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プロローグ 0-2 サウダージの奇跡の少女


          0-2


 サウダージ共和国の首都ルイエから北へ徒歩で一日の距離に、人口の湖がある。

 そこに建造された浮島の名前をルファーという。

 この国の実質的な政治の中枢である。

 ここには、サウダージの奇跡とたたえられる国家元首、ミリヤが居住している。


 しかしミリヤはここ数十年、側近の前にしか姿を現していない。

 政府関係者でも、ごく限られた者しか、国家元首の居住する建物にも、ルファーにも、立ち入ることは許されていない。


 国家元首の部屋の一室。

 円筒状の部屋の壁に作り付けた書架は天井まで棚が並び、おびただしい数の書籍が収まっている。その三分の一ほどはいかにも古びた羊皮紙の束だ。

 書架の前には可動式の床があって書き物机と椅子が乗っている。布張りの椅子には一人の少女が座って本に向かっている。


 一階に一カ所だけ設けられた入り口から、少女に声をかけた者がいた。

「ミリヤ様! こちらにおいでと伺って参りました」


 少女は手元に広げていた羊皮紙の束から顔を上げた。入り口に立って見上げている男にちらりと目をやり、眉をひそめる。


 三十代半ば、精悍な男性である。

 焦茶色の髪、鋭い黒い目。入念に晒された白い亜麻のシャツ、柔らかな高地産山羊の毛織りの上着。人々の生活水準が高いサウダージ共和国においても高価な衣類をまとっている。だが、常に春のように温度、湿度を管理されているこのルファーにおいては、少々暑そうだ。


「ルイエ市管理官マルロー。なぜここへ来た」

 少女は羊皮紙に手を置いたままで、不機嫌そうだ。


「このたび管理官を拝命致し、ご挨拶に参りました。……もっともそれは口実でして、真月の女神の守護を受け、永遠を体現されるお方、ミリヤ様に、ひとめお目にかかれたらと思いまして」


 男のにこやかな笑顔の懇願に、少女は冷淡な言葉で返した。


「このルファー全体が、許可無くしては立ち入り禁止であることを知らないはずはないが? すみやかに退出されるがよい。あなたの任地ルイエ市を離れてまでの用があるというならば、正式な手続きを経て接見に来られよ」


「つれないお言葉。ミリヤ様は神秘のヴェールに包まれておられる。唯一、お目にかかれる機会である満月祭での謁見でも、おそばには寄れず遠くからお姿を拝めるだけ。国民の中には、本当に実在するのかどうか疑わしいという者さえおります。ですがわたくしは本日、その噂が根も葉もないことを確信致しました」


 マルローはその場にひれ伏した。

 だが、ミリヤの心を動かすには至らなかった。


「構わない。言わせておけ。実質、民の生活に密着した政治まつりごとは、あなた方、議会が行っているのだし。好奇心が満たされたなら帰るがよい」


 期待が外れたものの、想定内であるらしく、マルローは笑顔のまま。


「いえ、そういう意味では……じつは、大変に重要なご報告がございます。お耳を拝借できますれば」

 もの柔らかな口調で言いながら、そっとあたりに目を配る。


「もしも許されますならば、もう少しおそばに寄らせてください」


 しかし少女は厳しくそれをはねつけた。

「無駄だ。こちらへの通路はない。それくらいの防護策はとっている。前に殺されかけて懲りた」


 するとマルローは大げさに肩をすくめ、身震いをしてみせた。

「なんと恐ろしい! ミリヤ様を害するなど、思う者がおりましょうか」


「何人もいた。現に、そのひとりはあなたの曾祖父だ」

 冷ややかに言い放ち、少女は羊皮紙の束を棚に戻した。


「この書庫で保管している古文書は一代の人間よりも重要なものだ。だが、あなたが手にしたところでこれらの情報の真の意味を知ることはできない」


 少女の外見は十五、六歳。

 肩で切りそろえた短い髪は真月の女神の恩寵のしるしの金色で、夜空のような群青の瞳によく映える。


「あなたの曾祖父の取り返しのつかない失態をわたしは今でもよく覚えている。彼からすべての公職を剥奪したというのに、よくぞ曾孫であるあなたは今の地位までのぼってこれたものだ」


「祖父と曾祖父にかわりお詫び申し上げます。償いのため我が国に尽くす所存で公僕になりました。何とぞお聞き届けください。グーリアの魔道者がルイエ市近郊の町に侵入し、破壊工作をしております」

