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嗚呼、素晴らしき新世界  作者: ミケ猫
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第一部「you are the reason」

すっかり汚れ破れた旗が尾を引く様に、暗闇の中を駆け抜ける澱んだ空気に晒される。盾形の紋章に記された標語(モットー)にはこう記載されている。《共同性、規律、名誉。我らは曲げぬ、折れぬ、移ろわぬ》

此の国の地下に伸びた巨大な水路と金鉱坑道は地下世界(アンダーワールド)と呼ばれ、大凡3万人の人間が呼吸をしている。あの日、地中から這い出た化け物達との戦いに敗れた人類は地下の奥深くへと身を潜める事でしか生き延びられなかった。

"いずれは訪れる神の国の到来"それが齎したのは多くの人の血と悲鳴と涙だった。此れは人類に科せられた罰だろうか?殺し合いを続ける人類に神は背をむけたのだろうか?

地中から這い出した「異形(アナザー)」は、文明を喰らい尽くした。燃える灰が空を覆い隠し、薄気味悪い雲が地上の光を奪った。冷え込んだ空気には汚れた雪が降り積もり、グロテスクな生き物が跋扈する。坑道内も危険が満ち溢れている。今にも崩れそうな岩壁を支えるのは腐った木の柱である。老朽化した石壁からは噴出した有毒な気体が鼻孔や眼球を焼き落す。専用の服とマスク(疫病防護服をより実用的に改良した)無しでは命の危険に晒される。それでも、地上にいるよりかは脅威も減るのだ。

我が物顔で踏みしめた大地は、最早私達の物ではなくなった。今は地中で日々怯えながら生活している。食糧難、物資の不足、異形(アナザー)、そして、人類は大地を失ったにも関わらず争い続けている。先の見えない恐怖の中で人々は希望を失っていた――――


「10年前に管理統一体制が崩壊した今でも我々治安維持騎士(ナイト)は独自の共同性(コミュニティー)を保有している。150領の居住空間と水路とを繋ぐ情報網は無政府状態になった今でも機能していると言う事実を誇らしく思え」


「はい、オルダス卿」


「ふむ、それでは騎士教本に目を通せ」


オルダス卿が言葉を話すたびに士官騎士達は一語一句、彼の言葉を漏らすまいと必死に洋紙に言葉を書き連ねる。権威ある人からの直接指導。なんとありがたいことだろうか。


「いいかね?君達には総合的な理解が必要だ。治安維持騎士(ナイト)は知的労働だ。知的労働には総合的な理解が必要なのだ」


褐鉄鉱の不快なニオイを帯びた土が吹き抜けの風に舞う。黒々とした煙になり一斉に人々は顔を伏せた。

金属を鋳造する熱気に満ちた音が部屋の無機質さを更に強める。全身に汗が浮き上がり、まだ霧に包まれたまま暗闇の中に引き摺り込まれるような感覚だ。額から滴る汗が虚ろな意識を錐もみ上に落ちていく。


「ああ、懐かしいね。オルダス卿は今日も熱心だぜ」


暗がりの中から聞こえる講習部屋を覗きこむようにレンリーは声を潜めて呟いた。


「総合的理解がなんの役に立つ?」


レンリーはジャンヌに顔を向けた。茶色の瞳が不真面目な色を放っている。その瞳を埃臭い風に揺れた前髪に隠れた。


「さあ?」


ジャンヌは肩を持ち上げた。

実際のところ、総合的理解は知的な必要悪であり、この世界で幸福になるには総合的理解の度合いは出来るだけ低いほうが好ましい。


「地上で王が死に絶え、地下で政府が崩壊した日から俺達は何も進展していない。いつまでこんな場所で燻ってる気だ?俺はさっさとこんな地中からおさらばしたい」


「そんなこと……此処にいる誰もが思っているけど」


「だったら、何で討ってでない?今なら……皆で戦えば、地上の阿呆どもを駆逐できるかもしれない」


レンリーは瞼を見開く。感情が昂ぶり口調が荒々しくなる。


「それを謳っていた政府は潰れた。一日の食料すら事欠く状況で戦争に資金を注ぎ込むのは人々が許さない。だから貴族連合は人々に異形(アナザー)との戦争など与太話だ神話だと思わせている」


