京都大学とは社会不適合者である~なんか知らないうちに京大生補完計画とかいうおかしな計画に巻き込まれた件~
京都大学。その単語を聞き、これを読む皆様方は一体何を想像するだろうか?
東京大学に次ぐ、日本屈指の名門大学?
多くのノーベル賞受賞者を輩出してきた優秀な教育機関?
断じて言わせて貰おう。そんなイメージは悉く間違いであると。すぐさま、近くのごみ箱にでも捨てた方が良い。燃えないゴミだから気を付けろ。
京都大学は断じて、日本屈指の大学でもなければ、優秀な教育機関でもない。その真逆だ。
京都大学とはそれ即ち、日本一の“霊長類研究センター”の総称である。もっと言えば、社会不適合者養成所である。
どういう次第で僕がこんなことを言うのか。それはこういう次第である。
京都大学は、ホモサピエンスになれなかった類人猿たちの巣窟。
早い話が、京都大学にいる学生の殆どは、チンパンジーなのである。
そもそもホモサピエンス、つまり人類とは何者であると定義されるのか。
学術的、生物学的見地から言えば、ホモサピエンスとは『現生人類の属する生物学的分類である』とされるわけであるが、僕の考えるホモサピエンスの定義は少々違っている。
僕が思うに、ホモサピエンスと呼ぶに値するのは『ある程度の常識と理性、品性を持った生命体』だけだ。つまり、たとえ見た目だけは一丁前の人間であったとしても、棍棒片手に町中を走り回ったり、バイクを騒音響かせながら暴走させたり、年がら年中酒を飲んだくれているような人間は、とてもホモサピエンスと呼ぶには値しないと言える。
そして、そんな僕の価値観から言って、悲しいことにも京都大学の学生の多くは、チンパンジーと変わらない類人猿であると断じるしかない。
世間一般に言われるところの『常識』を持たず、
自らを批判されれば理性を失って反論し、
品性のかけらもないことを平気で行う。
その無駄に聡明な頭脳で易々と悪事を働き、
悪事が露見すればすぐさま保身に走る。
これこそが、京大生という生き物だ。なんと醜悪な生き物だろうか。世界でもまれに見る邪悪である。きっと悪魔の末裔に違いない。
しかし悲しいことにもこれが、知の殿堂と讃えられる学舎に通う学生の、あるべき姿なのである。
これは僕が1年をかけて京大生という類人猿共を観察して得た結論であるので、間違いないだろう。
僕はここに断じよう。京大生の殆どは、社会不適合者である。面の皮とプライド、自己顕示欲だけは異常に持ち合わせた、マヌケにもホモサピエンスに進化し損なった精神的敗北者。それが京大生という生き物である。
なんということだろうか。このようなダメ人間の巣窟に、毎年何億何十億という教育助成金が支払われているのである。血税の無駄遣いも良いところだ。その金を他の場所に割り当てた方が間違いなく、社会の発展に寄与できるだろう。もしくは、教育助成金を全て京大生の職業斡旋に利用するのも良い。ただしその場合は、京大生が政治家や官僚になってしまわないように注意を払わなければならない。もしそうなってしまったら、間違いなく日本の政治は破綻し、経済は破滅を迎えることになるからだ。人間未満のチンパンジーに正しき政治など出来ようはずもないのだから。
とまあ以上のように僕は、散々京都大学という組織をこき下ろしているわけであるが。ここで一つ、問題がある。それも小さな問題ではなく、とてつもなく大きく、重大な問題が。
その問題というのは即ち、僕もまた、そんな『ホモサピエンスになり損なったチンパンジー』の一匹であるということだ。
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僕が京都大学に入学したのは、もう1年も前のことになる。
高校での3年間を勤勉に過ごし、少しの時間も無駄にせず、努力を惜しまず学び続けた僕は、知の殿堂と世間一般に言われる京都大学に入学するべく、その入学試験を受験した。
そしてなんとか、受験戦争という名の『全国一斉塾対抗進学成績獲得代理戦争』を突破した。
高校での3年間。それは正直なところ、とても楽しいものとは言えなかった。
よくある話だが、ガリ勉と呼ばれる生き物は、高校という場所に置いて、かなりの高確率で嘲笑の的になり、精神的迫害を受ける。
『うっわ、あいつまた勉強してるよ。人生つまんなそー』
何度その言葉を聞いたかはわからない。
通っていたのが進学校であったが故に、肉体的迫害こそ受けなかったが、しかし数多の精神的迫害が、3年間の長きにわたって僕を襲い、勤勉さを捨て去るように囁いてきた。
しかしながら僕は、それに耐え忍んで勤勉を貫いた。それはひとえに『憧れの京都大学に入学する』という、それだけの理由からだった。
『僕が間違っているのではなく、この高校という環境が間違っている。もっと高尚な環境、例えば東大や京大のような優秀な人間が集まる場ならば、僕のような人間も認められるに違いない』
それが、僕を3年間支えていた考えだった。
進学校とは言え、田舎の小規模な公立校。そんな場所で、僕のように『激しく勤勉な』人間が、同胞であるはずの級友達に認められるはずもないことは、僕にだってわかっていた。
僕を迫害する彼らは、きっと気にくわなかったのだ。高校生活を、ひいては青春を友人達と共に謳歌する彼らを横目で見ながら、まるでそれを責めるかの如くに、これ見よがしに勤勉を貫く僕の事が。
『学生の本分は勉強である』と行動で以て示す僕の事が純粋に、彼らは目障りだったのだろう。だから彼らは僕に精神的迫害を行ったのだ。
しかし環境が変われば――勉学に励んだものだけが入学を許される東京大学や京都大学の様な環境に行けば、こんな僕でも迫害されず、青春を謳歌できるはずだ。それまでの辛抱だ。
僕は自分にそう言い聞かせ、そしてついに1年前、この京都大学の門戸を叩いたのである。
が、しかし。そこで僕を待っていたのは、待ち望んだ夢のキャンパスライフなどではなく、むしろその真逆の環境だった。
講義に平気で遅刻してくる者。
酒の臭いを漂わせて学内を徘徊する者。
学友の代理で出席詐欺をする者。
他人のレポートを丸写しして偽造する者。
麻雀荘で一晩を明かし、講義の場を寝室とする者。
エトセトラ! エトセトラ! エトセトラ!
なんと言うことだろうか。こんな悲劇が果たして、この世にあっていいものなのだろうか?
ようやくたどり着いた、勤勉なる僕のオアシス。パラダイス。そのはずだった。
しかしそこは、醜悪で陰鬱な、酒と部屋干しの服の鼻につく臭いが漂う、ただの地獄だった。
入学前の僕が、勤勉だとばかり思っていた京都大学の学生達は、その多くが勤勉とは程遠いダメ人間達だった。無駄に高性能なその脳みそで悪事を働く、極悪人達だった。
刹那的幸福に目がない、快楽主義者だった。
常識を知らない、類人猿だった。
なんと言うことだろうか。仮にデストピアというものがこの世に存在していたとするならば、そこはきっと今僕がいるこの京都大学のような場所に相違ないだろう。
いやもちろん、全員が全員、そんな人間だと言うつもりは毛頭無い。少ないながらも、僕と同じかそれ以上に勤勉な者達も居た。しかしその数は極めて少なく、国際自然保護連合の発表する絶滅危惧動物のレッドリストに載っていると見て間違いなかった。
勤勉さなどかけらもない。京大生の殆どは、勉学に励むことを忘れ、俗世的快楽をむさぼることに執心する、見下げ果てた阿呆ばかりだったのだ。
そしてそれによって起きる帰結こそ、『毎年の入学生と卒業生はどちらも3000人程度なのに、学部生はどう考えても、何度数えても、何を間違ったか2万人は居る』という、かの悪名高い『京大留年伝説』である。
この伝説が正しいとすると、単純に考えておよそ8000人が留年しているのだから、恐るべき大学だ。もちろん褒めてはいない。
結局、夢と希望に胸を膨らませていた僕は、直視を憚られるような酷い現実を目の当たりにし、今度は絶望と悔恨で胸をいっぱいにした。
あぁ、なぜ僕はこんな大学に入ってしまったのだろうか。なぜあの時東大ではなく、京大を選んでしまったのか。
こんな糞尿の掃きだめのような場所だと知っていたら、決して『入ろう』などと血迷ったことは考えなかったのに。京大を選んでしまったあの時こそまさに、我が人生最悪の決断。人生の岐路。僕が人生の袋小路に迷い込んでしまった瞬間だったのだ。
そうだ、僕は騙されてしまったのだ。京都大学の標榜する『自由の学風』とか言う、夢と希望に満ちた学風に。虚構で塗り固められた勧誘文に騙されてしまった。
『自由』なんて言うよくわからないものに踊らされて、ろくな下調べもせず入学してしまった。
なにが自由の学風だ。こんなのはただの無秩序ではないか。『自分の人生なんだから好き勝手生きよう』と自由の意味をはき違えた阿呆共が、無秩序に堕生を過ごしているだけではないか。
この時僕は人生で始めて、完全なる絶望というものを味わった。それまで『いつかきっと自分の理想とする場所で学べる日が来る』と自分を励まし続けていた僕も、さすがにこの時ばかりは、絶望の闇に叩き落とされた自分を励ますことが出来なかったのである。
そしてその結果、京都大学ひいてはこの世界の全てに絶望してしまった僕は、それまでの18年にわたる人生で貫いていた『勤勉さ』と言うものを、自分のアイデンティティーであったはずのその性格を、捨て去る決断をしてしまったのだった。
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『戦略的怠惰』
僕は今の自分の状況を、皮肉を込めてそう呼んでいる。
僕が京都大学生の見下げ果てた精神性に失望し、この世界に絶望してしまったことはすでに述べたとおりである。これから述べるのは、その結果として起きた、否、起こってしまった、僕の精神的退化に関することだ。
僕はこれまで『いつか報われるはずだ』と自分に言い聞かせ、あらゆる者達からの精神的迫害に耐え忍んできた。
しかして結局、僕のこの“勤勉さ”という本来賞賛されるべき美徳は、ついに天下の京都大学に入学してですら、報われることはなかった。
いやそれどころか、むしろ僕のこの勤勉さという美徳は『融通の利かない石頭』とまで言われてしまうほどだった。
その結果、僕に何が起きたか。言うまでもない。反抗期である。
生まれてこの方、『誠実さを固めて人間を作ったら僕のようになるだろう』とまで讃えられた僕は、この世界と京都大学に絶望するあまり、20歳になってついに、遅めの反抗期に突入したのである。
世界は勤勉な僕を認めるつもりは毛頭無いようだ。ならば結構。僕にだって考えがある。
勤勉さなどかなぐり捨ててしまおうではないか。
その勤勉さ故に、僕は高校で精神的迫害を受け、そして大学では絶望にするに至った。
こんな持っているだけで人生を不幸にしてしまうパンドラ、一体誰が欲しいというのか。いいや、誰も欲しくない。少なくとも僕はいらない。ポイ捨ても辞さないぞ。
こうなったら、これからは全力を以てグレてやる。これまでの人生で、勤勉さ故に手に入れられなかった幸福を、刹那的快楽を、優越感を、悉くまで欲してやろう。醜悪な人間になろう。
正しさなんかに構うものか。勤勉なんて一文にもならない美徳などよりも、たとえ悪徳であったとしても、短絡的情緒に溺れた方が良いのだろう? それがこの世の道理なのだろう? 望むところだ。
怠惰に生きる。
醜悪に生きる。
極悪に生きる。
快楽に溺れる。
酒に溺れる。
金に溺れる。
権力にすがる。
地位にすがる。
希望にすがる。
憎しみを糧とする。
愛を糧とする。
他人の絶望を糧とする。
正義も悪もへったくれもない。これが今から、僕の生き様だ。
20年という人生の5分の1を勤勉で塗り固めた僕の人生を今日から、醜悪さと言う名の金槌で破壊しつくしてやるのだ。
それこそが、この見下げ果てた世界に対して僕が出来る、せめてもの反乱だ。覚えていろ世界。今に見ていろ京都大学。
これから史上最悪の極悪人がこの世界に爆誕するぞ。最恐ヴィランの誕生だ。
こうして僕は精神をこじらせ、日の当たらない正義の道から、地獄の業火で照らされた怠惰なる悪の道へと歩を進め始めたのである。
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極悪への道を歩み始めた僕がまず始めに取りかかったのは、食生活の改善、いや改悪だった。
それまで僕は一日三食、バランス良く、好き嫌いせずに、質素な食物を30回きちんと噛んで食していた。
いやはや、今思えばなんとつまらない食事だろうか。一日三食はともかく、30回噛むだなんて。そんなの今時、小学生でもやっていないだろう。
では、悪を極める事を志した僕の食生活は、一体どう変わったか?
