中国武術最大の破壊力を持つ戛流八極拳の秘奥義
《狠子硬爬山》
李狠子と聞いて、往時を懐かしく服膺する人は、とんと少なくなった。
狠子は、八極拳が生み出した一世一代の套術である《狠子硬爬山》の宗匠である。
中国武術と言えば、嵩山少林寺の少林拳が名高い。
もともと若僧の精神鍛錬を目的に始まった武術であったが、これは時代の要請と共に、後世では三つの流派を生み出した。
それが①端流、②鑠流、③戛流である。
①端流は演舞の端しさを求めた流派で、②鑠流は壮健を究めた流派である。
老いても元気がよいさまを「矍鑠」という通り、老残を目的とした太極拳を生み出した流派でも知られている。
そして残る③戛流は、いかに人の殺傷するかを追究した殺人拳である。
もともと「戛」という文字の発音も、刀や槍の鋒が擦れあう金属音に由来する。
そこから「戦闘」の解釈が派生したことは、最古の辞書『説文解字』にも詳しい。
拳法の多くは「端」「鑠」の流れに傾いた。その中で二つの流派だけ「戛」を撰んだ。
それが義和拳、そして八極拳である。
八極拳は、対戦時に敵と遠い間合いを取る。
そして地面を強く踏み付ける独特の震脚という動作と、巴子と呼ばれる五指の第二関節を折り曲げて握る中空の手形から繰り出される勁力は、八極――すなわち四方四隅の極遠まで達した。そしてその威力は武術の中でも無類の破壊力を誇った。
その天下無比の技を究めようとした武闘家が現れた。それが主人公の狠子である。
寒村の貧農に生まれた狠子は、天下第一の武術家になることを決心し、八極拳を求めて、遙々(はるばる)その道場の門を敲いた。
小柄痩身の彼は、その体格・外見に似合わぬ怪力の持ち主であり、修行鍛錬のために日夜千鈞の鼎を揚げ続けた。
そして巌磐に向かって彼が打ち付ける巴子拳は、その熾烈さの余り、套の後では岩肌がうっすらと手の形に削り取られたという。
稽古の際も、彼は決して妥協しなかった。そのため時として対戦相手を殺傷してしまうことも屡々(しばしば)であった。
自信を付けた彼は、弛まぬ探究を更に続けた。会得した八極拳に満足せず、「套路」と呼ばれる拳法の一連の動作を分析し、無駄な動きを一つ一つそぎ落とした。
また八極拳が不得手とする肉弾戦を克服するため、新たに肘撃や靠撃も採用し、その殺傷力を極限まで高めた。
このような二十年間にわたる創意工夫の末に、彼は究極の秘奥義《硬爬山》を生み出すに至ったのである。