雑思考帖 9月18日
日常の何らかを変えた、上げた、増した、減らした、等の動詞に支えられたものが小説なのかー?
書き手は「俺いい店しってんのよ」って言って読み手を誘うわけよ
自分の店のくせして
それが面白い
ボールペンでイラストも書いてみようと思って注文した本が思ってたのと違う!
まあ無駄なものはないべ
小説は読み手をどこにつれて行きたいんだっていう表現力が試されている
そこが遊園地ならどういう遊園地なのか
事故ばかり起こす乗り物しかないけど売店のカレーが最高に旨い遊園地
乗り物は最高だけどカレーが最高に不味くて思い出にならなくなる遊園地
乗り物もカレーも最高な遊園地なら探せばあるだろうから小説にすることはない
だけどそういう遊園地がおかしくなっていく過程を見せたいという事もある。
梨うまい
昔の言い方風で『ぜうせい』だよ
マネーの虎にビルゲイツ
今目の前にある機械が実はトランスフォーマーだとしたら(エロDVDを見ながら)
(教本読むとストーリーのパターンは出尽くしてるってかなりの割合で言われてる
坂本龍一もメロディは出尽くしたと言っていた
東野圭吾も後は組み合わせだと言っていた)
同じセブンイレブンでも各店品揃え違うからね
伝えたいメッセージを、とはいうっても受け取ったメッセージは思い当たりません
けど小説読むの好きです
小説は具体的な言葉が好まれるが、抽象的な言葉が望ましい場面は実際の会話だろう
形容詞がそうだ
熱い!やばい!間違いな(略)
適当に開いた辞書のページをみなけりゃ西王母なんて知ることもなかったねえ
人の気配がしないビルを見かけると、まずなぜ人がいないのか、という事を考える
地下に怪物がいるとかエンタメ的なことは考えない
そういう異物は創作だと結局存在の理由を後付けする必要がある
読み手はそれの正体を知りたがるだろうが
正体を明かされないから怪物なのだ
怪物がいたとしても、もうそこにはいない事にした方が想像としては面白い
でも今もいるのだとしたら、わりと大変なことだ
ディアマンテがどうしたらギヤマンになるんよ
読み手を意識した思考にすりかわってるなと気付く
つくづく同じ気持ちで同じことは出来ないものだ
自分を投げ出す言語とは何か
論理的な事をいうときはたぶん意識してる
直感でもの言ってる時は意識してない
とりあえずそんな感じがする
夢は(自分に対する妄想だから絶対に何があっても)叶う