まず始めに、一日三食だなんてつまらないことは言わず、一日9食とハイパーボリュームアップさせた。
加えて、バランスよく食べるなんて事もせず、タンパク質と脂質を重点的に補給し、欲望そのままに、めいっぱい好き嫌いしまくった。
二日に一度はステーキを食し、時には一度の食事で炊飯器を空にし、挙げ句の果てにマヨネーズの山に少量のキャベツを振りかけて食べた。もちろん、一噛みもせずに全部を丸呑みだ。
以前は足繁く通っていた学生食堂にもめっきり行かなくなり、近場のファストフード店で欲望のままに暴飲暴食するようになった。
もちろん、酒も嗜んだ。いや、嗜んだというのは誤りか。
浴びるように飲んだ、酒を。
喉が渇けば水の代わりに酒を飲み、風呂に入るにあたっては湯の代わりに酒で風呂を満たし、エラ呼吸によって酒から酸素を取り込んだ。いつ何時もビール缶を手放さず、隙あらば酒を飲み続けた。
ああ、なんと素晴らしいことだろうか。人間の三大欲求の一つである食欲を、こんなにも謳歌できるなんて。かつての僕に教えたい。欲望のままに生きるのは、こんなにも素晴らしいのだと。
そんな事を考えながら僕は、この生活を二週間にわたって続けた。
結果。3週間目に突入した頃合いで、居酒屋で暴飲暴食の限りを尽くしていた僕は意識を失ったのだった。
病院に担ぎ込まれ、目を覚ました僕に医者は「飲み過ぎですな」と教えた。
うん、知っている。
正直な話、この『死にかける』という経験は、僕に反省をさせた。
無論、『悪の道に落ちてしまった』という事に対する反省などでは断じてなく、『悪を極める手段を間違えてしまった』という意味での反省である。
確かに、暴飲暴食により欲を満たすというのは悪徳である。が、しかし。そのせいで『死にかける』などというのは、ただの阿呆のすることではないか。
確かに僕は悪の道を究めると誓った。しかし阿呆になりたいわけではない。死にたいわけではない。あくまで僕は悪の道を突き進むことによって自らの欲望を満たし、不健全で幸福な人生を歩みたいだけなのである。
その観点から言って、今回の『死にかける』というのは、不健全でこそあれど、幸福とはとても言えないものだった。
そう、間違えたのである。僕は悪の道を勘違いしてしまった。目の前の欲望に忠実になりすぎるがあまり、巨視的な幸福を見失っていた。もっと計画的に欲望を満たすべきだった。
そう考えた僕は、2週間にわたって繰り広げた暴飲暴食をやめることにした。まあ命が掛かっているのだから当然ではあるが。
しかるに、次に僕が計画したのは、愛に生きることだった。
愛。それは言うまでも無く、人生を幸福にしてくれるものである。
愛さえあれば他に何もいらないだなんてキザなセリフもあるように、この世は愛で出来ている。愛に満ち満ちている。愛こそが世界を救うのである。ラブ&ピースである。
悲しい話、20歳になるまで愛なんてものを知らなかった僕は、当時愛に飢えていた。生物学的分類がメスであるならばなんでもいい、いいやいっそ例えオスでも見た目が良ければそれで良い。そんな危険なレベルの人恋しさに襲われていた。
結果、僕は愛を求めて、サークルに所属することにした。
サークル、又の名を同好会。言わずもがな、大学に属するリア充達の社交場である。
『同好の士を集って趣味に没頭する』だなんだと建前では言っているが、その正体は『恋人発掘研究会』だ。
スポーツや文化的活動もサークルという建前上もちろんしているが、それは活動のほんの一部であり、大半は飲み会、コンパ、性的活動、etc.などをしている。
なんとふしだらなことだろう。学生の本分を忘れた、悪逆なる行為である。しかし今の僕からしてみれば、それは望むところだ。
これまでの20年間、僕は勤勉に誠実に生きてきた。その結果、愛などと言う物は知らずに暮らしてきた。無論、童貞である。だが、それも今日までだ。
これからは愛のために生きる。人生を賭けて尽くせるパートナーを見つけ出し、性的行為に没頭し、快楽を追求し、刹那的幸福に溺れるのだ。
この世には必ず、自分と赤い糸で結ばれた運命の人が居ると言う。ならば僕はその運命の相手をなんとしてでも見つけ出し、まだ顔も知らないその誰かと、赤い糸で雁字搦めに絡まり合うのだ。
こうして僕は、生涯の伴侶を見つけるべく、大学のサークルへ加入することを決めたのだった。
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大学に入学してからの一年間、つまりこの僕が、少なくともまだ京都大学という場所に夢と希望を持ち、勤勉を貫いていた一回生の間。僕はサークルなどと言う浮かれた物には所属していなかった。
大学生の本分は勉強である。にもかかわらず、その時間を削ってスポーツや趣味に打ち込むとは何事か。極悪の極みである。けしからん。
そんな凝り固まった価値観故に僕は入学当初、一回生を獲得すべくビラ撒きをする数多のサークルの勧誘を悉く粉砕した。入学したての一回生共を、まるでライオンが獲物を狩るかの如くに取り囲み勧誘する、京都大学名物、通称ビラロード。そこを通るにあたっても、目を閉じ耳を塞ぎ、勤勉なる僕を悪の道に連れ去ろうと悪魔のささやきを突っぱねた。
しかし入学から一年と半年が経ち、極悪への道を絶賛爆進中の僕は今、そのサークルに新たに加入しようと試みている。それも、スポーツを仲間達と楽しみたいというような健全な理由からではなく、女生徒とお近づきになり、あわよくば性的行為に及びたいという、果てしなく不健全な理由で。もし入学当初の、まだ勤勉だった頃の僕が、1年半後の僕のこの変わり様を知ったとしたら、きっと泡を吹いて倒れていただろう。
さて、そんな僕であるが、問題は『どのサークルに加入するか?』ということだった。
サークルとは一言で言っても、その種類と数は膨大だ。一般的なテニスサークルを始め、漫研、落研、なかには口笛同好会なんて酔狂なモノまである。
そんな数多あるサークルの中から、『一体どれが自分の目的に合っているのか』を見極めるのは、凄まじく困難だ。
が、しかし。僕には一つ、入りたいサークルに心当たりがあった。
京都大学のサークルの多くは、会員の殆どが京大生によって構成されている。しかし中には、京大生のみではなく他の大学――そう例えば、京大の近くにある同志社大学の学生なども所属する、カレッジグローバルなサークルもいくつかある。そしてその典型例と言えば、テニスサークルだろう。
京大のテニスコートで華やかに青春を謳歌している者達。彼らの殆どが京大生ではなく、同志社大生である事は、京大近辺では有名な話である。
“京大生”目“リア充”科の分類に属する動物は、絶滅危惧動物よりも個体数が少ないのだ。
まあ要するに、京大にはリア充が少なく、同志社にはリア充が多いという話である。京大生は学業の成績では勝っていても、人生の充実度と顔面偏差値の二つにおいて、同志社大生に大きく遅れを取っているのだ。
さて、そんな同志社のリア充達が多く生息するテニスサークルであるが、とくに規模が大きく有名なのが、テニスサークル『Frends』である。約半分が同志社の大学生で構成され、4割程度が京大生で、残り1割は他の大学の学生で構成されているらしい。
僕も何度か、テニスコートの横を通りかかった際にFrendsの練習風景を見たことがあるのだが、彼らの姿は、青春嫌いだった僕の目にでさえ、キラキラと輝いて見えた。
まさしく青春。若々しさとは斯くたるやという姿を、彼らは自身のその、華やかな生き様で以て示していた。
その一見健全な姿は、当時勤勉を貫いていた僕にさえ、一種の憧れのような思いを抱かせた程だ。
もっとも、そんな健全そうな彼らも、どうせ裏ではあんな事やこんな事に“うつつ”を抜かし、刹那的快楽に溺れているのだろうが。まったくもって忌々しいことだ。
いやまあ、彼らが裏でふしだらなマネをしているという確固たる証拠は皆目無いのだが、きっとそうに決まっている。男と女が集まって青春すれば、その裏にはドロドロとした愛憎劇が潜んでいるに違いない。きっとそうだ。そうでなければおかしい。不公平だ。
テニスコートでボールを打ち合っている彼ら彼女らはきっと、夜は夜で毎晩、男の股にぶら下がる別のボールを打ち合っているのに違いない。不健全極まりないことである。
しかし、その不健全こそが、僕の求めるものだ。
僕は現在進行形で極悪への道を全速力で駆け抜けている。然らば、これからは僕も彼らに混ざって、夜の新体操に没頭せねばならないのだ。無為なピストン運動に励まねばならないのである。不健全だろうが、ふしだらだろうが、そんなことは関係ない。
こういう次第で僕は、このテニスサークル『Frends』に、テニスなど生まれてこの方やったこともないのに、入会することを決めたのである。
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問題が起きた。いや、極悪への道を突き進んでいる時点で僕の人生は問題だらけなのだけれど、それよりもっと重大な問題が起きたのである。
テニスサークル『Frends』。僕がそれに出会いを求めて加入しようと決意したことはすでに述べたとおりである。そしてそのために僕は、秋の新会員募集を行っていたFrendsの練習場にお邪魔した。そこまでは良かった。
では何が問題だったのか?
