其之壱 待ち合わせ
カヘンノ書では、予告通り危機的な状況から始まった。あの時は確かに焦ったが、今思うと寝坊して無ければ、あれだけ多くの妖技を習得出来なかったと思う。全体を通して化変…、「変化」が大きなテーマだった訳だ。確かに日常の一幕もあったが、あの日が俺にとっての大きな「変化」をもたらしたきっかけになった。
さて、今回のギコウノ書は、俺が初めて白狐に化けてから一週間後の土曜日。休日のエイソ駅から、物語は始まる。会話の中で一瞬しか出てないので、忘れているかもしれないが、この日はサークルのメンバーで集まる事になっている。様々な意味で重要な章となっているので、ぜひとも見逃さずに読んで頂きたい。本格的に動き始めた、俺の妖技師としての体験記を…。
「ちょっと早すぎた気もしたけど、丁度良かったかしれないなぁ」
晴れ渡る空の下、俺はようやく着いたという解放感に満たされながら、こう呟く。入学から二カ月経ってある程度は慣れてきたが、やはり二時間という所要時間は大きい。そこそこ疲れるのだが、俺は道中の列車の中は、その大半を睡眠に充てている。なので、講義が無い今日は特にそれが溜まっていない。座っていたために強張っていた身体を、伸びをして思いっきり解す事にした。
『そうだね。他に誰かがいても良さそうだったけど、わたし達以外誰もいないもんね』
梅雨入り前の貴重な日差しに照らされている俺の横で、白狐のイヅノも気持ちよさそうにこう言葉を伝えてくる。キューン、と狐の言葉でも、おそらく彼女はこう言う。前足を前に思いっきり伸ばし、それから足の位置をそのままに前かがみになる。尻尾の先までピンと張り、ゆっくりと力を抜いていった。ちなみに今の彼女は、透異の効果が切れた直後。故に俺だけでなく、他の人でもその真っ白な毛並みを目にする事ができる。これは蛇足なのだが、彼女はこれまでの間にかなりそれの扱いに慣れてきたらしい。週五のペースで発動させているので、当たり前だ、と言われたらそれまでなのだが、彼女は透異を任意のタイミングで解除できるようになっていた。
「だよねー。そういえば、ケイ君達は? 私が乗った時にはいなかったんだけど、何か聴いてる? 」
それからもう一人。俺がイヅノに視線を落とし、眼で答えていると、もうひとりの彼女…、カヲルさんがこう俺に話しかける。キョロキョロと辺りを見渡し、俺にこう言うと、立て続けに質問を投げかけてくる。俗に言う帰りのイツメンがいない訳を俺に尋ねる。空は晴れているが、彼女の中には雲がかかっていたのかもしれない、俺はこう感じたのだった。
「あぁ、幹事達ね。幹事達は昨日からタケルの家に泊まってるよ」
「タケル君の家に」
「うん。俺は夜からバイトだったから無理だったんだけど、四人で麻雀をするんだって」
「クゥーン」
本当は俺も泊まりたかったけどなぁ…。イヅノもそうしたい、って言ってたし。カヲルさんからの問いに、俺はすぐにこう答える。一昨日ぐらいに言ったような気がしたが、それは本当に気のせいだった。別の友人だったと思い出しながらこう言うと、案の定彼女はこう繰り返す。若干首を傾げながら聴いてきたので、すぐにこう返した。
これにイヅノが声をあげ、俺に続く。声のトーンから推測すると、おそらく彼女は、そういえばそんな事言ってたね、そう言ったのかもしれない。狐に化けれるようになって以来、俺は何となくだが彼女が言った事を予想できるようになっていた。自分でも狐の言葉で喋るので、ニュアンスぐらいは理解する事ができる。化異自体はまだまだなのだが、短い間にこれだけは身につけたのだ。
「あぁー、最近部室でよくやってる、あれだね」
『ミナト君がするのは珍しいけど、コウジ君とイサム君となら、毎日のようにしてるもんね』
