第三十四話
かつて、森には魔女が住んでいた。
いつからそこで暮らし始めたのか、最早魔女達ですら覚えていない。
魔法と言う力を持っていた彼女らは、外敵を恐れる必要もなく、ただ静かに暮らしていた。
強大な力を持ちながらも、それを争いには用いず、外の世界に関わろうとしなかった。
「………」
閉じた世界の中で暮らす魔女達の内、たった一人だけ魔法が上手く使えない少女がいた。
本来なら十歳になる頃には全ての魔法が使えるようになる魔女に於いて、今年で十七歳になると言うのにたった一種類の魔法しか使えない。
外の世界に出れば、それだけでも世界を支配しかねない力を持つが、魔法に愛された魔女の中に於いてはそれすらも落ちこぼれに過ぎない。
劣等者の烙印を押された少女は孤独だった。
友は一人もおらず、その日もまた一人で魔法の練習をしていた。
「…うう」
「…?」
一人森を歩いていた少女の耳に聞こえたのは、苦し気な呻き声。
「くそっ…クラーメルの奴め、このオレを裏切りやがったな…! 杖を作ってやった恩を仇で返しやがってよォ…!」
世界を呪うような言葉を吐きながら、男は苦し気に息を吐く。
そう、それは男だった。
女しかいない魔女の中で育った少女にとって初めて見る、人間の男。
深い傷を負っているのか、身体は血塗れで口からも血を吐いている。
「………」
見知らぬ人間の男。
見なかったことにして帰るのが、本来なら正しいのだろう。
「あん?………まさか、本物の魔女か? オレは魔女狩りから逃げ続ける内に、どこまで来ちまったんだ?」
どうやら、向こうも魔女を見たのは初めてだったようで顔には驚きが浮かんでいた。
「…チクショウ。いよいよ、オレもおしまいか…ゴフッ…! まあ、最後に本物の魔女が見れただけ、マシだったか…」
諦めたように男はぐったりと身体の力を抜く。
人間の中で魔女がどう伝えられているか少女が知る由も無いが、少なくとも好意的な印象は抱いていないようだった。
弱った自分に止めを刺しに来た、と勘違いをしているようだ。
「………」
「…何を?」
そうすることが本来は魔女として正しいのかも知れないが、心優しい少女はどうしても目の前の人間を見殺しに出来なかった。
不思議そうな顔をしている男に対して魔法を使い、傷を癒す。
彼女が唯一使える魔法、時の魔法だ。
「ゴホッ…オレは、ランクルだ。命の恩人様、アンタの名前を教えてくれないか?」
「………アルチナ」
少女は固い表情のまま、自身の名前を告げた。
それが二人の最初の出会いだった。
「………」
それから、アルチナはランクルを連れて魔女の里へ向かった。
ランクルがどうしても、と懇願したからだ。
どうなるか分からない、とアルチナは何度も忠告したが、ランクルは諦めなかった。
その結果、ランクルは意外な程に簡単に受け入れられた。
二度と外の世界へ出ないことを条件に、魔女の里に永住することも認められた。
「…正直、意外だったな。魔女ってのは、人間を喰ったりする物だって餓鬼の頃は教えられたんだが」
「食べないよ、失敬な。別にランクルだけが特別って訳じゃないよ。あまり多くは無いけど、十年に一度くらい人間の男を招くこともあるし」
「ほう? それは知らなかったな」
興味深そうにランクルは首を傾げた。
「仕方ないよ。だって一度魔女の里に招待した人は二度と外に出られないもん」
「………それは殺されるってことか?」
「いや、ここに永住するってこと。魔女は皆美人だし、基本的に男の人は喜んで受け入れるって聞いているけど?」
「…なるほど、ハーレムか。魅力的な響きだなぁ」
納得したようにランクルは何度も頷く。
アルチナはまだ知らないようだが、要は種馬である。
女しかいない魔女が子孫を残す為に用意する人間の男。
二度と人間社会と関われないのは不便だが、人によってはこの環境は天国だろう。
「外に出ること以外だったら、大抵の願いは叶えて貰えると思うよ?」
「至れり尽くせりだなぁ、オイ。楽園はここにあった、ってか?」
好色な笑みを浮かべるランクル。
「だったら最初の頼みなんだが…」
「何? 私にも出来ること?」
「ああ」
ニヤリと、三日月のような笑みを浮かべてランクルは言った。
「オレに、魔法を教えてくれないか?」
「…でも、私に魔法は」
ランクルの頼みに、アルチナは暗い表情を浮かべた。
アルチナは自身の魔法にコンプレックスを抱いていた。
他の魔女とは異なり、半人前である自身の魔法に。
「お前はオレの命を救ってくれたじゃねえか。そのスゲェ魔法で」
「凄い? 私が?」
「そうだ。オレは餓鬼の頃から魔法が大好きでね。いつか使えるようになりたいって夢見ていたんだ」
ランクルはまるで少年のような顔でそう語った。
それは、異端な夢だった。
魔女が悪しき存在であると伝えられ、少しでも魔法に関わろうとする者は魔女狩りに処刑されるこの時代に於いて、異常過ぎる考えだった。
「だからオレに魔法を教えてくれよ、アルチナ。オレは魔女になりたいんだ」