居たのである。僕と同じく『不健全な理由』から、新たにサークルに加入しようとする不届き者共が。それも大勢。
テニスコートへと到着すると、僕がそこで見たのは、50人あまりのコートに群がる男共だった。話を聞くとどうやら全員『Frends』に入会するためにやって来た者達らしい。
正直言って、これには相当驚いた。確かにFrendsは、京都大学と同志社大学にまたがる一大サークルだ。だがしかし、それでもFrendsはあくまで『ただのテニスサークル』でしかなく、その構成員は現在100名にも満たない。
にもかかわらず。何を間違ったか、現在この100余名しか居ないテニスサークルに、50名もの人間が新規参入しようとしているのだ。それも男ばかりが。明らかに異常である。裏に何らかの理由があると見て間違いない。
実際、これが異常でも何でも無く、ただの必然であったのだということを僕が知るのには、そう時間はかからなかった。
50名あまりの男共がFrendsに加入しようとしていた理由。それは一人の例外も無く、須く全員同じであった。
そう、彼らは全員が、ただ一人の女性を目当てに……つまりは、その彼女とお近づきになり、あわよくば性的行為に及ぶべく、Frendsに加入しようとしていたのである。
時は遡ること半年前。つまり、僕が世界に絶望し、極悪への道を転落し始めた頃にまで戻る。
僕が暴飲暴食の限りを尽くし、その結果病院へとかつぎ込まれていた頃合い。ちょうどその時期に、テニスサークルFrendsに、ある一人の女が入会した。
女の名は上野琴音。同志社大学に入学したばかりの、なりたてほやほや一回生だ。なんでも高校生の頃は数多くのテニス大会で入賞したような凄腕プレイヤーであったらしく、その道ではかなり有名な人物であるらしい。
そんな彼女が、このテニスサークルFrendsに入会したのだ。
では、それの何が問題だったのか。
何もかもが問題だったのである。
彼女は美しかった。いや、あまりにも美しすぎた。
その美貌は天地を揺るがし、男共の視線を一手に引き受け、周囲の他の女をかすませる、楊貴妃やクレオパトラも斯くたるやというような、凄まじきものだった。
彼女を一目見た男はそれから三日三晩彼女を夢に見ては恍惚にうなされ、起きている間も目前に彼女の幻覚を具現化させ、女ですらも、その美しさに嫉妬を通り越して尊敬の念を抱く。
まさしく神の創り出した芸術品。完全無欠の美しさ。セル第三形態。それ程の美貌を彼女は有していた。
……いや、さすがにこれは誇張が過ぎるだろうが、しかしそんな誇張もやむなしと言うほどに、彼女は素晴らしき美しさを兼ね備えていた。
もうおわかりだろう。その結果が、現在である。
彼女の美しさに魅了された男共が、彼女にお近づきになるために、よりにもよって僕がこれから加入しようと計画していたFrendsに、同じく加入しようとしていたのである。
全くもって迷惑極まりない話だ。上野琴音とお近づきになるためだけに、テニスなどには微塵も興味が無いくせに、Frendsに加入しようしているとは。真面目にテニスをやっている者も居る中で、お前達は恥ずかしくないのか? 恥を知れ愚か者共め。母親の胎内から人生をやり直すべきだ。
しかし、これでは彼らのせいで僕まで、上野琴音目当てにサークル加入をしようとしていると思われてしまうじゃないか。風評被害も良いところだ。僕は別に上野琴音目的ではないのに。あくまで僕は出会い目的なのだ。赤い糸を紡ぐためにここに来ているのだ。断じて、上野琴音が目的ではない。もう一度言う。断じて上野琴音が目的ではない。ただ、ほんのちょっとだけ『Frendsに超絶美人がいるらしい』と噂に聞いただけである。
というか、本当にここにいる男共全員を入会させてしまうのか? 明らかに、サークルのキャパシティーを越えていると思うのだが。
少なくとも、ここの全員が加入してしまったら、サークルに居る半分は球拾いしか出来ないだろう。なんのためにテニスサークルに居るのかわからない事態になりそうだ。もっとも、上野琴音が目的の男共にしてみれば、それはそれで別に構わないだろうが。
と、そんなことを考えていた僕の予感は、見事に的中した。
「数が多すぎるのでこれから、入会試験をさせて貰います」
自分目当てに集まった男共の歓声を浴びながら、彼らの目の前に立つと、上野琴音はそう告げた。
やはりというか、全員を入会させるわけにはいかなかったらしい。いくら会員が増えればその分会費が多く手に入るとは言っても、さすがに全員入会させるのはマズいと考えたのだろう。当然の判断だ。
「今から私と一セット試合をして貰います。それであまりにも酷いようなら、入会をお断りさせて頂くので、頑張ってください」
彼女はそう言うと、彼女目当てに集まった50人あまりの男共の選別を始めた。
そして……誰も居なくなった。僕も含めて。
そもそも、勝てる道理など無かったのだ。テニスなどしたこともないのに、ただ女目当てに集まった僕たちが、高校から真剣にテニスを続けてきた彼女に、一点たりとも取れるはずなど無かった。
上野琴音は圧倒的だった。圧倒的なまでに、文字通り男を寄せ付けない怒気を放ちながら、彼女に挑む男共を、次々と粉砕、玉砕、大喝采していった。
彼女がサーブを放てば、それは美しき二次曲線を描きつつ、対戦相手の顔面に直撃し、彼女が自らに向かってくるボールを打ち返せば、その弾丸は真っ直ぐに、対戦相手の金的に激突した。
文字通り、彼女に挑むという行為は、玉と共に散る“玉砕”だった。
結果。入会試験という名の処刑が行われた後に残っていたのは、股ぐらを押さえる憐れな男共の屍だけだった。もちろんのこと、その中には僕も含まれていたのだが。
最後。今季の入会者がゼロ人である事を認めた上野琴音は、耐えがたい局部からの痛みに悶える僕たちに、蔑むようにこう吐き捨てた。
「アンタ達は一生、自分の右手で我慢していなさい」
と。
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赤い糸で結ばれた女性との出会いを求め、テニスサークルFrendsに入会しようとした僕は結局、すでに述べたように、高潔で毒舌なヴァルキリー、上野琴音の前に、金的粉砕によって敗北を喫した。
そしてそれによって、テニスサークルFrendsに入会し、バラ色でピンク色の爛れた青春を謳歌しようとしていた僕の目論見は、悲しくも打ち砕かれてしまったのだった。
なんという事だろうか。欲望のままに生き、悪の道を究めんとせん僕の覇道を、神はこのように卑劣な手段を用いて妨げようというのか。神の尖兵たるヴァルキリー上野琴音を差し向け、行く手を阻もうというのか。
まさか神は、悪の道を突き進む僕の行く手を阻むことによって、僕にかつてのような勤勉さを取り戻せとでも啓示しているのか?
