第四十四話 怪我
勢いある場面は暫く先
突然やって来たエルフの男の人は、優雅な動作で王妃様の前へ来ると膝をついた。
「あぁ、入室の許可も取らず、失礼致しました。王妃様、王女様。少々気になる話題だったもので。」
「構わないわ。危険があったらレーヴェディアが動いてたもの。」
緩く首を振るう王妃様。…因みに平民が王妃様に引っ付いて居るなんて、そういえば変な噂になりかねないというのを思い出し、ちゃんとお行儀よくソファに座り直した。
大人しくしてるの大事。王妃様が部屋に居るのを許すほど信頼していたとしても、それはそれ、これはこれ。
警戒はしてるに越したことはない。
瞳を細め、此方を凝視するエルフのお兄さん。レーヴェディアもなんだなんだと此方と向こうを何度も見て………あ。
「おや…」
エルフは礼儀正しくないとお話もして貰えない種族ということをすっかり忘れてた。
アヴィリオからエルフの礼儀作法を聞いていて良かった…必要ないとか駄々こねてごめんね!役に立ったよ!
立ち上がり、膝を軽く曲げ、一礼。両手を目の前で繋げて武器を所持してないことを示す。
これがエルフの礼なんだって。あと名乗るときは上の人が先に名乗り、その人が手をあげて合図するまでは手を下ろしてはいけないんだとか。
「よくエルフの礼儀作法を知ってましたね。私はアルトゥールといいます。」
「エルフの知り合いが居たので…レン、です。」
挨拶してくれたのに習って、ほっと息をついて手を下ろす。……これで間違ってたらアヴィリオの頬を引き伸ばしてたところ。
王妃様達もほっとした様に此方を見ていたので、この行動は正解だろう。
「あぁ、アヴィリオかリムネルに教えて貰ったんですね。少々ムラはありますが、きちんと挨拶出来てましたよ。それも最上級の敬意を持った挨拶を。」
聞き慣れた名にぽか、と口が開いた。……知り合いだったのか。
穏やかに笑うアルトゥールさんはゆっくり手を伸ばして、頭に触れた。そのまま褒めるように数回、手が跳ねる。
「アヴィリオは私の弟なので。…ここに居るというのをどうやら忘れてるらしく、最近は特に手紙が届くんです。
初弟子が出来た。賢い子がいる。きっと私も気に入ると、そんな手紙ばかりをね。先程も見ていましたが…えぇ。聡明であることに間違いはないのでしょう。」
「む、ぅ……それはなんだか、恥ずかしい…です…」
「誇っていいのですよ。エルフは礼節と知恵を重んじる種族。少々本能に忠実な獣人とは反りが合わないんですが……それでも、貴方は礼儀を示した。ならば私もそれに応えましょう。」
「そうよ、レンちゃん…この人、本当に礼儀や身分を弁えない人に厳しいんだから!
こうして話してくれるのも、触れてくれるのも、貴女自身が行動したからよ。きっと、貴女が自ら動かなかったら…きっと一人で喋って何処かに行ってしまうわ。そうでしょう?」
王妃様の問い掛けに肩を竦めるだけで応えたアルトゥールさん。…仲良し、なのかな、多分。
王女様も楽しげに微笑んでる様なので、結構王宮とかだと見慣れた光景なのかな?
それにしても、
「………似てないでしょう?私とアヴィリオは。」
「……顔に出てました?」
「えぇ。まぁ、よく言われますから…私は母の、アヴィリオは父の。面影も性格も全部を引き継いでしまったからこそ、兄弟というと誰もが首を傾げる。
ですが、血の繋がりはしっかりありますよ。多少似てる部分もあるでしょうし。」
穏やかで、丁寧な物腰は全く!アヴィリオとは無縁のものだし、アヴィリオの髪は銀色だ。
瞳は確かに同じ澄んだ青色だし…なるほど、見た目は僅かに共通点があるらしい。
とりあえず、仕切り直す様に皆で席につき、王妃様が淹れてくれた紅茶を飲む。…珍しくレーヴェディアも王妃様に押しきられて隣に座っている。
「さて…先程も申し上げた通り、この子は先祖返りと思われます。ただ、この子は賢い。
賢い子の先祖返りは少々厄介でして…」
「やっかい…ですか?」
苦笑を浮かべたアルトゥールさんに首を傾げて見せると、笑いながらも小さく頷いてくれた。
「厄介、といっても、敵対する者にとっては…ですがね。
先祖返りを完全にコントロールするのは、ほぼ不可能といって差し支えないでしょう。血に刻まれたものですから。種族によっては凶暴に、あるいは冷徹に、暴れまわる種族とて勿論居ますが…貴女は黒猫族。即ち猫の先祖返り。
猫の先祖返りというものは、先程も言ったように己が慈しむものにはとびきりの愛情を。反対に虐げる者、どうでもいいと思うものには無関心、或いは凶暴に牙を剥く。…王の御前で行ったことも、貴女の言葉を聞いてる限り先祖返りが表れたものだと思います。」
「なるほ…ど……?」
ちゃんと理解してるかって?半分くらいしか分からないとも!
