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突然ですが、武士拾いました  作者: 和久井 要
8/14

8月18日 pm3:06

 フライドポテトを食べ終わったマユは、よほど手持ち無沙汰だったのか、ポテトの入っていた紙製の容器で折り紙を始めた。どうやら紙飛行機を作ろうとしているようだが、正方形のではない上に分厚い場所もあって、なかなかに悪戦苦闘している。

 マユが眉根を寄せる様はなかなかに萌える。゛超゛がつくポジティブシンキングの持ち主のマユが困惑する顔は、いつも一緒にいるボクでさえなかなかにお目にかかることができない。レア。稀。珍奇。希少。いや――貴重というべきか。

 紙飛行機を折るのにマユが集中していることをいいことに、しばしマユを眺めていた。メイクを施したマユはやはり綺麗だ。とても寝起きでは死んだフナのような目をしている女の子とは思えない。


 飽きずにずっとマユを眺めていると、ポテトの脂ギッシュな紙が最終的には一応飛行機らしい形になった。出来上がったことで満足したのか、マユの目が>ブシが姿を消した方角に顔を向けた。


「ブシコ遅くね」


 眉間の皺の深みが増す。ますますノスタルジックな光景になり、ボクとしては大満足だが、確かにブシの帰りが遅いことは気になった。

 

「そうだね。混んでるのかな」


 人の集まる場所で、女子トイレが混んでいることは往々にしてあることだ。


「早くお土産買いたいのにぃ」


 指でトントンとテーブルを鳴らし、加え女子大生らしからぬ激しい貧乏ゆすりを繰り返すマユの行動に、ボクはため息を漏らさずにはいられない。

 あーあ。萌える時間は終わってしまった。実に嘆かわしい。今のマユは正真正銘、女子大生の殻をかぶった親父だ。親父も親父、中年親父でエロ親父でクソ親父だ。そこはかとなく加齢臭まで匂ってきそうな気にさえなってしまう。


「マユ、みっともない」


 マユが麗しき女子大生に戻る様子がなかったものだから、思わずそう口を挟んでしまった。


「うっさい」


 逆ギレされた。


「あぁ、待ちきれない。もう無理」


 マユは苛立ちを隠せない様子で立ち上がった。そのまま手にしていた紙飛行機もどきをゴミ箱に叩き込み――NBAのダンクシュートくらいの激しさで――そのまま向きを変え、トイレの方向に突き進んでいく。

 マユは猛烈な勢いで視界から消え、正義の味方が犯人のアジトから人質を救い出すかのごとく、ドヤ顔でブシを連れてかえってくるかと思いきや、意に反して慌てふためく様子で、マユは舞い戻ってきた。


「ユイ、ヤバイ!!」

「ヤバイって何が?」

「ブシコが……さらわれた」


 ――さらわれた。物騒な言葉がすんなりと呑み込めない。


「はぁ? ど、どういうこと?」

「見えたんだ。ブシコが見ず知らずの男女に引っ張られるところ」

「どこで!?」

「こっち!!」


 ボクもとっさに立ち上がりる。

 ブシの向かったトイレは、20メートルほど進んだ通路の交差点を右折してわりとすぐの場所にある。ブシがさらわれたというマユの話がまだボクには半信半疑だったが、実際、交差点を曲がっても、トイレが混雑している様子はない。少なくともトイレの外までは行列はできていない。


「あそこから向こうに引っ張られてた」

「間違いないんだよね?」

「私が美少女を見間違えるはずがないでしょ」


 聞きようによっては、かなり危険極まりない言動だが、今は突っ込んでいる暇はない。


 マユはすこぶる視力がいい。マユ自身がブシの髪を結っているから髪型だって覚えているだろうし、服装だって、マユの買ってきた服をブシが自主的に着ていたのだから見間違える可能性は少ない。


