7月27日 am9:52
家の前に――武士がいた。
時代劇に出るような羽織袴姿ではなく作務衣のような服装で、頭を剃っているわけではないが、後ろで一つに束ねた髪を折り曲げて頭頂部に乗せた髪型は、なるほどちょんまげに見えなくもない。腰に得物を携え、威風堂々といった佇まいには貫禄さえ感じさせられるものの、さりとて玄関前に立ち尽くしている武士の横を何事もなかったかのようにすり抜けて家に入るだけの度胸と度量を、あいにくとボクは持ち合わせてはいなかった。に出るような羽織袴姿ではなく作務衣のような服装で、頭を剃っているわけではないが、後ろで一つに束ねた髪を折り曲げて頭頂部に乗せた髪型は、なるほどちょんまげに見えなくもない。腰に得物を携え、威風堂々といった佇まいには貫禄さえ感じさせられるものの、さりとて玄関前に立ち尽くしている武士の横を何事もなかったかのようにすり抜けて家に入るだけの度胸と度量を、あいにくとボクは持ち合わせてはいなかった。
武士の体と玄関のドアまでの距離と隙間を睨みつつ、でも、家に入ってしまえば万事済む話だろうか、とようやく着眼点の歪つさに気づき、いや、そんなはずはないとボクは立ち止まったのだ。
家に入る入らない以前に、玄関前に武士が立っていたとあれば、ご近所様はどう勘ぐるのだろうか。
冷静に考えればごく当たり前の疑問だ。でも、それがすぐに思い浮かばない時点で、ボクはある種の異常心理にとらわれていたと言わざるを得ない。
ボクは困った時には頭をかく癖がある。ご多分に漏れず頭をかこうとして、手から下げていたビニール袋がシャララと鳴った。袋の中には丸いプラスチック製のケースが二つ。
暑い夏、無性にかき氷が食べたくなってしまって、コンビニに寄っていた。食べ過ぎは毒だと思い、一つにしようと迷いに迷った挙げ句、結局は一つに絞ることができず、イチゴとブルーハワイを一つずつ買っていた。
優柔不断。煮え切らない奴。周囲からもよく言われるボクの欠点。
そうこうしているうちにも太陽はグングンと空高く昇り、それに合わせて気温だって上昇し続けていく。
コンビニから家までは片道約15分。季節を考えれば、もう外側が溶け始めている頃だ。かき氷がただの甘い水になり下がる前にどうにかしたい。一刻も早くかき氷が食べたいなんて贅沢はこの際言わないから、せめて冷凍庫にしまわせて欲しい。
でもこれは叶わない。家の前には武士がいるから。
「外になんて出なきゃよかった……」
かき氷なんて諦めて、最初から外出なんてしなければよかったのだ。そうすれば玄関先に武士が立っていることにも気づかず、平穏な時間を過ごすことができていた。
いや――やはりおかしい。ボクはどうかしている。
結局は最初の問題点に帰着する。
ボクが気づく気がかないに関わらず、家の前に武士が立っていたら、ご近所さんは訝しがることに違いはない。
悪魔の無限ループ。地獄の堂々巡り。ボクは、武士の手前20メートルほどのところただただ途方に暮れている。どれだけ身悶えしたところで目下の問題が解決するわけではないのに。
スマホで時間を確認すると、もう少しで午前10時になろうとしていた。
ジッとしていたところで状況が好転するはずもない。ならば進むしかないではないか。ボクはそう心を決め、家の前まで行くと、間髪を入れずボクは武士に声をかけた。
「あの……」
武士はこちらの存在に気づくや否や、腰を少し落とし、睨みつけるようにしながら口を開いた。
「曲者め!! 斬り捨ててくれるわ!!」
腰に下げていた得物を手にしたかと思うと、それを垂直に立て、顔の横で構える。八相の構えだ。剣道をしていたことがあるから分かる。
あまりに突拍子もない行動に、どのように反応していいのか分からない。
「そこ……ボクの家なんだ。中に入りたいんだけど」
辛うじてそう言うことができた。
「ここはお主の家か?」
「……まぁ、そうかな」
正確には父親名義の一軒家だ。築15年。4LDK。まだ辛うじて真新しさを残しているが、デザインなんかを考えれば、最新の一戸建てとはやはり違う。
「そうか」
武士は、構えを解くや否や背負っていたピンク色のリュック――作務衣にリュックは似つかわしくないが――を下ろし、チャックを開けると、中から何かを取り出した。
