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想い

「坂井に行くように言っておいたぞ~」


 月曜日の放課後、俺は自転車置き場の隅にいた。携帯にはたった今受信した矢野からのメールが光っていた。人を校舎裏に呼びだすなんて男でも女でも経験はない。喧嘩もしないし、恋もしないという地味な学生ならそれも十分有り得ることか。


 坂井はすぐにやって来た。緊張感がこちらにもピリピリと伝わってくる程に顔を赤らめて、背筋を伸ばしたまま足早に俺の前まで来るとぺこりと一礼した。

今日はいつものジャージではなく制服にブレザーを羽織っていた。


「こん、こんにちは」


 唾を飲みながらどもっている坂井、まだ何も言っていないのにこれでは先を想像したくない。


「おう、ごめん。呼び出しちゃって」

「いえ、全然」

「風邪引いてたんだろ? もう大丈夫?」

「はい、もうすっかり」


 卓球部に居た時から坂井は体力が無かった。病弱というわけではないのだが疲れやすいので俺も練習の時は気を使った。そのくせ根性だけは一人前で誰よりも真剣に練習に取り組んでいた。卓球の専門誌を自腹で買って重要部分のコピーを俺にくれたこともあったな。


「病み上がりだからあんまり無理すんなよ。人一倍頑張り屋だからな」


 坂井は照れたようにはにかんだ。


「はい、気を付けます」


 会話が途切れる。雑談をしようと思えばいくらでも出来る、でも坂井だってそんなことをしに呼び出されたとは思っていないだろう。


「坂井、あの時の返事するよ」


 坂井が小さく頷きながら深呼吸をする。


「はい……」


 俯いたまま返事を待っている坂井、素直で真面目な坂井、いつも俺の後に付いてきていた坂井、勝てないくせに何度も対戦を挑んできた坂井、なんだ、なんで今色んなことを思い出す。


「ちゃんと考えたよ」


 雲が太陽と重なって一瞬全てのものに影が落ちた。

その先の言葉がなかなか出てこなかった。言うことは決まっている、しかし口に出そうとすると何度も息を深く吸ってしまうだけで、言葉を喉の奥に詰まらせてしまった。


「俺は坂井とは」


 これでいいんだ。


「付き合えない」


 坂井は俯いたまま動かない。


「坂井のことは可愛い後輩としか、思えない」


 無意識に静寂を途切れさせようとしたのか、自然と言葉が続いた。


「ごめん」


 深く頭を下げた。坂井の顔、見ることができない。


「……何となくわかってましたよ」


 坂井の声が耳に入ってくる。


「先輩嘘つくの下手だから、あの日の態度でなんとなく。でももしかしたらって思っちゃって。でも」


 俺は顔を上げて坂井と向き合った。坂井は既に瞳に透明な水を湛えていて、瞬きをした瞬間にぽろっと滴が零れ落ちた。


「先輩優しいから、気持ちに嘘ついちゃうんじゃないかって、そんな、心配したりして、家で一杯泣いたのに」


「私卓球弱くて、一緒に練習してくれる人もいなくて、でも先輩は何度頼んでもいつも受けてくれて。自転車帰り、1人じゃ危ないからって一緒に帰ってくれたりして。その優しさが自然で、すぐ好きになっちゃって」


 頷きながら俺も泣いていた。言葉と一緒に坂井の気持ちが流れ込んできて、それは坂井の中に秘められた純粋な力強さで、ああ、こんなにもこの子は大きかったんだなとやっと気付けたような気がした。


「だから、良いんです。私は嘘をつけない先輩が好きだから」


 2人揃って校舎裏で号泣、普通の人がこんな光景を目にしたらドン引きだ。でも止まらない、泣くなと思えば思う程どこに溜まっていたのかと思う程の水分が目から湧いてくる。人目をはばかることなく俺たちはしばらくそこで泣いていた。俺よりも立花のほうが先に落ち着いて、気付けば俺の泣き終わり待ちという妙な状況に陥っていた。


「はは……先輩泣きすぎですよ。しっかりして下さい」

「ごめん……」

「私、もう行きます。あっ」


 立花は思い出したようにブレザーのポケットから白い袋状のものを取り出して俺の前に差し出した。


「これ、ありがとうございました」


 坂井の手にはカイロが握られていた。それを眼にした途端俺は全身に鳥肌が立つのを感じた。結局このカイロは余計に坂井を傷つけるだけの代物になってしまった。


「……おう」

「それじゃ」


 坂井は弾けたように走り出して校舎の中へ消えて行った。すっかり温度を感じなくなったカイロをポケットに入れる。少しだけ甘い匂いが鼻に届いた。坂井の部屋の匂いかもしれない。


 坂井と会わないよう少し時間を潰してから無心に教室への廊下を歩いた。

辿り着いた教室は空っぽで、誰一人席についているものはいなかった。黒板には何も描かれてはいない。

未だ胸にぽっかりと穴が開いたように無気力な状態、持ち上げた自分の鞄はいつもの二倍ぐらい重たく感じた。


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