「とにかく探そう」


 ジッとしていても何も進まない。園外に出られてしまったら住所どころか名前さえも知らないブシを見つけ出すのは不可能だ。

 マユが指差した方に向かって、ボクはマユは早足で進み始めた。

 遊園地だけに人がごった返している。家族連れ、カップル。女子グループ。男子だけのグループもいる。別行動を取っているのか子供だけのグループもいた。


 必死にブシの服装を思い出していた。花柄のふりふりスカートにカーキ色のキャミソール。

 人が多くて下半身は人混みに埋もれてしまうだろうから、探すポイントはカーキ色のキャミソールだろうか。

 ブシの服装を意識し、通路を直進し続ける。壁に物々しいゾンビや血だらけの女性のイラストが描かれている建物が目に入った。幽閉体育館の文字。いわゆるお化け屋敷だ。

 このアトラクションの脇を抜けると、広い場所に出た。となれば進む先の選択肢は無限大。そこで一旦立ち止まる。


「どこかにいる?」

「ちょっと待って」


 マユがグルリと周囲を見渡す。ボクも負けじと見回すが、ボクの目にはブシらしき姿は入ってこない。


「いた!! あそこ!!」


 マユは右前方を指差した。その先を目で辿るが、まだボクには分からない。 


「どこ?」

「あぁ!! 行っちゃう!!」


 マユが慌てて追っかける。本当なら全力疾走したいくらいだが、人が多くてそこまではできない。


「でも……何でブシが!?」


 さらわれたとマユの口から聞いた瞬間から感じた疑問。


「可愛いからでしょ、そりゃあ」


 そう決めつけるマユの言葉を素直に受け入れることができないでいる。

 本当にそうだろうか。可愛いというだけでここまで大それたことが起こりうるものだろうか。今でもブシは自分の名前さえ語らない。年齢も家族構成も生い立ちも言わない。はっきり言えることは、ブシをボクに託した大人がいること。それだだけだ。

 その大人のしたためた手紙の文面や筆跡を見る限り、その大人は女性でもあり、その女性のことをボクはブシの母親ではないかと勘ぐっているが、もちろんそれは証拠も根拠もないただの妄想に過ぎない。

 結局何がいいたいかといえば、今でもボクはブシのことは何一つ知らないのだ。

 ブシが頑なに口の中に閉ざしている彼女の秘密の中に――この事件を引き起こしたということはあり得ないのか。

 分からないこと過ぎて、大事な何かを見落としているような気がしてならない。


 走りながら、一つ気になることが思い浮かんだ。

 不審者に声をかけられた時のブシの怯え方は尋常ではなかった。今までにも同じようなことがあったとしたら。ブシ自身、誰かに狙われてという自覚があったとしたら。

 狙われているが故に、自分のプロフィールを他人に話せなかった? だとしたら手紙の内容がどこまで本当でどこまでが嘘か分からない。


 マユの背中を追い走り続け、気づけば遊園地の中央エリアに到達していた。


「くっそ!!」


 マユが急に立ち止まった。


「見失ったし」


 遊園地の丁度真ん中だけあって、複数の建物が集まっている。建物への人の出入りも激しいし、進む経路の可能性に至っては無限大。ボクは遊園地の出入り口はどこにあったか。それを思い浮かべていた。


 ボクたちの入ったのはメインゲートだ。園の北側にあり、バスロータリーに面している。公共交通機関で遊園地に訪れた客が入るのに使う。実はその真逆にもゲートがあるのだ。遊園地の南側にあることからサウスゲートと呼ばれている。こちらは一般の駐車場に面していて、自家用車で来園した客はこちらから入ることになる。

 ブシを見失ったからといって追跡を諦め、待ち伏せをしようと思ったところで、出入り口が一つではない以上、メインゲート前でブシと犯人を待ち伏せするなんて方法は使えない。

 二手に別れて監視するという手もあるにはあるが、一人で犯人に立ち向かったところで、危険過ぎる。

 周囲の様子を伺いながらもとにかく進むマユの背中を追い、建物の角を回ると目の前に一つドアが現れた。ドアのガラス部分に"お客様待ち合わせセンター"の印字。いわゆる迷子センターのことだ。

