プロローグ 0-3 ケイオン再び子供を拾う
0-3
セラニスと別れた後、ケイオンは雨の中を歩いていた。
ペレヒリの港町から裏手にあたる深い森へと続く小道がある。
そこを通って、街道へと抜けることができる。
「助けを呼ぶ者がいる……ここらあたりと思ったが」
ふと、足を止めた。
目の端に金色の光が見えたのである。
光に誘われるままに森の中の小さな空き地に行ってみると何かが落ちていた。
麻布をまるめたようなものだ。
それは、子供だった。
まだ十歳になっていないと思われる男の子が、身体をまるめ、泥にまみれ、ぼろぼろの様子で倒れている。
最初、死んでいるのではと思い、肩に触ってみて驚いた。
かなり長時間の雨に打たれているだろうと思ったのに、まったく、ぬれていない。
短い銀色の髪も、色の白い顔も、触れると、まだぬくもりがある。
「この子ひとりか? 親は、どうしたんだ」
また、黄金の光が目に入った。
顔を上げると、目の前に金色の炎があった。
子供の上に覆い被さるようにして空中に浮かんでいる。
炎は一時も留まらず緩やかに形を変えていく。
一瞬、女性の姿に見えた。
「守護精霊か?」
ケイオンは驚いた。
このご時世、ことに技術が重んじられ魔法が公認されていないサウダージ共和国において、精霊の守護を受けるものを見受けることは、まずない。
「この街の住民唯一の生き残りなのか? それとも、今回の現象は、この子供が原因だったりして……なんてことは、ないよなあ」
困ったように息を吐いて、子供の身体を持ち上げた。
黄金色の炎がケイオンの身体をとりまき、ゆらゆらと揺れる。
「心配するな。なんとか、助けるさ…」
ケイオンは炎に語りかける。
雨は、いつまでも降り止まない。
※
降り続く雨の中、ぼろきれのように倒れていた子供を肩に担いで、ケイオンは歩みを進める。
ケイオンは目を懲らす。
彼の左目だけが淡い青に変わり、#水精石__アクアラ__#色の光を放つ。
「ああ……そろそろ、ここらに来ている頃だと思ったよ」
漁港に迫る山肌を覆う森の中。
白い森が、近づいていた。
見渡す限りの視界を埋め尽くすほどに広大な森の、木々も下生えの草むらも全てが純白。
森は、燃え立つ炎のように揺れていた。
常人には見ることも触れることもかなわない、幻のような森。
子供を背負ったまま、ケイオンは森に近づいた。
膝までも届く丈の長い、細長い葉を茂らせた草むらに踏み入れようとしたとき。足先に、バチッと白い火花が飛び散った。
下生えの草むらは固く閉じて彼を閉め出す。
『……退け、儚きものよ。ここに「ヒト」の身にては一切入ること能わず』
空気が震え、姿のない存在が『意思』を伝えてくる。
「永遠なるお方。俺は半分『ヒト』ではない」
ケイオンは#水精石__アクアラ__#色の右目を晒すように、額に掛かっていたレンガ色の髪を上げた。
「我が半身は精霊の眷属にして、北の『精霊巫術王』の末裔を保護致しました。庇護を求めます」
『では、そなたの真名は?』
ケイオンはふと躊躇いを見せたが、すぐに振り切った。
「俺は『土塊の魔法使い』ケイオン」
『違う。そはエルレーンの巡礼の名であろう。本名を名乗れ。でなくば、この精霊の森に入れるのは、そなたの中の精霊の眷属と、そこなる『炎の#聖霊__スピリット__#』のみとなろう』
ケイオンの表情が、苦しげに歪む。
「……我が師は『#精霊__セレナン__#の愛し子』カルナック。そして、わたしは、エルレーン公国のエステリオ・アウル。家名はない。我が半身なる精霊は……」
『そちらは名乗らずともよい。哀れなる『堕ちし巡礼』、追放されし者よ。その子供が回復するまでは滞在を許す。その後は好きな所へも通路を通そう。我らが養い子、愛しいカルナックの弟子ならば』
白い森が、動いた。
ざあっと音を立てて、びっしりと閉じていた純白の草むらが左右に分かれ、道を開く。
「さあて。気を失っているとは残念だな、少年」
ケイオン改め、エステリオ・アウルと名乗った灰色の巡礼は、微かに笑った。
「その若さで、人の身で精霊の森に生きて入る、世にも珍しい体験をしているというのにな」
彼の背中で男の子は身じろぎをして。
その頭上に、黄金色の炎が、高く低く、揺れて燃え上がる。
