第二十七話
「はい。それでは本日は、魔法の歴史について授業を始めようと思います」
緑の塔の一室にて、歴史の教師は告げた。
野暮ったい眼鏡を掛け、やや癖がついた黒い髪が特徴なその教師は、学院でも珍しい男の教師だ。
年齢は五十代前半くらいだろうが、歳の割には老けて見える。
身に纏っているのは他の教師が着るような魔法使いらしいローブではなく、薬品で汚れた白衣。
本人も魔法使いでは無いのか、腰に杖を差していない。
代わりに腰を悪くしているのか、松葉杖をついている。
「…おーい。皆聞いてー。先生の話聞いてー」
言葉が聞こえても騒がしい生徒達に、困ったように男は呟く。
地味な容姿の為か、生徒にも舐められているようだ。
「…あんな先生いたか?」
「前からいたよ。ペドロ先生だろ」
首を傾げたローゼンに、クラーメルは苦笑しながら答えた。
「一年くらい前だったかな。前の歴史担当の先生が辞めた時、学院長先生が代わりに連れて来たんだ」
「親父が?」
「うん。聞いた話では、学院長先生の学院時代の同級生らしいよ?」
「………」
言われてみれば、確かに年齢は同じくらいに見える。
しかし、魔法学院の卒業生と言う割には、魔法使いよりも研究者に見える風貌だ。
魔法学院を卒業した男が、別の職業に就くことはあまり珍しいことでは無いが。
「元々は歴史学者で、その筋ではかなり有名人らしいよ。歴史を教えるのに、魔法の才能は要らないからスカウトされたんじゃないかな?」
「…クラーメル。やけに詳しいな」
「そう? まあ、僕も歴史を学ぶのは結構好きだしね」
魔法使いや魔女狩りになる気が無いクラーメルは、学院に歴史を学びに来たらしい。
将来は、ペドロのような歴史学者になることを望んでいるのだろうか。
「それじゃあ、もう始めていきますよ。まず、最初に語るべきなのは魔女についてからでしょう」
生徒を静かにさせるのを諦めたのか、ため息交じりにペドロは語る。
「魔女とは人とは異なる進化を遂げた種族です。外見は人に似ていますが、魔女には女性しかおらず、本質的に人間とは異なる存在です」
(魔女は女性しかいない、か。どうやって子孫を残しているんだろう?)
話を聞きながらふと、ローゼンは疑問に思った。
後で本物の魔女に聞いておこう。
「魔女狩りと言う言葉があるように、本来人間と魔女は相容れない存在でした。人間は魔女を恐れ、魔女もまた人間に干渉しようとしなかった」
段々と騒がしい声が収まってきて、ペドロの声だけが教室に響く。
「そんなある日、魔女の中から一人の裏切り者が現れました」
「………」
「『魔女喰い』…そう呼ばれた魔物は同族である魔女を裏切り、魔女の住処である森を出た」
魔女喰い。
それは、子供でも知っているような伝承だった。
長い歴史を誇る魔女の中に生まれた異端。
同族である魔女を裏切り、掟を破って人間に干渉した。
その者は魔法を振り翳し、好き勝手に暴れた。
魔法を持たない人間を虐げ、欲望のままに支配した。
「…子供の頃によく言われたなぁ。悪いことをすれば、魔女喰いに食べられるぞーって」
「………」
「やがて、魔物に苦しめられた人間と魔女は手を組み、共に立ち向かうことを決めました」
それが魔法使いの始まりだった。
人間だけでも、魔女だけでも、倒せない共通の敵。
その魔物を倒す為、人間と魔女は初めて和解した。
「その後、人間と魔女によって追い詰められた魔物は無事退治されて、めでたしめでたし……皆聞いてるー? 寝てる子はいない?」
退屈そうに欠伸をする生徒達に、ペドロは注意するように告げる。
まあ、その反応も無理は無いだろう。
歴史好きのクラーメルや魔法好きのローゼンはともかく、こんな話は子供時代から聞かされている物だ。
他の生徒が興味を引かれなくても仕方がない。
「コホン。ここからは僕の仮説と言うか、推測なんですが」
少しだけ得意げに笑みを浮かべてペドロは咳をした。
「最近の調査の結果、この魔女喰いと呼ばれる魔物は、実は『男性』だった可能性が出たんだよ」
「…?」
ローゼンはペドロの言葉に首を傾げた。
最初にペドロが言ったことだ。
魔女には女性しかいない、と。
後の行動はともかく、元々魔女として生まれた魔女喰いが男性である筈がない。
「そう、魔女であるなら男性である筈がない。コレはどういうことなのか」
不敵な笑みを浮かべてペドロは話を続ける。
先程よりも生き生きとしていた。
「僕はね。この魔女喰いの正体とは…」
ペドロが言いかけた時、その言葉を遮るように鐘の音が響いた。
授業の終わりを告げる鐘だ。
「おっと、もう時間ですか。話が少々脱線して申し訳ない。それでは、また」
そう告げると、ペドロは白衣を翻して教室から出て行った。
(魔女喰い、か)
ペドロが去った後も、ローゼンはまだ席に座ったままだった。
次々と生徒達が教室から出て行き、クラーメルも何か用事があったのか早足で去っていった。
ローゼンは多くの魔導書を読み漁り、魔法知識だけは人一倍あると自負している。
当然、魔女喰いのことも知っていた。
魔女すら勝てないと語られる魔物。
それは一体、どんな存在だったのだろうか?
