9月08日 am11:23
父親――健吾がソワソワしている。ソファに座っても貧乏ゆすりをして、それでもジッとはしていられず、立ち上がってはリビングをあっちこっちウロウロする。
「父さん。鬱陶しい」
一喝するとまたソファに座る。先ほどからその繰り返しだ。
健吾が海外出張から帰ってきてすぐ、ボクは健吾を問いただした。
「そう言えばさぁ……ボクの母親って清川麻美なの?」
できるだけさり気なく。あまりに前のめりになって、相手が殻に閉じこもってしまっては意味がない。
「ん? まぁ……そうだな」
あまりにあっさり白状し、拍子抜けしてしまった。ノリコさんはあれだけ必死に麻美との約束を守ろうとしたのに、この男と来たら……。
小さい頃、健吾にお前は知らなくていいと言われ、ノリコさんにも否定されてから、ずっと健吾の前で母親のことは口にしてこなかった。それ相応の時間が過ぎ、健吾の中では、案外、約束の有効期限が切れてしまっているのかもしれない。
もちろん素直に白状したからといって、はいそうですかとボクの心が許すはずがない。海外から帰ってきた直後にもかかわらず、健吾を椅子に座らせて、ボクは滾々と説教を始めた。
どうしてもっと早く言わない? 知っていたら、一度くらい母親に文句の一つもぶつけてやれたかもしれないのに云々。思いつくままに乱暴に言葉を投げつけ続けた。
ボクの正論に返す言葉もなく、ヘコヘコ頭を下げる健吾の姿はなかなかに滑稽で、おかげで怒り心頭だったボクの気持ちはあっという間に萎んでしまった。一時間くらいは説教してやろうと意気込んでいたのに、実際は正味十分。何とも情けない話だ。
それから数日して、晶子――田母神京が緊急記者会見を開いた。ボクはテレビでそれを見ていた。
記者会見では京の隣の席には華が座り、その席で京は華が実の娘であることを公表した。
父親は誰ですか? マスコミの注目点はまさにここにある。京は結婚していない。その時の交際相手と破局した後に妊娠が発覚し、シングルマザーの道を選んだという筋書きであれば大したことではないが、マスコミ的にはやはり禁断の愛――不倫を疑っているらしい。いや、疑っているというより、不倫であればよりセンセーショナルな記事が書けるという期待を持っているというべきだろうか。
記者たちの前のめりな態度に、嫌気がさすものの、もちらん予想も覚悟もしていたのだろう。京はどこまでも落ち着き、気丈に振る舞い、相手の方に迷惑がかかるので、と一切の明言を避け、最後の最後まで耐えしのいだ。
飛び火したように、華にもいくつか質問が飛んだが、無難な返答に徹していたと思う。時にはしおらしく、時にはまだ幼い女の子として拙い感じで。状況状況に応じて、微妙にキャラクターを使い分け、マスコミからのどストレートの質問を器用に避けいく姿は見ていて清々しい。
この記者会見を開いたのは、華が襲われ、守ろうとしたマユが怪我をした事件を重く見た京が、このまま華との関係を秘密にしていては華を守り切れないと判断したことに端を発している。
親子であることを公にすることで、犯人も華に接触しづらくなるし、華におおっぴらにボディーガードをつけることもできるというわけだ。
ただし、いいことずくめではない。
この記者会見は、今まで作り上げてきた田母神京の清楚で気品のあるイメージを地に落とす可能性があるものだ。今後の出演に影響が出ることは想像に難くなく、場合によっては今出演している映画やCMのキャンセル、そして違約金の発生も覚悟しなければならない。
実際、しばらくの間、ワイドショーは京と華の話題で持ち切りになった。京の出演履歴を年表に起こし、華の年齢と重ね合わせる。すると、必然的に大まかな妊娠期間が特定され、それより前にドラマや映画で共演した相手がリストアップされる。