まぁ、確かにね。俺がああ言った後、カヲルさんはすぐに思い出したらしい。手をポンと叩き、こんな風に呟いていた。その彼女と重なる様に、イヅノがこう言葉を伝えてくる。妖力を通して響いてくる声には、どこか納得しているような…、そんなニュアンスが含まれているような気がした。
彼女もあれから化異を習得したので、このニ、三日ぐらいは人前にも顔を出すようになっている。習得した、といっても、彼女もまだ、俺同様完全に使いこなすことが出来る段階にまで達してはいない。にも関わらず彼女は発動させた状態で部室に来るので、全く俺の気が休まらない。確かに俺よりも上手いのだが、ヒヤヒヤさせられっぱなしだ。
「そういえば、最近大学で見かける白い狐って、狐波君のだったんだね」
「あっ、うん」
「キューン」
最近の事を思い出したのも束の間、カヲルさんは徐に話題を変える。紅い瞳の狐に視線を落とし、その彼女に歩み寄る。屈みながら彼女の頭を撫で、こう訊いてきた。
不意の事だったので、俺は思わず言葉にならない声をあげてしまう。半ば流されるような感じでしか、返事する事が出来なかった。そんな俺に対し、白狐の彼女は甘えた声をあげ、身を委ねている。本当にそうらしく、気持ちよさそうに目を閉じていた。
「白い狐って珍しいから、すぐにわかったよ」
「まぁ、確かにね」
「ッ?」
カヲルさんの言う通り、確かに俺はイヅノ以外の白狐を見たことが無い。イヅノには何匹かの兄弟がいるらしいが、妖獣なので元々数は少ないと俺は思っている。そもそも、俺はイヅノと月猫のルーナ以外、その類の動物を見たことが無い。ただ気付いていないだけかもしれないが…。なので俺は、カヲルさんの言葉に納得しつつ、こう頷く。彼女はこの後で小さく何かを言っていたが、丁度そのタイミングで近くを大型車が通ったので、聞き取る事が出来なかった。しかしイヅノだけは聞き取れたらしく、それなりのリアクションをしていた。その内容に驚いたらしく、カヲルさんの方をハッと見上げていた。
「前に狐波君、狐派だって言ってたから…」
「あれ、シンヤ君とカヲルさんの二人だけですか」
「あっ、うん」
「諏訪氏とミチルさんとも一緒に来るって聞いてたんだが…、違ったっけ」
「その予定だったんだけど、乗り継ぎが上手くいかなくてね」
撫でていた手を止め、立ち上がりながらカヲルさんはこう言う。この後何て言おうとしていたのかは分からないが、途中で別の声に遮られてしまっていた。駅の方から歩いてきた最初の声は、俺達を見つけるなり、こう尋ねてくる。人数が欠けていることを、まっすぐ尋ねてきた。その彼らに背を向けていたので、俺はまた頓狂な声をあげてしまう。流石に二回目だったのでさっき程ではなかったが、それでも十分驚いた。 何とか平生を装いながら振り返り、とりあえず頷く。後に続くように、もう一人が加わる。ここにはいない人物の名前を挙げ、その所以を伺ってくる。それに俺はすぐ答えようとしたが、それよりも先にカヲルさんが口を開く。磁気鉄道に乗っている時にルイン…、SNSで本人達から聞いた事をそのまま言っていた。
「そうですか」
「大川君達も、イサム君と合流してから来る、って言ってたよね」
カヲルさんの説明に、丁寧な口調の彼は、こう呟く。彼は、なら仕方ないですよね、と納得したように頷いていた。ここで話が切れたので、今度は俺が、彼らに疑問符を投げかける。同じく欠員の名前を挙げ、全く同じことを訊き返した。
ここで少し遅くなったが、彼らの事を話そうと思う。最初に話しかけてきた彼は、御神ケンという名だ。もう察しがついていると思うが、彼も俺達と同じサークルのメンバー。カヲルさんと同じk専攻で、俺と同じ受験組。まだ関係が浅いのでどうかは分からないが、俺が感じた第一印象は大人しめといったところ…。もしかすると、個性が濃いサークルのメンバーの中では普通の人物、かもしれない。