「ふーん。人間にはこんな風に歴史が伝わっているのね」
その時、ローゼンの近くから声が聞こえた。
聞き覚えのある声に視線を向けると、アルチナが近くの席に座っていた。
「アルチナ? 授業に参加していたのか?」
「人間側の歴史に少し興味があってね。学院長に言って許可も貰ったわよ」
「………」
人間側の歴史、とアルチナは言った。
それはアルチナの知る本当の歴史とは異なると言う意味だろうか?
何せ、アルチナは六百年前の戦いの当事者なのだ。
魔女喰いと呼ばれた魔物にも出会ったことがあるかも知れない。
「アルチナは…」
「ん?」
「魔女喰いに会ったことがあるのか?」
「…………ッ」
ローゼンの質問に、アルチナは露骨に表情を歪めた。
何か、思い出したくない人物を思い出したような。
触れて欲しくない部分に触れられたような。
そんな、嫌悪感と不快感を合わせたような顔だ。
「…史上最悪の男よ。後にも先にも、あそこまで下種な人間は見たことが無いわ」
「そ、そこまでか」
汚物でも見たような顔で吐き捨てるアルチナに、ローゼンは苦笑する。
元から男嫌いのアルチナであっても、何も無ければここまで酷評はしないだろう。
まあ、人間と魔女を敵に回して好き勝手暴れた男なのだから、それも仕方ない…
「…ん? アルチナ。今、何て言った?」
「え? 史上最悪の男って言ったわよ」
「その後だ」
「………下種な人間?」
「人、間…? 魔女喰い、が?」
ローゼンは呆然と呟いた。
人間と魔女を敵に回して、それでも尚戦い続けた伝説の魔物。
その正体は、人間であるとアルチナは告げたのだ。
「へっぷし! へっぷし! うぅ…くしゃみが止まらねえ」
「…風邪?」
「分からん。誰かがこの猫の噂をしているのかも知れんな」
ケットは寒気を感じてブルっと震えた。
気を取り直すように、両手を器用に動かして窓を開ける。
そして、外の空気を舐めるように長い舌を出した。
「…結構濃くなってきたな。苦労した甲斐があったぜ」
見えない何かを味わう様に口を動かし、笑みを浮かべるケット。
(あと少し。あと少し、だ)
「…さて、ロジェ。そろそろ、アレを」
「あれ?」
話しかけようとしたケットの声を遮って、ロジェは首を傾げた。
散らかった机の上を眺めながら、不思議そうにしている。
「どうした?」
「無い」
「…何が?」
「アレ」
言葉短く、ロジェは淡々と答える。
機嫌良さそうに笑みを浮かべていたケットの顔がみるみるうちに曇っていく。
「は…? はぁ!? アレって、『アレ』のことか!? 嘘だろ、失くしたのかよ!?」
「昨日まではここに置いてあったのに………ケット、食べた?」
「食べる訳ねえだろ!? あーもー! 今日起きてからした行動を振り返るぞ! 分かったか!」
「…了解」