仮にそうだとしても、もはや僕には後戻りの選択肢などない。一度正義を捨てた僕が再び正義の道に戻るなど、そんな事あるわけがない。断じてである。
神が僕を正しき人間に戻そうと試みるのなら、僕は全力を以て、それとは真逆の方向に疾走するのみ。耳を塞ぎ目を閉じて、神の忠告を完全無視してやるのだ。
確かに僕は、テニスサークルFrendsに入会すること叶わず、そして永遠に入会への道は断たれたに等しい。しかしながら、Frendsのみが、この京都大学に存在するサークルというわけではないのだ。いくらでも代わりのサークルはある。運動系、文化系、ボランティアなどなど、よりどりみどりに千差万別のサークルが存在している。
Frendsに入れて貰えないのなら、それもまた結構。僕が入会してやるというのに、それを拒むようなサークル、こっちから願い下げである。
それにだ、そもそも僕はFrendsにそんなに入りたかったわけではない。ちょっと以前に見た練習風景が、少しばかりキラキラしていたから、ほんのちょっぴり憧れていたと言うだけの、ただそれだけの事だ。断じて『そんな青春を一生に一度で良いから体験したい』などとは考えていなかった。上野琴音とお近づきになりたいだとか、あわよくばピストン運動に付き合って貰いたいだとか、そんな邪な考えは一切無かった。本当である。神に誓っても良い。Yes, my god である。
だいたい、テニスなんて浮ついた人間がやるようなスポーツ、一体誰がやりたいというのか。そんなものこっちからお断りである。日本男児ならば相撲を取れ。大和撫子なら長刀をしろ。断じて、南蛮由来の浮ついたスポーツなどやってはいかん。
そうだ。僕は何を血迷っていたのか。何が『愛は世界を救う』だ。下らない。
愛は断じて世界を救わないし、むしろ世界を滅ぼす害悪ではないか。
世界を見渡してみれば、確かにこの世は愛で溢れている。そして、その愛に起因する憎しみで満たされているじゃないか。
愛するがあまりに、一周回ってそれが憎しみに転じるというのは良く聞く話であるし、『真実の愛』などという安っぽい言葉を盾に、不倫をする不届き者も大勢居る。
テレビをつければ、芸能人の不倫に関するゴシップがニュースを賑わせているし、ストーカーによる凄惨な事件が市民に恐怖を広げている。
ドラマではドロドロの愛憎劇が繰り広げられているし、どれだけ愛し合っていたはずの二人も、夫婦となり年月を経れば、自然とその愛を失っていく。
何が愛だ。馬鹿馬鹿しい。そんな無定型で非実存主義的なモノの、一体何が素晴らしいというのか。断じて言おう、愛など人生において不必要なものである。生ゴミ以下の廃棄物である。すぐさま鉛製の重りを括り付けて日本海溝に沈めてしまうべきだ。もしくは恋愛禁止法を国会に提出すべきだ。
どうやら僕はこの世界に絶望するあまり、愛などと言う不確かで下らないモノにすがりつこうとしてしまっていたようだ。知らず知らずのうちに、心に負ってしまった傷を癒やすべく、愛などという一時の気の迷いに心のよりどころを求めてしまったようである。いやはや、恐ろしいことだ。危うく一時の感情に流されて、僕は下らない“愛”などというものに汚染され、赤い糸で雁字搦めにされ、愛にほだされて身動きの取れない植物人間になってしまう所だった。
そうだ。愛など妄想である。幻想である。真実の愛などと言うのは、フィクションの世界にしか存在しない、いや、フィクションの世界にさえも存在しえない、数学における純虚数と同じなのだ。
僕に必要なのは、実軸上に存在する実数――即ち、現実に存在しえるものだった。それこそが、僕のこの傷ついた心を癒やしてくれるのだ。
しかしそうすると問題は、これから僕は愛以外の一体何を心のよりどころとすれば良いのか、ということであるわけだが。それについては問題ない。すでに僕の中で、その答えは出ている。
友情である。
友との間に築くかけがえのない思い出。心の繋がり。絆。
それこそが、今の僕に必要なのだ。
愛などいらない。友情こそが世界を平和にするのだ。間違いない。
だってほら、小学生の時にそんな感じのことを道徳の教科書で読んだ気がする。
そうだ。僕は友情を手に入れるべきだった。他の何物にも代えがたき友情。それこそが僕の人生を、豊かで実りある物に変えてくれるに違いない。
初めから愛などという移ろいやすいモノは欲せず、確固たる揺るがぬ友情を手にするためにサークル加入を志すべきだった。
共に笑い、共に泣き、共に過ごし、共に暮らし、共に支え合い、共に願う。そんな友人を欲すれば良かったのだ。
さてさて、そうなると、そんな友人を作るために、僕は一体どのサークルに入るべきなのだろうか? やはり友情を欲するならば、ゴリゴリの部活などではなくて、ホンワカした雰囲気のサークルが良さそうであるが、そんなサークルに心当たりは……
『私達テニスサークルFrendsは、皆で仲良くテニスをするサークルです! 一緒に楽しい思い出を作りましょう!』
……いやいや。何故今、よりにもよってあの、僕の入会を拒否したテニスサークルFrendsが、新規会員募集のために配っていたビラに書かれていたそんな文章を思い出すのだ。
思い出せ。Frendsの連中はビラで『誰でも歓迎!』とかのたまっておきながら、いざ50人あまりの入会希望者がやって来ると、一方的に『処刑』と言う名の入会試験を始め、全員を不合格にしたあげく、試験官である上野琴音が『右手で我慢していろ』なんて罵倒を我々男共に言い放った極悪サークルだぞ。僕たちはほんの少しだけ、邪な考えで入会希望をしていただけなのに。
そんなサークルの、一体どこがホンワカしているというのだ。確かにサークルに居た連中は全員性格の良さそうな人達だったし、ちゃんと練習にも励んでいるようだったし、爽やかに青春しているようには見えたけれども。でもそれらは全て、どうせうわべだけだ。裏ではきっと、別のボールを夜な夜な乳繰り合っているに違いない。男の股間にぶら下がるバットとボールで、いかがわしいスポーツを行っているはずなのだ。きっとそうだ。そうに違いない。そうであるべきだ。
そんな不健全なサークル、いったい誰が入ろうと思うものか。友情もへったくれもないそんなサークルに。論外だ。断じてあり得ない。
僕が入りたいのは、そんな男女間のドロドロなど存在せず、仲間達と共にサークル活動に励み、そして友情を深め合う、そんなサークルなのだ。僕は青春を謳歌したいのである。
そうだ。そうではないか。僕が過ごしたいのは青春である。ならばいっそ、男女間のゴタゴタが存在しないような、出来るだけ男の会員の多いサークルに入会しようじゃないか。そこならばきっと、僕の望み通り、友と共に切磋琢磨し合う、理想の青春が過ごせるに違いない。女を巡ってサークルが内部分裂を起こすようなこともない。素晴らしいではないか。
決めたぞ。僕はこの京都大学での残り数年を、男共に囲まれて過ごすのだ。男同士の友情で固く結ばれるのだ。ラブコメなどいらない。僕の人生に必要だったのは、全世界の男共が憧れるような、きらめく熱き友情と切磋琢磨の物語だったのだ。
そう考えた僕はその日から、出来るだけ男女比が男に偏ったサークルはないかと探し始めた。そしてその結果、グチャグチャの机の引き出しの奥から、1ヶ月ほど前に道すがら半ば強制的に渡された、とあるビラを発見した。
『アメフトサークル『GORILLA』:いつでも新会員受付中! 俺達と一緒に熱い青春を過ごさないか?』
こうして僕は、テニスサークルFrendsへの入会を取りやめて、アメフトサークルGORILLAに加入することを決めたのである。
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失敗だった。
いや、いきなりこんなことを言ってしまってすまない。しかしながら、今の僕にはこういうしかないのだ。
『アメフトサークルGORILLAに入会したのは人生最悪の失敗であった』と。
愛という不確かなものに辟易した僕は、男同士の友情を求めてGORILLAと言う名の、生物学上はオスに分類される生命体で構成されたアメフトサークルに加入した。そこでならばきっと、僕も熱い青春を過ごせるはずだと期待して。
そして、そのGORILLAというサークルは、ある意味で僕の期待通りだった。というか、期待以上だった。それどころか、期待を遙かに上回りすぎてしまった。なんと言うことか。
「何やってんだ! もっと頑張れよ! お前ならやれる! お前ならやれる! あとたった10kmだぞ! 諦めるなよ!」
熱い。確かにアメフトサークルGORILLAでは、熱き青春の炎がメラメラと燃えさかっていた。しかしながらその熱さは、もはや精神的熱さを通り越して、現実として暑苦しいレベルのものであった。
『どこの有名テニスプレイヤーだ』と聞きたくなるほどの熱血指導。そのあまりの熱の入りように、僕は自分の体が、彼らから飛び散りまくる熱血を浴びて延焼を起こしているのではないかと何度も錯覚し、冬だというのにプールに飛び込みたい衝動に駆られた。
一日20kmのランニング。そして、それが終わったら腕立てと上体起こし、それぞれ30セット。やっと全て終わったと思ったら、「よーしお前ら、コートの真ん中にいけぇ」と言われ、体長2mはあろうかという武装した大男達のタックルをマットで受け止めさせられる。
地獄である。ここが地獄でないというのならば、一体どこが地獄だというのか。この場所こそまさに、この世の灼熱地獄だ。青春の青き炎が揺らめく、恐怖の熱血地獄である。
僕と同時期にGORILLAに加入した者の多くは血反吐を吐き、涙をこぼし、体に傷を刻み込み、吐瀉物を地面にぶちまけた。僕もまた、朦朧とする意識の中で、何とか意識を保とうと必死に抗った。
しかしながら、大学に入学するまで運動など自ら進んでやってこなかった僕が、このような苛烈な地獄の特訓に耐え切れようはずもなく、すぐに限界が来た。
僕と同時期に入会した同期の中には『こんな練習では物足りない。もっとキツくしてください』などとたわけたことを言うドMの変態もいたが、しかしながら新入生の多くは、1週間ともたずに脱落していった。
もっとも脱落したとは言っても、熱き青春に燃えるサークルの先輩方がそのようなズル休みを許可するはずもなく、休んだ者の家に押しかけて、有給休暇を主張する新入生を全員、家から引きずり出したのであるが。もちろんのこと、三日目にして肉体の限界を悟った僕もまた、京大生にしては健康的な筋肉をお持ちの先輩方に家まで押しかけられ、サザエの如くに籠城していた布団の中から強制的に引っ張り出されて連行された。