もう一人の彼は、大川リョウ。彼もk専攻で、カヲルさんやミナト同じく内部進学組。数学が得意で、コンピューター系の知識もかなり持ち合わせている。メンバー一饒舌で、喋り出したら止まらない、と言ったところ…。ヒロミチのあだ名の逸話に出てくるおしゃべりな友人が、彼の事だ。部室に高確率で忘れ物をするのが玉に瑕だが、盛り上げ上手だと、俺は思っている。
「そのつもりだったんだが…、待ち合わせ場所に来なくてね、オレ達だけで来たってワケ。イサム氏のことだから、遅れてくるんじゃないかな。この間の新歓の時もそうだったし」
「そうかと思ってルインで聞こうかと思ったんですけど、ガラケーでしょ。メールにしようかと思ったけど、聴くのを忘れてて…」
「おおっと、これは白狐じゃあないですかぁー」
「キュゥンッ? 」
なるほどね。確かに彼ならありそうだね…。俺はこの二人の解説を、例の人物の事を思い出しながら聴いていた。その彼と、名前のみが出ている二人の事は後ほど話すとして、俺はこの解説に何故か納得していた。確かに彼らの言う通り、入部直後の新入生歓迎会で、集合時間ギリギリに来ていた。近くのゲームセンターに行っていたらしいのだが、そんな訳で何人かの先輩と一緒に駆けこんでいたのが、印象的だった。
それはさておき、大川君の説明に、御神君が補足を加える。もう一度SNSを確認するつもりなのか、彼は左ポケットに入れていたスマホを取り出し、ロックを解除していた。手の動きからすると、ルインのアプリを木戸央させ、個別チャットを開こうとしたところで、突然何かに気付いたらしい大川君に遮られていた。
彼は御神君が喋っている間に、イヅノの方に視線を落としていたらしい。そこで彼は、どこで知ったのかは分からないが、高らかに彼女の種族名を挙げていた。俺もそうだが、まさか自分の種族名を言われるとは思っていない彼女は、当然驚きで声を荒らげる。おそらく狐の言葉で何で知ってるの、と言いながら、彼の方をハッと見上げていた。
「白狐といえば、フセン稲荷で祀られている狐が有名だよなぁー。んでも確か、伝承では九尾の狐だったような気がするけど…、きっとこの白狐は九尾の狐の子供なんだろうな。眼も紅いし、伝承通りだ。オレはどちらかというと猫派だけど、やっぱり伝承に出てくるような動物って、いたんだなぁー。日の無い所に煙は立たぬと言われてるけど、まさにその通りだったんだなぁ」
イヅノのリアクションを全く気にする事なく、彼は我が道を突き進む。おそらくネットサーフィンして仕入れた情報だと思うが、大川君は持ち合わせる事を立て続けに虚空に放っていく。最初は割り込んで、どこで知ったのかを聴こうとしたが、その隙が全く無い…。将来セールスマンになれるんじゃないか、そう俺に思わせるほど、彼は言の葉を流していった。
『わたしの事、知ってたのもビックリしたけど、大川君って、こんなに喋るの? 』
「俺も初めて会った時はビックリしたけど…」
「へぇー。狐波君の狐って、可愛いけどそんなに凄い狐だったんだね」
「えっ、まぁ…」
間違いではないけど、イヅノ、今いくつなのか俺でも分からないし…。俺は毎日会っているので慣れているが、イヅノは彼の勢いに圧倒されていた。こんな事を考えながら聴いていると、白狐の彼女がこう訊いてくる。津全と言えば当然だが、俺にしか聞こえていないので、それに小声で答える。その最中、カヲルさんにこう訊かれたので、中途半端ではあったが、とりあえず頷いておいた。
「それに、そんなに凄い狐なら、何かに化けれるんじゃない? だって狐といえば、化け狐も有名でしょ? 」
