表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/10

暗転の中の三拍

第十七区・主幹通風路。


 重い扉をくぐった瞬間、息が浅くなった。

 湿った風が喉を掻き、煤の匂いが舌に貼りつく。


 濃度石は黄。

 差圧布は、右へ倒れたまま揺れていない。


(……作業は可能域。だが、境界が近い)


 判断をまとめるより早く、声が走った。


「退く、いま――!」


 ライナの号令は、半拍遅れた。

 彼自身の踵が、一瞬だけ前に残る。


「退け、一拍早く!」


 オリーブの声が重なる。


 だが通風路を渡る風音に掻き消され、三人の足は止まらない。


(違う……もう半拍、前だった)


「立つ。ここで――!」


 ヴォルクが大きく踏み込んだ場所は、坑道の角だった。

 角ダレが生まれ、風の筋が歪む。


「角を踏むな、渦が立つ!」


 叫びは届かない。

 ヴォルクは振り返らず、斧を構える姿勢を優先した。

 渦が膨らみ、

 風膜が――べり、と裂ける。


「線、消えた……」


 トコの弦が鳴る。


 だが矢は遅れた。


 彼の癖は「二で放つ」。


 けれど迷いで拍が伸び、三に入った。

 矢は流れを外し、岩に当たって小さな火花を散らす。


「二で放て! 三は遅い!」


 オリーブの指示は、空気に弾かれた。

 残るのは、矢羽の音だけ。


「一……に、に……っ」


 イルマが咳き込み、二拍目を落とす。

 酸が喉を裂き、言葉が崩れる。


「二文字で刻め! “止”“退”でいい!」


 声は届かない。

 拍は、場に乗らなかった。


 ――四人の動きが、同時に止まった。


 その一拍に、煤甲虫の酸が盾を舐める。

 金属が焼け、苦い匂いが広がる。


 壁の感圧板が沈み、通風の音が濁った。


 オリーブは胸の札を握りしめる。


 〈止/退/数〉――三語の簡易合図。


(私は正しい……でも、届かない)


 正しさが、場に活かされない。

 それが、何より怖かった。


 ――そのとき。


 斜面の奥から、足音のない気配が来た。

 砂を巻かない。

 藻の匂いだけが、静かに近づく。


「止」


 一語。

 低く、鋭い。

 四人の体が、反射で固まる。


 救助班だった。


 誰も剣を抜かない。

 湿糸が風に伏せられ、渦の芯が示される。


「右、退」


 二語だけで、背が半歩ずれる。


 角ダレが消え、風の傷が閉じる。

 別の班員が凹地に網を広げた。


 煤も酸も、面で受け止められる。


「数」


 三拍目。

 楔が抜かれ、凹地の出口が小さく崩れる。


 流れが変わり、

 虫の群れが、音もなく沈んだ。


 救助班の剣は、一度も抜かれなかった。


 三語と三拍。


 声と糸と網だけで、逆流は収束した。


 風が透明に戻り、

 通風路から濁りが消える。


 四人は、ただ立ち尽くしていた。


 羞恥と安堵が、

 同じ温度で胸を焼く。


 その場を去る救助班の背を見て、

 誰かが小さく呟いた。


「……剣、抜かなかったな」


 班長は振り返らない。

 腰の剣は、鞘に収まったままだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