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抜かれなかった剣

第十三区、第二通風環。


 同じ区画だった。

 同じ濃度帯。

 同じ換気条件。


 ただ一つ違うのは、

 前に立つ人間だった。


 彼は、剣に触れなかった。


 差圧布を見る。

 揺れは、先ほどより弱い。


 濃度石は黄。


 境界の色だ。


 誰も号令を待っていない。

 ただ、視線だけが集まる。


「止」


 一語。


 全員が止まる。


 剣は、鞘の中だ。


 布が、わずかに伏せる。

 風が、奥で折り返した。


「数」


 二語目。


 誰も動かない。


 だが、全員の重心が揃う。

 息が、同じ位置で止まる。


「右」


 三語目。


 意識が向く。

 まだ、足は出ない。


「退」


 四語目。


 四人が、半歩だけ下がる。


 同じ量。

 角ダレは、生まれなかった。


 風は、押されない。

 煤甲虫は、壁の奥に留まったまま、

 出てこない。


 誰も剣を抜かない。


 通風路を進む。


 声は、落ちない。

 合図だけが、沈む。


「止」


 落石が、先に落ちる。

 音だけで終わる。


「数」


 全員が、待つ。


「左」


 向きが揃う。


「退」


 酸は、空振りする。


 何も起きない。


 逆流も、交戦も、

 転倒も、怒号もない。


 ただ、進む。


 崩落地点に着く。


 救助対象は、

 すでに自力で呼吸している。


 縄を張る。

 支柱を立てる。


 彼は、何も言わない。

 必要な合図だけが落ちる。


「止」

「数」

「上」


 引き上げは、静かだった。

 誰も息を荒げない。


 帰還路。


 誰も「危なかった」と言わない。

 誰も笑わない。


 ただ、歩く。


 装備室。


 彼は布を畳む。

 濃度石を戻す。


 剣は、抜かれないままだ。


 報告書は、一行だった。


救助完了。

異常なし。


 以上。


 誰も、その一行に異論を挟まなかった。

 彼は、掲示板の前で立ち止まらない。


 ただ、次の札を取る。


 剣に、触れない。


 その背で、現場はまた一つ、

 何事もなかったことになった。

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