第三十八話
「ローゼン、君はランクルの下へ行きなさい」
眼を覚ましたアルチナはそう告げた。
「え、でも…」
「この呪いはエリクサーの一滴や二滴で治る物じゃない。ここにいる全ての人間にエリクサーを与えるなんて私でも不可能よ」
中庭に寝かされる人々を見渡してから、アルチナは冷静に判断する。
エリクサーを自力で生成したことは確かに凄いことだが、それだけではこの事態は解決しない。
魔力が足りな過ぎる。
「だから、君は元凶であるランクルを追って。アイツならこれを除去する方法も知っている筈」
「………」
「私は、魔法を使って時間を稼ぐ。これだけ大勢だと元の状態に戻すことは出来ないけど、この状態を維持することは出来る筈」
本音を言えば、アルチナ自身もランクルを追いたいが、それは出来ない。
そうしている間に誰かがゾンビ化してしまったら、終わりだ。
一度ゾンビ化した物は二度と元には戻らず、この場は混沌に包まれるだろう。
それを抑える為、アルチナがここに残ることは必然だった。
「…はぁ。この私が人間の為に魔法を使うことになるなんてね。私も案外、この学院での生活を気に入っていたのかしら?」
自嘲するような笑みを浮かべ、アルチナは辺りを見回す。
中庭に寝かされる者達は、どの顔も見覚えのある者ばかりだった。
知り合いと言う程では無い。
ただ何度か言葉を交わしたことがある程度の者ばかり。
だが、それでも見捨てようと言う気には何故かならなかった。
「ここは私に任せて。だから、そっちは任せたわよ」
「…ああ」
魔女と人間が手を組む。
六百年前、そのことにどうしても納得が出来なかったアルチナだったが、今なら少しだけその気持ちが分かる気がした。
ランクルが倒され、戦いが終わった後に森に残らず、人間の下へ去った他の魔女達。
人間に対する憎しみを捨てられず、最後まで森に残ったアルチナだったが、今なら分かる。
人間に裏切られ、魔力を奪われてしまっても、彼女達は人間を信じたのだ。
あの戦いの中で、人間の中にも信じられる者がいると知ったのだ。
「はぁ。六百年経ってそれを知るなんて、我ながら…」
鈍感な話だ。
「この感覚…アルチナが魔法を使いやがったのか?」
ランクルは何かを感じ取ったように、不敵な笑みを浮かべた。
「そうか。ゾンビパウダーを浴びた者達に『時間停止』の魔法を掛けたのか」
魔力を扱うことに関しては魔女並みの才能を持つランクルはすぐにその正体を理解する。
肉眼では見えないが、今アルチナが何をしているのか手に取るように分かった。
「それはこちらとしても、都合が良い」
ニヤリと笑みを浮かべるランクル。
すぐに視線を宙に浮かぶ赤い液体へ戻し、作業を進める。
その時、ランクルの足下で小さな音が聞こえた。
「…?」
それはランクルのポケットから落ちた、鈴だった。
以前、猫の姿をしていた時にロジェから貰った鈴だ。
当初は猫扱いされることを嫌がっていたが、それでも根負けして首に付けられた鈴。
「………」
無言でそれを拾い上げるランクル。
何かを口にしようとして、すぐに口を閉じた。
何も言うべきことは無い。
それを言う相手は既に、ここにはいないのだ。
しばらく鈴を見つめた後、ランクルはそれをポケットに仕舞った。
「ランクル…!」
「…来たか」
背後から聞こえた声に、ランクルは然程驚くこともなく呟いた。
来るのは分かっていた、とでも言いたげに。
「ゾンビパウダーを止めろ! 今すぐに!」
「それは出来ないな」
青薔薇の杖を向けるローゼンを嘲笑しながら、ランクルは両手を上げる。
「そんなつまらねえことを言いに来たのか? お前は?」
「………」
「ハッ、退屈な餓鬼だ。コレでもオレはお前を気に入っていたんだがね」
心底馬鹿にしたようにランクルは告げる。
「お前の夢にかける思い。どれだけ他者に否定されても決して夢を諦めない熱意。お前は昔のオレによく似ているよ」
「…お前と一緒にするな。俺はお前のように自分の夢の為に、他人を傷つけたりはしない!」
「それが努力ってやつだ。努力とはそう、躊躇わないことだ。オレは自分の夢の為なら努力を惜しまない。例え何を犠牲にしても、躊躇わない」
魔女狩りが横行する時代に生まれた異端者。
ランクルの夢は、世界を敵に回す物と言っても過言では無かった。
だから全て犠牲にした。
故郷を捨て、友人を捨て、人類を裏切り、魔女さえも利用した。
「…そうして、全てを犠牲にして夢を叶えて、お前は幸せだったのか?」
「………………」
ローゼンの言葉に、ランクルはずっと浮かべていた笑みを止めた。
ランクルは夢を叶えた。
あらゆる者を敵に回し、魔法使いとなった。
世界を支配する程の力を手に入れたのだ。
その夢の果ては…
「ハッ。生憎とオレは外道だからな。その類の言葉は聞き飽きている。そして、オレは最後の瞬間まで己の行いを後悔しなかった」
磔にされ、火で炙られてもランクルは悔い改めなかった。
例え死んでも、何一つ後悔しなかった。
その末路に納得さえしていた。
自分の都合だけで生きてきたのだ。
誰かの都合で死ぬこともあるだろう、と。
「そんなことより、見ろよ。コレが何だか分かるか」
話を変えるように、ランクルは自分の背後を指差した。
宙に浮かぶ赤い液体がローゼンの目に映る。
「コレは…?」
「それを言う必要があるか? 錬金術師」
「ッ!」
ランクルはローゼンのことを錬金術師と呼んだ。
それはつまり、この液体が錬金術によって作られた物だと言うこと。
赤く光る液体。
それをローゼンは知っていた。
「…まさか、コレ全部。エリクサー、なのか?」
「大正解! 凄えだろ? 瓶一本でも一生遊んで暮らせる万能薬がこんだけあるんだぜ?」
玩具を自慢する子供のようにランクルは笑った。
「どうして、こんな物を…」
「それを言う必要があるか?」
もう一度、ランクルは同じ言葉を吐いた。
エリクサー。
あらゆる病気や毒を癒すと言われる万能の秘薬。
伝説では、人間を不老不死にすることさえ出来ると言われる。
ローゼンはランクルを見た。
痩せこけたランクルの身体は、まるでゾンビのように脆く見えた。
「…まさか」
アルチナは言った。
ランクルの肉体は数日と持たない、と。
ランクルは答えた。
目的を果たすのにはそれで十分だ、と。
つまり、
「お前はそれを使って、不死身の肉体を手に入れるつもりなのか?」
「………」
ランクルは何も答えず、ニヤリと笑った。