かくして、入会を後悔するほどに苛烈な修行をする羽目になっていた僕であったが、そんな僕をより一層苦しめたのは、ほぼ毎日行われる活動終わりの飲み会だった。無論、強制参加である。
『一体どこにそんな量の酒が入る胃袋が座しているのか?』と不思議になるほどに、マッチョの極みにおられる先輩方は、酒を飲んだ。飲んで飲んで飲みまくった。
あるときは店の酒樽を空にし、またあるときは、コンビニの酒類の棚を在庫待ちの状態にし、またあるときは、京都大学周辺から、全ての酒を蒸発させた。恐るべき飲みっぷりであった。
しかし、そんな酒もタダではない。飲めば飲むほど、その分払うべき代金は増えていく。そしてそのしわ寄せは、それを飲んでいる者だけに限らず、飲み会に参加している者達、つまりは僕たち新入生にも等しく降りかかってきた。その結果何が起きたか。
端的に言おう。たった一週間で、僕の体重は10kg減少した。
地獄の猛特訓、そして金欠による強制断食。
消費エネルギーに対する獲得エネルギーの、そのあまりの少なさに、僕の腹部に蓄えられていた大量の脂肪分は、一瞬のうちに消失した。恐るべきダイエット効果である。
しかも問題はまだあった。
僕がこの恐るべき酒豪の巣に入会する決め手となったことの一つに、女性比率の少なさがあったのは、すでに述べたとおりである。
男と女が集まれば自ずと、ドロドロとした愛憎が繰り広げられてしまう。そんな考えから僕は、色恋沙汰とは無縁そうなこの圧倒的筋肉サークルに加入した。
……が、しかし。その考えは間違いであった。
確かに普段は、我がサークルは凄まじく男気溢れる無骨な場所である。そこには、色恋沙汰など一切無い。
けれども。飲み会の時は違った。
酒を飲む。すると当然、酒に酔う。頭がホンワカとする。思考もままならなくなる。
そして、その思考停滞は酒を飲めば飲むほどに酷くなっていき、ついには前後不覚の状態へと陥る。
前後不覚の者からしてみれば、目の前に居るのが男なのか女なのか、それはつまらぬ問題だ。
互いに酔っている。とりあえず一緒に帰る。とりあえず服を脱ぐ。そして……そういうことである。
僕が確認した中で、すでに4人が、昼間は友と呼ぶ仲間と共に、夜の町へと消えていった。
次の日、彼らが決して互いに目を合わせようとしなかったことは言うまでもない。
つまり、そういうことである。互いに前後不覚になった者達同士、うっかり性別を超えてガッチャンコしてしまったのである。なんたる悲劇か。
そして問題は、このままこの環境に居続ければ、いずれ僕も前後不覚になり、最低最悪の朝を迎えてしまうという可能性が、少なからず存在していると言うことだった。
女性との出会いを拒んでここに居るというのに、こんな場所でムサい男と合体してしまうなんて、そんなのとても笑える事態ではない。人の子等を結びつけるべく日々奮闘している恋のキューピッド達も、きっと引きつった表情で苦笑いをすることになるだろう。
とまあそんなわけで、自らの命と貞操の危機を感じた僕は、『こんな所に居られるか!』と、この恐るべきサークルを抜けることを決意した。
しかし、それは簡単ではなかった。
すでに述べたように、サークルを休みでもしたら、お節介焼きな先輩方は、ありがたくも僕の下宿にまで押しかけ、無理矢理にでも僕を連れ去ってくださるだろう。つまり、普通にやったのではこのサークルから逃亡することは絶対に出来ない。かといって、自宅に帰らず漫画喫茶で永遠に暮らし続けるというわけにもいかない。ではどうすれば逃げられるというのか。
考えた末に僕は仕方なく、先輩方にすでに住所を知られてしまっている、1年以上住み続けた愛すべき下宿を出て、新居に引っ越すことにした。
さすがの先輩方といえども、僕の引っ越し先の住所さえ知られなければ、押しかけて連れ去ることも出来まい。金と労力はかかるが、そのくらい安いものだ。
こうして僕は、何とかアメフトサークルGORILLAからの逃亡に成功した。サークルを無事脱走して、念願の野ゴリラとなったわけだ。
しかしそれでもその弊害はいまだに残っていて、今でも僕は、アメフトの練習が行われているコートの近くを通れないで居る。大学における活動可能領域を、著しく侵害されているのだ。
ちなみに。このしばらく後、逃亡生活を続けていた僕は、京都大学アメフトサークルが一般学生から“ギャング”と通称されているという事実を知ったのだった。
全くもってピッタリな渾名である。
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食欲を満たそうとして死にかけ、
愛を得ようとすれば拒絶され、
友情を求めた結果、追われる羽目になった。
これまでの僕の『極悪への道』は、はっきり言って途方もなく不憫で、救いがたき地獄だったと評するしかない。
なんと言うことだろう。僕はただ単に幸福になりたいだけなのに。欲望のままに生きたいだけなのに。なのに何故に神は、こうも僕を虐げるのだろうか。僕の頭上にはまさか、不幸の星もしくは死兆星でもギラギラと輝いているのだろうか? 迷惑な話である。すぐさま撤去願いたい。
神は不公平だ。世の中には僕なんかよりもよっぽど不幸になるべき人間がいるというのに、なぜ僕にばかりこのような嫌がらせをするのか。
神は居ないのか。神は死んだとでも言うのか。いや、もし仮に生きているとしたら、今すぐソイツの元へと全力疾走して、チェリーパイを投げつけ、腐った生卵を投擲し、ヌンチャクで全身を殴りつけてやりたい気分だ。
しかし、実在するかもわからない神に怒りを募らせてばかり居ても意味が無いのもまた事実。行き場のない怒りはとりあえず胸の奥にそっとしまい込み、このくすぶる僕の心を癒やしてくれる何某かを求めるのが賢明というものだろう。
そういうわけで、食欲に殺されかけ、愛に見捨てられ、友情に追われる羽目になった僕は、次なる『幸福になる手段』として、『怠惰に暮らす』という手段を選んだ。
怠惰。辞書的に言えば『すべきことを怠ける様子』を表す言葉である。
つまり僕は、今度は『怠ける』事によって、幸福を得ようと考えたのだ。
人間誰しも、やるべき事という物がある。多くの人間にとってそれは仕事だったり、勉学だったりするわけだが、僕にとってのそれは、まさに勉学だった。大学での講義、それを受けることこそが、僕に課せられた使命、すべきことだったのである。
が、しかし。人間誰しも、そんな『やるべき事』をするのが嫌いな生き物で、僕もまた同様に、勉学に励むというのが嫌いだった。
かつての僕ならば、そんな『したくもない義務』をその“勤勉さ”故に我慢してこなしていただろう。がしかし。今の僕はすでに、勤勉さをかなぐり捨てて、悪の道を究め幸福にならんと志している。
故に僕は、怠惰に暮らすことにした。
怠惰とはとてもすばらしいものだ。多くの人間は、土日の休みが大好物であるが、常に怠惰に暮らすというのは、そんな好物が毎日訪れるような、そうまるで学校の給食が毎日カレーであるような、そんな幸せなものだった。
他人が毎日忙しなく、疲れた仏頂面で義務を遂行しているのを傍目に見ながら、自分は家で寝っ転がり、惰眠を謳歌する。その優越感たるや、言葉に尽くしがたいものがあった。
朝起きて、時計を見ればもう昼過ぎ。
なんだ、まだ昼過ぎか。それならもう一眠りするとしよう。
二度目の起床、時計を見ればもうすでに夜7時。
うん、丁度いいな。街に繰り出そう。
そうして街に繰り出した僕は何をするでもなく、ただぼうっとその辺を練り歩き、気が向けば漫画喫茶に足を踏み入れ、時にはカラオケボックスで音痴な歌声を披露した。
そんなこんなで時計の針は進み、気がつけば家に帰り着いたのは朝の4時。
丁度いい時間じゃないか。一眠りするとしよう。
とまあそんな生活を、僕は二回生の後期になってからと言うもの、半年にわたって続けた。無論、平日休日問わずである。
気が向けばテレビを鑑賞し、なにか興味のある映画が公開されれば映画館に足を運び、街の喧騒を離れたいと思った時は、京都各地の寺社仏閣に足を運んで歴史の重みに体を震わせた。
ああ、本当に素晴らしい。やりたいことだけをやる。やりたくないことはやらない。怠惰を謳歌する。なんと素晴らしいことか。かつては仕事もせず放蕩する大人達を見て『それで人生は楽しいのか?』と疑問を覚えたものであるが、しかし今わかった。
楽しい。義務の縛りを抜け出して、やりたいことだけやるのは、こんなにも幸せなことなのである。この幸せは麻薬のようなものだ。一度それを知ってしまえば、二度と抜け出せない。元の生活にはもう戻れない。そんな錯覚に囚われる。
道理で昨今、ニートが社会問題になるわけだ。怠惰というのは、人を掴んで離さない劇薬なのだから。中毒者が続出するのも頷ける。
しかしながら当然、義務をおろそかにするという行為には、それ相応の対価がついて回るものである。ニートを続ければそのうち貯金残高が底をつき、生活に窮するようになるように、義務を無視し続ければいずれ、手痛いしっぺ返しを食らうことになる。
僕の場合、実家からの仕送りを受け取っていたので、当面は金の心配はいらなかった。なので、金銭的問題よりも先に“ある別の問題”にぶち当たった。
大学における学業成績の急転直下の大暴落である。
僕は一回生の間は、まだ京都大学にある程度の希望を持っていたので、人並み以上に真面目に、大学の講義を受講した。それによって、平均的な学生が一回生の間に取得するよりも遙かに多い単位数を手にしていた。
しかしながら2回生となり、絶望したあげくに極悪への道を進み始めた僕の成績は、この『怠惰に暮らす』という行為によって、パラシュート無しの恐るべきスカイダイビングを決行するに至ったのである。
二回生後期の期間中における大学への登校回数、狂気の3回。
名前のみ記したレポート課題の連続投函。
試験では採点する方が僕の名前を確認する手間が省けるように名前すら書かずに白紙の答案用紙の提出を敢行。
挙げ句の果てには、教員が落単した生徒達のために慈悲で行った一度きりの追試験をバッくれた。
これらの蛮行の結果、当然僕の大学における成績は一回生で稼いだ分も含めて一瞬で地に落ち、成績表に何十個もの“0”の風穴を開けた。そんな成績表を見て、僕の担当教師は「まるで月面のクレーターのようだ」と評した。余計なお世話である。
斯くして、見るのも憚られるような成績表をこの世に生成してしまった僕は、まあ当然のことながら、教師に二回生のやり直しを宣告された。すなわち留年である。
ちなみに、京都大学において留年は『勇気ある行動』と呼ばれ、留年した当人は自身を“勇者”と自称する。なにが勇ましいというのだろう。
