プロローグ
社内の荒波を異世界で経験することになるなんて思っていなかった。
元勇者、そして今は魔王軍の平社員の俺は、最近そのことを強く思う。
――――勇者たちのせいで出た損失は!?
そんな怒号を聞けば嫌にもなる。
とりあえず楽しくない記憶を奥にしまって、俺は目の前の女性に話しかけた。
「お姉さん。魔王軍に入って俺と一緒に愛を育みませんか?」
「は?」
片膝を床につき、まるでプロポーズのような格好をした俺に、目の前のお姉さんの冷ややか視線が投げつけられる。
俺と同じ魔人族特有の白髪の奥で揺れる、灰色の瞳が美しい。
俺の瞳は赤色だから子供の瞳は紅色とかになるのかな。
そんな呑気なことを思いながらも、強気な印象を与えるつり目と、男を魅了するその身体に俺の心は奪われた。
「あなた魔王軍の人なの?」
「ええ。魔王軍営業部所属のグラムです。今は人材スカウトを担当しています」
「じゃあ、魔装具を持っているの?」
「いえ。俺は魔装具を使えません。だけど貴女のことを……」
「ただのダメ社員じゃん」
痛烈な一言が俺の心にクリティカルヒットした。
ダメ社員なのは否定しないが、何度も同じことを言われれば、俺の寛大な心だって傷ついていく。
結局このお姉さんのスカウトは失敗した。
「そんなに魔装具が大事か!? 確かに魔王軍は基本的にみんな使えるけどよ……だからってそれを理由に人の心を抉る言葉を言うか!? 人格を疑うぜ!」
「私たち魔族だから魔格だね」
「どっちでもいいわ!」
向かいの席に座る女の子の意味不明な指摘にツッコミを返す。
魔装具と呼ばれる武器は、魔王軍の標準装備である。
使えるのが普通。
使えない奴はただのダメな奴。
それが一般認識だ。
「それよりもいいのか? 俺たちこのままじゃノルマどころかスカウト人数ゼロ人だぞ。マズい……部長に殺される……それどころか給料カットだ!」
「グラムがいつも変なセリフ言うからじゃん。だからずっと『顔は良いけど中身がね……』って言われて彼女が居ないんでしょ?」
「やめろ! これ以上俺の心の傷を抉らないでくれ!」
向かいの女の子が白髪の毛先をイジリながらため息。
蒼い瞳がこちらを向き、何か言いたそうだ。
「なんだよ。魔王軍営業部の女神ルンナ様」
「は、恥ずかしいからやめてよっ」
「実は満更でもないんじゃないかぁ? 胸もそこそこあるし、スタイルだって抜群だ。その身体で色んな男を誘惑してきたんだろ?」
「そんなことしてないよっ。勝手なこと言わないでっ! 女の人にそんなこと言うから……」
再びルンナがため息。
そして俺もため息。
「食事代も痛手だな」
手に持った串焼きを口に入れた。
適当な居酒屋で食べる飯の金額を気にすると言うのは、なかなか情けない話だ。
「でも食べないと元気でないよ」
「ですよねー」
三十年前までは、魔族たちからあこがれの存在だった魔王軍も、今は凋落の一途だ。
原因は魔王が勇者に負けたから。
そして今は勇者と二度目の戦争中。
前回の勇者と違うとはいえ、魔王軍の不利は揺るがない。
いつの間にか魔族たちからの尊敬の念は薄れ、不信感だけが魔王軍に積もっていく。
原因は自分にある。
そう思っていても、ため息をせずにはいられない。
「何とかしないとなぁ……」
元勇者で魔王を倒し英雄になったはずなのに、それが原因で自分の首を絞めている。
その事実に、今は笑うしかなかった。