11月 『なにもない部屋のドアを叩くような気持ちで』
はーい灼熱のジャンピングポトフでございます!熱い熱い!なんでそういう事をする!夢の中でもそういう事はありえないぞ!!
9月半ばから投稿を始めて11月になりました
もうどういう小説なら俺は書けるのかますます解らなくなってきてどうしようもなくなってます
(小説を書こうという構えをしすぎなのでは?そうなのでは?知るかー)
とにかく小説を読もうとするのですが、読み進まない
読んだなぁと思ったらまだ40ページだけという事もある、嘘だぁ80ページぐらいだろ、な?
俺は多分小説以外のものを作るべきなんじゃないか、
そう無意識がささやいている気がする
無意識は厄介だ。
それが敵でも味方でも無いゆえに創作をする人は本質的には孤独のままでそれに取り掛かるのだろう。
でもでもそれ以外にあたしに出来そうなことってないシー
文章書くこと以外の趣味はエロ漫画とゲームと何らかの精霊と悪魔と地母神に同調する格調高い踊りを考えることだけしか出来ないのよ
あたしを人間として見ると多様性という言語に権威を持たせようという人の気を間違いなく削ぎ落とすわね
完全無欠の理性からも潰されるべき毒性と判断されるのはまあ面白いわよね
完璧な人間はいないとか言っちゃう人ほど自分の欠点には行為直前の処女みたいに目をガッチガチに閉じてるものよ
人はこうあるべきという光のような理屈は人の心のなかになかなか再現出来ないのよね
ザムザの『変身』みたいに何かに変身したものが心にまず居座っててそれがなんなのかは自分も解らないままでそれと1つで生きているの
それが光の理屈に「君おってもええけど三日で帰るやろな」とかいうのよ
でも誰かはその光の理屈が必要なわけ
完璧であろうとする人は特にそう
自分を綺麗だと思うならもっと図々しくするべきよ
知性や理性なんて実用性がないからこそ素晴らしいのよ
だから実用性をそれらに見出だすと他人に「お前には知性がないだの」「あいつらは理性的ではない」だの攻撃に転じる振る舞いを示すのよ
実用性と攻撃性は兄弟よ
ところで小説ってある意味、風を直角に吹かそうとし過ぎなところがあるから苦手って事に気づいたのよね
「ああ、なんだがどっかで見たようなストーリーに付き合わされちゃう、違うダムでもどうせ水が下に落ちるのは変わらないのに」
みたいなね
連れられるだけのデートって感じで
彼氏が小銭地面にばらまいて一緒に拾うみたいな事が楽しかったりするじゃない?する?しない?
500円玉がなんで三つもあるのよとか電子マネーぐらい持ちなさいよねとかいうの楽しいでしょ?
でも実は彼はアニメキャラデザインのnanaco持って恥ずかしいから隠してましたいな
まあきららタイムのアニメならギリよね
キルミーベイベー!
はあ、やすーニャに会いたいわ
あぎりさん?えっ知りません私
小説もそういうところがあるといいじゃない
ストーリーを追うとね、ストーリーを追うことしかできなくなるのよ
謎を追うなんてもっての外よ
ストーリーなんてもうパターンが決まってるから予想しながら読んじゃうのよ
それに予想って何よ、賭け事じゃあるまいし
書こうとするものにつられて未だ描いたことのない表現が出てくる瞬間のためには
こんなまとまりのない文章を読んでる数奇な読者の人たちは気付いてるだろうけど
エンターテイメントは行き詰まってるのよ
確実に
何でって?
それは誰も知らないけどそれを誰が知ってるかを考えてその人になったつもりで考えたらいいじゃない?
それでもわからないものはわからないけどね
答えがあるかどうかわからないから考える
答えがあるようなものしか考えられないとしたらこの世に哲学なんか存在してないでしょうね
それに答えが出たら次の問題が出来るのよ
途中なぜ女の子口調になっていたかと言えば多分橋本治の桃尻娘を読んでいたからだと思います
内容の攻撃性もその桃尻娘の中に出てくる人物の精神を反映しているのだと思います
そして書き手も何かになりきって書いていたりするのだろうかと考えたりする