しかし、留年など今の僕にとって、どうと言うことは無い。屁でも無いのだ。なにせ現在僕は怠惰な生活を送り、極悪で不健全な幸福への道を邁進中なのだ。この程度のことなど、毛ほども問題ないのである。痛くもかゆくもない。少々、大学で同期の者達と顔を合わせづらくなっただけである。
故に僕は、僕の将来を心配する担当教師の説教も馬耳東風の知らんぷり。恐るべき成績表を突きつけられた後も相変わらず、怠惰で気楽な生活を謳歌していた。
将来? そんなものはどうでも良い。重要なのは今である。今この瞬間が幸福であるか否か。それだけが問題であり、そして今が幸せならばそれで良いのだ。
確かに、このままの生活を続けていれば僕はきっと、社会復帰もままならないような救いがたき阿呆になってしまうだろうし、そこに居るだけで煙たがられる厄介者になってしまうだろうし、生きていること自体が無為な社会不適合者となってしまうだろう。
しかし、それがどうしたというのだ。
こうなったらもはや、後戻りするつもりはない。する必要もない。落ちるところまで落ちるのみ。
親のすねをかじり、貯金を食い潰し、他人にたかり、善意につけ込み、情けにすがり、短絡的幸福に埋没する。ただそれのみである。
見ていろ世界。僕はこれから、太くて短い、極めて刹那的快楽に満ちた人生を謳歌してやるぞ。
自伝を書くなら題名はこうだ『人間失格~大根足の如き我が半生~』。
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実家から手紙が来た。その内容というのは『もし2留したら家族の縁を切る』というものだった。
どうやら、僕が人に見せるのも憚られる見下げ果てた成績を取り、留年を宣告されたという事実を、担任教師が実家の父と母に伝えてしまったようである。
現在、訳あって実家の両親と話すのを拒んでいる僕は、これまで実家との直接的連絡手段を断っていた。そのため僕の父母は、二回生になった僕がグレて反抗期に陥っていると言うことは知らなかったのだが、どうやらこの度、ついにその事実が露見してしまったようである。
実家に居る両親からの電話やメールなどは、僕が一方的にブロックしているので、両親は仕方なく、手紙という古めかしい手段で僕に『最後通告』を送りつけてきたようだった。
さすがに『まあ留年くらい大目に見てくれるだろう』とたかをくくっていた僕も、この時ばかりは慌てた。よもや一発アウトとは思わなかったからだ。さすがに親というスポンサーを失うのはマズい。生き倒れてしまう。まだもう少しの間だけは、すねをかじらせて貰わねばならない。
というか『縁を切る』って。さすがに厳しすぎやしませんか父上母上。親子の縁は鉄の鎖より硬いものではないのですか? これではまだ木綿の糸のほうが切れにくいではないですか。
結局僕は渋々、両親という名のスポンサーに泣いて言い訳をするべく、実家に連絡を取ることにした。
「はい、もしもし。天野川です……あ、お兄ちゃんじゃん。久しぶり」
実家に電話をかけると、よりにもよって妹である綾奈が出てしまった。最悪である。僕は妹の綾奈の事が苦手で、そして嫌いなのだ。
「……綾奈、父さんか母さんはいるか? 少し話がしたいんだ」
「ううん、二人とも出かけてるよ。ていうか話って、どうせ留年しちゃった言い訳でもするつもりなんでしょ?」
「いやまあ……そうだ」
「やっぱり。もう、ホントに大変だったんだからねこっち。お兄ちゃんが大学で頑張ってると思ってたら、まさかの留年だもん。パパすっごく怒ってたよ。ママなんてショックのあまり気を失いかけてたし」
「……マジでか」
「マジもマジだよ。もぅ、しっかりしてよねお兄ちゃん。パパとママに心配かけちゃダメだよ?」
「……」
情けない限りである。妹に『親に心配かけるな』と諭されるとは。普通は逆だろうに。
僕は妹のこういう『しっかり者』なところが苦手である。僕は幼い頃から、勉強こそ出来たものの生活面では、この通りかなりだらしなかったので、しっかり者である妹の綾奈と比べられ、親と妹の両方から、散々お小言を言われ続けてきた。
その結果、家族との関係をこじらせにこじらせてしまった僕は、逃げるように実家を出て、今の今まで連絡も絶っていたのだが……まあ、この話はまた今度にでもしよう。
「……悪い綾奈、もし父さんか母さんが帰ってきたら、僕に電話するように伝えてくれ。直接話して弁明したい」
「弁明じゃなくて屁理屈でしょ?」
「いやまあ……うん」
「ていうか電話って、お兄ちゃんの携帯にウチから電話繋がるの? 確かお兄ちゃん、私達からの電話とか全部ブロックしてたよね?」
「あぁ、それについては問題ない。ちゃんと解除してある」
「ふーん、そうなんだ。あ、それじゃあ今度から私も、時々お兄ちゃんに電話かけよっかなあ。ヒマなときとかに」
「そういうのを迷惑電話って言うんだ。知ってるか?」
「いいじゃん、兄妹なんだから電話くらいかけたって。それとも私と話したくないの、お兄ちゃんは?」
正直言って、話したくない。嫌いだから。
しかしさすがに、本人の前でそんなことを言うわけにもいくまい。
「……自分の兄貴を暇つぶしに使うな。もっと有意義に時間を使え。学生の本分である勉強に励むべきだ」
「留年した人に言われたくないんだけど?」
仰るとおりである。兄貴面しようと思ったら、いとも容易く揚げ足を取られた。悲しくなってくる。
とまあこういう具合に、僕は危うく両親に縁を切られ天涯孤独の身になるところであったのだが、後日何とか、電話越しの両親に泣きながら弁明と土下座をした結果、事なきを得ることが出来たのであった。
本当に情けない話だ。『極悪への道を邁進する』とのたまっておきながら、親に縁を切られそうになった程度で泣いて謝るとは。かの極悪なるマフィア、アル・カポネが聞いたならば、きっと失笑するだろう。いや、失笑すらしないかもな。
しかしここまで来て、僕はようやく気づいた。気づいてしまった。気づかざるを得なかった。
『僕という人間は悪人には向いていない』と。
刹那的快楽と自己中心的な幸福を手に入れるべく、悪事もいとわず過ごしてきた二回生のこの一年。しかし振り返ってみれば、今の僕に残されていたのは、唯一の美徳であった“勤勉さ”さえも失った何の取り柄もないダメ人間と、そして誰かに見せれば笑われてしまうような成績表だけだった。
もはやここまで来ると、認めざるを得ないだろう。僕は悲しくなるほどに、この世界を生きるのが下手くそである。世渡り下手であると。
生理的欲求に殺されかけ、
愛に見捨てられ、
友情に追いかけられ、
怠惰に家族を奪われかけた。
もはや笑えてくる。僕はこれほどまでに、生きるのが下手くそだったのか、幸せになるのが下手だったのか、人生という舞台を演じるのが苦手だったのかと。笑うしかない。笑わなければやっていられない。
『キサマは幸せになどなれぬ』なんだか神様に、そんな事を言われている気がしてきた。僕は不幸になるべくこの世界に生を受けたのではないのかとすら思えてくる。
僕は京都大学に来て、この場所にいる人間達の醜悪さに絶望した。
しかし今の僕が絶望していたのは、自分自身に対してだった。
善人であった時も幸せになれず、かといって、悪人になっても幸せになれない。ではどうすれば、僕は幸せになれるというのだろう? 健全な幸福どころか、刹那的快楽や短絡的幸福と言った不健全な幸福も手に入れられない僕に、一体如何にして幸せになれというのか?
よもや神は僕に『幸せになるな』とでも言うのか。
『人は誰しも、幸福となるために生まれる』と、どこぞの誰かが言っていたのを聞いたことがある。しかしどうやら僕は、その“誰しも”の中には含まれていないようだった。
何故だ。何故なんだ。僕が一体何をしたと言うんだ。前世でとんでもない悪事を働いたとでもいうのか? だから現世ではその罰として、こんな酷い人生を歩まされているというのか?
ふざけるな。僕は何もしていない。これは冤罪である。僕には幸せになる権利があるはずだ。なのに、なんなのだこの仕打ちは。ふざけるな。本当にふざけるんじゃない。
僕は怒りに燃えていた。こんなふざけた試練を僕に課す、この世界の神に対して。抑えがたい怒りを抱いていた。
しかしながら、神の実在が科学的に示されていない以上、その怒りは行き場を失い、僕の中で虚しく反響し続けるしかなかった。
ああ、本当に酷い気分だ。ガラス越しに中指を立てられているような、例えるならそんな気分だ。一方的に侮辱され、しかしこちらは怒りをぶつけられない、仕返しも出来ない、そんな酷い気分だ。
ええい、もう知ったことか。このムシャクシャを何とかしないと気が収まらない。ここ最近は、以前飲み過ぎで倒れたこともあって長らく禁酒していたのだけれど、もう構うものか。
こうなったら、浴びるほどに酒を飲むぞ。嫌なことも何もかも忘れてしまうくらいに、酒を飲んで飲んで飲みまくってやる。明日目を覚ましたら『あの世でした』なんて結末になっても構わない。起きたら見知らぬ女と寝ていたなんて事になっても構わない。なんなら男と寝ていたって良い。
とにかく今はもう何でも良いから、この最悪で救いがたい、悲しい気分を忘れたいのだ。
こうして僕はその晩、サイフと電話だけを手に、夜の繁華街に繰り出したのだった。
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どうやら神は、本当に僕の事が嫌いなようである。不幸のどん底に叩き落としたいようだ。
自分の人生に絶望した僕は今より30分前、サイフと電話だけを持って、酒を飲むことによって悲しみを忘れるべく夜の街に繰り出した。そして、行きつけのとある居酒屋へと足を運び、愚痴をこぼしながら酒を飲み続けていた。
ああ、なぜこんなことになってしまったのか。子供の頃はあんなにも夢と希望で胸を膨らませていたというのに、何故に今僕は、悲しみと苦しみで胸をいっぱいにし、破裂する間際で耐え忍んでいるのか。そんな事をぼやき、涙を流しながら、僕は一人酒を飲み続けていた。
目に入る全てが灰色に見えるとはよく言ったものだ。今僕の視界に入るものは全部真っ黒である。昭和のテレビのように白黒で、『色あせているとはこういうモノなのだ』と思い知らされる。そんな有様だけが、僕の網膜に映し出されていた。
本来なら透き通るように透明であるはずの日本酒も、僕の心を反映してか、泥水のように濁って見えた。しかし、そんな濁った酒でさえ、僕はお構いなしに口に運ぶ。ピリピリと痛む喉。アルコールで体が燃え上がるような感覚。それだけが唯一、僕の心を癒やしてくれるのだった。