「ん」
手にしたものをこちらに差し出してくる。
「……何?」
「読め」
武士が手にしていたのは封筒だ。よくよく見ればうっすらとピンク地に、それより少しだけ色の濃い桜の花びらを模した柄が付けられた封筒。手に取るも表面には宛先も何も書かれていない。
「早く読むのじゃ」
「開けていいの?」
「むろんじゃ。早くせい」
裏面を向けたがそちらもやはり無字。仕方なく蓋を開け――糊付けはされていなかったので、すんなりと開いた――中身を出せば、ごく普通の便箋が二つに折り畳まれている。時代劇に出てくるような長い紙を幾重にも折りたたんだものが出てこなくて少しだけホッとした。
その便箋を開けば、誰もが知っているあんぱんの顔をしたキャラクターがうっすらと印刷されているものが使用されていた。このキャラクターを見て、ボクは少しだけ冷静さを戻すことができた。当たり前のことだが、目の前にいる武士は別に戦国時代や江戸時代から来たわけではないのだ。
納得と安堵。そして残された疑問。
答えを探すべく、ボクは便箋に目を走らせた。
※※※※※
この子をしばらく預かってください。時代劇が好きなのでテレビでそのような番組を見せていれば、ずっと大人しくしています。
その影響なのか和食が好きで洋食はあまり好きではありません。
軽い知的障害があり、話し方など変わっている部分もあるかと思いますが、こちらのいうことは理解できるので、それほどコミュニケーションに苦労はしないと思います。
よく一つのことに固執することがあります。その間は何を言っても反応がありませんが、悪気はないので許してやってください。
8月28日に必ず迎えに行きます。どうか施設などには預けず、この子とともに待っていてください。
※※※※
手紙から視線を外し、今一度、武士を見た。
そうなのだ。目の前の武士はとにかくミニマムだ。ボクに子供はいないから想像でしかないが、多分、小学校の低学年。一年生かよくいっても二年生といったところだろう。性別は――女の子。手にしている刀ももちろんプラスチック製のおもちゃだ。
当然だ。立っているのが大人で、本物と見紛うような出で立ちなら、声をかけることなく、ボクは交番に駆け込んでいる。
ボクは再び便箋に視線を落とした。
柔らかな筆跡。達筆というより教科書的な読みやすい字。ただし癖がないわけじゃない。縦の棒は必ずというほど撥ねている。本来ならとめるべき場所も例外なく。
鉛筆で書かれているはずなのにどこか書道のような毛筆的な印象を受けるのは多分そのせい。緩やかな曲線からも手紙の内容からも、手紙を書いたのはこの子の親、もしくは近親者だと考えるのが妥当だろう。筆跡の感じから書いたのは多分女性。ということは母親じゃないかとボクは想像していた。
だとしたら腑に落ちない点も見えてくる。
どうして子供の名前が書いていないのか。それにわざわざ子供に手紙を託すのならば、せめて子供を置いていかざるを得なくなったいきさつや、何故、ボクの家の前に立たせたのかの理由も書いて欲しかった。
「……名前、聞いていいかな?」
少しでも情報が欲しかった。ボクはしゃがみ、小さな武士と視線の高さを合わせる。こ
「お主なぞに名乗る名前はない」
小さな武士は、それでも心意気は立派な侍のようだ。顔を背けるわけでもなく、真っ直ぐにボクの目を見据え、キッパリと断った。
出鼻をくじかれたボクはしゃがんだまま考え込むしかなかった。
施設に預けるなということは、もちろん警察に届け出ても欲しくないということだろう。しかしどこの誰かも分からない人の子供を――加え、侍の言葉遣いのけったいな子供を――八月末まで何も聞かずに預かる人間が一体どれくらいいるというのだろうか。
ちなみに今日は七月二七日だ。手紙の内容を鵜呑みにするならば、迎えに来るまで約一ヶ月間。
小さな武士を預かることに関しては、可能か不可能かと問われれば――可能。夏休みに入ったばかりだし、ボクはバイトもしていない。大学二回生の身分は実に安楽だ。就活にもまだ早い。