「クキューン? キューン」
「まっ、まさかイヅノ、本気で…」
「クゥーン、クキューンッ」
いや、だからと言って、今ここでする事はないでしょ! 彼女が言った言葉に、俺は思わず声を荒らげてしまった。カヲルさんの言った事は確かに正解…、だけど俺は、それは明かすべきじゃないと思う。イヅノが言った事は半ば予想だったが、彼女は本当にそう思っていたらしい。俺の静止を全く聴かず、上を向き、高らかに遠吠えをする。この一週間、何度も聞いた鳴き方なので、俺にはこの意味がすぐに分かった。同時に、イヅノらしいけど、流石に先走り過ぎ…、俺はこうも思った。
ある妖技を発動させた彼女は、遠吠えをし終えると軽く半歩下がる。おそらくリンクしている俺の妖力を意識しながら、彼女はその場で真上に跳ぶ。かと思うと、彼女は頂点で前足を下に振り下げ、その反動で宙返りする。ここからはほんの一瞬の事だったので、おそらく俺以外には全く見えなかっただろう。彼女の頭が真下にきた段階で、全体的に彼女の姿が歪む。十度ほど回ると、今度は白っぽい煙のようなものに覆われる。気付くと彼女は回転し終え、後ろ足、右手をついて着地する。…いや、今の彼女の場合、両足と右手か。この一週間練習を続けている妖技、化異を発動させた彼女は、ふぅ、と一息つきながら立ち上がった。
「うーん、慣れてきたはずだけど、やっぱり残っちゃったかぁ…」
そのまま彼女は、右手で後頭部を掻きながら、こう呟く。その口から発せられたのは、狐としての声ではなく、人としての声。イヅノは変化系の妖技が得意なので流石だが、それでも彼女はまだ完全には身についていない。確かに基本は人に化けれてはいるが、所々に白狐の特徴が残っている。そよ風に弄ばれているショートヘア―は銀髪…、元の狐のまま。これだけなら差支えが無いのだが、どう足掻いても誤魔化せなさそうなのが二つ。彼女の頭には、上向きに飛び出た三角形の、髪と同じ色の耳がぴょんと立っている。更に身につけた着衣…、ルーナの趣味だという巫女服からは、フサフサで細長いモノ…、人には絶対ない白い尻尾が一本、風に靡いていた。
彼女の化異はまだまだ未完成だが、それでもイヅノは凄いと思う。俺も練習を始めてから一週間経った。俺は一応完全な狐の姿に化けることはできるが、それ止まり…。イヅノは完璧に人の言葉を話せているが、俺はまだ、化異を発動させた状態では狐の鳴き声になってしまう。維持できる時間も、俺が十分に対し、彼女は四十分だ。先週の時点でも、タケルは一時間だ、と言っていたので、そう考えると本当に凄いと…。
「やっぱりそうだと思ったよ! それに、変身するとか、最高じゃん! 」
非現実的な事に、御神君はもちろん、大川君も言葉を失っていた。それに対し、カヲルさんは予想が当たり、凄く嬉しそう。俺は彼女も唖然とすると思っていたので、彼らとは別の意味で唖然とする。リアルで俗に言うケモノを見れたことに、かなりテンションが上がっていた。
この後、五分ほどしてから、一緒に来る予定だった三人が合流し、迎えを待った。その二人に、人に中途半に化けたイヅノの事を聴かれなかったのが気になったが、そうこうしているうちに迎えが来る。運転免許を取っていたらしく、タケルの運転だった。定員ギリギリだったが何とか乗り込み、彼の運転で、集合場所のエイソ駅を後にした。
「白い狐って珍しいから、すぐにわかったよ」
「まぁ、確かにね」
「私、知ってるよ。きみって、色んな術、使えるんでしょ。私と同じで」
「ッ? 」
トラックの音で聞き取りにくかったけど、わたしには、確かに彼女がこう言ったように聞こえた。聴き間違いなんかじゃなくて、ハッキリと…。