ふと、隣の席に座るカップルに視線を送る。彼らはどうやら京大生のカップルのようだった。良い大学に通って、なおかつ付き合ってる奴がいるなんて、良いご身分だなおい。その幸せ、ここにいる可哀想な男にもわけてくれよ。ほら見て。僕こんなにも悲しそうな顔してるよ? パグみたいにしわくちゃな顔してるよ? ほんの少しだけで良いから君らの幸せ貸してくれないかな? もちろん返すつもりはないけど。
そのカップルは、酔っていた所為でよく聞こえなかったが、どうやら今晩どっちの家にお邪魔するか話し合っているようだった。
あーあ、リア充め。飲んだ酒が体内で発火して、セル第二形態みたく爆発しないかなぁ。もしくは、今この場にどっちかの不倫相手が現れて修羅場になれ。不幸のどん底にいる僕に幸せを見せつけるヒマがあるなら、可哀想な僕を楽しませるためのエンタメを提供するのだ。その様子じゃどうせ1ヶ月後には破局しているだろうし、それならば予定を1ヶ月早めて、僕に余興を提供するのがWinWinと言うものだ。さあ、早く爆発しろ。さあ、さあ、さあ。
しかしまあ、そんな極悪なことを考えても、現実はそう上手くはいかない。結局そのカップルは、別に爆発することもなく、彼女の家に行くことになったようだった。一発ヤるつもりなのだろう。穴の空いたコンドームでも渡してやろうか。
ああ、くそ。本当にクソだ。この世界はクソだ。なんとクソだろうか。クソ、クソ、クソ、クソである。本当につまらない。何も面白くない。クソ・オブ・ザ・クソである。
なにが悲しくて、僕はこんな人生を歩まされているというのか。何をやっても幸せにはなれず、他人には幸せを見せつけられる。悲しすぎるにも程がある。のび太君でももっと幸せだぞ。
こんな居酒屋で自暴自棄になって飲んだくれ、他人の不幸を妄想し、自らの憐れさに涙を流す。ほぼ間違いなく、現在この世界で最も不幸なのは僕だろう。途方もなく死にたくなってくる。しかしながら、実際は死にたくないし、死ぬ勇気も全然無い。
ああ、今この瞬間に太陽が爆発して、人類絶滅しないかなぁ。自分一人で死ぬ勇気は無いけれど、全人類が一緒に死んでくれるというのなら、それはそれで望むところだ。
……そうか、今わかったぞ。僕は幸せになりたいのではなくて、単に他人の幸福が妬ましかっただけか。自分より幸せそうな奴を見たくなかっただけか。
京都大学に通うチンパンジー共の、勤勉とは程遠い姿を見て絶望したのも、テニスサークルFrendsに憧れたのも、友情を欲したのも、自堕落な生活を志したのも、よくよく考えれば全て、自分より幸せそうな者達を見て、妬ましく思ったからだ。
つまるところ僕は、幸せになりたかったのではなくて、妬ましかったのか。自分より幸せな者達のことが。だから、彼らよりも幸せになろうとした。そしてそれが叶わないとわかるや、今度は彼らが自分と同じかそれ以下の不幸のどん底に落ちるのを夢想している。
はは、なんだ。僕は最低な人間だったんだな。他人の幸福を妬み、彼らが不幸になることを望む、最悪の人間。悪を志すまでもなく、僕は元から悪人だったのか。くはははは。
うん、いいぞ。なんだかそう思うと、段々と気が楽になってきた。
僕は幸せになれない? そりゃそうだろう。僕はこんなにも悪人だったのだ。勧善懲悪、遏悪揚善、悪の栄えた試し無し。悪人が幸せになれないのは世の常だ。僕が幸せになれないのも、至極当然の理と言ったところだろう。人の幸福を妬み、他人の不幸を渇望する僕が、幸せになれる理由も、なって良い道理もなかったのだ。
僕は別に神に見捨てられたわけではなかった。単に悪魔に魅入られていただけだったのだ。
人間不思議なものだ。さっきまであんなにも世界に絶望していたというのに、いまや心に羽が生えたように晴れ晴れとしている。現状はさっきまでと全く違っていないというのに、ただ『自分はそもそもとして幸せにはなれなかったのだ』と理解しただけで、気分がとんでもなく軽くなった。このまま昇天してしまいそうだ。いっそ昇天してしまおうか。フランダースのワンちゃんの様に、裸の天使達に天の国へと連れて行ってもらおうか。うん、それが良い。そうだそうだ、そうしよう。
すると、そんな狂ったことを考え始めた僕の隣の席……すなわち、つい先ほどカップルが出て行ったその席に、新しく男女二人組が腰を下ろした。どうやら席が空くのを待って、店の外でこの寒空の下突っ立っていた別のカップルらしい。前の二人組がようやく出て行ったおかげで、やっと店で休めたようだ。二人は立ちっぱなしであった所為で凝り固まった自分の足を手で揉みほぐしながら、お冷やを持ってきた定員に注文をしていた。
そして……そのカップルの女の方の顔を見て、僕は驚愕した。
その女こそ、テニスサークルFrendsのヴァルキリーにして、ドS根性全開の金的攻撃と毒舌で、入会希望の男共を悉く退けた女、上野琴音だったのである。
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なんと言うことだ。まさかあの上野琴音に、こんな所で出くわすとは。しかも彼女に、こんなお付き合いしている彼氏がいたとは。まったく知らなかった。
僕はこれまで一度たりとも、上野琴音に男がいるなどという話を聞いたことがない。というか、もし仮に男がいると知っていたならば、そもそもFrendsに入会しようとは思わなかっただろう。……いや、もちろん僕は別に上野琴音が目的だったわけではないのだが。
しかしこの状況……上野琴音が男と二人っきりで居酒屋に来るというのは、どう考えても“そう”と考えるしかない。この男、上野琴音の彼氏である。羨まし……いやいや、けしからん。上野琴音は僕の……ゴホン、学内にいる男共アイドルなのだ。そんな彼女を独り占めにしようだなんて、なんと強欲極まりない男か。すぐさまその股間にぶら下がる棒を切り落として出家すべきだ、この色欲魔め。
怒りに打ち震える僕は、男に掴みかかりたい衝動を抑えつつ、恐る恐る男の姿を全身舐めるように見まわす。
灰色で、いかにも高そうな布で作り込まれた、古風な和服。そして、足には下駄を履き、100年程前の、明治や大正期の学生を思わせる風貌。なるほどこの男『昔ながらの格好をしてる自分、格好いい』と思っている可哀想な奴か。
京都大学は世間一般にもよく知られているように、奇人変人の巣窟である。例えば、円周率を数千桁覚えている変態や、源氏物語を丸暗記している変態、自然と一体になるために三日に一度しか風呂に入らない奇人などなど、数多くの天才なのか馬鹿なのかわからない問題児が生息している。
そして、その中でも特に憐れで見るに堪えないのが、目の前のこの男のように、和服に身を包み時代錯誤の格好を恥ずかしげも無く披露する者達である。
これをファッションだとでも思っているのだろうか? こういう者達はそのほぼ全員が、和服に身を包む自分の事を『格好いい』と思い込んでおり、中二病の高校生となんら変わりない精神年齢を有している。
彼らの着る和服は、現代の機能性重視の衣服が隆盛する時代にあって、それに逆行するかのような、恐るべき低機能性を備えている。
夏は暑さで汗を垂らし、冬は寒さで体を震わせる。しかしそれでもなお、彼らは和服を着続ける。なぜなら格好いいと思い込んでいるから。彼らにとって機能性は二の次。見た目こそが第一なのだ。しかし悲しくも、彼らの姿は殆ど……というか周りの全員の目には、滑稽にしか映らない。“古風”であることと“古臭さ”を間違えた、憐れな時代錯誤の中二病患者にしか見えないのだ。
そんな憐れな男。しかして、僕の目の前に居るその男は、そんな憐れな見た目であるにも関わらず、京大男子のアイドルである上野琴音を我が物としていた。なんたることか。
いや、僕がこんなことを言うのもあれではあるが、上野琴音はもう少し、相手を選ぶべきではないか? ファッションなど微塵も気にかけたことがない僕であるけれど、それでもわかるぞ。君の目の前に居るその男は間違いなく、かなり残念な感性をお持ちだ。きっと結婚などしようものなら、君に小っ恥ずかしい格好をさせるに決まっている。バニーガールなどの変態的コスプレをさせられるぞ。今すぐにでも別の男に乗り換えるべきだ。もっとマトモで、品性があって、君に釣り合うような男と。
ちなみにだが、君の隣の席に座っている男。彼は良いぞ。紳士的な性格の持ち主だし、マトモだし、なにより和服なんて着ていない。現代人らしい洋服に身を包んでいる。悪いことは言わないから、すぐにそちらに乗り換えるべきだ。その男の方はもう、君に乗り換えて貰う準備は出来ているから。各駅停車待ったなしである。
しかし本当にどういうことだこれは。なぜ上野琴音ともあろう、あの毒舌のクールビューティな御方が、こんな男と付き合っているのだ。そこは君、こんな男に言い寄られても『家にある和服全部燃やしてから出直してきなさい』くらい言うべきだろう。なんで付き合っちゃってるんだ。
……! まさか上野さん、君はこの男に、なにか弱みでも握られているというのか? だから仕方なく、こんなかっこよさのかけらもないイタい男と渋々付き合っているのか? だとしたら大変だ! 皆のアイドルである彼女が、そんな脅迫を受けているとあっちゃ、見過ごすわけには行かないぞ。いくら僕が他人の不幸大好きな悪人でも、これを無視するのは人間失格だ。彼女を助けねばなるまい。
……決めたぞ。悪人はもうやめだ。僕はこれから正義の側につく。この得体の知れない和服男に脅されている上野さんを救うために、彼女だけの正義の味方となるのだ。何としてでも彼女だけは救い出す。今そう決めた。神よ見ていろ。世界よ見ていろ。京都大学よ見ていろ。今からこの世界に、最高の善人が爆誕するぞ。女のために奮闘するスーパーヒーローの誕生だ。
……しかし、救うとは言ってもどうしたものか。上野さんがこの男に脅されて嫌々付き合っているのは間違いない(証拠は全くの皆無であるけれど)が、しかし僕は、上野さんが一体何を恐れて、コイツに従っているのか、それを知らない。そして、それがわからないことには助けようもない。もし何もわからないまま、その場のノリで助けたとしても、最悪の場合僕の所為で、上野さんが被害を被る可能性だってあるのだ。慎重に事を進めなければならない。そうするとやはり一番にやるべきは情報収集? 上野さんが何をネタに脅されているのか知るのが先決か。だけど、どうやって情報を探れば……
ガタッ
頭を悩ませていた僕の隣で、上野さんとその彼氏と思わしき男の二人が突然立ち上がった。どうしたというのだろうか?
「すいません、少し用事が出来たので、私達帰ります」
なんと言うことだ! この二人、帰るつもりらしい。まだ何も食べていないのに!
