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突然ですが、武士拾いました  作者: 和久井 要
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7月30日 am8:33

 味噌汁が大好きだ。何故なら味噌汁は日本人の心の拠り所であり、大豆ラブなボクとしても唯一無比の存在だからだ。

 出汁は当然、合わせ出汁を使う。粉末のものなんて使わない。そんな邪道なことをしたら味噌汁の神様に怒られてしまう。少なくともボクはそう思っている。

 一手間はかかるが、昆布と鰹節を使って出汁を取るのに、何ら特別なテクニックは必要ない。前もって昆布を水につけておき、それを火にかける。ただそれだけ。ホント簡単。


 気をつけることといったら沸騰する前に昆布を取り出すこと。万が一沸騰させてしまったらボクは迷いなく一からやり直す。それくらい大切なことなのだ。

 昆布を取り出したら、今度は鰹節を入れるのだが、下手に触らないことが肝要だ。見ていると思わず箸でかき回したくなるが――その方が出汁がたくさん出そうだから――それが一番いただけない。ここはただジッと鰹節が自然に沈んでいくのを待つのみ。全て沈んだら一旦火を止める。浮いてきた灰汁を取り除き、2分ほど放置する。その後、ボールにザルとペーパータオルをセットし、出汁を()す。


 これで合わせ出汁は完成だ。何も難しいことはない。人並みの注意力と落ち着きさえ兼ね備えていれば何ら問題はない。

 濾した合わせ出汁を鍋に移せば、今度は具を入れていく段となる。今日の具は豆腐と油揚げ。懐かしき日本の味噌汁の王道でないか。まさにキングオブ味噌汁の具。それらを食べやすい大きさに切り、出汁の中に入れる。ここでも別にコツは必要ない。強いていうならば、豆腐を乱雑に扱い過ぎて壊さないようにくらいは気をつけたい。


 具に火が通ればいよいよ仕上げとなる。

 いくつもの味噌を試し、ようやくたどり着いたボク好みの究極の合わせ味噌を溶く。わざわざお取り寄せしているのだ。濃くなり過ぎないように量は慎重に。味見を重ね、出汁との調和が取れた濃さになれば完成となる。ボクの好みは出汁に対して味噌は少し薄め。一口飲んで、思わずほぉと息を吐き出すくらいの優しい味で癒やされたい。

 もちろん出来上がったからといっても最後まで気を抜いてはいけない。味噌を溶いた後は絶対に沸騰させないこと。グツグツ煮てしまっては味噌の風味が台なしになってしまうから。


 味噌汁をお椀によそった後、薬味ネギを散らした。グッと彩りが鮮やかになる。ネギの香りも清々しい。

 ククク。嬉し過ぎて思わず声が漏れる。 

 これぞ大豆の三重奏。完璧な調律(ハーモニー)。大豆の神様、万歳。

 テーブルに豆ご飯、味噌汁、納豆、そしてグラスに入れた豆乳を置いた。 

 何て神々しい光景なんだろう。ボクはその(まばゆ)さに目を細めた。大豆パラダイスではないか。大豆に埋もれたい。大豆の中で遭難して死ねるのなら本望だとさえ思ってしまう。


 料理はボクにとって日常だ。面倒臭いという人もいるが、ボクにとっては呼吸とさして変わらない。もちろん、母親のいない――生物学的には存在するはずだが――ボクがすんなりとここまでこれたわけではない。

 今もそうだが父親は昔から家事が全くできない人間だ。掃除も雑、洗濯も面倒くさい、片付けに至っては天性の素質を感じるくらいにうまくできない。そんな家事の中でも炊事に至っては壊滅的とさえ言って差し支えない。それでもボクの小さい時は、忙しい仕事の合間を縫って、必死にご飯を作ってくれた。