……だって元々此方の世界に馴染んでるならまだしも、まだ前世で培ってきた常識が抜けないんだから、完璧に理解しろは無理。
魔力、魔法の概念なんて特になんでこうなるの?なんでこれが必要なの?と追究したいのを、とりあえずこの世界にあるもの、として認識してるに過ぎない。
曖昧な返事をしてしまったけど、アルトゥールさんは気にすることなくまた頭を撫でてくれた。
……撫で方もアヴィリオに似てる。
「理解するのは難しいでしょう。…とりあえず、不安になることはない、程度の認識で構いません。」
「先祖返りってそれほど珍しくもないのよ。不安になったら私に聞いて、先祖返りの友人が居るの。」
一気に認識しやすいものになった。…王女様も頼もしい。
改めて周囲に恵まれてると感謝しつつ……個性豊かというか、身分高過ぎというか……
後ろから野心家の貴族にさっくり殺られてしまいそう。夜道には気を付けよう。
「さて……そろそろ断罪も終わる頃ですかね?」
「えぇ、足音が聞こえるもの。」
ピン、と耳を立てた王妃様につられて耳を立てる。……でも聴覚保護の魔術も掛けて貰ってたので残念ながら聞こえない。
そのうち、ガチャ、と閉めていた扉が開き……笑みを浮かべたナオが居た。そっと顔を反らしておく。
レーヴェディアに頑張って貰うしかない…!私が怒られないために!
「レン?何顔を背けてるのかな?」
「で、殿下、そんな顔してたら流石に怯え…」
「怯えないのは分かってる。…大方、僕に怒られるのが分かってるんでしょ?」
ツカツカと寄ってきたナオにぐいっと顔の方向を戻される。…ちょっと首痛めた。
最後の抵抗とばかりに柴犬が散歩を嫌がる時の如く、首を引っ込める。…頬を潰され、ぶちゃいくな顔にされた、解せぬ。
「っ、ぷ…!」
「君が何をするか大体は分かってたけど…やり過ぎ。手を痛める程とは思わなかったし、わざわざ軽い麻痺を掛けて貰ってるなんて確信だね?」
ぐぐっ…と手に力が入ってどんどん頬が潰れる。…皆肩を震わせてるくらいならいっそ笑って欲しいんだけど。
ある程度頬が潰れると、呆れたように此方を見て、頬が解放された。…地味に痛かった。
「君ね……僕がどれだけ心配したと思ってるの。ただでさえ体が弱くて、まだ他の傷も完治してないのに……本当に、程々にしないと閉じ込めるよ?」
「……ごめんなさい、気を付ける。」
心臓に悪い、と呟いたナオに抱き締められ、胸元にぐりぐり額を押し付ける。…速い鼓動は急いで来たからだけでは無いような気がして、大人しくされるがままになる。
すん、とナオの匂いを嗅いでしまったのは仕方ない。だっていい匂い。
「ナオ、レンを独り占めしないでよ。私の義妹になるんだから。」
「僕の奥さんになるんだからいいでしょ、独り占めしたって。」
義姉じゃなくて義妹になるのか…前世と違うなぁ。
頭上で火花が散るのを、王妃様とのほほんと眺めているとアルトゥールさんが肩を震わせた。
そういえばアルトゥールさんは私とナオのことを知ってるのかな?
「っふ、…ふふ……陛下から聞いた時は疑いましたが…成る程。溺愛っぷりは本当の様ですね?ナオ殿下。」
「君たちに隠す必要はないからね。…ああ、ごめんね、レン。アルトゥールは宮廷魔術師で、僕らの事を知ってる一人なんだ。エルフの国との繋がりを作るために元々は居たんだけど……利害の一致から取り込んだって父上が言ってたから安心して。」
ぽん、ぽん、と撫でる手へ頭を押し付けながら頷いた。ナオがそう言ってるならそうなんだろう。
レーヴェディアも王妃様も同意するように頷いているので、アルトゥールさんも味方。
改めて、アルトゥールさんに挨拶しようと口を開いたら……欠伸が出た。
人に向けて欠伸するのは普通にマナー違反だと慌てて背けて口を抑えるが……あれ、なんか欠伸止まらない。
それからちょっと手がピリピリしてきた。…こう、常に電気を受けてるかのような……
「麻痺が解けてきたのね、体が休息を求めだしてる。」
「微弱な麻痺は自己治癒出来ることが多いですし、無理もないでしょう…痛みが完全に戻る前に眠りなさい。突然の痛みで気を失うより遥かにいいでしょうから。」
余りに欠伸を連発するものだから、王妃様とアルトゥールさんが何事かと近寄ってきてくれた。
そのままとりあえずソファに寝転がされ……ベット並みにふかふかなソファに体を預けておく。
ピトリと頬に添えられた王妃様の手が、ひんやりとしてなんだか気持ちいい……
「…熱も出てきそうね。」
「医者を呼びますか?」
「いいえ、大丈夫…それよりヴォルカーノ達を呼んできて。別の場所で話しましょうか。…アルトゥール、この子を見ててくれる?」
話を聞く限り、怪我からの発熱があるのだろう…麻痺してるから、あんまり分からないけど…確かに、火照るような感覚がする、ような?
オロオロとしてる王女様はレーヴェディアがついでに連れ出していった。その際に気遣う視線と手を振って貰った。幸せだ。
王妃様が、自ら濡らして冷やしてくれたタオルを額に置かれ、何度も優しく頭を撫でられた。…眠気が助長される手付きで、瞼が気を抜くとくっついてしまう。
「まだ話さなきゃいけないことがあるから…離れるけど……大丈夫よ。アルトゥールが居てくれるから。」
「僕も残るよ。話したいことはイクスに伝えてあるし。」
手を取られて、ナオが両手で包む。
ぼんやりとしだした思考で、それでも手先から伝わる安心感に身を任せ……抗えない眠気に意識を落とす。
愛しい人が傍に居てくれるなら、恐れるものはなにもないのだから。
痛すぎると気絶することがある事の真偽を確かめたい