 "迷子"という単語に対して過敏な保護者の為、"待ち合わせ"というネーミングにしたという話は、この辺りでは有名な話だ。

 じゃあ、そのネーミングを逆手に取って、ここで友人と待ち合わせをしてもいいですか? と大人がセンターに顔を出せば、それはそれでスタッフがいい顔をしないという都市伝説のような噂話も耳にしたことがある。


 そのドアを素通りし、次の角を回ろうとしたところで、不意に顔を出した男性とマユは接触しそうになったものの、とっさに体をひるがえしたことで衝突は避けられた。


「すいません!!」

「大丈夫ですか?」


 男性が怪訝そうにマユの方を見た。

 男性が着ているのがハーモニーランドの職員の制服だということはひと目で分かった。胸には名札。高木健人(たかぎけんと)と記されている。三十代と思しき風貌。覇気がないというか、どこかパッとしないというのが第一印象。

 マユの美貌を見て、従業員の態度が一変した。男は美人に弱いという典型的な例とも言える。


「何かお困りではないですか? お手伝いすることがあれば遠慮なく言ってくださいね」


 両手を胸の前に持ってきてニヤニヤする様は、まるで悪代官にゴマをする呉服問屋かちりめん問屋の主人のようだ。


「いえ……大丈夫です」


 行こ。マユがボクの手を握る。

 少し離れたところでマユがボクの耳元でそうつぶやいた。


「何かニタニタして気持ち悪い職員だったね? それに迷子をお探しですか? なんて聞かれても困るしね」


 ブシのプロフィールを聞かれたところで何も答えられない。ブシを探してもらうどころか、ボクたちが誘拐犯にされかねないのだ。

 待ち合わせセンターの脇を抜け、昼ご飯を食べたレストランの建物を超えたところで、マユが右前方を指さした。


「いた!!」


 今度はボクもしっかりとブシの姿を捉えることができた。不審な男女。その間には確かにカーキ色のキャミソールを着た女児の姿。一見すると親子にしか見えない後ろ姿だが、よくよく見れば男女が半ば無理やりに女児を引いているのが分かる。

 マユが一直線に男女に向かって歩を早めた。

 子供を一人引っ張るのでは速度が上がらず、人の波をかき分けて進んでいるうちに、ブシたちにかなり近づいていた。

 あと少し――あと少しで犯人と接触ができる。周囲は客でごった返している。接触し、騒ぎ立てればきっと犯人も諦める。そんな計算を頭の中で弾き始めたところで計算が狂った。


「ちょっと待ちなさいよ!!」


 まだ少し距離があるのに、犯人に向かってマユが叫んだのだ。


「ちょ、ちょっとマユ!!」


 慌ててマユをたしなめたがもう遅い。


 犯人たちはボクとマユを振り返った後、態度を一変させた。周囲に溶け込むように親子のふりをしていたが、逃げ切れないと判断したのだろう。男の方がブシを抱えて走り出した。


「待て!!」


 そうなれば追うしかない。マユが我先にと走り出し、ボクがマユの背中を追うという形はここでも変わらない。久しぶりの全力疾走。すぐに肺が痛くなった。

 男女はまるであみだくじのように建物脇の細い路地を駆使して、クネクネと進んでいく。身軽なボクたちの方に部があるはずなのに、全く距離が縮められず、フラストレーションは溜まるばかりだ。

 曲がる度に犯人たちの姿を探し、辛うじて彼らの背中を見失うことなく追うという状況が続いた。ブシの名前も住所も知らない以上、絶対に見失うわけにはいかない。こうなると意地と意地の張り合いだ。

 気づけば遊園地の敷地の端まで来ていた。遊園地の境界線をなぞるフェンス沿いに進み、犯人たちは、アトラクションではなく、管理棟といった佇まいの無機質な建物が複数固まっている界隈の路地を突き進んだ。

