雑思考帖 9月25日
手違いで間違って削除をしてしまったのだ
今必死で何を書いたか思い出しているのだ
マジで白紙原稿に何が書いてあったかを思い出しながら書く、を実践する羽目になるなんて
人物とプロットとテーマの関係を、人と家と家訓という見える関係に置き換えた
互いの関係性を正と反であらわした
人はなぜ生きているのかという問いに6つくらい気のきいた外人作家みたいな答えを出した
人が生きているのは、まず人は死ぬのが怖いふりをしていないと自分から死のうとする生き物だからだ
当たり前すぎて自分のなかに眠っている概念を小説語の世界に引っ張りこむという事を考え出した、
挨拶、怒り、葛藤を
意識と無意識を創作の味方につけるには、という事を考えた
中村さんと意識と無意識の関係
意識として追えば中村さんは逃げ
無意識の所作に惹かれるものだと一応アウトラインとして考える
よくわからない
だけど何らかの鍵だろう
くだらないアイデアにも無意識が置いていったナイスアイデアの断片がある
妖怪パンティナースとその家族とホラーにまみれた場所たち
プロットを見つける場所は現実にしかない
ごみ袋の中のゴミの組み合わせから何かを掴む
現実であるはずの風と風の衝突を目に見えるように想像する
現実であるはずのものを芸術にする
削除してしまったことを1分くらい落ち込んだけど「まあ書いてあったことを考えられたのは事実だし騒ぐほどでもないか」と立ち直りも早かった
アクシデントはつきものだ
つまりアクシデントがあるという事は俺は何かを成し遂げようとしているということだ
本は堂々と読め
思い出せないことは取り返せない事ではないのでいつかまた自分の意識の表層に戻ってくるだろう
パワーアップして
短い文章で威力を発揮するスタイルなので小説は厳しい
割とパワーアップせずそのまますぐ戻ってくる奴がいる
誠に勝手ながらもうちょっと休んでいてくれ
形容詞は小説にふさわしくないという意見が大半なのだという
自分もそうだった
しかし形容詞が相応しい場面や手法も必ずあるはずだと思ったのだ
もったいないから
城谷はこの鬼をそれでも美しいと思った
母親の顔をしているからだ
つまりは確たる理由があいまいな、美しい、を活かすことになる
形容詞+理由としての表現
形容詞の曖昧さの根底にだってはっきりした何かがあるハズだ
曖昧さもハッキリもそれだけでは成り立たない
ちゃんと関係を考えてあげなければいけない
これは抽象から具体への変換を文章上文脈上でやってみせるということなのか
逆はどんな効果があるだろう
でも、城谷はその鬼の顔を母親のように美しいと思った、でもいいかなぁとは思ったのだけどね
文章はデザインと割りきってしまうのもありなのかなぁ
短文野郎にはキツい課題だ
表現は正解がないから自分の判断が全てなんだなぁ結局
いや、やりたいようにやれ、そして人に正解を聞くような文章にするなという事もある
そうさ俺のやりたいことは自分を越える文章を書くことなんだ!
(なかなかいい動機が出来たじゃないか)
これも作品に宿ろうか宿るまいかとする中村さんの気を引く発想の一つかもしれない
空間というものは直接描けるものではない
山と海を描いて初めて空が現れる
小説もそうだろう
畑と刑務所を組み合わせて描けば農作業をする囚人の空間が現れると思う
そのベーシックな光景、空間をどうするか
猫と宇宙空間を描けば猫星人が故郷の地球へやってくる話になる
書くよりも小説について考えることが大事だと保坂和志さんが言っていた
あと、この人はどうやってこの話を書けたのか、という疑問を持つことが大事、だとも
自分は考えることも大好きだしなぜこの作品が産まれたのかという理由を想うことも好きだった
俺はこの人に「だったら小説家になりなさい」と言われてるような気がした
でも普段は妖怪パンティナースレベルの事しか考えないわけで
しかしそういう考えからも何か中村さんの目に留まるものが発せられるかもしれない
中村さんは妖怪パンティナースを俺よりも見つめているのかもしれない
妖怪パンティナース
父は妖怪ネイキッドポリス
母は妖怪デビルアマゾネス
こんなネタでも何か大事な事が表面には見えないけど隠されているんだよきっと
考えたのは俺だけど俺でも気付かない何かがあるんだよ
表面だけの文章に様々に意味を持たせようとする
空が青くて太陽は眩しい
読むだけならばそれだけの文章
花から人になったものがいる
水から人になったものがいる
土から人になったものがいる
あなたが好きです、を小説語に直すと
「僕と朝までドラマティックハンティングアクション、いわゆるモンスターハンターしませんか」
現実でこんなことを言ったら
「わたしそのメーカーのゲームはストライダー飛竜しかやらない家系で育ったの、ごめんなさい
それにわたしには婚約者がいてその人は魔界村が物凄く得意なのよ」
と言われかねない
これが小説語会話か…
僕は一人ではない
やはり複数の人間だ
形容詞+具体的な理由の文章について追考が走る
城谷はその鬼の顔をおもいっきり張りつけた
母親の顔をしていたからだ
動詞と理由では普通に見えるようだ
しかしなぜ城谷はその母親のように思える鬼の顔を張りつけたのか
そういう次の理由が存在することになる
そうして話が進む
感情と行動の表現はやり方でかなり工夫できるのだろう
小手先の手法にしか思えなくても気紛れな無意識が育ててくれるさ
こういう書き方もあるのだなと自分でも思った
おもいっきりテレビみたいな薬箱を開いたような特別な雰囲気の番組
本筋に絡まないしストーリーの底に沈んでるけどちょくちょく関わる謎
謎というのはついて回るもの
主人公が追いかけるつもりも動機も、それがストーリー上必要ない謎がある
こう聞いてけものフレンズを想像するのです
かばんちゃん「ぼく、ジャパリパークの謎を解きます!」
って追う動機がいきなりなものを追ってしまうと
サーバルちゃん「話の展開的に謎が解かれるストーリーにすり変わってついていけないよー、なんでー?」
こうなったはず
もしかしたら謎は解かれる前と解かれた後とではら本人の見知の更新だけではすまない劇的な変化が周りになければないのではないか
そういうのが謎ではないのか
ますます教本じみてきてこれでいいのだろうか…と思ってしまう
妖怪パンティナースのドラマティックハンティングアクション
たったいま脳内でイメージの断片がどうしようもない結合を果たした
よりによってこれらか
そしてこのどうしようもない結合から、一連の投稿が一つの宇宙のようなものになり始めている予感がしている
アイデアが相互に関連し影響する
小説も一つの宇宙なのだろうか
ノートに書いても感ずる事がない理由がわかった
アイデアを書くときは短文だから、長く書き続けることでこういった繋がりが生まれたりしないからだ
短文だから書いたらはい終わり
気持ちも意識もそこで終わり
こうなっていたからなんだと気付く
ただ「ノートにつける」だけだったことが「思考を晒す」という事で、
短文の羅列から塊と流れのある文章に変化した
そういうことだろうか
小説に関する考え、思考を晒すつもりでとにかく書く
それ自体が小説を書くことを自分に教えてくれる
しかし、僕はいつになったら自分の作品を書けるのか
チョコモナカジャーンボ!といいながら食べるモナ王は吉川晃司に非常に申し訳ない気持ちになる