱し、徐々に動けなくなっていくのを。己だけは変わらず、流れる時間の残酷さに悔いたことを。」
「っ……!」
神父の言葉に、心臓が掴まれたような気がした。
……返せる言葉がない。…だってそれは、私達エルフに限らず、長寿の種族の殆どが直面する問題だから。
郷から出ないものは関係無いのかもしれない。飽きるほど長い時間、伴侶と過ごせると喜ぶ者だって居るのを知っている。
それでも、一度でも外で同族以外の友を作ったことがあるエルフならば。
……己の寿命の長さを恨み、また置いていく友に涙する。何故こうも種族で流れる時間が違うのかと叫んでしまいたくなるくらい、エルフはどうしても置いてかれる者なのだから。
それでも、私達は出会い、別れを繰り返す。少年だった弟子が老人になろうとも、変わらずに弟子を見守り続ける…思慮深き一族として、種族に関わらず知恵を授ける。
…なんて、それは建前で…気付いたら交友関係が広がってるのだ。その輪が途切れるまでは何度だって見送るしかない。その都度後悔して…それでも何度だって手を伸ばしてしまう。
「……えぇ。勿論。…弟子を見守るのは師の役目。自ら巣立って行き、帰ってきた子の最期を看取るのは…何度経験しても慣れません。数十年弟子を今は取ってないとはいえ…一人一人の最期の記憶が頭から離れることはない。
それでも、私は懲りずに人間達に関わってしまう。辛くても、悲しくても…彼らとの思い出は得難きものなんです。」
悲しそうに言ったアルトゥールは…けれど最後は本当に幸せそうにそう言いきった。出会い別れは仕方のないこと、彼らとでは流れる時間が違いすぎる。…何度も経験した私やアルトゥールはそう割り切れる。
例え流れる時間が違っても、死して寂しく思うことはあっても……彼らのことを哀れんだりすることはしない。神父の言った通り、それが自然の摂理なのだから。
ただ…初めてここまで弟子と親しくなったアヴィリオはどう思うのか。
私達の視線を受け止め、アヴィリオは悔しげに神父を見た。
「……アイツと過ごせば過ごすほど…アイツの成長を間近で感じてるからこそ、キツイ時がある。
たった数年で、大人へと一歩ずつ変わっていったのを見てきた…俺達だったら、然程変化がない程度の時間なのに。…改めて、俺たちとじゃ流れる時間が違いすぎるってことに気付いた。
アイツは、クソ王子……ナオの為なら喜んで自分を犠牲にすると思う。それが最善だと判断したら、本当にやりかねない。
それもあって余計……正直、無理難題を押し付けた節はある。危ない目に合わないで隣に行くことが出来るなら、そっちの方が断然いい。」
アヴィリオの言い分に思わず頷いてしまった。
レンが痛くても苦しくても訓練を続けるのはナオの傍に居るため。本人たちが後ろ指指されない為にも……いや、レンはナオの為だけに頑張ってる。
ナオが無理矢理娶る事だって出来るし、加護持ちの秘密もバレた以上、同郷だと、元恋人なのだと発表してしまえばいいが……そうするも、権力の乱用やら身分不相応などとイビられる事は絶対だ。
それでも、命の危険もなく、二人は共に居られる。
…………でも、それに異を唱えたのがレンで、ナオの説得すら断ったくらいだ。
囲われ、愛でられるだけならば鳥籠の鳥になることが最善。ナオがそうしても周りは文句を言えないだろう。
レンの才覚は国に役立つ。異世界の知識も彼女の価値を高めてる……だからこそ、国という籠に収めておきたい奴だって居るのを私は知ってる。
「……確かに、お前さんの言い分も分かる。私とてあの子を危険に晒したくはない。…亡きあの子の両親としても、私としても。
だが、思い返してみろ。……あの子が、自分でやると言ったことを曲げたことはあったか?…私の知るあの子は母親に似て意地っ張りだったぞ?」
「「………」」
誰からも反論が出なかった。…出せなかった。
実際そうなのだ、報復のときも、訓練中も……やる、と決めたらとことんやるし、手加減も妥協もしない。
何より為すための知恵も力も着実につけているのだから質が悪い。……守りたくとも守るための口実がないのだから。あの子が納得するだけの理由を用意しないと、過干渉と怒る未来は容易に想像つく。…あの子とて、もうなにも知らない、考えられない子供ではないのだから。
「結果は帰ってきてから聞けばいい。あの子のことだ、日が暮れる前に必ず帰ってくる。…成功しても失敗しても、説教はあの子が帰ってくるまで気長に待ってるといい。
ほれ、掃除に行くぞ。高いところはあの子では届かんからなぁ。」
いつも通りの神父に……私達も漸く肩の力を抜く。
あの子は必ず帰ってくる。神父がそう信頼してるのだから……あの子ならきっと大丈夫。多少の怪我ならば私達が治して上げられる……だから、胸の凝り固まった不安は一度飲み干して、神父へと倣って教会へ戻った。
そう考えてた私の甘さに後悔するのと、卒倒するまであとほんの数時間。
新社会人、学生諸君、おめでとう。適度に息抜きしながら頑張るんだゾ、ゴリラとの約束




