青いオープンカー
「顔をぶつけるなよ、折れたら弁償じゃ」
弁償っていくらするんだよ、と思いつつも人体模型の値段なんて知りたいとも思わなかった。立花は何だか知らないがクロマニョン人の本物か模型かの区別も付かない頭蓋骨の入った小箱を持っていた。
「どこに運ぶんですか?」
「駐車場に頼む。わしの車は立花がわかるじゃろ、案内してやれ」
「は~い。じゃあ行こうか」
俺と立花はゆっくり廊下を歩いてすぐそばの階段を降りた。
「ちょっと待って、前が」
大きさ的に丁度立花ぐらいの人間を抱えているようなものだ、階段を降りるのは一苦労だった。
「大丈夫? 手伝おうか」
「こんなの何ともねーよ」
男らしいところを見せたい俺は強がったがつるつると滑る段ボールを上手く抱きかかえるために何度も抱きなおすと、人体模型の頭が激しく上下した。
「ははは、それ面白いよ」
立花が指差して笑う。
「こっちは真面目なんだから笑うなよ」
「高橋って面白いよね。前から思ってた」
前から思ってた、その言葉を聞いてはっと息が詰まった。立花はどんな風にしろ俺のことを気にかけていたのか? これは大きな前進のような気がした。
「立花は松重先生と親しいの?」
「いや別に親しいわけじゃないけどさ、たまに理科室貸してもらってるんだ~」
「何で理科室?」
「うーん、勉強したり? 薬の匂いが好きなんだ」
駐車場には目が醒めるような青いオープンカーとその傍らに佇む、白衣を脱いで茶色い革ジャンを着た松重先生の姿があった。
「ここに乗せちゃって」
何歳か若返った松重先生は迷わず助手席を指差した。三人で慎重に人体模型をねじ込むと松重先生は満足そうににやりと頬を吊り上げた。
オープンカーから頭がはみだした人体模型にシートベルトを掛ける松重先生の姿は一歩間違えば通報ものだった。
ちょんちょんと肩を叩かれたので振り向くと、立花が「こういう人だから」と言うように俺に向かって軽く頷いた。松重先生の言動を一々気にしていたら馬鹿を見ることになるのだろう。
「頭がい骨は後ろの座席にな。いや、ご苦労さん」
オープンカーのメタリックな塗装は曇り空のせいか輪郭がはっきり見えて、車のCMのように鮮やかだった。
「立花、高橋、ご苦労さん。ほれ」
松重先生は俺と立花の前に握りこぶしを差し出した。立花に促されて手のひらを差し出すと先生の拳の中からポロポロと光るものが落ちてきた。百円玉一枚と十円玉二枚、ちょうどジュース一本分だ。
しかし二人で百二十円ではどうしようもない。松重先生の手から更にお金が零れ落ちるのを期待したが、先生は既にオープンカーのドアに手を掛けていた。
「え、先生、これじゃ一本しか買えませんよ?」
「んなもん、二人で飲みゃいいだろ」
「え? 冗談でしょ?」
どこまでケチなんだ、俺は立花に小声で話しかけた。
「おい、あいつ何なの? 立花なんとかしてよ」
「いいよいいよ、高橋にあげるからさ」
違うんだ、問題はそこじゃない。半端に一本分貰うぐらいならいっそなにもくれないほうが良かった。お互い余計な気遣いをする羽目になるし今の状況、たかが百二十円のために俺が先生に言い寄る小さい男のように見えなくもない。
立花は何故かこの松重先生を慕っているようで、ちっとも不機嫌そうな顔を見せない。逆に俺がおかしいのか? この二人に挟まれているとそんな気さえしてくる。
松重先生は爆音を響かせながらエンジンを吹かし、その音にかき消されて聞こえなかったが今日のお礼と捨て台詞らしきものを言って帰って行った。人体模型の後頭部がぐんぐん遠ざかる様はシュールだった。
「ふう、今日はありがとね」
立花のその一言で救われたような気がした。
「別に。そうだ、これどうする?」
百二十円を差し出した俺の手を立花が押し返す。
「一番仕事したのは高橋だし、高橋が使って」
「いや、男としてそういうわけにも」
「じゃあ二人で飲む?」
俺は言葉を失った。立花とぶつかりそうになった視線を逸らす。
「冗談だよ。本当に、高橋が使って」
立花のこの態度は天然なのか演技なのか時々わからなくなることがある。自我が強くて気分屋で、普通の高校生のように恋とか流行とか、そういうものにはたして興味があるのか? 立花の周囲にはいつも霧が立ち込めていて、それが時々どうしようもないぐらいミステリアスで神秘的に見える。