無責任な憶測がスタジオに飛び交っていた。
妊娠が発表できなかったのは、やはり不倫だったからじゃないか。結婚していないのが何よりの証拠だ。マスコミが騒ぎ立てたいのはやはりこの一点に尽きる。
しまいには共演相手のリストの中から既婚者を残し、その人物に対してあることないこと騒ぎ立て始めた。
いい加減、嫌気がさしてきた頃、大物俳優と大物女優のダブル不倫が発覚し、瞬く間に沈静化したことは笑うほかない。
「おじさんおじさん、少し深呼吸しよっか?」
未だ健吾がリビングでソワソワしている。
落ち着かない健吾に対して、マユが声をかけた。
いや、大丈夫だよ、ありがとう。絶対に深呼吸さておいた方がいいって。
そんなやりとりがしばらく続き、不意にインターフォンが鳴った。あれだけソワソワしていた父親が一転して今度は固まってしまった。
ボクが立ち上がり、画面で相手を確認した後、玄関へ移動する。
ドアの前で不覚にも開けるのをためらってしまった。一つ深呼吸して、ドアを開ける。
「こんにちは」
真っ先にボクの目に姿が入ってきたのは華だ。花柄のワンピース。髪型はツインテール。今日は軽くメイクも施しているみたいで、安定の美少女っぷりは健在だ。華だって立派な女優なのだ。芸名の小泉華という名前を聞くまではピンと来ていなかったが、確かにボクの見ていたドラマにも出演していた。
いつかマユが華にメイクを施そうとした時、全力で拒絶したが、それは正体がバレることを恐れてのことだろう。確かに少し腫れぼったい目のおかげでスッピンとメイク後ではやはり印象が違う。
「ブシコぉ」
ボクの背後にいたマユが叫び、華に向かっ両手を広げた。意図を察したのだろう。華がその胸に飛び込んだ。
「会いたかったぞぉ。マユたんだよぉ。殿はいらないからね」
まだそのネタを引きずるのかと心の中で一人突っ込む。
「ブシコはもういいよぉ。華だよぉ」
「私の中ではずっとブシコなの」
永遠のブシコ、十八歳。そんな訳の分からないキャッチフレーズのようなものをマユは口にする。
「まだ十八になってないしぃ。意味分かんないしぃ」
そう言いながらも華も楽しそうだ。キャッキャキャッキャとかしましい。
華を抱きしめるマユの右手の薬指には指輪が輝いている。プラチナ製で、永遠を示すメビウスの帯の形をした指輪。
そしてボクの指にも同じものがはめられている。ボクはマユと付き合い始めたのだ。このペアリングはその証。
この指輪をはめる時、マユはボクの方を向いて言った。
「先に言っとく。束縛する男は最低だからね」
ボクがいつマユを束縛したのか。いや、違う。今後、束縛しそうだと思われているのか。
確かにボクはマユを放し飼いにする自信はない。自由奔放過ぎるマユは、まるで糸の切れた凧のように、風向きによってどこへ飛んでいくのかも、またどこまで飛んでいくのかも想像ができない。だからしっかりと手綱は引いておかないととは思っていたが、まさかマユに先読みされていたとは。
「じゃあ束縛する女は?」
苦し紛れに問い返す。
「束縛する女は魔性の女」
「魔性の女?」
「そう。言っとくけど魔性の女は女の立派なステータスだから」
何とも勝手な発想だ。束縛する男はダメでも、束縛する女は美学だとでも言うのか。
結局、その話はそのまま立ち消えしている。いや、マユの中ではとっくに決着がついていて、話し合う類のものでもないのだろう。
でも――そんなことどうだっていいのだ。マユがどんな理屈を突きつけてこようとも、どんな権利を主張しようとも、ボクはマユとずっと一緒にいたいという気持ちに変わりはない。
マユにツバをつけることにボクは成功した。それだけで満足だ。