 マルローは胸もとから亜麻のハンカチを取り出し、額に浮いた汗を押さえた。


「わきまえていただきたい、マルロー管理官」

 男の背後にほっそりした影が立った。

 つい先ほどまではいなかった人物である。

 華奢な身体に光沢のある白い衣をまとった青年だった。肩に届く深紅の髪に、暗赤色の瞳をしている。


 背後に急に人物が現れたことにマルローは動じない。予想していたかのようだ。

「これはセラニス殿。失礼をつかまつりました。急遽まかり出ましたため書類手続きをうっかり…」


「グーリアの忌まわしい魔道の者どもに、ペレヒリという港町が奇襲を受け焼き払われたことなら、すでに把握し、調査中です」

 セラニスと呼ばれた人物は、中性的な美貌に、不快感をあらわにした。


 首都管理官マルローは上位高官であるセラニスに対し、床にひざまずき、体を折り、額を床にすりつける姿勢で応えた。

「グーリア王国の脅威をひしひしと感じておりましたので、いらぬ心配をしてしまいました。お詫び申し上げます。ミリヤ様のご威光で、我が国に長く繁栄のあらんことを…」


「本当にそう思っているのか?」

 ミリヤが鋭く言う。


「あなた様の前で偽りなど、無意味にございます」

 管理官は床に額をつけたままうやうやしく言う。


 だがミリヤの表情は変わらない。

「……感心したぞ。生まれながら、息をするように嘘をつく者もいるのだな。グーリアの件は案ずるな。我が国に対しておおっぴらに侵攻するほど、かの王も愚かではない。わたしからグーリア王に厳重な抗議をしておく。事件の調査はルファーで進める。もし追って報告すべき事柄があれば、まずセラニスに伝えるように」


 そして、尊大な様子で右手をひらひらと振る。

「下がりなさい、マルロー首都管理官。行って、あなたのなすべきことを果たしなさい」


「承知いたしました」

 マルローはしぶしぶ立ち上がり、入ってきた扉から出ていく。


 彼の背中が見えなくなると、ミリヤは鋭く言う。

「セラニス。マルローにアンカーは?」


「もちろん。彼の行動は追尾して記録してあります」


「……今のところは怪しい動きはないようだが。なぜ国民議会はあれを首都管理官などに選出したのだろう」


 首をかしげるミリヤにセラニスが近づいて、答えた。


「民衆はつねに暗愚で、騙されやすいものです」


「民が愚かな選択を繰り返すなら議会制などとらなければよかったかもしれないな」


 再び、ミリヤは眉根を寄せた。


「ところでケイオン殿は、転職を考えてくれそうかな?」


「お誘いはしましたが」

 この部屋に現れてから初めて、セラニスの顔に笑みが浮かぶ。


「やはり、つれない返事か」

 ミリヤも穏やかに笑う。


「我々は、あの男には借りがある。《#世界__セレナン__#の大いなる意思》に直接の接触が可能な人物というだけではなく……それにつけても惜しいことよ。五十年前、ルナル家の末娘ルースは『魔眼』の王になるべく生まれた者だったのに。マルローの曾祖父は深い事情を知らぬまま、他国に『魔眼』の力を奪われると恐れて画策をしたのだ。愛国心といえば聞こえはいいが、しょせんは保身のためだ」


 かすかに、ため息。


「だが、それもまた運命ならばいたしかたないこと。いずれは次の後継者があらわれる」

 ミリヤは羊皮紙の束に手を滑らせる。


「ごらん、セラニス。これは三百年前に、当時の口承の歴史を書き留めさせたもの。この時点で、もうかなり真実から離れてしまっているけれど、現在ではさらに歴史の風化や改ざんが行われている。いかにたやすく人の記憶がゆがめられ、すりかえられるものか、よい見本だ。だが、その中にも真実のかけらが奥ゆかしく潜んでいる……」

 机に置かれているのは、古びた羊皮紙に描かれた地図だった。


「ミリヤ様、何をごらんになっておられます?」


「古い地図だ。このエナンデリア大陸北端にはアステルシア王国。とはいっても元は聖域、修道士の拓いた土地だから、領土はこの都の周辺だけの小さな国だけれど。隣にあるのはエルフとドワーフがいがみ合いつつも仲良く暮らしていると言われたガルガンド氏族国。この連中は厄介だ。脳が筋肉だからな」

 真面目腐って少女が言えば、

「傭兵を多く輩出していますね」

 赤毛の青年は、うやうやしく頭を垂れる。


「ここは笑うところだぞセラニス」

 憤慨したように少女は眉を寄せた。

「あの連中の手強さは、『欠けた月』の連中と、良い勝負だがな。こちらの方は、我々に尻尾をつかませない。腹立たしいことに」


「失礼しました」


「……大陸中央部にはノスタルヒアス王国。ここは現在は分割して東部はレギオン王国、西部はエルレーン公国と名前を変えている。この南にグーリア神聖帝国。現在では、この地図が製作された時代よりも、領土をかなり拡大している。東南の海岸部には、我がサウダージ共和国。他にも数え切れないほどの小国がひしめいている状態だ。たったこれだけの土地の上で覇権を争うとは……いつになってもおもしろいものね……人は…」


 たおやかに少女は微笑む。


「マルロー管理官には、セラニス、あなたが青年に見えていた。覚者殿は、赤毛の美女だと見ている。それほどに、人の知覚はあてにならない…」


 傍らにセラニスを招く。

 ミリヤの傍らに立つのは十代半ばくらいの、男性とも思え、女性とも思える子どもだった。その頭に手を置いて、深紅の髪を撫でる。


「待っておいで、愛しい養い子、セラニス・アレム・ダル。このわたし、永遠なる月の娘ミリヤが、必ずあなたにふさわしい王を見つけてあげる」



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