プロローグ -1 灰色の巡礼
書き直しですがまだこのあたりの文章は細かい訂正です。申し訳ありません。
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高い天井が頭上にあった。
全体を白い石に覆われた大きな空間があった。
太い柱に支えられた、ゆるい曲線を描く天井には、様々な青い石の細かい板をちりばめて、巨大な絵が描かれていた。
一面の海の青のようでもあった。夜空をあらわしているようでもあった。
そのときのルシは知らない。
ここはエナンデリア大陸全土に名高いエルレーン公国の首都イリリヤ。
その広間こそ、魔法師たちの集う、この国の中心部『虚空の間』だった。
国の魂というものが宿るという伝説も、むろんルシは知らない。
灰色の緩やかな法衣をはおった人々が広間を埋めている。
けれどその中でルシは独りだった。
人々は、どれも実体ではないのだ。各地に置かれた神殿から、魔法師を束ねる祭司たちは影を飛ばして、ことがあれば会議に参加する。
ある意味そこは、とてつもなく空虚な場だった。
ざわめきが広間を風のようにわたっていく。
それらは口々にさざめき、一つの意味をささやく。
「覚者が死んだ」
「七年前にグーリア戦役で戦死した覚者アンティグアのエルナトが、もう一度、死んだ」
「この子供が伝えてきた」
「だが、この子供はなにものだ?」
むかついた。
腹がたった。
覚者アンティグアのエルナト。それが叔父の本当の名前だった。
そして、ルシの実母だと叔父が言っていた、ヴィア・マルファという女性は。もう二十年も昔の戦場で命を落としたのだと、魔法使いたちは教えてくれた。
「もういい」
ルシは叫んで、青い、ただただ青く空虚で広大な部屋から、全速力で駆け出していった。
「おれも叔父さんも、ここでは誰でもないし生きてもいないんだ、最初から。叔父の最期の頼みだから来たけれど、こんな所に来なければよかった!」
捨て台詞を残して。
「誰かあの子供を引き留めろ!」
一つの声が、広間の天井から降ってきた。
「あの子供を魔術的に視た者は、私の他にはいないのか!あれは、ヴィア・マルファと同じ存在だ!」
「長老様だ」
「なんと、お久しぶりな」
「このようなところに来られるとは」
ささやきが広間に、波のようにひろがっていく。
けれども誰も動かない。
彼らが影でしかないからだった。
影には、現実のものを掴むことはできない。
※
飛び出したとたん、外の光のまぶしさに目がくらんだ。
「おおっと気をつけて!」
大通りらしい喧噪のただ中にルシはいた。
すぐ側を荷馬車が通り過ぎた。
馬の吐く息、御者の怒号が降ってきた。
ぶつかっていたか下敷きになっていたに違いなかった。
誰かのがっしりとした手が、腕をつかんでいたおかげで、助かった。
「だいじょうぶかい」
支えてくれたのは青年と言うには少しばかり歳をくった男だった。
レンガ色のぼさぼさの髪の下に、暖かい茶色の目がある。
優しい笑みを浮かべた男の灰色の旅衣はすりきれてところどころ穴があき、砂埃にまみれていた。叔父がまとっていたものと同じように。
「……あんたは、巡礼?」
子供がぶしつけに問うのにも、気分を害したふうはない。
「ああ、そうだよ。長い旅さ」
穏やかに笑う。
その笑顔は、叔父を思い起こさせた。
思い出に顔を背けて子供はうつむく。
「先月、死んだ叔父が、言ってた。エルレーンの巡礼というのは、一生、大陸中の聖地から聖地へ旅から旅をしてまわる、根無し草だ」
目を伏せていた子供が、ふいに顔を上げて、男を視た。
夜空に浮かぶ真月のような金色の瞳だった。
「それはなぜかといえば、公国のために情報を収集して、ときには情報を流して操作するために大陸中に放たれているのだと」
「おもしろいことを言うね」
レンガ色の髪をした男の目は、もう笑っていなかった。
「そういうあんたは、叔父さんの跡を継ぐのかい」
「いいや……たぶん、ちがう」
かぶりを振って、子供は男の手を振り払い駆けだした。
「あんたは、赤い魔女を知ってる?」
振り返りざまにその子供が放った言葉に、男の表情が変わった。
「おい…! 待て! その話、聞かせてくれ!」
期待などはせずに言っただけ、ルシはむしろきょとんとした様子で、煉瓦敷きの道に立ち止まった。
「赤い魔女セレニアを、セラニス・アレム・ダルを知っている者は、この国では少ない。俺の名はケイオンだ。もしやあんたの叔父さんというのは……アンティグアの、エルナトか?」
雨の森で叔父が自分の放った魔法で焼け死んでから、三週間が過ぎていた。
「では、エルナトは、今度こそ本当に死んだのか?」
いい歳をした大の男がぼろぼろ泣くのを、ルシは黙って見守っていた。
※
ケイオン(土くれ)と呼ばれる灰色の衣の巡礼は、近頃、幼い子供を連れているらしい。
どこかの路地で拾った子供だろうと、彼を知る者は噂した。