 外は炭のように黒く、でも中はマグマのように赤い超レアなハンバーグや、スクランブルエッグにもなりきれなかったパッチワークのような種々雑多な形の卵の切れ端をモザイク柄のように組み合わせた、父称オムライス――あくまで父称であり、どう見てもオムライスの形態はしていない――などが代表作品ではあるが、その他にも、口にするのもはばかられるくらいに数多(あまた)なる伝説が、テーブルの上では繰り広げられていた。


 理系で研究職。計算は大の得意のはずなのに、かくのごとく料理においては基本的な計算式も解けないらしい。

 そんな父親の壊滅的な料理下手に悲観し、だから料理を覚えようと思ったのかと言えば――確かにきっかけにはなったと思うが――それだけじゃない。我が家に救世主が現れたのだ。それこそがマユの母親の藤沢紀子(ふじさわのりこ)――ノリコさんだ。


 ノリコさんは実質的なボクの家事の師匠で、味噌汁の出汁の取り方はもちろん料理のいろはを文字通りイチから教えてくれた。掃除の仕方も洗濯の注意点も、ボクの家事のベースは、全てノリコさんにあると言っても過言ではない。

 テキパキと家事をこなすノリコさんはボクにとってはスーパーマンであり、同時に母親の面影さえ知らないボクの育ての母親でもあった。


 もちろんノリコさんがボクの家の家事をしてくれているのは、単なる親切心であり、決して父親の恋人などではない。そもそもノリコさんにはちゃんと旦那さんがいるのだ。だからボクもそのあたりはわきまえていて、普通の子供がするように、引っ付いたり、抱きついたり、我が儘言ったり――そんな風にノリコさんに接することはボクにはできなかった。

 ひたすらにノリコさんの教えに耳を傾け、技を身に着け、その上達を認めて貰うことこそが、ボクにできる精一杯の甘え方だといえた。


「朝ご飯だよ」


 大豆パラダイスという絶景を一頻り眺めたボクはリビングに向かって大きな声をかける。

 リビングに二組の布団が敷かれているのが見える。言わずもがな、マユと武士――ブシの分だ。ボクの声に反応してすぐさまブシがキッチンに現れ、椅子に座る。ブシは基本、どこでも正座だ。それは椅子の上でもソファの上でも同じこと。


「かたじけのぅござる」


 そしてブシは礼儀正しい。

 一方で、少し遅れてブシの隣に、苦虫を噛み潰したかのような顔をしたマユがノロノロとやって来て、だるそうに座った。このギャップは何だ? 一体どっちが大人なんだと言いたくもなる。

 それでもボクはマユに頭が上がらない。

 ノリコさんがボクは家に家事をしに来てくれるようになったのは、まだ小学校に上がるかどうかという頃だ。甘えた盛りのマユにとって母親が足繁くボクの家に通うことをいいように思っているはずもなく、現にマユは度々、ノリコさんにくっついて一緒にボクの家にやって来た。


 何をするわけでもなく、マユはボクの隣で一緒にソファに座って、家事をテキパキとこなすノリコさんの様子を眺めていた。とりたてて会話をすることもなく、真一文字に唇を結ぶマユの横顔を見て、子供ながらにボクはずっと申し訳ないと思っていた。マユがノリコさんと親子水入らずで過ごせるはずの時間の一部をボクは奪ってしまっているのだから。

 ずっと黙り続けていたが、ある時、限界が訪れ、とうとうボクは口を開いてしまった。ごめんね、お母さんとの時間、減らしちゃってるよね――って。


 その時、マユがボクの方を向いて、笑顔を浮かべてくれたことをボクは決して忘れることができない。

 マユは首を横に振った。大丈夫だよ。私、お母さんが台所に立っているのを見るの好きだからって。 

 意外だった。マユはずっとボクのことを疎ましく思っているものだと決めつけていた。ほとんど会話することもなかったし、視線も合わなかった。時々マユの横顔を見ても、マユはノリコさんをずっと見ていた。