 通報の入り口には、関係者以外立入禁止の立て札。もちろん構ってなんていられない。ボクたちも迷わずに突き進む。


 関係者以外立入禁止の通路を百メートルほど進んだところを犯人たちが曲がったのを見て、ボクたちも後に続いた。

 ここで彼らの逃走劇は終わった。路地の先が行き止まりになっていたからだ。

 正確には、路地の最奥にある関係者以外立入禁止の札がかけられた鉄の扉が行く手を阻んでいる状態。男は鉄の扉のノブをガチャガチャと回してはいるものの、施錠されていて開けることかできず、足で一度、扉を蹴ったのが見えた。


「待ちなさいって言ってるでしょ!!」


 マユの声に振り返った犯人たちと対峙する形になる。2人の真ん中には小さな女の子。


 間違いない――ブシだ。


 凶悪な風体を想定していたのに、意外にも男女はどこにでもいる大学生といった様子の二人組だった。ヒョロリと背が高く、なかなかに爽やかなどこにでもいそうな青年と、大それたことなんてできそうもない見るからに大人しげな女の子の二人組。

 どうしてこんな犯罪に手を合わせる出さなければならなかったのかはボクには想像さえできない。もちろんブシがさらわれるかに至ったのかもだ。

 犯人たちは明らかに怯えているように見えた。拍子抜けして、思わず肩から力が抜ける。


「もう逃げられないわよ。ブシコを離しなさい」


 マユが言い放つ。


「……ブシコ?」


 女が首を傾げる。


「あなたたちが連れ去ろうとした女の子よ」


 言葉を続けながら、マユが男女に近づこうとしているのを見て、ボクがマユの腕をつかんだ。


「ボクが話をする」


 いくら見た目が凶悪に見えなくても、中身までは分からない。マユを――ボクの大好きマユを絶対に危険な目には合わせたくはなかった。


「お願いだからその女の子を返して欲しい」


 追い詰めたからと言って、傲慢な態度取って犯人を刺激するのは賢くない。なるべく柔らかい口調を意識する。


「見逃してください」


 男が頭を下げた。未だブシの手を握る手には力が籠もっている。諦めるつもりがないということだ。

 でもここで引くわけにはいかない。


「ごめん。そうはいかない。預かってる大切なお客様だから」


 手紙の内容の真偽はともかく、ブシを家に招き入れた時点で責任が生じている。少なくともボクはそう考えている。


「この子を連れてくるように頼まれているんです。そうしないと僕ら大変なことになるんです」

「連れてくるようにって……誰に?」

「この女の子の親に」

「ボクたちはその子の母親に頼まれて預かってる。たから親が連れてこいって言うはずはないよ」


 たしなめながらも一歩一歩、ゆっくりと犯人たちに近づいていく。親がこんな強引な方法を使うはずがない。まだ幼い子供だ。親本人が顔を見せれば済む話だ。見ず知らずの他人を遣いによこす理由はない。


 もうお互いの顔がハッキリと分かるだけしか距離はない。

 不意に風が細い通路を通り過ぎていった。髪の毛が舞い上がる。一瞬、視界が塞がれ、慌てて前髪をかきあげた。

 普段前髪で顔がある程度隠れるようにしている。まじまじと顔を見られたくないからだ。

 切れ長の目。理想的な二重まぶた。まつ毛も長く量も多い。もちろんつけまつげの必要なんてない。真っ直ぐに伸びた鼻梁。薄い唇。ボクの顔は直線に近いもので構成されている。


 誰もがボクの顔を見ると息を呑むことを知っている。信じられないものを見たような顔。その顔には――衝撃もしくは驚愕が浮かぶ。

 今だってそう。ブシの手を握っている女と目があった。少し細めの一重のまぶたのその奥の瞳が揺れ、その女の唇がかすかに動くのをボクは見逃さなかった。

 え? 男なの? 