一頻りマユが華とじゃれ合うのを眺め、ボクは華の背後に立つ人物に視線を向ける。
黒のノースリーブのワンピ。黒のパンプス。黒のサングラスまでかけているとなると、人の目を引かないはずがない。
ボクの視線に気づいたのだろう。その人物は黒のサングラスを外した。
田母神京――本名田母神晶子。華の母親であり、ボクの――姉。
テレビで風貌は知っていたが、さすがというべきか、やはりというべきか、生で見ると、只者ではない存在感を遺憾なく放っている。
ボクを見ていた晶子の目が、ボクをのさらに背後に向けられ、そこで止まった。待ち切れず、父親が玄関先までやってきたのだ。感動の父と娘の再会のはずだが、二人の間には緊迫した空気が流れている。
晶子は時々、ノリコさんとは手紙などで連絡を取り合っていたようだが、父親とは完全に音信不通だった。ただ、仲が悪いというわけではないらしい。健吾が麻美と別れた経緯から、連絡が取りづらかったようだ。
その晶子が健吾に向かって深々と頭を下げた。
「ご無沙汰しております――お父さん」
お父さんと呼ばれ、健吾の顔が少しほころんだような気がした。しかし、その顔を見せたのもほんの一瞬で、ただ一言、いらっしゃいとだけ言って、背中を向け、リビングへ戻ってしまった。研究職に就いている父親は、分かりやすくシャイなのだ。愛想をふりまくのなんて到底無理。
健吾が奥に引っ込んでしまうと、晶子の目が今度はボクの方を向いた。
「綺麗な顔してるね。うちの事務所入らない?」
突然のスカウトにボクは分かりやすく狼狽した。
「嘘嘘、冗談冗談」
はにかむ顔まで美人なのだから世の中不公平だと思ってしまう。もっともボクにとってはマユのはにかんだ顔が世界一なんだけども。
「久しぶりだね……って覚えてるわけないか」
ボクと晶子は七つ年が離れている。見た目からもっと年が近いと思っていたが、そこまでではなかった。
「すいません」
言葉が見つからず、ただそう返す。
「じゃあ改めて――はじめまして、弟君」
弟と言われても、全く実感がわかなかった。当たり前だ。姉がいることを知ったのもごく最近のことなんだから。
「唯一です」
「晶子です。宜しくね――ユイちゃん」
そう呼ばれたことにボクは目を白黒させた。すぐ足元で華が笑いをこみ上げているところを見ると、彼女こそ、ボクのあだ名を晶子に教えた張本人に違いない。
「こら」
華をげんこつする仕草。私のブシコに何をする。すぐにマユに怒られ、ボクは首をすくめる。
「こんなところにいつまでもいないで、さぁ、上がって上がって」
家人でもないのに、どうしてかマユが晶子と華にそう勧める。
「お邪魔します」
晶子も華も、苦笑して家に上がった。まぁ、マユがこの家にいることは別に珍しくも何ともないのだが、マユと一ヶ月ほど過ごした華はともかく、晶子はどう見ているのだろう。
今日、晶子と華がボクの家を訪れたのは、これから新しい家族を始めようかと、そんな話が出たからだ。いうなれば第一回星川家及び田母神家懇親会。
もちろん一緒に暮らすというわけじゃない。たまには顔を見せて、近況でも話し合おうかといった程度のものだが、今まで音信不通だった面々が一堂に会すること自体が飛躍的な進歩と言わざるを得ない。
「わあ、懐かしい。あんまり変わってないね」
リビングに入った途端、晶子が感嘆の声を上げた。少しの間だが、晶子もこの家に暮らしていた。
ソファやテーブルなんかは買い替えていると思うが、ボクの記憶の限り、配置などは変えていない。晶子の反応を見る限り、やはりそういうことなんだろう。
晶子がソファに座り、晶子の隣には華が陣取る。空気を読まず、マユは華の隣に体をねじ込んだ。
