それぞれの帰り道──恋の反芻
◆桐生サイド
『──これは本当に現実だったのか……?』
帰宅した瞬間、桐生は靴を揃える気力もなく、玄関にへたり込んだ。
(あ……あぶなかった……
今日、俺……三回は昇天してた……)
視界の端にフラッシュバックする光景。
回転木馬で微笑む須磨子様。
ティーカップで上品に揺れる須磨子様。
お化け屋敷で従業員へ「お疲れ様でした」と言う須磨子様。
ボートで軽々オールを操り、湖面を切り裂く須磨子様。
──特に、あのボートの瞬間は忘れられない。
『桐生様。わたくしも少し……漕いでみてもよろしいでしょうか?』
そう言って握ったオールは――
ザッッ!!!
(※想定の5倍の推進力)
湖面を切り裂くように進ませたり、
『楽しいですわ! 桐生様! もっと参りますわよ!』
(参るのは俺なんだよ……!!)
桐生の魂がガタガタ揺さぶられた。
さらに、ベンチアイスで舌先についたクリームを
指でそっと拭おうとした須磨子様。
(……だめだ……思い返すだけで魂が抜ける……)
枕に顔を埋めてバタバタする社会人(28)。
(でも……“桐生様、ご一緒できて嬉しゅうございました”って……
あれ……)
枕を抱きしめて悶絶。
(俺、なんで心臓まだ動いてるんだ……?)
だが次の瞬間、脳裏に蘇る。
──出口での九条院事件。
須磨子が自分の方へ寄ってきてくれたこと。
“桐生様”と呼び、庇ってくれたこと。
そして最後に、あの言葉。
『……わたくしと一緒にいてくださって、嬉しゅうございましたわ』
(あああああああああああああ!!!
今日寝れない!!!)
布団にもぐりながら、桐生は枕を抱えたまま悶え続けた。
(……次、どうすればいいんだ俺……
いや待て、落ち着け……まずは……LIMEの返事……?
うわだめだ手が震えて打てねぇ……!)
──社会人、恋路で再びHPを削られる夜であった。
◆須磨子サイド
『……帰り道の鼓動が、まだ胸の奥に残っておりますわ……』
自室に戻り、ドレッサーの前に腰掛けた須磨子は、
そっと胸元に手を当てる。
「……まぁ……今日という日は……」
言葉にできぬ幸福が胸を満たす。
メリーゴーラウンドでの光。
ティーカップでの桐生の必死な横顔。
お化け屋敷で、自分より怖がっていた桐生。
そして──ボート。
(……あのボート……とても楽しゅうございましたわ……)
桐生の横顔。
水面の反射。
自分が軽くオールを握った瞬間。
「せいっ」
ザッ!!
(……まぁ……思ったより……進みましたわ……)
隣のスワンボートさえ追い越した時の桐生の声。
「す、須磨子様!?!?」
(かわいらしい方……)
そして──
「す、須磨子様。お怪我をされたら大変ですので……
わたくしが……漕ぎます。どうかお任せを」
(……あのときの桐生様……本当に素敵でしたわ……)
耳まで熱くなる。
さらに思い返すのはベンチで並んだ距離の近さ。
ふと見つめられたときの胸の高鳴り。
「……桐生様……本当に……かわいらしい方……」
ぽつりと零れ、須磨子は自分で顔を赤くした。
──そして出口での九条院。
桐生が自分を守ろうと必死に立ってくれた姿。
あの、不器用なほどまっすぐな優しさ。
「……守って差し上げたい、など……
おかしなことを思ってしまいましたわね」
唇にそっと指を当て、微笑む。
(でも……“嬉しい”と仰ってくださった……
あれだけで……)
胸の奥がじんわり温かくなる。
スマホを見ると、
グループLIME:数件
美佳から:1件
桐生から:……まだ
(……きっと、お疲れなのですわね……)
そう思うと胸がすこしだけくすぐったい。
「……では……わたくしから……」
送ろうとして、瞬時に真っ赤。
「で、できませんわ……!
“桐生様”からのお言葉を……お待ちしたいのですもの……!」
枕に顔を埋めて転がる令嬢。
「……また、ご一緒できますように……」
桐生の隣を歩いた帰り道の温度を思い返しながら──
須磨子はそっと灯りを落とした。