「それでもごめん」

「遠慮しなくていいよ。お母さん、半分貸してあげるから」


 マユの言葉に嘘偽りはなかった。実際、小学校の授業参観も、運動会や学芸会も半分はボクのために時間を割いてくれた。さらには忙し過ぎて時間の取れない父に変わって、高校の時の三者面談には、ノリコさんはボクの母親代わりとして出席までしてくれたのだ。


 本当に一度たりともないがしろ扱われたことはなかった。おかけでボクは母親のいない寂しさをほとんど感じることなく、今の今まで生きてこられている。

 全ては――マユのおかげだ。かくのごとくマユには感謝しかないが、だからと言って、いつ何時もマユが輝かしく見えるわけではない。


「早く眼を覚ましな、マユ」


 寝癖満開の髪。スッピンのマユは目が腫れぼったく見える。一重ではないが、微妙に惜しい奥二重。さらに残念なことに、寝起きのマユは目が死んでいるのだ。まるで水面に浮かんでいるフナのよう。そんなフナのような目がギョロリと食卓を向いた。


「……よくも毎日毎日同じような朝ご飯作れるよね? たまにはスクランブルエッグとコーヒーとトーストの朝ご飯が食べたい」

「駄々こねないの」


 嫌だ、食べたい食べたい食べたい。

 もちろん毎日が全く同じメニューなわけではない。カテゴリーが和食だということに対してマユは文句を言っているだけなのだ。


「だったら家に戻れば?」


 マユの家はボクの家のすぐ近くにある。分かりやすくご近所さんだ。その気になればいつでも帰ることができる。マユから苦情が出る度に、家に帰るよう促しているが、マユは一向に家に戻る形跡はない。

 よほどブシのことを気に入ったのだろう。実際、マユは一時(ひととき)も、ブシの隣から離れない。

 そんなこんなでマユはボクの家に入り浸り、てっきりノリコさんには家に泊まることくらいは報告しているもんだと思っていたら、少し心配げな顔をした――まぁ、多分、ボクの家にいるのだろうなという当たりはついていたと思うが――ノリコさんが玄関先に来たのは、昨日の晩のことだ。


 うちのマユ、お邪魔してない? 

 

 ――マユは無断外泊していた。

 理由は分かる。ブシのことはぶっちゃけ説明がしづらい。


「実は知り合いの子供を預かっちゃったんだけど、正直、ボク一人では荷が重いからマユに手伝って貰ってて」


 無難過ぎるくらい無難な説明。突っ込みどころ満載の返答でもある。知り合いって誰? どうして学生だけで子供を預かろうと思ったの? マユが寝泊りする必要まであるのかな?

 そう聞き返されたら、ボクは答えを持ち合わせていない。


「あ、そうなんだ」


 ノリコさんのボクに対する信頼はボク自身の想定より遥かに鉄壁なものだった。微塵も疑う様子もなく、ノリコさんは笑みを浮かべた。


「ユイちゃんのところにいるんだったら安心した。マユでよかったらどんどん使ってあげて」


 ノリコさんが帰った後、生まれて初めて腰が抜けた。玄関に座り込んでいるところにのん気にマユが顔を見せ、思わずデコピンをしたくらいだ。


 そんなすったもんだがあったにもかかわらず、マユは何も変わらない。今もそう。寝起きの不機嫌でほっぺたを膨らませていたマユだったが、隣のブシを見た途端、笑顔に変わった。

 

「おはよう、ブシコ」


 ブシは未だ名前を教えてくれない。仕方なくボクがブシと呼んだら女の子なんだからそれはないわとマユが反対した。

 その結果、マユが決めた呼び名が――ブシコ。つまりブシに女の子らしく"子"をつけただけ。何て安易なネーミングなんだろう。それだったらブシミでもブシエでもブシヨでも良かったではないか。

