第１章 １ 狩人キール、精霊の少女に出会う
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キールは草原に身を伏せて獲物を待っていた。
クーナ族の村で最年少の狩人とみとめられて、ようやく一年だ。
突然、草むらを割って一頭の獣が飛び出してきた。
すかさずキールは矢を放つ。
第一矢、続けてすぐに二番矢を射る。確かな手応えを感じた。
やじりには村のまじない師コマラパが調合した、しびれ薬が塗ってあるのだ。が、その日の獲物はすぐには倒れず、草原を横切って北の深い森へと逃れていった。
獲物を追って森に分け入るとき、キールは緊張を覚えた。
大森林地帯の奥は精霊の住む場所という言い伝えがあり、普段は立ち入らない。仕留め損ねた獲物を追うのでなければ彼も足を向けなかった。
静寂に包まれた森。
歩みを進めながら、キールはしだいに気が重くなり、引き返そうかと迷い始めた。
……そのとき。
「うわっ！」
思わず退いた。
周囲に、いつの間にか、青白い光のかたまりがいくつも現れては漂っていたからだった。
「精霊火！」
この世界のほとんどの土地で見られる自然現象だ。
熱を持たず、炎をあげることもなく、ただ発生しては集まり、静かな光の河となって、いずこかへ流れ去って消えていく。
精霊火に出会った者は、幻視を体験するとも言われている。
ここまで入り込んでしまっては、引き返せない。
まつわりつく光球を振り払ってキールはさらに森の奥へと踏み込んでいた。
依然として獲物の姿は見いだせなかった。
そのかわり、森の奥深くに、白い服を着た少女の姿を見た。
精霊火が、ふわふわと周囲を漂っている。
十歳くらいだろうか。
少女は目を閉じてたたずんでいる。
肌は白く、青みを帯びた銀色の長い髪が身体全体を包んでいるように見えた。
驚くことに少女はキールの妹スーリヤにどことなく似ていた。もっとも彼の二つ年下の妹は日に焼けた肌と、父親ゆずりの灰色がかった茶色の髪と目をしていたのだが。
他のクーナ族の人々は、黒髪と黒い目をしている。
キールたちの父親は北の生まれだったため、髪や目の色が違うのだ。
少女はゆっくりと目を開いた。
水精石を思わせる、透明感のあるごく淡い水色の瞳だった。
『だれ？』
透きとおった声が、キールの胸の中で鳴った。
「……精霊？」
彼は息をのんだ。
耳で聞くのではない言葉。何よりもアクアラ色の瞳、色の薄い肌、銀色の髪。伝承のとおりだった。
『いいえ、夢ね……こんなところまで人は来ない。わたしはずっとひとりぼっち』
少女は独り言のように呟いた。
キールは思わず声をあげた。
「夢じゃない！ おれはキール。きみは……」
『気をつけて』
少女の声が、再び、彼の心臓の近くで鳴った。
『あなたはずいぶん遠くまで来てしまっている。もう戻ったほうがいい。あなたの妹さんのためにも』
「妹？ なんで、おれに妹がいると」
『わたしはセレナンだから。あなたがた人間よりも、そうね、少しばかり、いろんなことがわかるの」
「セレナン？ 世界の名前……」
少女の水色の瞳が憂いに曇る。
『いつかあなたは、わたしの兄に出会う』
精霊火が、ふたたび少女とキールのまわりに集まってきた。
キールは必ず伝えると答えた。そうするしかできなかった。
「伝えるよ。兄さんの名前は？ それに、きみは……セレナンってなんだ？」
『わたしは虹』
どこか遠くを見るような、大人びたまなざしをして少女は言いかけて、ふっと寂しげに目を閉じた。
再び、ゆっくりと開いたときには、心なしか、先ほどよりも幼い表情をしていた。
『いいえ、あなたが見ている存在、わたしたちは、一人ではない。わたしたちは重なっている。階層になっているの。さっき、ここにいたのは、『虹』。彼女は人間を信じている。けれど』
少女は言葉を切り、先ほどよりも力強い眼差しを、キールに向けた。
『あたしはセレナンの最後の子ども、ラト・ナ・ルア。兄の名前は、レフィス・トール』
「なんだって？ どういう意味なんだ？ あんたは、ラト・ナ・ルアっていうのか？」
『今は、それだけ覚えておいて。あたしを忘れないでね。あなたがいつか、本当にどうしようもなく困ったときは、あたしを呼んで。気が向いたら助けてあげてもいいわ』
精霊の少女は、薄く笑う。
確かに、スゥエと名乗っていた少女とは、まるで別人のようだ。
「困ったときは助けてくれるっていうのか？」
『ええ』
美少女は、頷いた。
『兄は、生を終えても《世界の根源》に還れないでいる……かなうなら、どうか伝えて。あたしはもう憎しみも苦しみも哀しみもない世界に還元しているから。兄さんに、もう悲しまないで……あたしたちの愛しい養い子カルナックも側にいるからって……あなたにわかることだけでいいから』
「わかった！ もし会ったら、必ず伝える！」
精霊火が再び集まってきて少女の姿を包みこんだ。
＊
キールは、はっと我に返った。
深い森の中になど、いなかった。
草原のただ中でじりじりと陽光に照らされていた。
頭上高く、青白き太陽神アズナワクが炎の馬を駆っている。
白昼夢でも見ていたのか？
精霊火の見せる幻視か？
彼は頭を振り、草原を見渡し……異変に気づいた。
村のある方向に、真っ黒な煙の柱が立ち上っている。
キールを含め、村の男たちはほとんどが狩りに出ていた。
村には病人と老人と女子供しかいない。
「ホーーーーーーーイ！」
「ホーーーーーーーイ！」
狩人仲間が危急を報せる呼び声が、草原のあちこちから上がり、響き合った。
階層になって重なっている精霊の少女、スゥエと、ラト・ナ・ルア。
この二人のことをどうぞお忘れなきように。
