第1章 4 国境の街グレイム
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エルレーン公国の南端、グーリア神聖帝国との国境に位置する街、グレイムは、グーリア側にある。
中央広場では賑やかな物売りの声が飛び交っていた。
商人たちの活気のあるやりとり。
グーリア人を始め、他国からやってきている行商人が多かった。ただエルレーン公国からは、この国が商業で栄えているにも関わらず、人も物資もやってくることはない。
数十年来続いた戦役の結果である。
戦争はグーリア側の有利に運び、十年前に結ばれた停戦条約で、やっとエルレーン公国への侵攻が行われなくなったばかり、とも言えた。
実質的な国交は半ば断絶状態にあった。
強大な軍事力を持つグーリア神聖帝国は、エナンデリア大陸の他の各国にとって脅威であり続けていた。
唯一の例外が、グーリアと大陸南部の覇権を競う、サウダージ共和国だった。
帝国の公式記録では千年前、エルレーン公国の記録では七百年前にさかのぼるグーリア神聖帝国当時から、グーリア、サウダージ両国間には相互不可侵条約が締結されて久しい。
※
物売りの声ともざわめきとも無縁な所が、中央広場、北端にある。
死んだように静まりかえったその一画に、巨大な檻が並んでいる。
頑丈な板張りで鉄格子がはめられた檻の中には人間がぎっしりと詰め込まれている。大陸の各地から狩られてきて、奴隷市に掛けられるのを待つだけの女や子供たち。
新たに運ばれてきたスーリヤ、ナンナほかクーナ族の村人たちが檻の一つに入れられた。
以前から檻に入れられていた人々は気力も無くなっているらしく、声も立てなければ新入りの方を見ようともしない。全てを諦めてしまったかのようだ。
奴隷として売るための焼き印を、皆が肩に押されている。
「くやしい」
スーリヤは床に涙をこぼして、ナンナに言った。
「いっそもう死んでしまいたい。これから、どんな目にあうのか考えたら……」
ナンナがスーリヤの手を強く握った。
「あたしはあきらめてないよ。みんな一緒に、村に帰るの」
スーリヤは小さくうなずいて、つぶやいた。それはほんのささやかな声で。
「にいさんたちが助けに来てくれる。きっと」
歯を食いしばって空を見た。
青白い太陽は変わらず、空に輝いている。
*
長い昼が過ぎ、日が陰っていく。夕方の空気はまだ蒸し暑かった。
重い足音が近づいてきて、檻の前で止まった。
グーリア人の軍人らしい男数人。
ベレーザではない。もっと上等な甲冑を着込んでいる。それと、頭から足の先まで黒衣に覆われた、年齢も定かでない四人の人物。そして彼らに頭が上がらなそうな初老の男が一人。彼はグーリア人ではない。グーリア人の特徴は灰色の皮膚であることなので、すぐに見分けられる。
「どうだい女たち。腹が減ったろうね。ところで人を探しているんだがな」
初老の男が、檻に向かってエルレーンの言葉で語りかけた。
檻の中の人々は、誰も彼のほうを見ようともしない。
「言葉のわからないふりは無駄だぞ。『聖堂』教会が布教しているからには言葉も通じるはずだ。わしはドルフ。仲買人でね。顧客の便宜をはかる仕事さ。どうだねこの中に、流れ者の子供はいないか? 親が、どこか北の国からでも流れてきた、とかいう子は?」
スーリヤはびくっとして顔をあげた。
自分と兄のことだ! 村には、他にあてはまる者はいない。
どうしてそんなことを外の人間が知っているのだ?
「あんたエルレーン人だろう。グーリア人の手下になって、なんでそんなこと聞くの」
昼の間じゅう倒れていたマチェが起き上がり、ドルフをにらんだ。
「探すよう取引相手から頼まれただけさ。まあ。おまえさんじゃあないね。歳をくいすぎてる。年齢は十八より下だ。そいつを差し出せ。そうすれば食べ物をやろう」
「ふざけんなクソおやじ。だれが仲間を売るか!」
きれいな顔にも似合わずマチェは太い声で毒づく。
「最初からけんか腰のおまえさんでは話にならんね」
ドルフは肩をすくめた。
「じゃあ、こうしよう。そいつを出してくれれば、関係ない他の村人を解放する。で、誰だね? よそ者の血をひくのは」
立ち上がろうとしたスーリヤを、ナンナが止めた。
「だめ。ここに残ってて」
そして自分が出ていこうとする。
「そんなのだめ! どんなことされるかわからないのに! あたしが行く」
ナンナの手をつかんでスーリヤはけんめいに引きとめる。
「何を騒いどる! そこのふたり。よく見れば年頃も、条件に合うな。よし、二人とも、いや面倒だ、その村の女、まとめて檻から出ろ!」
女たちはそれぞれの手を綱で縛られたまま、檻から出され、広場の片隅に掘られた大きな穴のふちに並んで立たされた。
「この中に、親が北方の生まれの、よそ者の子どもが居るはずだ。そいつはだれだ」
だれも答えない。
しだいにドルフの声が殺気だってくる。
そこへ黒衣の人物が近づき、彼に指示を与える。ドルフは困惑を隠せぬ顔で退く。
次の瞬間。
グーリア兵たちが、並べられた女たちにむかって一斉に槍を投げた。
狙いはさだめもせず、とにかく投げつけた。
スーリヤは何が起こったのかわからなかった。
自分の胸に槍が突き刺さると思った瞬間、ナンナが彼女の前に飛び出し後ろに突き飛ばして、抱き合ってともに穴に落下した。
みんなここで死ぬのだ。
スーリヤは思った。
穴の中にはぐにょりとした冷たいものがあって、落ちていった女たちを受け止めた。
それは彼女たちより前に投げ込まれたらしき死体だった。
スーリヤは必死にナンナを抱きしめる。
生暖かい液体がスーリヤの胸や腹をぬらした。
真っ赤な、血だった。
抱きしめたナンナの胸から、とめどなく噴き出してくる。
*
穴のふちではドルフがおろおろと取り乱していた。
「なんてことを! 頑固な女たちでも、売ればいくらかにはなったのに、殺すなんて」
『商人らしい発想だが、このたびは奴隷を狩らせたわけではない』
グーリア兵の指揮官らしき者が言った。
『全員死んだのなら、王が探しておられる者はこの中にはいなかったということだ。この大陸中をくまなく探すのだ。エクリプス! 貴様ら自慢の魔道で、この女たちの中に……が、必ずいると申したな!』
『いたはずです。絶対に。………の子は、槍などでは死なない』
「もうごめんだ。わたしはまっとうにやってきた、ただの商人だよ。殺すために狩り集めるなんて、耐えられない。通訳は他をあたってくれ」
逃げるようにドルフが去って行く。
穴に横たわっていたスーリヤには、彼らの会話の内容はわからなかった。
誰かが話しあっている。話し声が遠のき、意識が薄れる。
(死にたい。ナンナを殺してわたしが生きてるなんて……)
光の差さない暗い場所で、スーリヤはただ、それだけを願った。
『ほんとうに、死にたいの?』
そのとき、スーリヤは確かに、自分のものではない少女の声が、胸の奥に響くのを、聞いた。




