揺れる
「はいはい……俺もう帰るわ」
俺は立花に背中を向けて階段を降りようとした。
「待って」
立花が後ろから声を掛ける。
「暇なら待っててくれない?」
「え、なんで俺が?」
「愚痴言う相手が居ないじゃん。嫌ならいいけどさ」
「はあ? 彼氏に言えよ」
俺の言葉に立花はキョトンとしていた。
「彼氏?」
「え、昨日言ってたじゃん」
ああ! と言いながら立花は気付いたように頷いた。
「ああ、じゃないだろ」
「あれ嘘だよ」
何? 意味がわからなかった。
「嘘? 何で?」
「え? 別に。理由とか無いけど」
立花が変わっているのは知っていたがここまで掴めない奴だとは思っていなかった。
「……帰るわ」
「えー、酷い」
「じゃあな」
俺が階段を降りていくと間もなくして職員室のドアを開ける音が聞こえてきた。その音を背中に聞きながら階段を降りきると、1階の連絡通路を通って俺は教室へ戻った。
誰も居ない教室の窓を開ける。冷たい空気が吹き込んできて一瞬息ができなくなった。校庭では運動部が今日も練習に励んでいる。
校舎向かいの体育館からは吹奏楽部の演奏が小さく聞こえ、神経を集中すれば太鼓のような低い振動も微かに感じられるようだった。
今頃三井は工藤さんにお熱のはずだ。でも俺もそれと変わらない。
俺はどうして立花を待っている? 待っててくれと言われたからか? あの立花の掴めないところ、惹かれている。彼氏が居るのが嘘だと聞いて正直嬉しかった。もう少し立花のことを知りたいと思った。やっぱり惚れっぽいな。
今日の夕焼けはやけに赤い。飲み込んだら喉が焼けそうな太陽の色だ。
今頃ポマードにみっちり絞られてるんだろうな。
もう少し待って、それで戻って来なかったら帰ろうと思っていた。何時間も待っていたらまるでストーカー、あからさま過ぎる。しかしそう思った途端に立花が今来るか今来るかと胸が高鳴った。
誰かの足音が聞こえる。身構えた俺の目に入ってきたのは陸上部の小野寺だった。小野寺はチラッと俺のほうを見たが言葉は交わさず、鞄を持つとそそくさと教室から出て行った。立花の来る気配はまだ無い。
5時半を回った。1時間以上立花を待っていることになる。
何してるんだ、何でまだ帰ってないんだ俺! もう部活の生徒ですら帰り始めているのに、帰宅部の俺が何の用も無い学校に居るなんて。
吹奏楽部の演奏もとっくに終わり、三井が教室に戻って来た時は焦ってトイレに隠れた。三井はそのまま帰っていったが、思い返すとその時俺も一緒に帰ればよかった。
突然焦りが出てきて俺は鞄を持って廊下に出た。人通りは少ない、立花に会う前に早く帰らなければ。
窓からの光より天井の電灯が存在感を放ち始める。この時間帯の校舎は独特の雰囲気を漂わせており、一歩踏み外せば異界にでも滑り落ちてしまいそうだ。
この高校には七不思議みたいなものは無いが、自殺者は過去にいたらしい。その幽霊が夜な夜な屋上を彷徨うというが、屋上には鍵が掛かっていて入れない。授業をサボって屋上で昼寝、なんていうのは憧れで終わってしまった。実際に入ることが可能だったとしても俺にはそんなことをする度胸は無いが。




