先に動いた拍
現場は、予定より一段浅かった。
第十四区、旧換気路。
通風はあるが、流れは細い。
毒濃度は黄。だが湿度が高く、音が沈む。
彼は、前に立たされた。
理由は単純だ。
他班が一つ、作業を終えられず戻ってきた。
「途中で、足が揃わなくなった」
報告はそれだけだった。
彼は、布を見る。
揺れはある。
だが、芯が見えない。
(……厄介だな)
そう思ったが、
それ以上は考えなかった。
考えると、語が増える。
「入るぞ」
誰かが言った。
彼は、短く返した。
「止」
四人の足が止まる。
意識して出した語ではない。
反射に近い。
布が、わずかに伏せた。
次の瞬間、
天井奥で、低い音がした。
崩落ではない。
だが、風が押し返されている。
彼は、口を開いた。
「数」
言ってから、自分で驚いた。
考えていない。
並べてもいない。
ただ、出た。
班の空気が、変わる。
誰も動かない。
だが、全員が同時に身構えた。
彼自身、喉の奥が静かになるのを感じた。
(……今の、何だ)
確認する間もなく、
布の揺れが、一瞬だけ揃った。
彼は、その揺れに引かれるように言った。
「右」
一拍。
「退」
二拍。
四人の足が、同じ量だけ下がった。
半歩。
完全に一致。
逆流は、起きなかった。
音も、濁らない。
酸は、壁を舐めるだけで、
流れに戻っていく。
誰かが、息を吐いた。
声ではない。
ただの呼気。
彼は、その音を聞いて、
初めて立ち止まった。
(……揃った)
理由が、分からない。
なぜ、今は揃ったのか。
なぜ、昨日は揃わなかったのか。
同じ四語だ。
同じ班だ。
違うのは――
考えていなかったこと。
作業は、そのまま終わった。
何も起きない。
だが、誰も軽口を叩かなかった。
戻り道で、弓が小さく言った。
「……今の」
彼は、振り返らない。
「考えなくて、よかった」
それだけ答えた。
夜。
彼は装備室で、剣に触れた。
抜かない。
だが、今日は違う。
抜かなくても、揃った。
言葉が、剣の代わりになったわけではない。
だが、拍は渡せた。
彼は、布を畳みながら思う。
(数は……命令じゃない)
数は、
「次が来る」という合図だ。
準備の拍。
受け取るための、一拍。
それを、
今日は渡せた。
言葉にしようとして、やめる。
まだ、早い。
これは理解ではない。
感触だ。
だが、その感触は、確かに残っていた。




