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三井ロード

 正直、立花をあんなに悲しませたことを後悔している自分が居る。

もっと別な方法は無かっただろうか、誰も傷つけず、今まで通り仲良くすることはできなかったのだろうか。階段をゆっくり一段一段踏みしめた。気を抜くと倒れ込んでしまいそうだった。


 下駄箱で靴を履き替えている時、誰かに呼ばれた。


「高橋」


 何故か小声なのが気になったが俺は再び上履きに履きなおして、三井のほうへ近づいた。三井は火災時に鳴らす防災ベルの前でやけに俺をせかすようなおいでおいでをしていた。


「あれ、あれ見える?」


 三井の指差す先には図書室が、そして図書室の窓ガラスの向こう側で一人の女の子が勉強をしている。美人だ、と思ったら工藤さんだった。

工藤さんは普段しない眼鏡を掛けながら背筋を伸ばして黙々とペンを動かしている。なんということはない普通の眼鏡さえも工藤さんが掛けると洒落た海外のブランド品のように見えた。


「これから……俺告白してきます」


 三井が宣言した。今は三井の軽い冗談にも気分が乗らない。


「そっか」

「おい、マジだって」


 三井が俺の腹を軽く小突いて顔をしかめた。何故かまだ小声だったがひどく気分が高揚しているようだ。


「こっからじゃ聞こえねーよ。そんな小声じゃなくても」


 俺がそう言っても三井は大げさに首を左右に振り回した。


「告白するならすればいいだろ、俺は帰るぞ」


 三井は俺の両肩を掴み、わかったというように深く何度も頷いた。


「だからさ~、俺が図書室に入ってしばらく出てこなかったら帰っていいよ、でもすぐ出てきたらそれはつまり……」


 三井は下を向いたまま目を腕で拭うような素振りをした。


「もうさ、いつまでも憧れてるだけじゃ辛いんだよ」


 三井にとっては何気ない一言だったのかもしれない。でもその時の俺にとってその言葉は棘のように深く胸に刺さってきた。


「わかったよ」


 あっさりと受け入れた俺に三井は拍子抜けしたようだったが、すぐに俺の肩から両手を離してパンパンと軽くはたいた。


「まあ、フラれた時は慰めてくれよ」


 半分覚悟しているかのような気の抜けた笑顔だったがどこか清々しい。誰かが誰かを好きになる、ごく当たり前のことなのにこれって本当は凄いことなんじゃないかと思う。病気でもないのに胸が苦しくなって、視線の中にその人ばかりが映るようになって、自分でも信じられないような勇気が湧いてきて……。


「おし、行ってきます」


 三井はやけに様になった敬礼をして俺に背中を向けた。普段からことなかれ主義で、「適当」を絵に描いたようなあの三井が一世一代の賭けに出ようとしている。


 三井にとっては図書室までの、距離にしたらほんのわずかな直線がこれまでの高校生活の総決算というような感覚なのだろう。見直した、凄いよ、お前は。俺はただ三井の背中に頑張れと小声で語りかけた。




 三井は帰って来なかった。俺は図書室の横の男子トイレを出たり入ったりしながら様子を伺ったが、図書室から誰も出てこないまま20分が過ぎようとしていた。


 やったな三井、俺の心は潮が満ちるように三井への尊敬と喜びの念で一杯になった。三井へのささやかなお祝いとして、この下駄箱から図書室へ繋がる廊下を「三井ロード」と呼ぶことにした。きっと三井のことだ、今日の夜にでも連絡が来るだろう。


 帰ろう。今日は疲れた。どんな出来事があっても明日は来るし、明後日も来る。時間が止まらないのは嬉しいことか、悲しいことか、坂井から渡されたカイロ、どうしようかな。


 自転車のペダルが重い。赤い雲、丸い夕日がぽっかりと浮かんでいる。校内の木々から広がる枝が夕日を遮ろうと縦横無尽に伸びているが葉の隙間から光が漏れてその影をより黒くする。タイヤの空気圧が少し弱いかな? そんなことを考えていた時だった。


 ガガン


 一瞬の振動に身体が震えて、気がつくと俺は宙を舞っていた。道路脇の低い石垣に車輪を取られて、その下に広がる畑に自転車ごと落っこちてしまったのだ。制服は泥まみれ、自転車の前かごは無残に凹んでいる。鞄は少し離れたところへ放り出されていた。頭から落ちていたら一大事にもなりえた事故、呼吸を荒げると口に砂が入って何度も吐き出した。


「大丈夫ですか?」


 歩道の上からおばさんが心配そうに声を掛けてきた。


「ああ、大丈夫です」


 ブレザーの泥を払ったが土の臭いが強く、脱いで畳んでから変形した自転車の前かごに入れた。


「ははは」


 俺は一人失笑した。馬鹿だな、俺は。今の転倒で大分気持ちが吹っ切れて、拾った鞄の泥をはたいてこれも前かごに放り込む。畑に作物が実っていなかったのが不幸中の幸い、盛り上がっていた畑の土に地割れでも起きたかと思う程強烈な窪みが残ってしまった。


 俺は自転車を引いて歩道に繋がるコンクリートのスロープを上った。シャツの脇腹辺りに赤茶色の染みがあって、まさか出血かと思ったがただの土汚れだった。家までの残りの道のりは自転車に跨る気分になれず、時々意味も無く鳴らないベルを押した。


 かごをこんなに凹ませてごめんな、帰ったらタイヤの空気も一杯にしてやるから。チャリッと微かに聞こえた音に俺はこいつがまだ現役だと語りかけているような気がして、なんだか一層愛着が湧いた。



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