 声は届かなかったが、間違いなく女の唇はそう言っていた。

 物心ついた時からそう。いつもいつもいつも女に間違えられる。息子が言うのもなんだが、父親は野暮ったい顔をしている。だんご鼻で出っ歯で、挙げ句には特徴的な骨ばった頬。父の顔型ははまるで野球のホームベースのよう。


 ボクの顔とは全然違う。あまりに父親の要素を持ち合わせていなくて、父親とのDNAの繋がりでさえ怪しんだ時期もあったが、父親がそれは断固として否定したから今は信じることにしている。

 ボクのDNAは父一人から来るものではない。あまりにも似ていない父の顔を見る度に、必然的に――思春期の頃には既に理解していたが――会ったこともないボクを捨てた母親の面影を自分の映る鏡から探していた。


 小学生の時は、クラスメイトとの距離感に戸惑い、ほとんど会話を交わすことはなかった。中学に上がれば上がるで、男女(おとこおんな)と言われ続けた。見た目は女。性別は男。じゃあ心は――それが共通の疑問点だったのだろう。クラス全体の興味ごとと言ってもよかった。担任でさえ、そんな生徒たちの対応をやめさせるわけでもなく、むしろ結果が出るのを虎視眈々と待ちわびている節さえあった。

 そんな苦労があったものだから、ボクはこの顔が嫌いだ。


 目の前の男女がどんな態度を示そうがボクはあえて無視をする。


「その子はボクたちの大事な大事なお客さんだから、返してくれるよね?」


 ボクはゆっくりと、でも決して止まることなく距離を詰め続ける。

 ブシまでまもなくという距離まで近づいた。ブシの目に涙が浮かんでいるのが見て取れた。まだ幼い女の子だ。怖くないはずがない。

 大丈夫。言葉にせず唇だけでそう伝える。ブシが軽くうなずくのが見えた。ボクを心配させまいと思ったのだろう。顔を少しだけほころばせたのが嬉しかった。


「とにかくこの子はボクたちと一緒に帰るから」


 目の前のブシにボクは手を差し延べる。女はオドオドしている。拒否の様子もなく、観念したのだと思い込んでいた。

 でも違った。不意に衝撃に教われ、視界が傾いた。どうなったのか理解できず、少し離れた場所にいたはずの男が肩をこちらに向けた状態で至近距離にいたことで男に突撃されたのだと理解した。

 そのまま尻もちをついていく。


「行くぞ!!」


 男の罵声に合わせて女が動き出した。ブシの手は女が握ったまま。

 ブシが引っ張られていく。ヤバイ。焦り、焦燥。ブシと目が合った。助けてとその目が言っているとボクは解釈した。


「ブシ!!」


 歯を食いしばって手を伸ばす。ブシも手を伸ばしてくる。もう少しもう少し――。スローモーションで全てが動く。指先と指先が近づいていく。 

 やがて――届いた。

 ブシの手首をガシリとつかむ。ブシもまたボクの手首を握り返してくれる。

 ボクとブシが繋がったことで、前しか向いていなかった女がつんのめる。振り返り、ボクとブシの手がしっかりとつながれていることを認識した女が必死にブシの腕を引っ張るのが見えた。

 苦痛に歪むブシの顔。


「ごめん。頑張れ」


 何とかしてあげたいとは思うが、どうにもできない。今はただブシの手を離さずにいるしかない。尻もちをついたままでは踏ん張れないが、ブシの腕を掴んだままどうにかこうにか立ち上がることができた。こうなれば女に力では負けるはずがない。


 二度三度と引っ張り合いをして、諦めたのか、女はブシの手を離した。


「ごめん」


 女が男にそう言うのが聞こえた。男女はそのままマユの横を抜け、走り去っていく。一瞬で静寂がボクたちを包み込むだ。ようやく息を吐き出した。肩の力も抜ける。


「ブシコ、大丈夫?」


 マユがブシに走り寄る。膝を曲げ、ブシを胸の中で抱きしめるのが見え、その刹那、ボクは地面に尻餅をついた。立てた片膝に腕を置き、肩の部分に顎を置いた状態でマユの方に視線を向ける。


「よかった……。本当によかった」


 ブシも必死にマユにしがみついている。ボクにはそれが少し羨ましかったりもした。


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