第百節 その頃の王子
とうとう、あの子が動き出したらしい。日が落ちきり、星が空へ無数に輝くのを見ながら溜め息を深く溢す。
僕が出来るのはあくまで間接的なあの子の援助で、ガルシアやユアのように直接赴いて助けてやることは出来ない。
既に取り押さえられた貴族達はガルシアの命令の元、地下牢に入れられ…アレフ殿下が目に見えて苛立っているのが遠目でも分かった。
ガルシア曰く、貴族連中以外の捕虜も居るらしく、それはヴォルカーノ神父が尋問しているらしい。
本来であれば、軍に所属してる訳でもない神父が尋問なんてすれば刑罰ものだが…彼の立ち位置と、今回の襲撃を考えれば雇い主を尋問する、というのは至極当然の事だし、ガルシアが責任を全て負うと宣言していたので大丈夫な筈だ。
ただ、どうしても聞き流せない情報があった。
アヴィリオの魔術をレンが浴びたらしい。何故そうなったのか、鬼気迫る勢いでアルトゥールが聞いていたが……一瞬、崩れ落ちるかと思った。
「ナオ殿下。」
「ああ、うん。聞いてる。」
「…そんなに心配なのですか?そのレンとかいう娘が。」
「…心配だよ。言ったろう?あの子が僕の番なんだって。……シアレス嬢が居るから、今頃ぴんぴんしてるだろうけどね。…でも、心配だ。痕が残るかもしれないし、後遺症や精神的な傷が残るかもしれない。」
崩れ落ちる前に、隣で彼が……ソティが、支えてくれたお陰であの時は顔を床に衝突させずに済んだ。
ソテフラティエ・デルカンディア。
それが彼の名前。僕の側近候補の一人で、白兎の獣人。確か…イクスと同い年だったかな。
最近ではレーヴェティアに変わって彼ともう一人居る側近候補のどちらかが公務によく着いてくる。
勿論、その二人には僕とレンの事は話してある。前世云々纏めてね。…その方が色々と役立つからね。後々変なところで露見するよりかはそっちの方が都合がいい。
「…恐れながら、勝手に調べさせて貰いましたが…あの娘がアレフ殿下に対する切り札だとは到底思えないのですが…」
「へぇ……君の主観でいいから、あの子をどう評価したか教えてよ。」
「…あの娘は、確かに我が国にとって有益な人材でしょう。養子ながらアレフリア公爵の才をしかと学び、宮廷魔術師アルトゥール、及び、冒険者ギルドに所属するアヴィリオ、リムネルからも教育を受け…彼女の実力ならば、そこらの兵では太刀打ち出来ない程かと。
──ただ。…あの娘は挫折を味わった事がないのでは?乗り越えられるギリギリの壁にしか当たったことがない。…それは貴族として弱点だと思われます。」
眼鏡の奥で、言外に「貴方達が壁を取り払ってるせいで。」と言われてる気がしないでもないが、微笑んで返してやる。
「ソティからそんな好評が貰えるなんて、流石僕の番。」
「茶化さないで下さい、殿下。……貴方、あの娘をどうしたいんですか。囲い込むならとっとと囲いこんでしまった方がいい。…北の国の王族とも繋がりが出来た以上、あの娘が欲しいという貴族は国内だけに留まらないのは理解出来ましょう?」
「おや、君あの子を随分と心配してくれるね?…対策を僕がしてないとでも思うかい?」
「……大婆様が、えらくあの娘を気に入っているので……いえ、思いはしませんが…貴族専門ギルド…『フィエルテ』に所属するのであれば、必ずあの娘は人目を引きます。如何に対策が万全であっても…それは国内のみのことでしょう?」
あの教会へ赴くのは、実は庶民だけではない。
当代以外の、例えば隠居してる貴族なんかは身分を装って赴く事が儘ある。…勿論、初めはヴォルカーノ神父との繋がり。
それが子供好きでは無い彼が、幼子を育ててるなんて噂を聞けば…彼の祖母の様に気になって見に行くのは道理で、そこからレンとの繋がりが発展したんだろう。
とにかくあの子は同年代よりも歳上と相性がいい。
それに小さかったあの子は何せ中身と器のアンバランス感が庇護欲を誘う。…いや、僕が過剰に感じてるだけかもしれないけど。
「僕がそんな温い手を打つと思われてたなら心外だな…あの子の事で手を抜くはずないでしょ?君も会ったらあの子の事よろしくね。確か君は…会ったことあるって聞いたけど。」
「…一度だけ…あの娘が言葉もあまり扱えぬ頃に会ったことが在りますが……」
「うわ、僕がまだ会ってない時期だ。……可愛かった?」
ぐっ、と前のめりに問い掛ければ彼の耳が少し揺れた。
普段から垂れているその耳は、立ち耳の兎の獣人より感情が分かり辛いが…何も全く感情を出さないという訳では無い。