 そう提言したら、このすっばらしいセンスが分かっていないなんて情けないわと、マユは残念そうに、かつ仰々しく首を横に振った。


「おはようでござる、マユタン殿」

「もぉ。マユタン殿じゃなくてマユタンでしょ」


 始めてボクの家のリビングにブシを上げた時から、このやり取りは始まっている。ソファに座らせてすぐ、マユはブシに自己紹介を始めたのだ。


「初めまして、マユタンって呼んでね」

「宜しくでござる、マユタン……殿」

「殿はいらないからね? マユタンだよ」

「マユタン殿……殿はいらないから」

「殿はいらないからはいらない」

「殿はいらないからいらないからいらないから……殿?」


 一つのことに固執する傾向があると手紙にも書かれていた。つまりはこういうことなのだろう。一度、そうだと思ってしまうと、なかなか戻すことが難しい。

 それから"マユタン殿、殿はいらないよ"問題は、終焉が見えぬまま、日常的に目の前に繰り返されている。


 時間の経過とともにご飯がどんどん冷めてしまう。とにかく食べるよ。味噌汁冷めちゃうし。そう言いながら、ボクは席についた。


「いただきます」


 手を合わせるとブシもマユも倣う。食事の間は大した話題もないまま淡々と進む。ブシは食事中の会話も、ましてやテレビも嫌う。そして手紙にあったように、この年頃の子供が好きなハンバーグやオムライスをブシあまり食べず、和食の方が食いつきがよい。筑前煮など出そうものなら、猛烈に平らげていく。


 だから食卓にはいつも和食を並べている。どれだけマユから苦情が来ようが、健康にもいいし、第一、和食は世界遺産なのだから大切にして然るべきだ。

 ご飯を食べ終えるとブシは徐に立ち上がり、自身の使った食器と既に空いている食器を流し台に運ぶ。その流れのまま足踏み台をよっこらしょと持ってきて、台に乗ると、袖をめくり、ブシはスポンジに洗剤を垂らす。

 こちらからお願いしなくても、ブシは洗い物を買って出てくれた。一宿一飯の恩、という奴なのだろう。ありがたいのだが、侍の出で立ちではスポンジは似つかわしくない。


 だがブシの朝の格好はさらに意表をついている。

 ブシが着替えを持ってきていないことがことの始まりだ。この服一つで十分じゃ。そう言っていたが、まさか一ヶ月間、一度も着替えをしないわけにはいかない。

 リュックの中を確認したわけではないが、ブシの背負えるような小さなリュックに入るものなんてたかが知れている。

 どうしようか考えあぐねている時、マユが喜んで手を上げた。私がブシコの着替えを買ってくるよ。

 マユにも少しは役に立って貰おうと任せることにした。


 そしてマユがブシの寝間着として買ってきたものが――緑色をした怪獣のパジャマだったのだ。 

 どういうセンスなのだ。目の前が暗くなった。しかしマユ自身は上機嫌だ。キャア、可愛い。ただの自己満。そうとしか言えない。

 もちろんブシは必死の抵抗を試みた。しかし、まるでライオンが獲物を狙うかのこどく獰猛な眼差しをしている時のマユは無敵だ。お構いなしに瞬く間に可愛い怪獣を一匹作り上げてしまった。

 一度着させられたら吹っ切れたのか、ブシはお風呂に入った後、素直に怪獣に変身するようになった。


「ブシ、ありがとね」


 食べ終わり、お茶をすすっていたボクは洗い物をしているブシに言葉をかける。


「大したことではない」


 せっせと洗い物をしている緑の怪獣の尻尾が揺れている。

 確かに可愛い。無意識に顔をほころばせていた。頭から続く皮骨板もなかなかにいい味を出している。皮骨板とは背中から生えているトゲトゲのことだ。


 そうそう。必死な思いでコンビニで買ってきたかき氷は、見事にマユとブシに食べられてしまい、結局、ボクの口には一口も入らなかった。苦労を返せと心の中で叫んだものの、ブシの前で言葉にするのはためらわれた。あまり大人げないところを見せたくなかったのだ。

 またコンビニに行こうかな。そんなことを考える今日この頃だが、何をしでかすか分からないマユを家に置いてコンビニに行く勇気をボクは持てずにいた。

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