第四十一話
六百年前、ランクルは処刑された。
その肉体は焼かれて灰となり、その魂は塵となって消えた。
魔に生きたランクルの魂を迎える楽園など、存在しない。
ランクルは自我すら持たない塵の一欠片として、世界に漂っていた。
『…ここは』
ふと気が付くと、ランクルは再び命を得ていた。
薄暗く、腐敗臭の漂う部屋。
ランクルは地面に描かれた巨大な魔方陣の上に立っていた。
『………』
視線を前に向けると、驚いた顔をした少女の姿があった。
まだ十代前半くらいの少女だが、その手には杖が握られている。
『…なるほど』
それを見て、ランクルはすぐに状況を理解した。
『どうやら、オレはお前に呼び出されたみてえだな。小娘』
不敵な笑みを浮かべてランクルは言った。
『何を企んでいるのかは知らねえが、おめでとう。お前は目論見通り、見事このオレを復活させることに成功した訳だ』
世界中から憎まれて殺されたランクルを復活させるくらいだ。
何かこの少女にも醜い企みがあるに違いない。
そう、ランクルは考えていた。
『それにしても、やけに小さな肉体だな。生贄は若い方が良いと言うが、それでも流石にコレは………』
十代にしか見えない少女を見上げていることに気付き、ランクルは自身の身体を見下ろす。
そして、自分の手にある肉球を見て固まった。
『…なんじゃこりゃァァァ!』
思わず叫んでいた。
『何でェ!? 何で、オレ猫になっているの!? 嫌がらせ? 嫌がらせなのか!? いくらオレが憎いからってやって良いことと悪いことがあるだろ!?』
パニックになりながら、叫び続けるランクル。
それを見て、ようやく冷静さを取り戻したのか少女は告げる。
『えーと、ね。猫を蘇らせようと、思ったんだ』
『…それで?』
『猫の魂と間違えて、あなたの魂を呼び出しちゃったみたい?』
小首を傾げながら少女は疑問形で呟く。
『間違えて、呼び出した、だと…?』
戦慄したようにランクルは震えた。
この少女、一体どれだけの才能を秘めていると言うのか。
ランクルの時代に、こんな高度な術が使えるネクロマンサーはいなかった。
コイツを上手く利用すれば、今度は完全な状態で復活出来るかも知れない。
『うんしょ、うんしょ…』
『…気になったんだが、お前さっきから何やっているんだ?』
『え? 何か間違えたみたいだから、送り返そうかと思って…』
キョトンとした顔で少女は言った。
『誰を?』
『あなた』
『…どこへ?』
『………あの世、かな?』
『何さらっとオレを成仏させようとしているんだ!? こ、こら! やめんか!?』
大慌てでそれを阻止するランクル。
ここまで来て成仏させられては堪らない。
『ぜえ、ぜえ…と、とにかく、オレが生きていられるのはお前のお陰だ。何か礼がしたい』
『礼?』
『何でも良いぞ。夢とか目的とか、何か無いのか?』
ランクルの言葉にしばらく考え込み、少女は口を開いた。
『それなら私は、友達が欲しい、かな』
「終わった、か…」
倒れたランクルを見下ろしながら、ローゼンは呟いた。
実力は確実にランクルが上だった。
ローゼンが勝つことが出来たのは、アルチナの魔力を奪ったことでランクルが油断したから。
ランクルの挑発に乗ったように演技したローゼンに騙され、警戒が薄れていたから。
そうでなければ、勝機など欠片も無かった。
「でも、コレで学院は元に…」
「…戻らねえよ」
その時、呆れたような声が聞こえた。
突然聞こえた声に固まるローゼンの前で、ランクルの身体が動く。
胸に風穴が空いたまま、ランクルはゆっくりと起き上がった。
「お前、まだ…!」
「馬鹿が。アルチナから何を聞いてきたんだ、お前? 例えオレを殺した所でゾンビ化は止まらねえ」
「何だと…!」
「忘れたのか? ゾンビパウダーをばら撒いたのは、そもそもオレじゃねえんだぜ?」
ランクルの言葉に、ローゼンはハッとなった。
そうだ。
ゾンビパウダーをばら撒いたのはランクルではなく、ペドロだ。
ランクルを殺した所で、この異変は止まらない。
ゾンビ化した者達を従える者が居なくなるだけだ。
「…まあ、お前からアルチナの魔力を喰らったことでギリギリ間に合ったか」
ランクルは手にした杖を振るう。
すると、宙に浮かんでいたエリクサーの塊がボコボコと音を発てて弾けた。
それはまるで雲のように形を変え、学院の方へと流れていく。
「お前…? 何をやっているんだ?」
「見て分からねえのか、錬金術師。エリクサーをばら撒こうとしているんだよ、雨のようにな」
「エリクサーを…?」
何故、そんなことをする必要があるのか。
ランクルは大量のエリクサーを用意して、自身を不死身に変えるのでは無かったのか。
エリクサーの雨を学院に降らせる?
