雑思考帖 9月22日夜中
想像とは自分が関われない光景を思い浮かべることだ
妄想とは想像の映像に自分自身も映し出されていること
自分自身がその映像のすべてに関与できる
さすがに頭が働かない時はやって来る
ここ数日は無理矢理働かせてきたのだ
疲れもするはずで本当になにも浮かばない
アイデアのあれこれを考え尽くしたはずはない
活かすにしても自分のアイデアが本当に信頼できるかも疑わしい
それに自分のアイデアを疑うのは、それにこだわらない為だと思っている
他人より優れたものを作ろうという意識はない
自分より優れたものを自分が作らなければならないのだから
人の心の根底、社会の根底、国の根底、世界の根底、宇宙の根底、あらゆる根底を貫く一本の何かがあるとしたらきっと中村さんだ
何処にでもいる中村さん
中村さんとは何か
小説に於ける伝達不可能なそれを僕は中村さんと名付けよう
擬人化だ
中村さんを小説の何処に、小説の無意識に置くか
作品作りはまず中村さんの居場所を作ることからだ
人物、ストーリー、テーマよりも優先されるべきだ
いい作品には、その作品には中村さんがいる
見つけられなくても中村さんがいるから、読んだあとに「いい作品だったな」と思えるのだ
そう考えている
しかし小手先の技術ばかりでは中村さんは居心地が悪そうだ
何を言っているのかはわからない
でもこれは僕のやり方だからこれでいいのだ
小説の奥底にあるものを見出だすにはどんな荒唐無稽な思考だってやってのけよう
頭がおかしいのは100も承知である
脳味噌だけにこういう事を任せているから、心と肚が歪んでいないのだろう
多分
うまい文章を書くより中村さんが作品のどこかに居着くように、そんなイメージを持って書くのだ
自分は一人ではない
複数の人間だ
根底を貫くのは中村さんというのは本当は冗談のつもりだったのだけど
何故か見事にハマってしまってその後の発想の呼び水になった
偶然なのか文章を書く故の必然なのか
何にせよ良いことだ
偶然を味方につけるのも創作の内だろうよ
ロック歌手は骨折くらいで泣き言を言わないらしい
ただ、足2本一気にいったら流石に凹むらしい
トマト(独立語)、トマトは(主語)トマトだ(述語)
しかしやはり調子が出ない
最初に言ったとおり発想を力むのは控えた方がいいのかもしれないニャン
アイデアを出すことと小説を書くことは別々の仕事なのだろう
発想が出ないときは予想に切り換える