※
「ひとりぼっちだなんて気の毒な子供だ。保護者になってやろう、そう思ったことが、俺にもあったな」
薪を拾いながら、は呟いた。
「甘かった……」
ため息をついて。
やがて充分な薪を集めたことに満足して、ケイオンは森の奥へと歩みを進める。
ここはエナンデリア大陸中央部、広大な高原地帯。
レギオン王国の西の辺境で、エルレーン公国との国境近くである。
彼は現在、この辺境の森で暮らしていた。
ひっそりと小屋を建て、世間に隠れ潜むように。
いずれは巡礼として各地を巡る生活に戻らざるを得ないのだったが。
倒れていた子供の回復を待って、ケイオンは、サウダージ共和国を無事に出たいと願った。
『精霊の森』は応えて、かの国の辺境へと送り届けてくれた。
出国を急いだのには理由があった。
サウダージ共和国は公式には『魔法』を認めていない。
ケイオンの身分はエルレーン公国が身元を保証する『巡礼』であり、大陸の各地にある聖地や神殿を巡ることが許可されているので、サウダージに滞在していても警察や軍に詰問されたり捕らわれたりすることはない。せいぜい、国内では『魔法』を使わないようにと厳重注意されるくらいで放免される。
しかしながらサウダージ共和国において『魔力持ち』として生まれた者が虐げられていることは事実である。
ケイオン本人の身は安全だとしても彼が保護した子供のほうはそうはいかない。『精霊巫術』を身に宿していることや守護精霊がいることが知られれば危険だったのである。
「さあてと」
気を取り直し、彼は、寝起きしている木こり小屋へ向かう。
小屋の前に佇む少年を見つけると、大きく手を振り、注意を喚起した。
「おーいジーク! ジークリート! お返事しないと恥ずかしいあだ名で呼んじゃうぞ~」
少年は、ぴくりと顔を上げた。
短い銀色の髪、瞳は緑を帯びた金茶色。色白で華奢である。
十歳にもならない幼さだが、顔の造作は整っており、高貴な雰囲気を纏っている。
「せーの! ジギーちゃ~ん!」
「それは言うな!」
顔を真っ赤にした少年が焦ったようすで走ってきた。
「おれは、そんな名前じゃ無い」
「おいおいジギーちゃ~ん!何度も言って聞かせたろ。お師匠様と呼べって」
ジークリートは、やれやれ、とため息をついた。
「助けてくれたのは感謝してる。魔法のことや世の中のことも色々と教えてくれた」
「まだ早い。俺のところを逃げ出したところで、仇は討てない。おまえは何も知らなすぎる」
銀髪の少年は、びくっとした。
「なぜそれを」
「だからお子様だというんだよ。あからさますぎる。世間の常識も知らない、魔法のことも、何もかも。独り立ちなんて何年かかっても無理だ。悔しかったら、礼儀くらい覚えろ。仇のことさえ、よく知りもしないだろう」
「これから、おぼえる」
少年はうつむいた。
「教えて……ください」
「惜しい! もう一声!」
「……お師匠、さま」
「それでいい。おまえさんは、俺の弟子だ。常識や処世術のはしくれくらいは教えてやろう。その、ありあまる魔力の、効率の良い使い方もな」
そしてケイオンは、苦笑した。
「やれやれ。弟子を持って初めて知る師匠の気持ち……カルナック師って、忍耐強い人だったんだなぁ……」
「お師匠様。よく言うけど、それ、誰?」
「俺の師匠だよ。ものすごい人だったんだ。あの人なら、おまえをうまく導けたんだろうなあ……」
ケイオンは運んで来た薪を小屋に運び込む。
しばらくすると、小屋の煙突から、細い煙がたちのぼりはじめた。
小屋に設えた暖炉に鍋がかかり、薪は炎をあげて燃えていた。
「お師匠は、魔法で煮炊きとかできないの?」
少年の頭上に浮いている金色の炎も、不満そうに揺れている。
「できるだけ、魔法は使わないことにしてるんだ」
炎を見つめるケイオンの目に、悲しげな色が浮かぶ。
「カルナック師が、今も人間界にいてくだされば、おまえのことも存分に指導してくださったろうがな……いまさら考えても詮無いことだが」
「お師匠。元気出せ」
ぼそっと少年が言う。
「……あはははは!」
突然、ケイオンは笑い出した。
「よしよし。その意気だジークリート。世間の荒波を乗り越えられるように、俺も手伝うからな!」