もちろん、万が一にも目の前の小さな武士を預かるとなれば家長の了承も必要になってくるだろう。しかし、父親は長期海外出張で九月の頭まで帰ってこないときている。製薬会社で研究員をしている父はボクの小さい頃からずっと多忙なのだ。ちなみに母親はいない。離婚したと聞かされているが、ボクの本当に小さな時にいなくなってしまったので真偽のほどは不明。
母との別れは父にとってもよほど辛い出来事だったのか、母に関する写真の一つも取り残されてはいないという徹底振りで、おかげでボクは母の顔さえ知らずに育っていた。
条件がそろい過ぎている。
この子の母親は、娘を預ける家として、事情を知った上でボクの家を選んだということだろうか。だとしたら知り合いの可能性も浮上するが、あいにくと侍の言葉を操るけったいな子供も、そんな子供を持つ親にも全く心当たりがない。
どうすべきか分からず、身悶えしていると、不意に背後から声をかけられた。
「ユイ、どうしたの?」
振り返れば同世代の女の子が一人立っていた。
「マユ……」
ボクの幼馴染だ。腐れ縁でもある。かなり髪は短く、少し三白眼気味の目に高めの鼻。シャープな顔の輪郭と相まってかなり中性的な顔立ち。ボーイッシュと言えば聞こえはいいが、体付きもスリムの一言に尽きる。分かりやすく言えば女性らしい凹凸がない。今もまた半袖のTシャツに短パンという服装で、素足をさらけ出しているにも関わらず、色気を感じるというよりも、ひたすらに健康を誇張しているといった方がしっくりとくる。
ただし性格は正真正銘の乙女だ。可愛いものは至極真っ当に大好物ときている。
「ちょ、ちょっと、何!? 可愛い!!」
武士に気づくや否や、マユ――藤沢真由は、物凄い勢いで走り寄ってきた。
「コスプレ? すごーい。可愛くてカッコイイ!!」
好奇心旺盛で究極のポジティブシンキングの持ち主。時と場合によっては、強引とも言える前向き思考に胸焼けする時もあるにはあるが、それでも幾度となくボクはこのポジティブシンキングに助けられてきた。加え、無類のお節介好きとこれば、この状況は涎を垂らすほどのシチュエーションであることに違いはなく、つまりはマユが黙って立ち去ることはあり得ない。
「これ見て」
ボクは潔くマユに手紙を渡した。コンビニから戻って来たら、この子が玄関の前に立っていたんだ。簡単過ぎる説明もさり気なく付け加えておく。
マユはサラサラと手紙に目を走らせ、預かるしかないっしょと事もなげに言い放った。
「そんな簡単に」
「でも手紙には施設には預けず、待ってて欲しいって書いてあるし」
「書いてあれば何でも言うとおりにするの? 例えば手紙に死んでくださいって書いてあったら言う通りにする? この子を豪邸に住まわせてくださいって書いてあったら?」
「お前はガキか!! まず、可能か不可能か分けようよ。不可能なら無視。可能なら――してあげる」
ただそれだけ。何も悩むことなし。これで万事オッケー。
ボクの屁理屈はマユによりバッサリと一刀両断され、ぐうの音も出ない。
そうと決まればマユの行動は早い。既に玄関のドアノブに手をかけていて、早く開けなよと言わんばかりに、ガチャガチャとノブを回して音を立てる。
「ホントに預かる気?」
「私に二言はない」
そんなにはっきり断言されると何も言い返す気にはならないものの、武士を招き入れる家はマユの家ではなくボクの家なのだから、マユに二言があろうがなかろうが、生活が脅かされるのはボクの方なのだ。
とは言え、マユのバイタリティーに打ち勝つほどのエネルギーをボクは蓄えてはいない。最も、蓄える前に放電されてしまっているのだから、いつまでたってもマユに太刀打ちできないでいるのは当然といえば当然だ。
「いつまで待たせる気? 早くしなさいよ」
あがなうこともできず、ボクは玄関を解錠した。
マユがいち早くドアを開け、入って入ってと武士を招き入れる。
マユの勢いに気圧されているのか、長いものには巻かれろと判断したのか、武士は大人しくマユの言葉に従って玄関の中に足を踏み入れた。
「かたじけない」
三和土の前でペコリと一礼する。例え小さい子供だろうが、ここでも武士は武士だった。小さくも礼儀正しい武士の背中を眺め、味神々しいものだなとボクは目を細めて、その後ろ姿を見送った。




