ポマード先生 2
その後俺は時間にして10数分、職員室の扉の前に立っていた。
廊下を歩く生徒がチラチラ俺を見ている。何やってんの? 不審者を見るような視線が痛い。行くしかない。誰かがもし「職員室の前に変なのがいますよ」なんて告げ口したらそれこそポマードの髪を更に逆立たせることになる。
よし、行くぞ。動け、足。
「そんなに嫌なら逃げちゃえば?」
後ろから突然現れた立花は俺を見るなりあっけらかんとした顔でそう言った。同じクラスの立花真由美、一度隣の席になったことはあるが、それでも会話はほとんどしなかったし大して親しいわけでもない。
いわゆるちょっと痛い女子。
授業中は落書きばかり、体育はほとんど見学、頭が悪いのかと思うと校内の中間テストで10位以内を取ったりする。
薄い茶色のショートヘアーで目も大きく、化粧して着飾ればどこかのアイドルグループに交じっていても違和感は無さそう。
態度から何から若干人とズレていて、一部の奴以外からはあまり人気が無かった。
特に女子生徒からは白い目で見られている。学校に居る時はほとんど一人、今日も一人だ。
「逃げるってポマードから?」
「いやいや、他にいないでしょ」
立花の馬鹿にしたような視線、なんなんだこいつは。
「立花も呼び出し?」
「まぁね。英語の佐野に呼ばれちゃった」
「佐野先生ならいいだろ。俺はポマードだし」
「だから逃げればいいじゃんって」
「無理だって」
「なんで?」
こいつと話していると調子が狂う。
「いや、無理だから」
こんな奴に付き合っていても仕方がないと、職員室の扉を開けた。しまった、つい流れで開けてしまった。まだ心の準備が……。
中に入って閉めようとすると、立花も隙間から入ってきた。
ポマードは隅の席でこちらに背中を向けて何か書類を読んでいた。
明らかにポマードの周辺だけ空気が違う。他の教師達は互いに話をしたり生徒からの質問に答えたりと極めて和やかだが、ポマードの机の半径1メートルだけは影が落ちたように閑散としていた。
ポマードゾーンがそこに在った。立花が小声でつぶやく。
「じゃあ頑張ってね。生きてたらまた会おう」
片手で小さく敬礼のポーズを取り、立花はポマードとは逆方向の佐野先生の机へ向かっていった。俺は深く息を吸ってポマードのところへ向かう。不思議と心は静かだった。しかし心臓の音が妙に大きく聞こえて、俺は「ああ、これが絶望というやつか」と死んだような気分になった。
ここでもし「ポマード先生!」なんて呼んだらあいつに殺されるんじゃないかと、どうでもいいことを考えはじめた。
ポマードのキャスター付きの椅子がゆっくり回る。その冷たい目で確実に俺を視認したくせに呼ばないでまた背中をこちらにむけた。俺の中に湧いていた恐怖は即座にコンロで沸騰され、怒りに変わっていった。
あいつは何様なんだ、偉そうにしやがって、これは教育ではなく支配だ。お前は独裁者にでもなった気分なんだろうが、傍から見たらただのドSだ、怒ることでしか自己を表現できないなんて悲しい奴だよ、お前は。
「あの……先生」
ポマードが手招きし、俺は静かに横に立った。
ポマードがその重そうな口を開く。
「高橋だっけ? お前」