僅かに色付いた頬。誤魔化すような咳払いをした彼に視線だけで先を促す。まぁ、答えは分かっているが。
「…まぁ、可愛らしかったと言えましょう。幼子は等しくそうですから。」
「見たかったなぁ〜…教えてくれないんだもん、あの子。…いや、僕も中々恥ずかしいから聞かれたら答えられないんだけどさ。」
「あの娘は……その、前世は兄か姉が居たのでしょうか?」
「ん?居たけど……そりゃまたなんで?」
「……寝惚けて居たのもありましたが、“お兄ちゃん”と、僕を呼んだのです。実の兄に甘えるような、そんな声で。…似ているのでしょうか。」
「あ〜……いや、似てるんじゃなくてね、眼鏡だよ。君の。」
「眼鏡……。」
「君、しかも弟と妹沢山居るだろ?その雰囲気にも錯覚したんじゃないかな。……僕も案外、小さい頃は記憶が混濁する時あったしね。あの子は僕と…あの子の兄と姉の事になると中々に感情が大きいから、恋しくなっちゃったんじゃないかな。」
ソティが興味を示すとは思わなかったが、彼は歳下にはそもそも甘い。
十人兄妹だったか。レンとも同い年の妹も居るんだろう。何処か嬉しそうに話すものだからほんの少し嫉妬してしまうが……本当に、レンはお兄さんとお姉さんが好きだったのを思い出して、口角が緩んでしまう。
僕の前では兄や姉の事をいっぱい話し、褒め、逆に二人の前では僕のことをめいっぱい話す可愛い子。
特にお姉さんには僕には及ばないけど、中々に執着していた。
生半可な男には渡さないと威嚇しまくってたし、どんなに適当に返事をされても構われたがりの子犬の様に纏わりついて居たっけ。
お姉さんも勿論満更でもなくて……それどころか、傍から見れば一方的なシスコンが、お姉さんの方も中々に酷かったっけ。
レンの前では見えないけど、少し席を離れた途端、それはもう同じくらい依存してるのを見せ付けられた。今までの恋愛の事もあったのだろう。“泣かしたら削ぎ落とす”と絶対零度の瞳で言われたのは今も記憶に強烈だ。愛情表現のベクトルは違えど、シスコン姉妹は僕でも踏み入れなくて……ちょっと拗ねた。
お兄さんは一回り以上歳も離れ、片親が違うからなのか、異性だからなのか……二人ともすん、ってしてたのが愉快だったなぁ。姉妹特有の仲とでも言えばいいんだろうか。
「ナオ殿下?」
「ん?……あぁ、ごめんね。ちょっと思い出し笑い。…会いたいなぁって。
…思い出ってさ、声から忘れていくんだってさ。前世の親の顔も声も、もう朧気なんだけど……あの子と紐付けて思い出す事がたまにあるんだ。」
「それは……。」
「あぁ、別に悲観しなくていいよ。僕にとってはレンこそが絶対だから。捨ててしまった訳では無いよ。親や友人……あちらの世界とレンとで天秤に掛けた時、重かったのがレンだったってだけ。」
悲しくも寂しくもない。元より僕の全てはレンの為に在るようなものだから。……あの子はどうだろうか。優しくて矛盾してる子だから、思い出して泣いてしまってるかもしれないなぁ。
抱き締めて、僕でいっぱいにして……忘れてしまえばいいのに。
「…うん。話が脱線したけど、報告を続けて。」
「あっ、申し訳ありません。話を戻します……ジュエライトの件ですが、ガルシア殿下及び北の国の王族……アレフ殿下以外の署名付きでアレフリア公爵の元で預かる事に着きましての許可証、それからシアレス嬢に関しても書簡が届きました。
それから、奴隷商に関しましても全責任をガルシア殿下が負うとの事で陛下にも納得頂いております。
陛下自身、対面したそうですが……どうやら彼らは人を売り物にするのではなく、救済措置としての役割が強く……責められる覚悟も罰せられる覚悟もあり、それを気に入ったようで今は客間に通されてます。」
「父上が奴隷商を?」
「はい。調べましたが、実際彼らの儲けは殆どなく、保護された魔物達も、誰一人従魔術師でもないのに物凄い懐きようでして…」
「ふぅん……ま、いいや。あの子が助けて欲しいっていうならそれに応えるだけだから。」
奴隷商という世界のシステム。……元いた世界では絶対に許されざる行為なのだろう。
ただ。それのおかげで居場所がある者が居るのを僕は知っている。……悪者が必ずしも善行をしないとは限らないように、悪と正は隣り合わせなだけ。
違う側面を見なければ、正しく理解されない。……そんな愚者になるつもりなんて勿論ない。
そんな愚者、あの子の隣になんて相応しくないからね。僕の歩みは全てあの子の為だけに。