「…男の魔女?」
「…何かオカマみたいだな。その表現はやめてくれ」
「ふふ…」
げんなりとした顔で言うランクルに、アルチナは笑みを浮かべた。
アルチナは嬉しかった。
今まで半人前と、落ちこぼれと蔑まれていた自身の魔法が認めれたことが。
こんな自分を必要としてくれる者が現れたことが。
だからこそ、アルチナはランクルの願いを叶えたかった。
しかし、
「魔法は教えられない?」
「…うん」
アルチナは暗い表情でそう告げた。
「魔女達は皆、昔の魔女が書いた魔導書を読んで魔法を学ぶんだけど、それは人間に読ませたら駄目なんだって」
「…お前は魔導書を持っていないのか?」
「うん。魔導書は全部、大人達が管理しているの」
まだ子供であるアルチナが閲覧するには、大人の許可がいる。
その許可は当然、人間であるランクルには降りない。
「…そうか。それは残念だなぁ」
「………」
「折角オレも魔法を使ってお前達の仲間になれると思ったのに………仲間になりたいと思っていたのは、オレだけだったか」
「…ッ」
ランクルの言葉は、アルチナの心を深く傷つけた。
初めて出来た友達だと思っていたランクルが悲し気な顔をするのが我慢できなかった。
ランクルは人間社会を捨てて、自分達の仲間になりたいと思ってくれている。
なのに、それに答えないのは友達としてどうなのか。
「…少しだけ、待ってて」
ランクルにそう告げて、アルチナは機会を待った。
魔導書の監視の目が薄い時間帯、誰にも気付かれずにそれを持ち出せる機会を。
「…はは」
ほくそ笑むランクルに気付きもせず…
そして、
「コレが魔導書。コレが魔法か」
その日はやってきた。
アルチナが盗み出した魔導書を読んだランクルは、それに自身の知識を加えて一つの魔法を生み出した。
魔力に乏しいランクルの為の魔法。
他者から魔力を奪い取り、魔法を奪う反魔術。
「『スペル=イーター』」
後に魔女喰いと呼ばれるランクルの代名詞となる魔法。
魔女殺しとも言えるその力を前に、魔女達は手も足も出なかった。
魔女の里に住む全ての魔女は魔力を根こそぎ奪い取られ、無力化した。
無事だったのは、ただ一人。
「どうして! どうして、こんなことを…!」
アルチナだけだった。
「最初から言っているだろ? オレは魔法使いになりたいんだ。コレはその夢を叶える為の必要な犠牲ってやつだよ」
「ッ!」
「たっく、クラーメルの奴もそうだったが、オレが魔女狩りの合間に魔法を研究していると知った途端に血相を変えて殺しにかかってきやがって」
どこまでも自分勝手に、ランクルは吐き捨てる。
彼にとって重要なのは、自身の夢だけ。
それ以外の人間は協力者か、夢を叶える上での障害でしかいないのだ。
「皆を、殺したの…?」
「おいおい、オレが友達の同胞を殺す訳ねえだろ? 魔力を抜き取っただけだよ」
苦笑を浮かべてランクルは言う。
「何より勿体無え。こんなに綺麗所が揃ってやがるのに、何もしないのは男としてどうなんだ?」
「…どういう、意味?」
「言葉通りだよ。折角無力化したんだから、今度はオレがアイツらを飼ってやろうと思ってな。ハーレムだとか口では言ったが、お前らにとって人間なんて家畜と変わらねえんだろ?」
好色な笑みを浮かべてランクルは下品な笑い声を上げた。
その瞬間、アルチナは理解した。
アルチナの理解者で、友達でもあったランクルなど初めから居なかったのだと。
居たのは、人の皮を被った獣。
自分のことしか考えず、魔法を人を虐げる為の道具にしか使わない外道だと。
「『タルディ』」
涙を浮かべてアルチナは魔法を行使する。
発動したのは時の結界。
それは油断していたランクルを包み込み、封印する。
「チッ! こんな物でこのオレが封印できると思っているのか!」
そんな物、魔法を得たランクルには時間稼ぎに過ぎない。
ほんの三十秒ほどで結界を破壊し、ランクルは森へと戻ってくる。
「…何?」
しかし、そこには誰もいなかった。
アルチナも、魔力を奪って無力化していた魔女達も、誰一人森には残っていなかった。
たった三十秒の間に。
「まさか、アイツ時間を…!」
ランクルにとっては三十秒。
だが、外の世界ではその百倍の時間が流れていた。
その間に、アルチナ達は森を去ったのだ。
「やりやがったな…! あのクソガキがァァァァ!」
そうして、魔女の後はたった一晩で滅んだ。
アルチナの機転で命だけは助かった魔女達だったが、既に魔法は使えなくなっていた。
魔女達は悩んだ末に人間と手を組むことを決め、ランクルに対する同盟が結ばれる。
魔女から得た魔力を使って暴れ続けていたランクルも段々と追い詰められ、
その最期は…
「…は」
彼に恨みを抱く大勢の人間の前で、公開処刑となった。
磔にされ、足下から生きたまま焼かれると言う地獄を味わいながらも、ランクルは何一つ後悔しなかった。
「………」
最期まで少年のような笑みを浮かべて死んだランクルの顔を、アルチナはよく覚えていた。




