愛のゲシュタルト崩壊
「愛っていいよねー」
近くの席の女子たちがそんな会話をしているのが聞こえてきました。
「憧れるわー、永遠の愛」
「歌や小説みたいな恋愛、あたしもしてみたいー」
どうしてみんな愛が好きなんだろうと不思議に思いました。
愛と恋愛はまたべつのものなのだろうか?
まだ中学三年生の私には、わからないことが多すぎます。
愛なんて、気持ち悪いだけのもの。
できれば家を出て暮らしたい──そう思うようになっていた私には、彼女たちの気持ちがさっぱりわかりません。
そんな私だから、友達が一人もできないのでしょうか。
「ただいま」
家に帰るといつものように、父が奥から出てきました。病院は夕方四時までなので、私の帰宅よりも父の仕事が終わるほうが早いのです。
「お帰り、瑞希」
そう言いながら、いつものように浅黒い唇を開けて、舌を出してきました。お帰りのキス──愛の確認として誰もがやっている行為と知りながら、最近の私はこれに嫌悪を感じるようになっていました。
それでも愛情表現はしなくてはなりません。人間として当然すべきことだと、小学校四年生の頃から父に言われてきたことですので──
内心嫌々ながらも舌を出し、そのままじっとしていると、父の舌が触れてきました。私がすぐに舌を引っ込めると、父が不機嫌になりました。
「瑞希……。パパのことを愛していないのか? それじゃ外へ放り出すぞ?」
仕方なくもう一度舌を出すと、父の舌がぬるりと絡みついてきました。私の肩を掴んで、しばらく私の唇ごと、音を立てて吸っていました。
みんなどうしてこんなものを尊いなんて言うのでしょう──
最初のうちは面白い遊びのように思って、私も笑顔でした。でも愛は私が成長するにつれて、だんだんと次のステージへ以降します。私が小学校四年生の時に家を出ていった母も、愛の正体に気づいて父と離婚したのでしょうか。
言葉には多義性があると習いました。
ひとつの言葉にさまざまな意味がある──
そしてその言葉じたいには根拠がない。
たとえば私の名前『深井瑞希』は私のことを表しますが、意味はありません。
繰り返してみればそれがよくわかります。
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井瑞希
深井みずき
ふかいみずき
ふかいみずき
ふかいみずき
ふかいみずき
ふかいみずき
ふかいみずき
ふかいミズキ
フカイミズキ
フカイミズキ
フカイミズキ
フカイミズキ
まるで知らない外国語のように
意味も根拠も失って
それは私を表す言葉ではなくなって
空を漂い、成層圏を抜けて、人間のいない宇宙で宇宙人に読み飛ばされます。
愛も同じです。
あれを愛と呼ぶのに根拠はない。
それでもどこの家でも誰でもがやっていて、でも人間らしくない、まるで動物のような行為だから、けっして他人には言わないこととして、まるで世界の神秘を表す言葉のように、それは愛と呼ばれていると、私は父から教わりました。
事実、表向きはないもののようにされていますが、インターネットにはそうした愛を映した動画などが裏では溢れていることを、これも父に見せられて私は知りました。
「瑞希、誕生日おめでとう」
今日は私の十五歳の誕生日です。
父に肩を抱かれ、台所へ行くと、純白のケーキが私を待っていました。
正直、嬉しかったです。
父が私を愛してくれている気持ちが伝わってきて、ありがとうと心から言いました。
「愛してるよ、瑞希」
浅黒い顔に、満面の笑みを浮かべて、父が言いました。
「今夜、愛はまた次のステージに移行するから、楽しみにね」