そんなことをしたら…
「ゾンビ化が、治る?」
「ご名答。エリクサーの雨は全ての毒を洗い流し、全ては元通りになる」
「な…」
「つーか、少し考えれば分かるだろ? ゾンビであるオレがエリクサーなんて口にしたら、毒が浄化されて成仏しちまうっての」
あらゆる治癒術はゾンビにとって毒となる。
万能の秘薬であるエリクサーは、ゾンビにとっては致死性の強い毒も同然なのだ。
「まさか、初めから学院を救う為に…?」
「学院を救う? このオレがそんな博愛主義に見えるか? オレは最強最悪の魔物様だぜ?」
ランクルは皮肉気な笑みを浮かべた。
一度死んでも、その性根は変わらない。
「オレが大切に思うのはオレの夢だけだ。魔法を手に入れ、世界の全てを手に入れると言う野望だけだ」
あの末路を迎えても、何一つ後悔は無かった。
どれだけ自身が悪人であると自覚しても、悔い改めることは無かった。
自身の夢を諦めなかった。
ランクルにとって、他人などどうでも良い存在であり、死のうが生きようが興味も無かった。
「―――その筈、だったんだがな」
たった一つだけ、気になる存在が出来てしまった。
戦いのことなど何も知らない、ただの小娘。
持て余していた才能を利用してやろうと近付いた。
ただ、それだけだった。
「…アイツはどん臭くて、間抜けで、オレはいつもアイツに振り回されていた。かつて世界中の憎悪と恐怖を集めた、このオレがだぜ?」
「………」
「だが、何でかねェ。そんな日々も悪くねえって、思うようになっちまった。夢を諦めるつもりは無かったが………このまま二人でずっと夢を追いかけているのも、それはそれで良いって思えた」
それはきっと、生前では一度も味わうことの無かった感情。
生まれてから死ぬまで、ずっと一人で生きてきたランクルが知らなかった物。
「お前は…」
ローゼンは複雑な顔で、ランクルを見た。
あの時に語った言葉は、やはり嘘では無かった。
ロジェに友達が出来たことを喜び、安心した顔を浮かべたランクルは嘘では無かった。
ロジェがランクルを慕っているように、ランクルもまたロジェのことを家族のように感じていたのだ。
「ペドロの奴がゾンビパウダーをばら撒いたと知った時から、こうなることは分かっていた。一度ゾンビパウダーを吸ってしまえば、治すにはエリクサーを使うしかない」
数多の魔法を操るランクルであっても、一度ゾンビとなった物を元に戻すことは出来ない。
だから、ランクルはエリクサーを用意する必要があった。
ゾンビパウダーを吸ってしまったロジェを元に戻す為に。
「少量では足りない。未だ学院内にゾンビパウダーは蔓延している。ロジェを完治させるには元から洗い流す必要がある」
一人でもゾンビパウダーに感染している者がいる限り、安心は出来ない。
それはまるで疫病のように伝染し、再びロジェを毒すだろう。
「じゃあ、その身体も…」
「…我ながら呆れるがな。コレでは手段が目的だ」
元々、自身の肉体を取り戻す為にロジェの手助けをしていたと言うのに、
それを救う為に肉体を取り戻すなど。
「幸い、魔力だけはペドロから奪った物と、蓄えていた分があったからな。何とかなった」
「アルチナをゾンビ化しようとしたのは?」
「アルチナとは因縁があるからな。オレが正直に話した所で、まず信じねえ。だから、しばらくの間眠って貰うつもりだった」
「俺と戦ったのは?」
「いざ作ってみたら計算よりも魔力が不足していたからな。アルチナの魔力を頂く為、本気で魔法を使って貰う必要があった」
全て計算の上だった。
例え、学院で何名か犠牲者が出ても構わなかったのだろう。
ランクルの目的はただ一つ。
ロジェを救うことだけなのだから。
「さあ、錬金術師が見たら卒倒する光景だな。『恵みの雨』が降るぞ」
ランクルは杖で学院の方を差した。
形を変えたエリクサーの雲から、地上へと雨が降り注ぐ。
宝石のように赤く光る雨は、大地を汚染した毒を洗い流す。
中庭に寝かされていた人々は次々と目を覚ましていく。
その中には、ロジェの姿もあった。
「…コレでアンタは学院を救った英雄だな」
「ハッ、ゾッとするようなことを言うんじゃねえよ。魔物の方がマシだ」
皮肉気に笑うローゼンに、ランクルはげんなりした顔を浮かべた。
心底嫌そうに息を吐き、杖を地面に捨てる。
その杖を握っていた右腕が、ボロボロと崩れ落ちた。
「…ッ!」
「ああ、そろそろ限界か」
何でもないように、ランクルは肩から先が無くなった腕を見た。
続けて、左腕もひび割れ壊れていく。
「まさか、俺の魔法で…」
「んな訳あるか、小僧。このオレがお前如きに殺されるかよ。コレは元々の寿命だ」
「寿命…?」
「オレは大量のエリクサーを用意する為に計画を前倒しにした。無理があったに決まっているじゃねえか」
本来ならもっと多くの魔力を集めて、十分準備を進めてから自身の肉体を取り戻す筈だったのだ。
その計画を前倒しにして、未完成のゾンビパウダーを使って肉体を作った。
それだけ無理をすれば、いつ壊れてもおかしくない。
それをランクルは誰よりも理解していた筈だった。
『ははははは! 十分過ぎるな! それだけあればオレは、オレの目的を果たせる!』
以前、それをアルチナに指摘された時、ランクルはこう答えた。
その目的とは、自身の野望ではなく、ロジェを救うこと。
たった数日しか持たない肉体だとしても、それでロジェを救うことが出来ればそれで十分だと。
「ランクル…」
「ハッ、気にするな。元々死んでいた人間が、ようやくそれを受け入れたってだけだ」
笑みを浮かべたランクルの顔に亀裂が走る。
「コレで死ぬのは二度目。だが…」
あの時とは違う。
夢を叶えられなかったことに未練を抱きながら死んだあの時とは違って、心は晴れやかだ。
結局、夢は叶えられなかったと言うのに、どうしてか満ち足りている。
「ああ、悪くねえ…気分、だ…な…」
パキン、と軽い音と共にランクルの身体は砕け散った。