ずっと外で並んでいたにもかかわらず、結局何も食わずに店を出ようとする二人に、当然ながらそれを聞いた店員は「は、はぁ……」と怪訝な表情を見せる。しかしそんな店員に上野さんは「また今度、時間が出来たら来させていただきます」と笑顔で伝えた。その可愛らしい笑顔に、怪訝そうにしていた店員も思わず顔をほころばせる。くそぅ、この和服姿の男、こんな可愛い笑顔を自分のものに出来るなんて、なんと羨まし……いや、けしからん奴め。もし僕が警察官だったなら、お前を『上野さんの笑顔独占禁止法違反』で逮捕する事が出来たのに。
しかしこれは困ったぞ。なんの用事かはわからないが、僕が上野さんを救う手段を考えつかないうちに、まさか二人で帰ってしまうとは。まずい、非常にまずい。このままでこの二人を逃がしかねない。
もしここで逃がしてみろ。この二人、これから間違いなく京都の繁華街に乱立するラブホテルに足を運ぶに決まってる! いいや、きっとそうだ! 違いないね! なんというふしだら! おぞましい! 羨ましい!
しかし、そんなことはこの僕が許さないぞ! そんなマネ、誰がさせるものか! 全力でこの二人の“お持ち帰りフラグ”をへし折ってやる! 何としてでも上野さんを救い出すのだ! 上野さんの貞操を守りきるのである!
僕は二人が店を出ていったのを見ると、すぐさま立ち上がり、店主に向かって大声で「会計を頼む! 大至急!」と叫んだ。
「お、天ちゃんどうしたんだよ、そんなに慌てて。おめえらしくもねえ。それにまだ全然飲んでねえじゃねえか。もっと飲んでけよ」
「ほっとけ! 今は飲んでる場合じゃないんだよ! こちとら推しのアイドルが処女喪失するか否かの瀬戸際なんだ!」
「……なに言ってやがんだ。飲み過ぎで頭おかしくなっちまったのか?」
「ええい、もういい! ここに5000円置いておく! 釣りはいらないぞ! これで嫁さんになんか美味いもんでも食わせてやれ店主!」
僕はそう言うと、椅子にかけておいた上着を手に、店を飛び出そうとした。
「ちょい待ち天ちゃん!」
「なんだよ店主!? 釣りはいらないって言って……」
「いや、そうじゃなくて足りねえんだよ。消費税の上がった2%分」
「……っ!」
ぬあああ! 忌々しい消費税め! 僕は財布を取り出すと、すぐさまその中身から足りない分を取り出そうと試みた。全くもって余計なタイムロスである。もしこれで上野さんの貞操を守れなかったら、僕は絶対に消費税を許さないぞ! 税率0%の国に亡命してやる!
「……ぬぁっ!」
しかし、すぐに気がつく。サイフの中によりにもよって、福沢諭吉しか入っていないことに。
ぐ、ぐぅぅぅ……! ゆ、諭吉センセェ……! なんでこんな時に限ってあんたしかいないんだ! お釣りを受け取る時間をロスしたら、大人の階段を今にも上ろうとする二人を見失ってしまうじゃないか! かといって、1万円のお釣りは、捨てるにはあまりにも額が大きすぎる……!
しかし時間が無い……ええい!もう知ったことか! 明日からは豆腐生活じゃい!
「店主! 諭吉先生を置いていく! 釣りはいらねえコンチキショウ!」
僕はそう言い残して、サイフの中に一枚だけ存在していた諭吉先生を投げ捨て、店を後にした。僕が店を出ていった後、店主は「なんであいつ、5千円の方も置いてったんだ?」と不思議そうに首をかしげるのだった。
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「く、くそ! あの二人どこに行きやがった!?」
一万円札を捨てるという、史上まれに見る大罪を犯した後、僕はすぐさま、先に店を出た二人の行方を追った。しかしながら、店主とのあまりにも余計なやり取りで時間を食ってしまったせいで、二人の姿を完全に見失ってしまっていた。
なんたることだ! まさかこんな事になろうとは! 上野さんを守ると誓ったすぐ後にこれかよ!? というか、それもこれも全部、先日消費税を2%も上げやがった政府のせいだ! なんで消費税を上げるんだよ! それよりもまず所得税を上げるべきだろ! 金持ちから搾取しやがれってんだ! 定年退職したら絶対に、消費税なんていう弱者の財産を搾取する不当な税制度が存在しない国に移住してやるからな! 覚えてろ!
……いや、落ち着け。落ち着くのだ僕。見失ったからなんだというのだ。まだ二人が店を出てさほど時間は経ってない。この近辺を探せば、すぐに見つかるだろう。
臭いを探れ、音を聞け。第六感を働かせろ。全身全霊を以て、これから“いかがわしい行為”に及ばんとするあの二人を見つけ出すのだ。そして、その企みを僕が粉砕してやるのだ。
僕は深呼吸を一度し、精神統一をする。そして、耳を澄ませた。鼻を効かせた。
……ピピッ!
発見したぞ! 僕の『リア充探知レーダー』もとい第六感が、あの二人を発見した! 距離50m! 二人は現在、北東に向かって前進中! いったいどこに向かって……や、やはり! 北東2km先に、大人の総合体育館があるじゃないか! なんたることっ!
まずい! あの二人、これから二人っきりで、夜の大運動会を開催するつもりだな! させるか! その運動会、僕が何としてでも止めてやる!
ピピーッ! 申し訳ございませんが、雨天により運動会は延期になりまぁす! もちろん次回開催日程は未定だ!
僕は二人の居場所を突き止めるなり、すぐさま全力疾走を始めた。数ヶ月前にアメフトサークルで地獄の修行を行っただけあって、凄まじき快速特急である。むろん、そこには大人の階段、もといエスカレーターを駆け上がるあの二人に対する怒りのパワーもあったことは、言うまでも無いだろう。
そして走り始めて20秒後。僕はなんとか、その二人の背中を目視で捉えたのである。
「見つけたぞ! 止まれそこの二人組!」
僕に叫ばれて、歩いていた二人は振り返る。
「なんでしょうか? 私達に何か御用でも?」
上野さんは面倒くさそうに僕にそう聞いてきた。
御用? もちろんさ! 僕には君を助けるという使命があるのだ!
「ふむ……君、さっきの店で我々のことをずっと睨み付けていたね? 案の定、後を追ってきたか」
一方の男の方はと言うと、落ち着いた雰囲気でそうつぶやいた。
『案の定追ってきた』だと? どうやらコイツ、僕の事に気がついていたようである。それで僕をおびき出すために、何も食わずに店を出たと言うことらしい。
「ところで君、誰だい? 申し訳ないが私には、君のような知り合い居ないんだがね……琴音、お前は知っているかい?」
「……いいえ、知らないわ。こんなママのおっぱい離れも出来てなさそうなガキなんて」
だれがおっぱい離れ出来てないガキだ! 相変わらずの毒舌ですね上野さん! 僕は君を助けようとここまで来てるんですよ!?
ていうかおっぱい離れくらい出来てるし! 勘違いしないでよね!
というか上野さん! 一応僕たち、前にFrendsの入団試験であったことがあるんですよ!? 僕は貴方に金的をやられて、あげくに罵られた男です!
「ふん! そんなに知りたきゃ教えてやるよ! 僕は京都大学リア充撲滅委員会執行部長天野川だ!」
「リア充撲滅委員会? なんと、そんな組織があったのか。知らなかったな。お前はどうだい琴音? 知っていたか?」
「ウソに決まってるでしょ。そんなのあるわけ無いじゃない。ていうか何よ『リア充撲滅委員会』って。馬鹿なの?」
「ええい黙れ! いいか! 一度しか言わないから良く聞け! これからキサマらが行おうとしている極めて野蛮で看過できない行為について、この僕に詳しく教えて貰お……うぇっぷ!」
しかしながら。カッコよく名乗りを上げた僕は、その場に倒れ伏した。
そして胃袋に収めていた大量のアルコール飲料を、地面にぶちまけたのだ。
「ゲェェェェェェ! オェッ……! ぎぼぢわる……」
なんと言うことか。僕は風の如くに夜の町を走り抜け、二人に追いついた。しかしながら、食後間もないというのに無理な運動をしたことが祟って、僕の体内の吐き気メーターもまた、凄まじいスピードで限界点まで走り抜けてしまったのである。なんたる悲劇か。
僕は膝をつき、ヨロヨロと倒れ伏した。ま、まずいぞ……! 意識がなくなってきた! 血液が循環したせいで、頭にアルコールが回りやがったな……!
こ、このままでは上野さんを止めれない……というか、今更だけど何やってんだよ僕は!?
上野さんを救うとか言って、これって完全にお節介じゃん! 妬んでるだけじゃん! 邪魔してるだけじゃん! ストーカーじゃん! 情けないったらありゃしないよ!
そんで結局、これから大人の階段を上ろうとしている二人の目の前で、胃袋の内容物をさらけ出したりしてさぁ! 本当に僕は何がしたいんでしょうか!? 誰か教えてください! 僕にはわかりませんので!
うっわあ……見てみろよ、あの二人の顔。汚物を見るような目をしてるよ。……いやまあ僕の全身、吐瀉物まみれなんで確かに汚物ではあるんですけどね。
うっ……なんか涙が出てきた。悲しくなってきたぞ。
僕って何のために生まれたんだっけ? カップルの前で吐いて嫌がらせするためか? なんつー人生だ。
ああ……もう嫌になってくる。自分の人生が。前々からすでに嫌だったけど、もうここまで来ると笑えないレベルだ。誰か殺してくれ。そんで埋めてくれ。誰の人目にもつかないような場所にでも。それか鳥葬してくれ。鳥の細胞になって世界を空の上から眺めたい。そんでリア充達の頭上に糞を落っことしまくりたい。
ああ、嫌だ嫌だ。もうこんな人生嫌だよ……神様仏様、お願いですから、次生まれ変わったらダンゴムシに転生させてください。それくらいが僕にはお似合いなのです。地中で丸まって一生を過ごします。……え? なんだって? ダンゴムシも僕なんかには勿体ない? 僕の来世はカメムシですか? 勘弁してくださいよ。来世でも人から嫌われる生き物なんて、まっぴらごめんですからね……
そんな事を考えながら僕は、自分の戻した吐瀉物の中で、意識を失ったのだった。
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