逃げの一手
地に伏すケウデスを放し、セレに寄るゲンゾー。
微かにだが呼吸が浅い。
「済まんが少し驚く……ぞっ!」
「!」
強引に背を反らせ、気道を開いて呼吸させた。
けほけほと咳をして暫く、セレは呆けた顔でゲンゾーを見る。
「黒檀様……私は一体…」
「ふむ、少し危ない目に遭っただけよ。何、もう心配無用だ」
すっくと立ち上がり、もう一つの誘拐犯の逃げた先を見据え、ゲンゾーは思案顔を作る。
一方でその思考を読んでいたセレは表情を凍らせた。
「チコさんが……!」
「む、幾らか記憶が戻ったかね?」
「っ……!」
そう、しかしてゲンゾーは知らない。
ほぼ完全と言って良い程セレは人の心を読める。
それがセレ自身にとって嫌な心さえも。
(やだ……知られたく無い……)
他人は恐ろしい。
その他人が向ける嫌な心は更に恐ろしい。
その思いがセレを俯かせ、その俯きにゲンゾーはふぅむと唸る。
(はてこの俯きは何か。チコが拐われた事に起因する自責……ならば敵の素性に関して詳しく語ろうか。悪しき娘でも無いしの。では誰ぞに対しての申し訳無さに関する事……ならば儂への念は先の通り無かろう。つまり生真面目なこの娘は誰ぞに対しての自責、そこにはこのケウデスとやらに加え儂がその身に触れた故の……うむ、柔らかかったの)
「へっ!?」
「うむん?」
長考の中に出た感想を思った瞬間セレは素っ頓狂な声を上げ、ゲンゾーは首を傾げる。
柔らかかったとはどこかとは思ってはいないしまず口にも出してない。
さては言葉に出てたかとゲンゾーは咳払い一つ。
「ともあれチコの事は気になるが一先ず其方を守らねばならぬ。幸か不幸か、チコは飽くまで儂の身内、護衛対象ではない。加えて……」
「黒檀様!」
「!」
セレの叫び声に振り返ると、ケウデスが呻き声を上げて意識を取り戻そうとしている。
「浅かった……か!?」
再び攻撃するべく踏み込んだ瞬間、膝がかくんと抜けた。
そして考える間も無く体中を襲うのは倦怠感。
(お……おのれ……!)
魔力切れの症状に加え、連戦の中で負ったダメージが漸く、そして最悪のタイミングで爆破した。
何とか身体を起こそうと奮い立つが最早手をすら地に付けている。
対するケウデスはだらりと下がった右手を庇いつつもギロリとゲンゾーを睨んでいる。
「………つまらん決着だな」
そう言って駆け出すケウデス。
もう逃げようが無い。
(否、諦めるものか!)
付いた手の平を弾いて強制的に身を起こす。
そして一瞬構え、その動作にケウデスは怯む。
(すまぬが、ハッタリよ)
「!」
そのままの勢いで倒れる様に背にしたセレに向かい、
「済まん、暫し我慢するのだぞ」
「へっ!?ひゃっ!」
セレを抱き締め、そのまま屋根から落ちた。
かなりの高さが有るが構わない。
せめて地上に戻ればまだセレは逃げ切れるかも知れない。
ケウデスが追って来たその時は、
(その時は……その時考えるとしようかね)
余りに無謀な考えだが確率がゼロな訳ではない。
やれるだけやる、そう決意した瞬間。
「漸く降りて来て下さいましたね。お迎えに上がりました」
そんな言葉と共に闇の中に飲まれた。




