《狠子硬爬山》の行方
徳三と老人は狠子の家に到着した。
不意の来訪に狠子は訳を尋ねると、徳三はややあって、低い声で答えた。
「先生、老人が先生に会いたいといって、外で待っております。
奴は私の巴掌を叩き落としたのです。」
巴掌という言葉が師匠の心を刺激する。そのことを徳三はよく知っていたのだ。
そして老人が入ってくる。狠子は互いに拱手の礼をして腰を掛けた。
徳三は二人がすぐに試合を始めることを期待した。しかし老人は何も言わず、黙って深く落ち込んだ窪んだ眼で、狠子の様子をジッと見ているだけであった。
狠子は丁重に、「徳三が貴殿に何か失礼なことをしたのでありましたのなら、何とぞご容赦願いたい。あいつはまだまだ若いもので。」というと、老人は狠子の言葉を遮ってこう言った。「拙者は試合に参ったのでござる!」
狠子は何も答えなかった。
そして徳三に向かって、こう告げた。
「小順を呼んできなさい。これから老師と食事をするのだ。」
それを聞くと、徳三は失望し、憮然とした態度となり母屋に戻ってしまった。
「門弟を教えるのも楽ではありませんな。」
「私には門弟はいません。さあ、出かけましょう。」
「いや! 腹は空いておりませぬ。」
老人は断固とした態度をとった。
特に「いや!」という言葉に力を入れて首を強く振ったので、頭の小さな弁髪が激しく前後に揺れ動いた。
「では、こうしていただいても結構です。試合は止めにして、《狠子硬爬山》を伝授していただきたい。」
数分間にわたる無言の対決が続いた。
老人はまた暫くの間、ジッと狠子を見ていたが、俄に立ち上がって、
「それでは拙者が一人でやってみましょう。武芸になっているかどうか、どうぞ御覧になってください。」
老人はツカツカと中庭に出ていった。庭で遊んでいた鳩の群れは一斉に飛び立った。
彼はまず腰を下ろし、拳を握って十分に呼吸を整えた。そして次の瞬間、地面を震脚して高く跳び上がり、スッと地面に降りた。
すると、今度は気合いとともに眼にも留まらぬ速さで庭の中を東へ西へと激しく動き回って《硬爬山》の套を演じた。
その数は実に六十四手。動作の一つ一つはまさに敏捷正確であった。
老人は武術の独演を終わると、狠子に向かって一礼をした。
「お見事! お見事!」
狠子は惜しみない拍手を贈った。
老人は動かなかった。そしてこう叫んだ。
「さあ! 今度こそ《狠子硬爬山》を伝授していただきたい!」
狠子は老人の前に行き、恭しく礼をした。そして表情を変え、声を荒く言い放った。
「伝授しない!」
「伝授しないのですか?」
「伝授しない!」
老人は髭に覆われた口をわずかに動かしたが、言葉は出てこなかった。やがて諦めたように急ぎ足で、上着を取り上げると、
「お邪魔しました!」
「飯を食べて行きなさい!」
老人はそれに答えず、脚を引きずりながら去っていった。
それからというもの、もう徳三は狠子を吹聴しなくなった。付け焼き刃の攘夷もやめてしまった。そして《狠子硬爬山》の名は、次第に人々の間から忘れられてしまった。
民国十三年、狠子は逝去した。享年七十歳。
晩年、死期を悟った彼は、会得した自らの套術を記録しようとした形跡がある。
彼の遺品の中から『李氏八極拳』と記された手抄本(手書き本)が発見されたからである。
該書は八極拳の説明から始まる。それには套路変革に至った狠子の見解や、肘撃・靠撃導入の経緯が詳述されるほか、生前述及が乏しかった八極拳における巴子の役割が記されていた。
しかし、本文は後半へ移るに従って徐々に再訂・三訂が目立つようになる。
そしていよいよ《狠子硬爬山》の章に入ると、初頁から本文の上下左右、そして行間に至るまでビッシリと小文字で筆削推敲さが繰り返されているものの、その殆どは透水のため判読困難である。
なお、二頁以後は破滅して伝わっていない。
破り捨てたと見られる。
(完)