リビングには麻美の写真も飾られるようになった。健吾がネガから何もかも処分してしまっていた。だからこの写真は、つい先日、晶子から贈られてきたものだ。
足を組みイスに座った麻美はカメラの方をを向いている。凛とした顔をしているかと思いきや、撮影の合間とは思えないほどの穏やかな顔をしている。
華より少し上くらいの年の頃、撮影についていった晶子がこの写真を撮ったものだと聞いている。
実は私、フォトグラファーになろうかと思ってたのという晶子の言葉は真実なのか冗談なのか。
でもはっきり言えるのは、この瞬間、麻美は大女優ではなく間違いなく母親だったということだ。一欠片も存在しなかった母親の一部が、ボクの家に蘇ったと思った。
そう思っただけで、写真を置く時、人知れず感極まりそうになってしまったことは誰にも内緒だ。
「そう言えば、またドラマのロケで半月ほど海外に行くから、その間、華を預かってくれないかな?」
事態は思いのほか早く終息し、晶子の仕事にはさほど影響が出なかった。マスコミ的にも、これ以上ほじくり返しても何も進展しないし、視聴者から見ても、素直で快活な華を見て、親子関係を内緒にして、よくここまでちゃんと子育て出てきたなと肯定的な声の方が多かった。
美人で可憐な晶子のイメージに、実はしっかりしたお母さんという新しい要素が加わり、華との親子共演の話も出てきているのだそうだ。
一方で華を襲った犯人はまだ突き止められていない。事件を公にしたことで警察が動いてくれているのだから解決は時間の問題だと思いたい。まぁ、それでなくても十分に犯人側には牽制になっているはずだ。実際、最近、ボクたちの周りに不穏な影は見かけないし、華も平穏な日々を送ることができているようだ。
「預かるのはいいが、華はここから学校に通えるのか?」
健吾が言う。
「大丈夫」
華の登校の際はスタッフが車で迎えに来てくれるのだそうだ。
「やった!! 私、ブシコと寝る」
マユが誰より喜んだ。
今までにないくらいにリビングは賑やかだ。お茶の用意をしながら、新しい家族の形にボクは目を細めた。
ボクと健吾のニ人だけだった家族が、大きくなっていく。
目を細めてそんな光景を見つめていたが、家族の中心にいる華の行く末が気になった。
麻美と晶子、親子二代で続いたシングルマザーという負のスパイラル。二度あることは三度あるではなく、三度目の正直で断ち切ってほしい。
この先、華も恋愛する時期が来るだろう。その時、新しい家族をお腹に宿したとしても、どうかその子を自分の子供とは言わず、俳優として手元に置くようなことはしないで欲しい。ボクや華のように、諦めること、割り切ることに慣れてしまう子供を増やすことになってしまうから。
不意にマユが立ち上がり、キッチンに向かってきた。
「そんなところで突っ立ってないで、ユイもこっち来なよ」
お茶の準備をしている途中だ。一瞬、何のことな分からないまま、マユに手を引かれた。
どうやら集合写真を撮るつもりらしい。知らない間にカメラが三脚で立てられていて、ようやく合点がいった。
ボクはマユと華の間に座った。晶子がカメラに走り寄り、タイマーをしかけて、戻ってくる。
「はい、チーズ」
皆、笑顔のまま固まる。記念撮影とはどうしてかくもぎこちないものなんだろう。そしてこそばいものなんだろう。
やがてシャッター音がして、皆、その呪縛から解放される。
そういえば、ボクは家族写真というものを一枚も持っていないという事実を今更ながら思い出した。母親のいない父親と息子だけの写真は、味気ないと思ったのか、単に写真を取られることが嫌いだったのか、頑なに父は写真を撮ろうとしなかった。
つまり、これが一番最初の家族写真だ。
ならば――この写真は麻美の写真の隣に飾ろう。
ボクは既にそう決めていた。
完




