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始まりがあれば終わりがあるように、終わりがあれば始まりがある、そんな理も世の常で、暗闇に終わった夜がいつの間にやら輝きの朝になっている。私は布団を出て光を取り零している遮光カーテンを開け、一身に朝日を浴びる。雀。忙しく呼び交わす彼らも、夜は人間と同じく眠っているのだろうか。一日を終えているのだろうか。
パジャマ姿のまま私は、簡素な朝食をこさえる。トースターで食パンを焦がし、フライパンにソーセージを転がしあとはレタスとミニトマト。この組み合わせを見出すのに十年要したが、食事というものはルーティンワーク、一度献立を確立してしまえばあとは流れるように作れるようになる。反復が洗練を生む、という点で料理は職人の世界と変わらないのかもしれない。
朝食を終え、洗面所で歯を磨くなどして身支度をし、最後にスーツに着替え用意整った私は貴重品を押し込んだ抽斗を引き出した。銀行の通帳、病院の診察券、印鑑、石鹸、パスワードを記したメモ帳などが一斉に、ほんの少しだけ手前側に滑る。そこからアパートの鍵を取り出そうとして私はふと、指輪に気づいた。抽斗に入れておいた指輪の異常に気づいた。紫の指輪が作る円にほんの少しの橙が混じっている。つまり地の色が見えている、隙間ができている、つまり指輪が二つに割れているのだった。
「あ」と間の抜けた声が出た。ベランダで囀る雀の声が聞こえた。私は無意識のうちに両手を握り込んでいた。皮膚に爪の当たる感触。硬さ。石のような硬さ。それを感じながら、握った左手を、握ったままで掌側が地面に向くようにし、右手を解いて左手の上にかざし、左手の甲をさするように二度円を描く。それから私は、ぎゅっと、キリスト教徒が祈る際のごとく両手を握り合わせた。朝日が、冴え返る空気を、私の手を、くきやかに照らし出していた。
十秒ほどしてから私は、割れた指輪を抽斗から取り出し、食卓の上に置いた。ベッド脇に置いていたスマホを手に取り、再び食卓、指輪の前に立つ。足音に驚いたのかどうかは雀に訊かなければ分からないが、彼らの飛び立つ音が聞こえたような気がした。
発信音が幾度か鳴る。それはまるで静かな池に小石を放り込んだかのようで、果たして底に打ち当たった小石の反響が聞こえるだろうか、不安になる。いや、いきなりだからそもそもが無理な話か。そう諦めかけたその時、スマホから声がした。
『もしもし?』
怯んで詰まるかと思いきや私の声はするすると変わりなく出てきた。
「あ、もしもし? いきなりごめん。今大丈夫?」
『あ、うん、ちょっと待って』
声が遠ざかり、少しの間があってまた戻ってくる。
『ごめんごめん、ちょっと朝食片付けてて。手が泡泡だった。で、久しぶりだけど、何? ってそんなに久しぶりでもないか』
「はは。うん、あのね、なんていうか、アレなんだけど」
『何? なんか……話しにくい話?』声のトーンが少し落ちる。
「まあ、うん」
私は目線を下に、食卓に移す。指輪が、二つの弧となって佇んでいる。
「なんていうか、その、ね」
『うん?』
私は指輪の弧に指をかけ、引いた。弧が、指に合わせて半回転する。まるでのたうつかのように。
「あのねぇ……」
私は少しの静寂の後息を吸い込み、言った。
「あの指輪、割れたんだ。今朝」
電話口の向こうで、息を呑む気配がした。ベランダでまた雀がちゅんぴち囀り出した。朝の光が、まるで法律で決められた義務であるかのように室内を几帳面な白に明らめていた。