ジャンヌは半ば呆れ気味に応答した。澄んだ声が不釣合いな土壁の中へと消える。


「そん時には俺は死んでるかヨボヨボ爺だ」


「レンリー、君の愚痴はもう十分。今から任務だ」


「どうせまた食料運送の護衛だろ?」


「その通り」


「最悪だ。むかつく」


「そう怒らないで。食料の護送は重要な任務だよ。私達をヴェイル区の民達が待ってるんだ」


「俺は玉蜀黍(とうもろこし)の匂いが苦手なんだよ。なんだか土臭い」


「そうなの?それは……数年前に言うべきでしょ?ふふっ」


「何がおかしい」


「君は十年前から何も変わらない、そう思っただけだ」


「ああ、そうかい」


クスクスと笑みを浮かべるジャンヌの顔を不満そうに見つめながらレンリーは唇を尖らせた。


長く暗い坑道と水路を行き来するには人の足では時間が掛かり過ぎる為に木製のトロッコを使う。坑道に敷かれたレールに沿って動く手漕ぎトロッコで一人でも十分に操作することが可能だ。其処に荷台を接続し必要数の食料を此処リヴァーランから三区離れたヴェイルに護送することを一日二回、治安維持騎士(ナイト)が二人一組になり交代制で行うのだ。

ジャンヌ達は任務に必要な食料を受け取る為に温室へと向かう。ガラスのドームの下に畑が広がっている。ドーム状のガラスには透き通った水滴が付着し、透明な筋を描いて滴り落ちていく。玉蜀黍(とうもろこし)の茎が瑞々しく揺れ、高い穂の隙間から農民の頭が覗く。


「水素はクリーンなエネルギー源として重要な役割を担っている。需要あるエネルギー媒体である故にその取り扱いを怠ってはならないのだ。その取り扱いを間違うと爆発火災に到る。単なる爆発なら未だ良いが、此の場所は君達の重要な食料源でもあるのだ。つまり君達は此処に来て私の指導を受け、十分な総合的理解を……」


温室の外では何時もの様に総合的理解を見に付けるために治安維持騎士の卵達が権威ある人からの直接指導を受けている。


「爆発は圧力の急激な発生又は解放の結果、気体が急激に膨張して破壊作用を伴う現象だが、総合的理解を得るには其れをプロセス別に細かく分類する必要性がある」


「安全性という観点から爆発を捉えるならば、事故の未然防止という立場から、先ずは爆発の発生条件から検討する必要がある。次に発生後の防護策についての検討、そして、被害の軽減と極小化に関する検討が必要となり其々に対応した評価を求めることにより事故のリスクの軽減に……」


教官はその後もやや技術的な話をした。ジャンヌ達は教官や士官達の教義に耳を傾けながらガラスドームの周りを沿うように歩いた。

数百メートル歩いた先に護送用の食料庫が設置されている。ガラスドームほどに芸術的な物ではないが質素な木製の納屋には何処か懐かしさを感じさせた。


「こんにちわ」


「よお、お二人さん。今日はこれだけだ」


食料管理担当の男は気だるそうに玉蜀黍(とうもろこし)の束を指差し、再び言葉を続けた。


「三年前の小麦に続いて、今度はオクラが胴枯れ病で全滅しちまった。今や玉蜀黍(とうもろこし)だけになっちまったよ」


「最悪だ」


悪態をついたレンリーは不安そうに眉を顰めた。


「でも、以前よりも収穫率は高いはずですよね?」


「西部の乾燥区が全滅したように此処も何れは何も育たなくなる。それも遠からずな」


ジャンヌの質問にむっとしたように眉間を動かせば男は膨れた口調で言葉を紡いだ。ジャンヌとレンリーは気分を害した相手を横目に玉蜀黍(とうもろこし)の束を荷台に積み込んでいく。


「燃焼とはエネルギーの酸化反応である。その反応が起こるためには何が必要なのかね?」


「はい、燃料、支燃剤となる酸素が必要になります」


玉蜀黍(とうもろこし)の青くさい香りは冷め切った岩壁の中で反響し、埃被った空気と講義の無機質な言葉の羅列と共に暗闇の中へと消えていく。

胴枯れ病の細菌は窒素で呼吸する。つまりは子嚢菌が栄え、窒素を喰らうほどに酸素は少なくなっていく。

此の飢饉を生き延びた者に与えられるのは希望でも食料でもなく、窒息死だ。

ジャンヌは不意に、目も口も鼻も黒い鉄灰に埋め尽くされもがき苦しむ自身の姿を想像した。希望はある。そう自分に言い聞かせた。そう誰かに言って欲しかった。


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