第1章 6 災厄を呼ぶ炎の精霊
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ごうごうと燃え盛る炎が空を焦がす。燃えているのは、《ベレーザ》の天幕だ。
火の勢いはいっこうに弱まる気配もない。
炎に包まれた天幕の前に華奢な人影が立っている。
年の頃は十三、四の少年だった。
銀色の髪と、赤い瞳をしていた。
《戻れ、グルオンシュカ……炎の精霊》
その右手に、金色の炎が燃えついた。
指先から肩へ炎が広がる。少年は熱さを全く感じていないようだ。
一瞬、炎がひときわ高く燃え上がる。
それはほんの刹那、空中に美しい女性の姿を描き出した。
静かに、呪文のような言葉を唱え始めるにつれて、身体全体を包み込むように光が集まっていく。
炎をまとった右手を前に突き出し、少年は一語、一語ゆっくりと言葉を発する。
身体を包む光と、炎が、手の先に集まっていき、手のひらで、輝く光球となる。
最後の、鋭く短い言葉が終わる。その瞬間、少年の右手から光球が放たれ、爆発したように見えた。
そして街は消えた。
《ベレーザ》の根城だった国境の街グレイムは、奴隷狩り部隊ごと、消し飛んでしまったのだ。
狩り集められた人々が捕われている一画だけが残っていた。
街のあとにうがたれた深い穴。その傍らに佇む少年の姿を、キールは見た。
少年の右手に、再び炎がともった。
炎を宿した指先を口元にあて、左手で宙に複雑な紋様を描いた。少年の、澄んだ美しい声が静かに呪文を唱える。炎が消えた。
神聖な儀式を見たような気がした。
ふいに辺りが明るくなった。
空に、こうこうと白く輝く《真月まなづき》が昇ってきたのだった。
*
『ちょっとやり過ぎたかなって思ってるだろ? ジギーちゃん』
燃えさかる炎の前に佇んでいた少年は、はっと背後を振り返る。
だが、そこには誰もいない。
「ああ、師匠か」
独り言をつぶやいた。
そうだ、確かに師匠なら、こう言ったに違いない。
姿まで、目に浮かぶ。
構いつけていないレンガ色のぼさぼさの髪。温かい、焦げ茶色の目で。人が良さそうな、目尻のわずかに垂れた穏やかな眼差しを彼に向ける……はず。
『やれやれ』
肩をすくめながら。
『こんなにしちまって。……けどな、おまえにとっては他に選択肢のない、抗いがたい選択だったんだろうが』
「だけど!」
幻の師匠に、銀髪の少年は訴えた。
「おれが焼いた区画には、グーリア人しか住んでいなかった! 外国の商人たちだって、グーリア帝国にすり寄って利益を得ていた者ばかりだった!」
懸命の弁明。
けれどそれは自分自身が思い描く師匠の答えによって、あっさりと打ち砕かれる。
『グーリア人だから、焼き殺してもいいのか。おまえの『災厄の炎』の威力の前には抵抗すらできない者たちを』
「それは、彼らが奴隷を狩っていたから」
『おまえの私怨だろう? 大義名分はない』
「大義などなくても、奴らは悪人だった!」
『聞く耳を持たなければ、おまえに憑いている黄金の炎、それ以外の精霊は味方してくれないぞ』
「……おれには、炎のグルオンシュカがいれば……それでいい」
『ジギーちゃん。しっかりしろ。怨みに目を曇らせるな。おまえはその災厄の炎しか信じていない。もっと、まわりに目を向けろ。自然の声を聞け。おれが常々、言ってただろ? この世界は生きている。耳を澄ませ。《世界の大いなる意思》を感じるんだ。でなければ……おまえは、炎に滅ぼされるぞ』
「うそだ」
銀髪の少年は、大きくかぶりを振った。
「グルオンシュカは、母さんから受け継いだ……守護者だと」
『あれは精霊ではない。聖霊である、血の呪いだ。おまえの先祖から血脈によって代々受け継がれる呪いだ』
「……呪いでも、構わない。おれは、ただ、母さんの無念を」
『仇を討ったあと、どうしたい? なんの望みもなく、仇討ちが全てとなって』
「だから、おれは師匠のところを飛び出したんだ。師匠の忠告が正しい。だけど、じっとしていられなくて」
少年は叫んだ。
私怨だとわかっていた。
それでも自分のやりたいことは、正義ではなかった。
死んだ、いや、殺された母親の、
仇をとりたいなんて。
そのためならどんな手段だって取る。
だけど師匠は優しいから。
悲しむだろう。
きっと、おれのために。
気がついたとき白い森にいたのは、精霊の庇護下にいて身体を回復させてもらえたのは、師匠のおかげだ。師匠はエルレーン公国の『巡礼』だからというだけではなく、『赤い魔女』の監視の目を逃れるために、各地を転々としていた。
逃げる相手は違えど、母と同じだ。
だから、わかる。
怒られる方が気が楽だった。
師匠は気に病み、悲しむんだ。
おれのことなんか忘れてくれればいい……。
このエピソード後半は、全く新たに書き加えたものです。
今後は、新展開に突入する予定です。




